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コントゥリを発って十一日目、リリたちは帝都の西に形成された、『城砦都市・フルリオ』へと辿り着いていた。
フルリオは、赤い煉瓦造りの建物が立ち並ぶ閑静な街並みと、南北に長い城壁を西側に持つ街だった。有事の際には帝都を守る砦となることから『城砦都市』と呼ばれ、帝国騎士団の施設や武装も、この街には備えられていた。
コントゥリほどの少なさではないが、住人は決して多くはなく、またその殆どは騎士団に籍を置くものと、その家族だ。お世辞にも活気付いているとは言い難かったが、修道院からバウムの森を挟んでこの街まで、毎夜テントでの寝泊りだったリリたちは、久々の宿屋に心を潤していた。
この街の宿屋には浴場の設備も整っており、リリとルチカはコントゥリを出てからここまでで、漸く旅の疲れと汚れ、汗を洗い流すことが叶った。湿らせた布で身体を拭いたりなどはしていたものの、女性であるルチカは特に、そんな生活に限界を感じてきてもいた。
浴場は男女二時間交代制で、リリたちが宿に着いた時には女湯だった。ルチカが先に風呂を済ませ、男湯に変わるのを待ってリリも続いた。
「は~良いお湯だった」
風呂を上がったリリが部屋に戻ると、乾きかけの髪をポニーテールに結ったルチカが、二つあるベッドに、ドボロとそれぞれ腰を下ろして談笑していた。
この宿はアーツでも入れるように天井が高くなっており、寝ることこそ叶わなかったが、ドボロは部屋まで入ってくることが出来た。
「じゃあドボロは千年間、ずっと遺跡の中で眠っていたのね」
「多分そうなるだ」
「その前のことは、何も覚えていないの?」
ドボロはうーん、と唸った。リリは二人の会話に興味があったので、ルチカの隣に腰掛けて、その話を聞いてみることにした。
ドボロは思い出したような思い出せないような、難しい顔をして、ゆっくりと口を開いた。
「……大きな建物の中で生活してたような気がするだ。兵隊みたいな恰好をしてる人が、沢山出入りしてた。オデ以外のアーツもいっぱいいただ……。でも……」
ドボロはそこまで言うと、更に眉間を顰めて口ごもった。
「でも?」とルチカ。
「オデは、落ちこぼれだっただ。或る時、オデはその建物の地下での仕事を与えられた。何の仕事だったかは思い出せないだが、みんなはこう言ってた……。あんなのは役立たずにしか回ってこない、哀れな仕事だ、って」
ドボロの言葉に、ルチカは寂しそうな表情を浮かべると、文句ありげに言った。「なにそれ、ひどい奴らね」
「でも今は、リリとルチカがいる。オデは幸せだ」
ドボロはそう言うと、ニンマリと笑って見せた。横に長い口を縫い合わせるように閉じ、両の口角をくい、と持ち上げる。しばしば、ドボロはこの仕草を見せた。リリは見ているほうまで幸せにさせる、その笑顔が好きだった。
リリはドボロの過去について、今新しく得た『大きな建物』、『兵隊』、『ドボロ以外のアーツ』、『役立たずに回される地下での仕事』という言葉から、もしかしたら軍事施設で働いていたアーツなのかも知れない、と考察してみた。『地下での仕事』が何を指しているのかは分からなかったが、リリには別に、二人に話しておきたいことがあったので、それ以上の考察はやめておいた。
「ねえ」とリリは切り出した。
「僕とドボロに起こる現象について、幾つか仮説を立ててみたんだけど」
バウムの森での死闘の後、リリとドボロは戦闘中に、不安定ではあるがあの力を発動出来るようになっていた。
ドボロとルチカが頷き返したのを確認すると、リリは続ける。「共通して言えるのは、戦闘中、それも戦闘が長引いて僕とドボロの気持ちが高まってきている時に、あれは起こる。つまり、気持ちのシンクロが必要なんだと思う。それが一つ目の仮説」
確かにそうかも知れない、という様子で、ルチカは目を閉じて相槌を打った。「ンだ」、とドボロも頷く。
「それから二つ目。これはほぼ間違いないと思う。ドボロがアーツとして持っている不思議な力が、僕に流れ込む。すると、僕の身体能力は飛躍的に上がる。そしてドボロやヘルズが使うのと同じように、ドボロの持つ土の属性の力を、僕も扱えるようになる」
一拍を置くと、リリは更に続けた。
「そしてその変化は僕だけじゃなく、ドボロにも顕れる。森での戦いでは、傷ついたドボロの身体が、シンクロが始まるのと同時に回復した。ドボロが使う力も、シンクロ前よりも強力になっているようにも見えた」
「オデもそう思うだ」とドボロ。「リリと、シンクロ、って言っただか? 繋がってる時、オデが元々持ってる量の力よりも、沢山の力を使ってるような気がするだ」
右手の人差し指でドボロを指差すと、リリは言う。
「そう。でもそれが謎なんだ。僕がドボロの力を受け取って強くなるのは納得出来る。でもドボロが強くなる理由は分からない。これは仮説の仮説だけど、この力は〝お互いに作用し合う〟ものなのかも知れない。何によって、かは分からないけど」
リリは不安そうに、そして不満そうに眉間を顰めてそう言った。ドボロとルチカも、難しそうな顔をして、うーんと唸った。
「それから」とリリは――ドボロを指すことをやめて宙を泳いでいた――右手の人差し指を、もう一度突き立てて言った。
「力を使っている最中に、僕とドボロに纏わりついているあの煙のような光。あれは多分、あの力が具現化したしたものなんじゃないかと思う。……どれもこれも、確実とは言えないけど、これからもっと力を磨いていけば、はっきりとした答えが分かるかも知れない」
リリはそう言いながら、向かいのベッドに腰掛けるドボロの顔を見つめた。折れかけた左側の角は、見慣れるとなかなかチャーミングで、リリはそれが気に入っていた。ドボロはキョトン、とした顔でリリを見つめ返していた。
右の拳をドボロに向けて、リリは言った。「これからもよろしく」
ドボロはリリの拳に、自分の右の拳を当てると、ニンマリと笑った。
「ンだ。これからも頑張るだ」
ルチカはそんな二人を見て、少しだけ唇を尖らせると、ベッドに仰向けに倒れながら、羨ましがるように言った。
「なんかいーなぁ! 相棒、って感じで。アタシにもそんなアーツが何処かにいればいいのに」
「きっといるよ。何処かでルチカのことを待ってるかもね」
ルチカはそれを聞いて、喜びかけて身体を起こしたが、余裕を見せて無邪気に笑うリリの顔を見て、再びベッドに寝転んだ。
「それを手に入れてる人の助言は当てにならーん!」
そんなルチカを見て、リリとドボロは静かに笑った。
フルリオから帝都までは、三日とかからない。久々のベッドに心を安らげながらも、幼少期から憧れてきた帝都への到着に思いを馳せると、リリは胸の高鳴りに、なかなか寝付けなくなった。
小さい頃から一年に一度、父が家を空ける凡そ一ヶ月の間に何が起こっているのかを、リリは不思議に思っていた。帝都で開催される納物祭に行っているのだと聞いた時、激しく心を躍らせたことも、リリには昨日のことのように思い出せる。
世界中の町や村から人々が集まり、それぞれの地域の特産品を持ち寄って、帝都へと献上するのだという。父は毎年祭りの屋台で、リリが見たこともないような土産を買ってきては、何処の町の者が売ってくれたのだと教えてくれた。父の話を聞くうちに、リリはそれを、いつか自分の目でも見てみたいと憧れるようになっていった。憧れはいつしか夢へと変わり、リリはその日が来ることを、何度も思い描き、夢にも見ていた。然し、それはあくまでも夢でしかないのだろうとも、リリは常に、心の何処かで諦めを感じていた。が――。
(――もうすぐ、夢が現実になる)
そう思うだけで、リリは心が満たされるような気持ちになった。無意識に、リリの表情は綻んでいた。
「何ニヤニヤしてるのよ、リリ」
隣のベッドに寝転がったルチカが、リリを横目に見ながらそう言った。
「何でもないよ」と、リリは返しておいた。
ランプが灯した橙色の炎が、静かに揺れている。それは安らぎのようでもあったし、また脆弱性にも見えた。リリの濃紺の瞳は、ベッドサイドのテーブルの上のその赤い光を、暫く映していた。瞳を閉じると、瞼の内側の黒い世界に、光は残像となって焼き付いていた。
開け放った窓から、夜の風が、虫の声と共に闇を連れてくる。然しその闇は、憂いや悲しみを宿してはいない。それは新しい春の夜の、温かい風だった。その温もりに身を任せると、リリは漸く、安らかな眠りへと誘われた。




