ヴィジン
*節足動物つまり虫が苦手な方は一応ご注意ください。始終登場します。
*これはマスカダイン島の世界を軸にしたパラレルワールド、とお思いください。
とある日の夕方、連日の大雨が止んだ隙をみて、あたくしはお隣さんにご挨拶に伺うことにしました。
これだけの雨量ではあの家は今頃大変な想いをしているはずですもの。
あたくしはまだ新鮮そうな落ち葉をかき集め、それらの表面から水滴を払い去りました。こちらを手土産に持って、何か手伝えることが無いか訊いてみるのですわ。
どうして夕方を選んだのかというと、夜行性なあたくしと昼行性なお隣さんでは、他に顔を合わせられる時間が無いからです。
自分の家の出入口を通り、僅かばかり歩いて、土の盛り上がった箇所まで向かいます。あたくしは視力が弱いので、触覚を通して道を探ります。
中心部の、まるで誰かが強く殴りつけたかのように半球状に凹んでいらっしゃる辺りがお隣さん家の入り口です。そういえば、この形を「火山みたいだ」と主様は形容いたしました。あたくしにはまず火を噴く山というものがまるで想像できませんでしたけれど、主様が仰るのですから「火山」とはきっとこのような形なのでしょう。
『こんにちは、お隣さん! お忙しい時にすみません』
音を発せない代わりに八本の足先を駆使し、振動で意を表しました。
それをしなくても、あたくしが近付いた時点でお隣さんは来訪者に気付いたはずです。
すぐにコロニーを護る衛兵――大型の働きアリが数匹、巣穴から現れました。
あら、大型と言ってもこのあたくし、世界最大の蜘蛛に比べれば随分と可愛いものですのよ。「大型」とは、あくまでコロニー内での役職を区別する上での分類です。
本来ならば既に襲い掛かられているはずですが、何ヶ月も根気よく「無害」をアピールしてきた甲斐がありました。
彼女たちは訪問したのがあたくしだとわかって、警戒を緩めました。
『葉っぱを持って来ました。どうぞ、菌農園にお役立てくださいな』
通じないとわかっていながらも、話を続けます。
大型アリたちはあたくしが下ろした葉っぱを裏返したり撫でたりしながら、調べ回しています。問題が無いとわかると、背後について来ていた中型の働きアリたちにそれらを渡しました。中型アリはそのまま地下の巣窟に戻っていきます。
ふふ。この子たちに初めてお会いした頃が懐かしいですわね。
何十倍といった体格差ですもの、かわいそうなくらいに脅えられて必死に攻撃されて。この子たちの何が恐ろしいかって、洗練された集団性と攻撃力と、口についている強烈なハサミという名の武器ですわ。あたくしも反射的に反撃しないように自制しながら、どうお話したものか困り果てたものです。
――この世の中、意思疎通ができる相手よりもできない相手の方が過半数なんだ。
こちらも主様のお言葉です。
そう呟いたあの方のお声が、とても寂しそうだったのを憶えております。
寂しい――と言うのは、以前のあたくしには理解できない感情でしたわね。あたくしは卵から孵った時からずっと一匹で生きてきましたもの(交尾の際を除けば)。群生の習慣を持つ、社交的な動物でなければそもそもそのような感情を抱かないのですわ。
新しい世界を見せてくださったのは、他でもない、主様でした。
本来ならば捕食対象でしかない彼女たちハキリアリに興味を持てたのも、こうして隣り合って生活できるようになったのも、全てあのお方のおかげです。
『雨季も半ばになって、さぞ棲家が水浸しになっていることでしょう。大丈夫ですか? 何か手伝いましょうか』
あたくしは振動を通して、心配と親切心を伝えようとします。
彼女たちも振動を使って意思疎通をしているらしい事実は、過去の観察から知っています。他には「フェロモン」という分泌物を大気に放って会話しているそうです。
ええ、タランチュラもフェロモンを発しますわよ? 流石に異種族間では使用している物質が違って、通じようが無いのですけれどね。
大型アリたちが落ち着かなそうな様子で前足を地に叩き、何かを訴えてきます。
これは一体何を言おうとしているのかしら。やはり、あたくしにも彼女らの意図は通じません。
困りましたわね。
とりあえず頼まれそうな作業を思い浮かべてみましょうか。
普通に考えて、大型アリたちと似たような働きを期待されているのでしょう。例えば巣の警護と、大きな荷物の運搬なんていかがかしら。
いいえ、他種の個体に衛兵の代わりを頼むのは、まずありえませんわ。そもそも、あたくしにメリットがありませんもの。ご近所付き合いを円満に進めたいのは自己防衛の延長戦だとして、命を賭してまで彼女たちを外敵から護る筋はありません。
では、物資の運搬でしょうか。
それも考えいにくいですわね。あたくしはこの通りの大きさですから、彼女たちの地下の巣窟に入るのは困難です。
残る可能性と言えば――ああ、採集の方かしら。
思い出しますわね。
彼女たちハキリアリと初めて共同作業をした、あの時のことを――
* * * * *
主様の使いのモノに巣穴から連れ出されて、季節が何度か巡った頃。あたくしは主様がご用意してくださった生息地にて、ゆるやかに日々を過ごしていました。
元々棲んでいた森によく似ていながら、其処は特別な場所です。以前に比べるとお腹が空くのがとても遅いから、四六時中獲物を探さなくて済むのですわ。
主様いわく、この森で暮らす内にあたくしに「物心」が育ったのだそうです。どうやら、自我というものを持ち、己のみならず周りのものに意識を向けて思考するようになったらしいですわ。
原理はよくわかりませんけれど、主様がそう仰るのなら、あたくしには物心とやらが芽生えたのでしょう。
ちょうどそんなお話を聞いた頃でしたわ。主様が、一匹の翅の生えた雌アリを連れて来たのです。なんでも、瀕死のところを主様の使いのモノに連れて来られたそうな。
その雌アリは快復後にあたくしと同じ生息地に放たれました。すると彼女はたちまち本能に従い、新たに巣穴とコロニーを創立しました。
当初、あたくしは縄張りが侵されるのを危惧していましたわ。
積極的に排除しに行こうとも考えましたのよ?
気が変わったのは、きっと主様が仰っていた「物心」のおかげだったのでしょうね。
だってとても不思議な行進でしたもの。
ある時、何やら細かい振動が延々と連なっていることに気付いて、あたくしは地中深くにある我が家からひょっこりと身を乗り出しました。
ただのアリの行進でしたら、日常茶飯事でしたけれど。ふと近付いてみたら、目の悪いあたくしにも彼女らの運ぶものが見えたのです。
――葉っぱです。
中型アリが一列になって懸命に運んでいたものは、瑞々しい葉っぱでした。
どうして面白いと感じたのかしら。或いは、主様があまりに楽しそうに彼女たちを眺めていたからと、羨望混じりに興味を抱いたのかもしれませんわね。
それからは来る日も来る日も、あたくしはお隣さんに話しかけてみました。葉っぱはそのまま食べているのか、どうしてあなたたちの個体は小中大と三種以上もの大きさが見られるのか。思い付く限りの質問を投げかけましたわ。
勿論、返事はありませんでした。意思が通じないのですから仕方がありませんわよね。
そうして雷雨が通り過ぎた後のある日。
『今日の進捗はいかがです? 少し行進が滞っているようですけれど』
相変わらず顔を合わせれば襲撃してくる彼女たちでしたけれど、あたくしはあまり気にせずに話しかけます。
その日は、攻撃が止むのが普段よりいくらか早かった気がします。
『どうかしましたか』
振動が、一箇所に集中していることにあたくしは気付きました。その場所に注意を向けて近付いてみると、中型と小型アリたちの足取りから常ならぬ必死さが感じ取れました。アリたちの動きは普段と比べてまるで統率が取れていません。いつもは中型が食料を運んで、小型が防衛線を張っていたのですけれど。
足の下からは濡れた樹脂の感触がします。おそらくは、強風か雷によって倒された樹木がアリたちの道を阻んでいるのでしょう。
では、どれほどの障害なのかを確認しましょう。まずは登ってみるとします。あたくしは足元にわらわらと群がってくるアリたちをものともせずに、速やかに樹木を乗り越えてみました。次にはどれくらいの長さなのかを知る為に、端から端までを辿ってみます。
――これはいけませんわ。
幹があまりに太く、あまりに長いです。アリたちにとっては致命的な障害となりえますわ。道が真っ直ぐでないと行進に混乱を招きますし、回り込む内に体力をいたずらに消耗します。
どかすのは不可能でしょう。地中にトンネルを掘って道を繋ぐのが最善策だと思いますけれど、それを提示しようにも意思疎通は依然としてできません。
となれば、あたくしが率先して道を掘るしかありませんわね。
早速取り掛かります。自分の棲家たる巣穴もこうして掘ったのですから、手慣れたものですわよ。
巣から応援として呼び出された大型アリ数匹が、なんとなくあたくしの真似をし出した頃には、いい感じの穴ができ始めていました。そのまま強力し合って、樹木の向こう側に至るまでの道を築きます。一方、中型アリがなんとか大木を登り超えて、食糧補給の使命を果たし続けていました。
夕焼けはあっという間に過ぎてしまい、夜の冷えた空気がどっぷりと下りてきた頃。ようやく、トンネルの果てまで至れました。
が、そこで嫌な予感がします。天井に振動が走り、空気が上から圧迫されたような感覚。
『あぶない!』
――石が落ちてきます!
あたくしは咄嗟に飛び出して、前方で土掘りに勤しんでいた子たちに覆い被さりました。石はあたくしの背に当たり、横に転がって逸れます。幸いと、転がった先にはアリたちはいませんでした。
怪我か事故死を免れた大型アリたちは、そわそわとしています。「恩」というヤツを感じたりはしませんでしょうけれど、今のハプニングで、少なからず恐怖を植え付けられてしまったのかもしれませんわね。
『この程度の衝撃にあたくしの外骨格は屈しません!』
などと意味もなく強がってみます。実際は、少しだけヒビが入ってしまいました。ちょっと痛いです。
まあいいでしょう、どうせ近いうちに脱皮する予定でしたもの。
その後はさっさと作業を終えて、あたくしは帰路に付きました。
* * * * *
ええ全く、懐かしいものです。
あの後、なし崩し的にお隣さんの家に勝手にお邪魔したんですのよ。大型アリたちはあたくしが行進に混じっていても特に追い払おうともしませんでした。
巣の中をやたらとうろついても皆様が吃驚しますので、あたくしは女王アリの居そうな場所を予測し、そこまで這って行きました。
女王アリともやはり意思疎通はできませんでしたけれど――お互い、同じ主様に拾われた身です。他の個体とは違う、潜在的な仲間意識を感じることができました。「仲間」というものも、主様にお会いするまではあたくしの中に無かった概念ですわね。
そして帰り道は菌の農園を通りました。
――農業ですわよ。その意味、わかりまして?
あたくしには衝撃でした。生物たるもの、食糧は調達するものと本能で理解していたからです。
タランチュラは生粋の捕食者ですわ。まさか食べ物を手ずから造り上げる方法があるなんて――考えたことすらありません。
それがこの子たちと言ったら、幼虫の餌を作っているらしいのです。成虫が集めた葉っぱを特殊な菌に食べさせて、その菌をカビなどから守りながら、繁殖させているとか。ああ、成虫は樹液を食べるみたいですわね。
摩訶不思議ですわよね。
すぐそこに住んでいらっしゃるお隣さんが、こんなにもあたくしと違うなんて――
思い出に一通り浸った後、あたくしは中型アリたちの行進を探しました。
そうですわね、今回は作業が終わっても巣窟までついて行くのは遠慮いたします。いえ、たとえ招待されても丁重にお断りしなければなりません。
あれは面白かったですけれど、流石に道が狭すぎました。あのような苦労をするのは、二度とごめんでしてよ。
アリの行進を見つけると、あたくしは彼女たちの邪魔にならないように並走しました。
『今度はどんな障害かしら。土砂崩れの後の新しい足場確保ですか? 小枝と小石を掃除しますか?』
問いの答えはその内わかるでしょう。
こうしていると、自分のしていることが親切なのかお節介なのかがわかりませんわね。少なくともお隣さんの方からあたくしの家を訪ねて来たことが無いのですから――彼女たちにとっては捕食者の巣ですものね――好かれていない可能性が高いのですけれど。
こう見えてあたくし、兵隊アリたちからは疎んじられているとしても、女王とはお仲間ですのよ?
――まあ、この疑問の答えも、その内わかるでしょう。
* * * * *
マスカダイン島の九柱の神霊の内の五柱――クヴォニス、ミュナ、ヲン=フドワ、ユシャワティン、ネママイア――が住まうロウレンティア神殿は、霊界と物質界の狭間の空間にある。
岩棚と木の上と滝の中に入り混じった、複雑な構造の建物。その庭と言えば、木の上に建てられている部分の、真下と周辺の森を指す。
そこでは通常ならば共に暮らせないはずのモノらが神霊クヴォニスによって放し飼いにされている。
多様な生命が出逢い、数奇な縁を繋げる。
此処はそんな場所である――。
(了)
タイトルは「ご近所の人」って意味です。
マスカダインは別世界線の話でこそ書き手のカラーが前面に出ていると言われていますが、そんなことはないよと否定したいw 物語を通して「生き方」を模索するのが好きですが、今回の短編を書くためだけにネットの海をかなり徘徊しました。知識が全然足りません。虫って難しいぜ。
この世界では主人公は神霊に出逢うまで自我が無かったってことになってますが、我々の地球では野生の虫に自我があるのか否かは、不明です。
Goliath tarantula/bird-eater
leafcutter ants
fungus farm
登場動物紹介
あたくし
ゴライアスタランチュラの雌。全長28㎝。花の二十歳。ちょっとおせっかいで親切なお姉さん気質。嗅覚と聴覚を持ち合わせていないが、神霊クヴォニスの「声」は例外的に伝わる。
個体名は「ロカリヤ」。当然ながらクヴォニスしか呼ばない。当事者は名前というものの価値をあまり理解していないので、呼ばれても反応しない。自身とお隣さんの種族名を覚えているのは、クヴォニスの丁寧な教育の賜物。
お隣さん
ロカリヤの近くに居を構えているハキリアリの大群。ある種の菌類と相利共生関係にある。
当初はロカリヤの巨大さに怯えていたが、段々と慣れていき、終いには臨時の労働力として頼るようになった。
ほか
*主様
神霊クヴォニスを指す。視力の悪い蜘蛛には、ほんわりと輪郭が光っているように見えている。クヴォニスの言葉が理解できるのは、彼の神性ゆえ。
*主様の使いのモノ
クヴォニス配下の精霊(別名ナトギ)を指す。人間が精霊に神殿まで導かれるのと比較して、もっと強引に瞬間移動の類をさせられたと思われる。