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一日目(1):結ばれた赤い糸

 これはどういうことだろうか。

 普通の、ごくありふれた十七歳、高校二年生の部屋。教科書やノート類が雑然と置いてある勉強机。備え付けのクローゼット。漫画や小説が並んでいる小さな本棚。その上に乗っかってあるCDコンポ。カーテンに滲む朝の陽射。などなど。物は多い方ではないが、とりあえず標準的であることはたしかだろう。

 ここまではいい。そう、ここまでは。

 問題は以下からだ。

 まず床に無造作に転がっているぼくの死体。目は閉じているが、口はぽかんと開けっぱなし。まるでゴミ置き場に転がっているボロボロのぬいぐるみのようだ。いや、ぬいぐるみみたいに可愛くはないけど……。

 そして次が一番の問題なのだが。

 部屋の壁に沿うように置いてあるベッド。そのベッドの上に、ひとりの少女がすやすやと寝ている。銀色の流れるような髪。白く雪のように美しい肌。華奢な身体。こちらはぼくの死体とは比べ物にならないほど、可愛らしかった。ぬいぐるみなんかより断然可愛い。

 そして、ぼくはいつの間にか彼女の寝顔に見入っていた。

 その時――


 ピリリリリリリリリリリリリリ!


 けたたましい目覚まし時計の電子音が、部屋中に鳴り響いた。

 それと同時に、眠っていた少女は大きな二重の目をぱちりと開け、叩き潰すように目覚まし時計のアラームをオフにした。

「んんん〜〜〜」

 彼女は上半身を起こして背伸びをし、カーテンを開けた。眩しい陽光が差し込み、部屋を明るく照らす。

「うん。いい朝ね」

 彼女はもう一度背伸びをし、ベッドから出た。その時、ぼくと目が合った。

「あら、いたの?」

『「いたの」じゃねぇ!』

 酷い言われようだ。仮にもこの部屋の主はぼくなのに。

『どういうことか説明してもらうぞ。昨日訊こうとしたら、お前、すぐに寝ちまったじゃねぇか。呼んでも起きないし。だから、起きるまで待ってたんだよ』

「あっそ」

『「あっそ」じゃねぇ!』

「あんまり叫ばないで。疲れてるのよ」

 さっきまで寝ていたヤツが何を言う。

 彼女はおかまいなしに、ぼくの部屋にあるクローゼットを開けた。

『何やってるんだよ』

「着替えるの」

 そう言いながら、彼女はクローゼットの中をごそごそと探る。しかし三秒ほどしてその動きは止まり、彼女はぼくを睨んできた。

「なにジロジロと見てんのよ」

 琥珀色の双眸に、怒りの色が帯びる。

 ぼくはすっかり竦みあがってしまい、すぐさま部屋の外へ出た。それと同時に、部屋のドアが大きな音を立てて閉まった。

 はぁ。

 ため息ひとつ。

 ぼくは閉められたドアをぼんやりと見つめた。

 そして、ふとあることを思いついた。



 昨日の夜、彼女が寝てしまった後、ぼくは色々試してみたのだ。そう、幽霊であるぼくがどのようなことができるのか、ということである。

 まず、空を飛べた。これは簡単だった。次に人に話しかけてみた。しかしこれは予想通り、誰も反応してくれなかった。まあ、当たり前だ。常人にはぼくは見えないし、ぼくの声も聞こえない。今のところぼくの姿が見え、声が聞けるのは、彼女ただ一人なのである。

 そして、幽霊になってみて一番便利だったのが、障害物をすり抜けられることだ。人や建物も簡単にすり抜けられる。欠点は物に触れられないくらいだ(触ろうとしても体がすり抜けてしまう)。



 それはさておき。

 ぼくが思いついたことは、この幽霊の特性を最大限利用すること。今のぼくにとって、目の前のドアをすり抜けることなど、至極簡単だ。

『まあ、ぼくは健全な高校生男子だし。健全な男子なら……ねぇ』

 邪な心が働いてしまうことも、しょうがないだろう。

 ぼくは適当に理由と理屈をつけて自分自身を納得させ、顔をドアに近づけた。

 だが――

『何やってんだ?』

 うひゃぁ! とぼくは叫んで後ろに飛んだ。心臓がバクバク音を立てて跳ね回る。

『ケケケ、バカだなお前』

 ドアの向こう側から、二匹の犬がすり抜けて来た。二匹とも柴犬くらいの体躯だが、一匹は真っ黒で、もう一匹は真っ白な毛並をしている。ドアをすり抜けるということは、勿論こいつらも霊なわけで、しかも彼女の守護霊だ。

『驚かすなよ、黒丸、白丸』

『ご主人の着替えを覗き見しようとするからだ、バカ』

 ケケケ、と黒い毛並の犬――黒丸くろまるが笑った。

『黒丸の言うとおりです』

 今度は白い毛並の犬――白丸しろまるが言った。

 それにしても覚えやすい名前だ。毛の色と名前が同じだもんな。ちなみに、黒丸はオス。白丸はメスだ。



 実は昨日、この二匹から少しだけ事情を聞いた。

 彼女は――天乃川怜音は、あの世の住人らしい。あの世というのは、俗にいわれる天国とか地獄みたいなものだ。でも本当は、あの世は三種類あるんだとか。この世での善行、悪行の数で死後に行ける場所が違い、最も良い所が天国と呼ばれ、最も悪いところが地獄と呼ばれる。その中間は煉獄である。

 そして、その振り分けをするのが《裁判官》と呼ばれる人たち。天乃川怜音は、この《裁判官》だったらしい。



「準備できたわ」

 彼女はまだ眠たそうに目をこすりながら、部屋から出てきた。彼女はぼくの通っている高校の制服を着て、学生カバンを持っていた。黒のセーラー服。たいした特徴は無い。ごくありふれているタイプのもの。

 ……ちなみに、ぼくにセーラー服を集める趣味は無い。だとしたら、彼女はどこからそれを持ち出したんだ?

「ああ、これ?」彼女はスカートの裾をつまんだ。「わたしはあの世の裁判官よ。これくらい持ってくること、造作も無いわ」

 そんなの当たり前だ、バカじゃないの、といわんばかりに冷たい言葉だった。



 しかし――これも黒丸、白丸から聞いた話だが――、そんな《裁判官》である彼女は、あの世で罪を犯したらしい。だから、この世に逃げてきたんだとか。しかし、それで終わりではない。

 どうやら、あの世から追っ手が来ているらしい。その追っ手を迎撃するために、彼女を守って戦う守護霊が必要ということ。それが、ぼくや黒丸、白丸の役目。

 ちなみに、彼女があの世で何の罪を犯したかは、教えてくれなかった。『言ったらご主人に殺されちまう』と、黒丸が背筋を震わせたからだ。



「ねぇ」

 考え事をしていたぼくは、はっと現実に戻った。彼女が睨んでいる。おそらく、ぼくが考え事をしていて彼女の話を聞いていなかったからだろう。失態だ。彼女の大きな瞳が、鋭く吊り上っている。

『な、なんでしょうか?』

 自然と敬語が出てしまう。まったく、ぼくは何てチキン野郎なんだろう。怒られるのが怖いからといって、なぜそこまで萎縮する必要がある? 自分でも呆れてしまう。

「訊きたいこと、あるんでしょ?」

『えっ?』

 てっきり怒られると思っていたので、ぼくはいささか拍子が抜けた。しかし、彼女の視線が微動だにせずぼくを捉えているのを見ると、やはり、恐怖心は拭えない。ぼくのチキン中枢が警告を発する。

 そこで、本当は文句を言うつもりだったが、急遽方針転換した。

『何で、ぼくを殺してまで、ぼくを君の守護霊にしたんだ?』

「あなたが強い霊感を持っていたからよ。霊感が無い人間より、ある人間の方が守護霊として適しているから」

『霊感って……』

 心当たりはあった。

 たしかに、ぼくは霊感のようなものを持っている。否――持っていた。

 ぼくは小学校に入学するまで、常人には視えないものが視えたり、聞こえない音が聞こえたりした。そのおかげで、ぼくは幼少時、周囲の人からは勿論のこと、親からも変な目で見られたことがあり、遂には精神科にまで連れて行かれたこともあった。

 しかしある日を境に、それが無くなった。常人には視えないものが視えなくなり、聞こえない音が聞こえなくなった。本当にぱったりと。

 まるで人が死ぬように。

 それから十一年。ぼくはごく一般人としての生活をしてきた。ごく平凡な日常を送ってきた。

 ただ最近、その平凡な日常が変化してきている。特に、ここ一ヶ月。

 ぼくに、幼い頃の感覚、霊感が、徐々に戻りつつあるのだ。つい三日前には、近所の公園で幽霊らしきものがブランコに乗っているのが見えた。なぜ幽霊だと分かったというと、それの輪郭がぼやけていたからだ。

 後に調べてみると、最近、その公園の近くで子供が一人、行方不明になっていたことが分かった。

『たしかに、ぼくは霊感があるかもしれない。でも、霊感がある人間だったら、よくテレビに出ている占い師とか霊媒師のほうが、ぼくなんかよりも断然強い力をもっているんじゃ――』

「そんなの駄目よ」彼女はどうでもよさそうに言った。「テレビに出ている霊能力者の中で、本物といえるのはほんの一人か二人。ほとんどが偽者よ。そんな連中を使うより、たまたま見つけた、霊感の強いあんたを使うほうが、よほどマシだわ。それに、あんたなら簡単に手なずけられそうだしね」

 おいおい。そうだとしたら、ぼくは相当運が悪いぞ。それに、なんだその言い方は。簡単に手なずけられそう? まるでぼくが犬体質みたいじゃないか。

「それと……あんたの体は死んでないわ。あのナイフは、魂を抜き取るためのもの。身体機能を停止させることが目的じゃない。現に血は一滴も流れていないし、傷口も塞がっているでしょ」

『…………』

 たしかに彼女の言っていることは正しい。昨夜、ぼくはナイフを刺されたにも関わらず痛くも痒くもなかったし、血も出ていなかった。

 その後、ぼくの死体は彼女に担がれて、部屋まで運ばれたのだ。あの世の人って、みんな力持ちなのかな?

 イマイチ腑に落ちない点も無いことは無いが、彼女が微妙にいらいらしている様子なので、質問はこれで切り上げることにした。

「これでいい? じゃあ、行くわよ」

『行くって、どこへ?』

「あんたの学校よ。何のために、わたしが制服を着たと思ってるの?」

『ちょっと待て。ぼくの死体……ぼくの体はどうするんだよ』

「それは心配ありません」

 ぼくは声のした方を見た。そして、驚いて思わず目を見開いた。

 そこには《ぼく》が立っていた。その《ぼく》は聖人のように微笑んだ。

「私です。白丸です。今日から私が貴方の体に入り、貴方になりきるのでご安心を」

 なんか、いつものぼくとまるで雰囲気が違う。それもそうだ。外見はぼくそのものだが、中身は白丸なんだ。白丸のしっとりとした大人の雰囲気が、オーラのようにぼくの体から滲み出ている(本当は犬の霊だが)。

「それとも、私ではなく黒丸が良いですか?」

 ぼくは黒丸の方をちらりと見た。奴は下卑た笑みを浮かべていた。

 やめよう。

 黒丸だと、ぼくの品位やクラスでの立場が地に堕ちる。

『白丸がいいです。……じゃあ皆さん、いってらっしゃい』

「何言ってるの? あなたも来るのよ」

 彼女はそう言いながら、ぼくの首に何かを巻きつけた。それは赤い、ひものようなものだった。紐の一端は、彼女が持っている。

『これは?』

「《赤い糸》よ。名前の通り、ね。」

 おお、これが運命の――、ってやつか。なるほど、たしかにぼくと彼女の出会いは運命じみていたもんな。もしかしたら、彼女はぼくに気があるんじゃ――

「なに二ヤケてんのよ」

 冷たい刃のような一言。

 そして次の瞬間、ものすごく息が苦しくなった。

 なんだこれ? 息がまったくできない。まるで何かで首を縛られているような――って、おい。明らかにこの《赤い糸》のせいじゃねぇか。

「《赤い糸》は持ち主の意志によって、きつくなったり、緩くなったり、伸縮自在に操れるのよ」

 うん。ぼくは今、孫悟空の気持ちが痛いほど分かる。いや、苦しいほど分かる、か。この場合。

 苦悶の表情を浮かべているぼくに見向きもせず、彼女は家の玄関へと向う。自然、彼女が持っている赤い糸に引っ張られ、ぼくは彼女に引きずられるような格好で移動するはめになった。

『ケケケ、まるで犬だな』

 犬のお前に言われたくない。

 ぼくはとうとう我慢が限界に達し、彼女に向って叫んだ。

『ちょっと待てよ、お前!』

 彼女の動きが凍りついたように止まる。

 ――やばい。やはり叫んだのはまずかったか。

 彼女は、その長い髪を優雅に揺らしながら、僕の方を振り向いた。怒ってはいなかった。怒ってはいなかったが、しかし……。

「《お前》じゃなくて、《怜音》」

 言い方はぶっきらぼう。だが、冷たさは無かった。ぼくは妙に違和感を覚え、それから何かに気づいた。

 ――彼女は、憂えている。

「わたしのことは《怜音》って呼んで。わたしもあんたのことは《浩哉》って呼ぶから」

『あ……ああ』

 それはぼくの勘違いだったのかもしれない。そう、彼女が――怜音が憂えているなんて、勘違いだ、きっと。

 考えすぎだろう。

 しかし、ぼくの思考はそこで強制的に途切れることになる。

 赤い糸がぼくの首を再び締め付けたからだ。

 彼女に赤い糸で引っ張られ、彼女の後を、まさに犬のように歩くぼく。そんなぼくの惨めな様子を見てか、黒丸が近づいてきて、ケケケと笑った。

『おい。お前、相当ラッキーで凄い人間だぞ』

『それは皮肉か?』

『違う』と、黒丸は声をひそめた。笑っていなかった。目が、真剣だった。

『いいこと教えてやるよ』黒丸は依然小さな声で、ぼくに呟くように言った。『ご主人が自分のことを名前で呼べと言うことなんて、今まで一度も無かったことだ。俺や白丸ですら、それはない。お前、ご主人に相当好かれているぞ。これは物凄くラッキーなことだからな』

 ぼくは黒丸の言ったことが理解できず、ただ首を傾げた。

 そしてずるずると怜音に引き摺られ、ぼくたちは学校へと向った。


小説中で、台詞の部分が鉤括弧(「」)と、二重鉤括弧(『』)に分けられています。お気づきの方もいらっしゃると思いますが、前者は人間(この世の人間、あの世の人間と関係なく)の台詞、後者は霊の台詞となっております。だから、怜音の台詞は鉤括弧で、浩哉や黒丸の台詞は二重鉤括弧なのです。

三話以降も、「今日から守護霊!?」をよろしくお願いします。

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