1 ピンク色のエスターちゃん
「ほらほら、いつまでも遊んでいないでお手伝いして。エスターちゃんはお皿を並べて、ゴンくんは赤ちゃんのお世話、ラスタちゃんはお父さんを呼んできて」
「はい、分かりました」
「はーい!」
「おとーさぁ~ん、ご飯だよぉ~!」
三者三様に返事を返し、私ことエスターちゃんは木製のお皿を人数分並べていく。一年前から私に与えられた唯一の仕事であり、小さな子供にでも出来るお手伝いだった。
私がゴブリンとしての余命を全うしてから約二年後。いったい誰の悪戯か私はピンク色の悪魔と恐れられているオークの、それも長女として生まれ変わっていた。これが本当に悪戯なら相当にたちが悪い。
家族構成は村で木こりとして働く父親、子供達の世話をする専業主婦の母親、そして元ソルジャーゴブリンのエスターちゃん、三つ子の弟のゴン、三つ子の妹のラスタ、最後に生後間もない末っ子のリンタくん。このようになっている。
前世でオークの村に訪れた事は一度もないが、はっきり言ってゴブリンの村と差ほどの変化はない。共通して言えるのは共に不衛生、ちょっとした事で倒壊しそうな木造の家、裸同然な格好となっている。
その中でもオークの村は群を抜いて不衛生に磨きがかかっている。
まず許せないのは排泄だ。特定の場所で排泄をする習慣がないのか、村中に排泄物の異臭が漂う。ちょっと家の外に出れば吐き気を感じるし、臭いにつられて四方八方に展開するハエの数が尋常じゃない。
それだけでも家の外に出るのに勇気と事前の決意が必要となる。
苛立ちはそれだけではない。何より我が身に対して苛立ちを覚えて仕方がない。
遠い昔の事に忘れていたが、子供の体は実に不便であった。成人したゴブリンの体格に劣るのは当たり前で、それに慣れ親しんだ前世と同じ事をしよう物なら必ず失敗する。距離感もそうだが、何よりオークは両腕両脚が極端に短い。そのため必要以上に動き回らなければ思い通りにいかないし、体力の消費もバカにならない。
例えば前世では多少の距離があっても手を伸ばせば掴む事が出来たが、この体になってからはゼロ距離まで近寄らないといけない。多少の段差にしてもそうだ。前世通りに乗り越えようと思っても、気がついたらつま先をぶつけて前のめりに倒れ込んでしまう。
――どうしてこうなった!? 誰がエスターちゃんだよ! 私はオスの、それも上位種のソルジャーゴブリンだ!
毎日の日課になりつつある毒を心の中に吐き出し、斜めに傾いている机に五枚のお皿を並べる。
まぁ百歩譲って前世の記憶がないのなら諦めがつく。が、生憎と私には二年経った今でも瞳を閉じればゴブリンとして、村の村長として歩んできた記憶が手に取るように分かる。
――くそっ! よりにもよって憎きオーク、それもメスに生まれ変わるとはついていない! くそったれ!
「あらあら、エスターちゃんは本当にお利口さんね。頭も良いし将来のお婿さんは幸せでしょうね」
現世の母親の言葉に吐き気を感じた。
オークだけでも許せないのに、何が嬉しくて結婚などしなきゃいけないのだろうか。それこそナイフで自害した方が幾らかマシだ。
だから笑みを浮かべる母親に内心で言い放つ。結婚などクソくらえ、と。
「いえ、私は結婚などしません」
「あら、どうして?」
――娘に拷問を受けろと?
「私は一人の方が好きなので」
「勿体ない。エスターちゃんは他の村でも評判よ? とっても素敵なお婿さんが見つかると思うわよ?」
――母親と父親の表情の区別もろくにつかないのに?
「結婚に興味が無いので」
「そうなの? けどね、けどね、お隣さんのニコルくんはどう? きっとエスターちゃんの事が大好きだよ? ほら、いつだったかニコルくんに言われちゃったわ。大きくなったらエスターちゃんと結婚するって。ふふふ、とっても可愛かったわよ」
――あの子豚は駄目だ。覇気がない。まぁ仮に覇気があっても無理だが、な。
「私はニコルくんの事が苦手なので」
「そうだったの? ニコルくんには可哀想だけど、それも仕方のない事よね。それなら……」
「ただいま! 今日も変わらず元気にしていたか?」
「してたかぁ~?」
拷問にも似た母親からのしつこい質問を遮ったのは、妹のラスタを肩に乗せて仕事から帰ってきた父親だった。
仮にも三つ子の同い年なのに、ラスタだけは未だに舌足らずで性格も幼い。成長の過程は全く同じなのに、どうしてこうも姉弟間で差が生まれるのだろうか?
まぁ私には関係のない事だ。血の繋がった姉妹だろうが、私自身は姉妹だと認識していない。むしろこの家族すら赤の他人と自負している。
「おっ、エスターはお母さんと内緒話でもしていたのか? どれ、久しぶりに抱っこでもどうだ? ……おっ? ……おっおっ?」
――何が嬉しくて抱っこされなきゃいけない! 断固としてお断りだ!
三度に渡って伸びる手を難なく避け、悔しそうに眉をしかめる父親から距離を取る。
子供心がくすぐられたのだろうか?
三つ子の姉弟が遊びだと勘違いし、私を捕まえようとキャッキャ叫びながら部屋中を駆け回る。
もちろん子供の行動だ。二体だろうが三体だろうが、前世で戦場を駆けた私に避けるのは難しい事ではない。
連携とは程遠い立ち回りで立て続けに攻めてくるが左右のステップ、後方にバックステップ、その場でくるりと回って回避。最後のおまけに姉弟がぶつかるように誘導し、額と額がごっつんこ。
痛みから額に手を当てて泣きじゃくる姉弟を尻目に、私は心の中でニンマリと笑みを浮かべて清々しい気持ちで椅子に座る。
――ふっ、雑魚どもめ。
「あらあら、エスターちゃんは賢いだけじゃなくて運動神経も良いのね。これは本当に未来のお婿さんが羨ましいわ」
「うむ。メスにするのが勿体ない。きっとオスなら今頃は狩りも器用にこなすだろうな。親として鼻が高いよ。ブッヒッヒッヒ。……さて、お前たちもいつまでも泣いていないで席に着きなさい。お母さんの美味しい料理が食べられなくなっちゃうぞ?」
料理と聞いて先ほどまでの泣き虫はどこかに。今は「わぁ~い、ご飯だぁ~」と歓声を上げながら椅子に座り出した。本当に食に対しては現金な種族だ。
目の前のお皿に盛られた本日の夕食を一瞥し、私はそっとため息をついた。
――あぁ、不味い。オークの食事は本当に不味い。
そう言いながらも私は残さず完食するのであった。
始めまして。
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