ピンクの悪魔を討伐せよ(3)
「よーし、そろそろいいだろう。二人ともお疲れだったな」
周囲のオークをあらかた弓で射抜き終わった時、ようやくグレンは終了の声を上げる。
その言葉にスノーマンとラックスはホッと安堵の息を吐くが、そんな二人とは裏腹にオークの村は酷い有様だった。
倒壊したボロ家は十二戸、全体の三分の一に値する。
射抜かれたオークは二十体、魔法の爆風に巻き込まれて虫の息が十体ほど。
それは目に見えての数で、倒壊した十二戸を掘り返せば被害は更に拡大するだろう。
だがこの惨劇を目の前にしても請負人の表情はどれも変化はない。ただの無色透明であり、それ以外の感情を読み取る事は出来ない。
それほど請負人――いや、人間が魔獣に対する評価が最低なのだと五人の表情が証明していた。
「これより村の残党狩りを始める。まずダニエルが前衛、次に俺が中衛だ。後衛に残ったスノーマン、ラックス、ライナだ。ライナに関しては二人の護衛を任せる。どこにオークが潜んでいるか分からん。たかがオークと思うな。気を引き締め、出来るだけ物陰から離れるように移動する」
「了解っす!」
「おう、了解した」
「ん、理解した」
「はい、了解しました!」
ダニエル、スノーマン、ラックス、ライナの順に返事を返し、最後にグレンが「警戒を怠るなよ」と最終忠告をして一定の距離を保って一同は村に足を踏み入れた。
道中に倒れる虫の息のオークはダニエルが止めを刺し、魔法から倒壊を免れたボロ家はドアを蹴り破って様子を伺う。
一戸、また一戸と立て続けにボロ家を確認する一同だが、どのボロ家にもオークの姿どころかもぬけの殻だった。
前衛を任されているダニエルは内心で『もう逃げたのでは?』と思い、徐々に気が緩もうとしていた。
だからだろうか? 空気を割くような雄叫び――オークの個体種スキル『豚の咆哮』をダニエルはもろに食らってしまう。
「ブオオオォォォォオオォォ!」
スキルの効果である威嚇をまんまと食らったダニエルの体は硬直し、斧を片手に迫りくるオークをただ見つめる事しか出来ないでいた。
斧とダニエルの距離が二十メートルを切ろうとした時、いち早く硬直から回復したグレンがダニエルの元に駆け――斧が吸い込まれる寸前に背中を押した。
前のめりに倒れたダニエルはすぐさま立ち上がり、命の恩人であるグレンに視線を移して絶句した。
「くそ豚がぁ!」
そこにはダニエルの背中を押した右腕が綺麗に切り落とされ、腕から溢れ出る血を反対の手で押さえている所だった。
溢れ出る血に地面は赤く染まり、グレンの表情も徐々に青白くなっていく。そこでようやくダニエルは吐き気を感じた。ゴブリンを根絶やしにし、オークの村を蹂躙しても表情の一つも変えない彼が、ようやくその表情に変化が現れた。
死に対する恐怖、斧に対する嫌悪、オークに対する殺意。
今まさに倒れ込むグレンに止めを刺そうと斧を振り上げるオークに向かって、吐き気を寸前で飲み込んでダニエルは駆けた。
それはただの突進だったが、視野の外から繰り出される突進はバカには出来ない。
対処しようにも踏ん張りがきかず、そのまま雪崩れ込むようにダニエルとオークは地面に倒れた。
「ライナ、お前はグレンの腕を手当てしろ! 今なら上級回復薬で腕ぐらいならくっつく! ラックスは斧の回収と周囲の警戒だ! さっさとしろ!」
スノーマンの指示に各自が動くが今のダニエルには頭に入ってこなかった。
それよりも自分のせいで隊長の腕を切り落とされた罪悪感、目の前のオークに対する殺意、それらが体を支配し無我夢中でオークに馬乗りになって拳を繰り出す。
だが身体能力なら低級魔獣とは言えオークの方が比べ物にならないほど高く、それでいて全身を覆う皮膚は低級魔獣の中では他を圧倒するほど厚い。人間の非力な拳を顔面に数発食らおうが毛ほどのダメージにもならない。
気が付けばマウントポジションを取っていたはずのダニエルは宙に浮く。一メートルほど飛ばされたダニエルだが怯むことなく剣を拾い、武器を探すオークに剣先を突き立てる。
「待て、ダニエル! 一人で勝手に動こうとするな! 全員で囲んで仕留めるぞ! 俺とラックスは前、ダニエルとライナは左右に展開しろ! 流れ弾に当たりたくなけりゃ俺たちの軌道に入るなよ!」
スノーマンの指示に不満そうにするダニエルだが、ここで自我を通すほど愚かな男じゃなかった。渋々ではあるが指示に従い展開して剣先を突き立てる。
ゆっくりと刺激しないようにそれぞれ自分の位置につき、一定の間合いを開けて請負人と一体のオーク――エスターちゃんは対峙する。
場の空気が張り詰める中、スノーマンは密かに魔法を展開していた。
「――っ! こいつは驚いた……。手練れだと思っていたが、こいつは特殊スキルを持っていやがる。それにしても……【輪廻転生】? 初めて聞くスキルだな。ダニエル、聞いた事はないか?」
「いや、自分は知らないっす」
「そうか……。何にせよ武器を持っていないとはいえ手練れだ。十分に注意を払って討伐にするぞ」
スノーマンが展開した魔法、それは《覗き見》と呼ばれる補助魔法であった。
効果は指定した相手のスキルをまさに『覗き見る』事ができる。
ただ魔法だけあって万能ではない。今回の相手が低級魔獣だから確認できたが、これが上級魔獣や特定のマジックアイテムを所持すれば《覗き見》をキャンセルする事も、偽の情報を流す事も可能であった。スキルの恩恵が強いこの世界で、そう易々と他人に公開する者は中々いない。
それは命を預けているパーティーメンバーの彼らも例外ではない。いや、そもそも他人のスキルを知ろうとすること自体が、この世界では礼儀知らずになる。それを知らずに安易に聞き回ろうとすれば、それこそ毛嫌いされる対象となるだろう。
そんな中、場の空気に緊張が走り互いに様子を見ていたが、均衡を崩したのは請負人の方であった。
じりじりと後退するオークにライナが『立ち止まれ』そんな意味を込めて槍で突っついたのが事の発端である。それを攻撃の前振りと受け取ったオークは身体能力を極限にまで高め、対峙するスノーマンとラックス目掛けて拳を振り上げて突進する。
五メートルほど離れた距離は瞬く間に縮まり、同時に拳が二人の元に届こうとした時――次にオークの視界を染めたのは青空であった。
雲一つない青空、数羽の鳥が飛び交い、そして世界を照らす太陽。
それも一瞬の事、次には地面が近づき何度か転がった末、自分の半身――首から血が噴水の様に飛び出ている光景が目に入った。
その横では片手剣を天に突き上げる人間の姿、全てを理解した時オークの五年と短い生涯は幕を下ろした。
「……すまん、ダニエルのおかげで助かった」
「いえ、こうなったのも自分の責任っす。自分のケツは自分で拭くっすよ」
「それでも、だ。ありがとう。……ん? ちょっと待て! どうして、こう――」
「スノーちゃん、どうかしたっすか?」
「スノーちゃんと呼ぶな! ……まぁいい。それよりオークの特殊スキルが気になって《覗き見》したのはいいが、どういう訳かスキルが表示――違うな。無くなっている」
「へ? だって死体っすよ?」
「いや、本来なら死体でも適用される。その証拠にそこら辺に転がっているオークのスキルは確認できるし、今までも覗く事はできた」
「それなら話は簡単っすよ! それがオークの特殊スキルの効果っすよ! それほど深く考えなくてもいいと思うっす!」
「……どうだろうな。私の長年の勘は……いや、所詮は核心のない妄想だ。頭の隅にでも留めておくとしよう」
そうしてオークの集落は請負人の手によって崩壊の道に歩んだのであった。
この戦闘で絶たれたオークの命は四十五体、後に請負組合連合会で最多討伐数として五人の請負人の名は残るが、それはまた別の話である。
数ある小説の中から読んでいただきありがとうございます。
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