8 洞窟とエスターちゃん(2)
キイィィィン――バリィン……。
開けた空間中に鉄が交わる音が鳴り響き――そして錆びた短剣は砕け散る。それは見事に砕け散り、同時に互いの戦闘もまた僅か数十秒で幕が引いた瞬間でもあった。
ただこだまの様に洞窟内に金属音だけが鳴り響き、その音だけが戦闘の余韻として周囲に残ったが、傷まれない空気が互いの心を突き刺す。
「え?」
「え?」
そして互いに見つめ合い――頭上に『?』マークを浮かべて首をかしげる。
一分ほど沈黙が周囲を支配し、その間に私は思考をフル回転させる。そして導き出した答えは、ソルジャーゴブリンは『かませ犬』として連れてこられたのではないだろうか、だった。
深く考えてみれば当たり前である。
何がどうあれ天狗が同族の、それも赤子をただ殺すような真似はしない。つまり私がここに居る事の意味は天狗特有の『儀式』なのではないだろうか。
私はちらりと呆気に取られている彼を一瞥する。
仮にそれが真実だとすると、彼は儀式のために連れてこられた被害者となる。実に可哀想だが、これもまた弱肉強食の世界が織りなすイベントに過ぎないのだろう。同情はするが我が身に降り注ぐのだけは遠慮したい。
「……くっ、俺の負けだ」
そう言って彼は表情を怒りに歪め、折れた短剣を投げ捨てて四つん這いになる。まさに屈辱と背中が語っている様だった。
まさしくゴブリンの忠誠の証なのだが、どうにも私は腑に落ちなかった。戦闘を回避できた事は素直に嬉しいし、私の想像ではあるが天狗の狙いも分かった。
だが、戦士としての気持ちは踏みにじられたような気がしてならなかった。戦闘の回避は私自身が望んだ結末なのだが、それでも一度は戦いを望み挑んだ私もいる。その思いは紛れもない真実で、この呆気ない結末に払拭できなかった。
「俺が短剣の具合を把握していなかったのが敗因だ。内容はどうあれ、俺の負けは覆らない。……約束だ。俺は今からお前に忠誠を誓う。さぁ、俺を好きにしてくれ」
――うむ。そう言われても……。かと言って得た勝利をみすみす棒に振るのは相手にも失礼なような……。私はどうすればいいのだ? 困った……。
「もし俺に同情をしているのなら気にするな。約束をたがえる方が俺としては気が引ける。それに俺の怒りは自分に対してだ。別にお前に向けているものではない」
「……うむ。分かった。それでは今からお前は――聞いていなかったな。名前はなんだ?」
「ゴブスケだ」
「よし、ゴブスケは私の配下とする。頑張って私に尽くしてくれよ?」
「あぁ、よろしく頼む。だが勘違いするなよ。お前との決着はついていない。必ずお前を負かすと誓おう。誇り高いソルジャーゴブリンの名誉にかけて、だ!」
予期せぬ再戦の申し込みに私は肩をすくめ、「お手柔らかに」と答える。
さて、無事に『仲間?』もできた。私はゴブスケを促して先へと進む。
とは言っても、私の予想である一種の『儀式』を裏付けるように奥へと通じる通路には上級回復薬が置かれ、洞窟の不気味さを除けば実に平和な洞窟探索とも言えた。
だからだろうか。先行するゴブスケの背中を見つめ――危機感や警戒心を隅に追いやり、私の思考は『成人した天狗の姿』へと向いた。
今回の最も不明な部分である。
今まで聞いた事はなかったが、もしかしたら天狗は成長促進の魔法でも編み出したのかもしれない。そもそも蘇った原理も定かではないが、もしかしたら元々存在していた成人した天狗の意志を奪い取り、私の意志が乗っ取ったのかもしれない。
前者と後者どちらが正解なのかは分からないし、それを裏付ける根拠は何もない。
ただ仮に前者だとする。その時はどうなのだろうか? 私は前世からの意志を引き継いでいる。だがそれが無かった時、肉体は成人で心は赤子となる。先ほどは『かませ犬』だから赤子でも問題はないと思ったが、よくよく考えれば違うかもしれない。つまり成長促進の魔法は肉体だけではなく、心までも促進させる効果があるのではないだろうか? それなら丸腰のソルジャーゴブリンと対峙しても、戦闘の素人でも勝てる見込みはある。
次に後者なのだが、こればかりは他の天狗に会ってみない事には分からない。ただ仮に後者だとすれば、今後の蘇りでも同様の事が起こりうる可能性がある。一々赤子からスタートしないメリットはあるが、裏事情を知らず周囲に溶け込まないといけないデメリットもある。どちらがいいのかは何とも言えないが、個人の意見としては他者の意志を乗っ取る行為は気が引けるし遠慮したい。
――うむ。どうあれ洞窟を出ない事には答えを導き出せないか。
結論に達した所で私の危機感や警戒心を再び周囲に向ける。
同時にある事に気が付いた。頬を撫でる風がほんの少し、気のせいかもしれないが生温かった。もし気のせいではなければ出口が近い事となる。
私は直ぐにでも走り出したい衝動に駆られるが、どうもその前に試練が私達を阻もうとしており、げんなりと肩を落とした。
ゴブスケもその事に気が付いたのか、急に立ち止まり私を見つめて指示を仰ぐ。
そう、先ほどゴブスケと出会った開けた空間が再び前方に見えるのだ。薄暗さからその空間に何があるのかまでは判断できないが、確実に何かしらの試練があると思ってもいいだろう。
前回はたまたまゴブリンだったため意思の疎通を図る事が出来た。だが今回も同様だとは限らないし、意思の疎通を図れないのなら戦闘に発展する可能性もある。もちろん『かませ犬』だと思うのだが、それも確証がない以上は油断だけは禁物だ。
「どうするよ? 俺が先行して様子を見てくるか?」
「……いや、私も一緒に行こう」
「ふん、せいぜい俺の足を引っ張るなよ」
何とも酷い言われようだ。内容はどうあれ決闘の勝者は私なのに……。
まぁ別にいい。それより目先の問題を解決する方が先だ。
そして訪れる緊張感。互いに目を見つめ合い、そして試練が待ち受けると思われる空間へと足を進め――同時に押し寄せる威圧に汗が滲む。
開けた空間へと進むにつれ威圧は強まり、その影響が呼吸にまで影響を及ぼし始める。
噴き出る汗、今にも止まりそうな呼吸、そして逃げ出したい衝動。
重たい足を一歩、また一歩と進め――開けた空間へと足を踏み入れた時、今までの威圧から解放された。
先ほどまでの噴き出る汗も、息苦しさも、逃げ出したい衝動も、どれもが嘘だったかのように暖かい風が体を包み――次の瞬間には目も開けられないほどの眩い光が視界を覆う。
次に感じたのは太陽の日差しだった。
前世の引きこもりスライムと合わせれば実に十日ぶりの日光に、この先の不安より先に安堵のため息が漏れる。
そして襲い来る疑問の嵐。あまりにも短時間で色々な事が起こり過ぎて、いったい何が起こったのか訳が分からなかった。その答えを知ろうにも、眩い光の影響で未だに目を開けられそうにない。
だがこちらに駆け寄ってくる足音はしっかりと耳に届いた。
「あぁ、エスターちゃん! 無事に帰ってきてお母さんは嬉しいわ」
「どこも怪我はないようだな……。それにしても無事でよかった」
そして抱き着かれる感触が肌に伝わる。
――うむ。現世の両親だろう。それにしても言葉が分かるのはありがたい。ただオスとして生まれたのに変わらずエスターちゃんなのか……。威厳とか考えなかったのか?
そう思うが今は両親の好きなようにされよう。そう思って特に嫌がる素振りを見せず、ただただ抱き着かれる私であった。
数ある小説の中から読んでいただきありがとうございます。
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