一日目(3):守護霊の悩み
『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………』
多分、今まで生きてきた中で一番長いため息をついたであろうぼくは、公園のベンチに座っていた。いや、ベンチの上に浮いていた。座ろうとするとすり抜けてしまうし、浮いていることは特に疲れるわけでもないからだ。
公園にある大きなアナログ式の時計台を見る。時計の針は四時ちょうどを示していた。
もう学校の授業は終わっている。帰宅する者は帰宅し、部活がある者は部活、遊ぶ者は遊び、塾がある者は塾。各々が勝って気ままに過ごせる時間帯。そんな時間帯に、ぼくは何で公園にいるのだろう?
もしかしたら、黒丸が追ってきてくれると思っていた。
もしかしたら、白丸が止めてくれると思っていた。
もしかしたら、怜音に《赤い糸》を引っ張られると思っていた。
――だが、そのどれもが無かった。
ぼくが速く飛びすぎたせいもあるが、それにしても、誰かに強く引きとめて欲しかった。ぼくが怜音たちにとって必要な存在であると、示して欲しかった。
『何のための守護霊だよ』
梨恵や京介からも存在を認識されず、怜音たちからも必要とされないぼくの存在は、守護霊じゃなくてこれじゃ浮遊霊みたいだ。
『はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………』
また、長いため息が出た。死にたい気分だ。……もう死んでいるけど。
そしてまた、無性に腹が立ってきた。誰に対してか分からない怒りを、とりあえず物にぶつけてみることにする。
ぼくはベンチに右ストレートをぶちかました。
見事にすり抜けた。
今度はゴミ箱を蹴り飛ばした。
見事にすり抜けた。空振りの反動でこけそうになった。
虚しさが心を包む。
何やってるんだろう、ぼく?
その時ふと、自分の首に巻かれているものを思い出した。
《赤い糸》。
その端を持つべき人間は、今はいない。
これは……チャンスだ。今なら、ほどいて捨てられる。
そう思うやいなや、ぼくは首に巻かれている赤い糸を外そうとした。だが、これが思いのほかきつく縛られており、なかなか外すことが出来ない。
ぼくはヨガでもやってるようなポーズをとりながら、懸命に赤い糸を外そうと噴悶した。
――余計に絡まった。
その上、どんどん息が苦しくなってくる。
……ヤバイ。
このままじゃ、文字通り『自分の首を絞める』はめになる。
結局、ぼくは赤い糸を外すのをやめた。朝の時より余計に苦しくなったが、ぼくは外すのを諦めた。苦しいけど、我慢だ。自業自得だし。
でも、この後どうする?
このまま一生、首に巻きつく糸に苦しめられるのか?
怜音に外してもらうのが一番良いが、あの女がただで外してくれるとは思えない。それどころか「もっと苦しませてあげる」とか言いそうだ。それに、あいつのところへ行くのは気が引ける。
あんな啖呵を切ってしまった以上、『ゴメン! あれは冗談でした! あはは!』なんて言えるはずがない。男として。いや、もう男としてのプライドなんかズタズタのボロボロだけどね、怜音の前じゃ。
『…………あれ?』
今、微妙に違和感を覚えた。
他でもない、自分自身に。
まるでこれでは、ぼくが怜音のことをよく知っているヤツのようではないか。……ぼくと怜音が会ったのは、昨日の夜だ。まだ一日すら経っていない。
しかし、今、ぼくは怜音の性格を把握しているような考えをしていた。今だけじゃない。今日の朝も同様だった。同様の違和感を覚えた。
――彼女は、憂えている。
彼女のなにが、ぼくに分かるというのだ。
何も分かっていないくせに。
まるで、頭の中に靄が渦巻いているようだ。全ての輪郭がぼやけて見える。大事なものがあることは分かっているのに、ぼやけた輪郭の中に埋没している。ぼくは手を懸命に伸ばし、大事なものに触れようとした。そこにあるかないかも、分からないのに。
いつの間にか、記憶を探るような感覚の中に、ぼくは溺れていた。なぜだか分からないけど、彼女がもっと昔からぼくの中にいたような気がしたから。
記憶の中で行き着いたところは、空っぽの暗闇だったけど。
その時、眩いほどの光があたりを包み込んだ。考え事はそれによって強制的に打ち切られ、ぼくの意識は外側に向いた。そして、気づいた。
元々、この公園は人の気が少ない。
この公園も広いは広いが、この近くにもっとここより大きな公園があり、子供や母親たちは必然的にそっちへ流れていくのだ。遊具もそっちの方が断然多い。ここなんて鉄棒と砂場くらいだ。
だから、四六時中、この公園はひっそりとしている。まるで忘れられた場所のように。
そんな寂しい場所に、いつのまにか二人の男が立っていた。
歳は二人とも二十代から三十代くらい。ヤクザのようなサングラスをかけ、さながら天使のように白い衣を羽織っている。それが二人の容貌にひどく不釣合いだった。いい歳した男が二人、天使のコスチュームを着たって、可愛くもなんともない。むしろキモい。それに、そのコスチュームとサングラスは不釣合いだろ。
二人の男はぼくを見ている。いや、正確に言うなら、『ぼくの方』を見ている、か。
二人の男は、ぼくに一歩近づいた。けれど、二人にはぼくの姿は見えていない。なら多分、このベンチに座ろうとしているのだろう。
『はいはい、どきますよ』
聞こえるはずも無いのに、ぼくはそう呟いて、立ち上がった。
――刹那
ぼくは後方へ吹き飛んだ。ベンチをすり抜け、公園に生えている木をすり抜け、公園と道路を隔てるフェンスにぶつかって止まった。
蹴られた。あのヘンテコな天使もどきのコスプレ(なぜかサングラスをかけているけど)をした男に。
ありえないことだ。霊であるぼくに触れられる人間は、怜音以外いないはず。
けれど今、確かに蹴られた。その証拠に、腹部がズキズキと痛む。
それに、ベンチと木はすり抜けたのに、フェンスにはぶつかった。霊なのに。
「瀬戸内浩哉だな?」
二人のうちの一人が、そう言った。サングラスをかけているので、目が窺えない。ゆえに、何を考えているのかがまったく分からない。
『ぼくの姿が見えるのか?』
「当たり前だ。……私たちは、あの世の使者だ」
あの世の人間か。ならば、ぼくの姿は見えているし、声も聞こえるはずだ。触れることだって、可能だ。
『ぼくを迎えに来たのか?』
このままあの世に連れて行かれるのだろうか。
しかし、男は首を横に振った。
「違う……」
白い衣が翻る。
「貴様を殺しにきたのだ」




