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五日目(4):あなたの側にいるだけで

 彼女はいつも部屋の片隅にいた。周囲と距離をとり、何もかもを拒絶し、そこに見えない壁を張っていた。周囲と彼女の間には深い溝があり、誰もその溝を飛び越えて彼女に近づこうとはしなかった。友達はもちろん、先生すらも彼女を見放していたような気がした。

 彼女は一人が好きなんだ。孤独が好きなんだ。みんなと遊ぶのが、嫌いなんだ。

 ――ぼくは、そんなのやだな。

 そう思い、ぼくは彼女に近づいた。彼女は部屋の片隅で、みんなが読まなそうな難しい本を黙々と読んでいた。近づきがたい雰囲気が、そこにはあった。幼いぼくでもそれをひしひしと全身で感じた。

 しかし――

「なに読んでるの?」

 ぼくは話しかけた。

 一瞬、彼女は驚いたようにびくっと体を震わせ、本から目を離してぼくを見た。

 その目は氷のように冷たく、しかし、限りない大空のように澄んでいた。ぼくは思わず、その目に見入ってしまった。吸い込まれてしまった、といったほうが正しいかもしれない。

「なにか用?」

 彼女の目に見とれていたぼくの身に、突如として幾千もの氷柱が突き刺さった……気がした。ずぶずぶ。体の内側から凍っていく……気がした。

 泣き出したい衝動を、懸命に堪えた。逃げ出したい気持ちを、必死に抑えた。

「な……なに……なに、読んで、るの?」

 同じ質問を繰り返したはずなのに、一回目より酷く言葉が出なかった。まるで壊れかけたロボットのようだと、我ながらへこんだ。

 しかし、へこんだぼくをさらにへこます言葉を、彼女は容赦なく投げつけてきた。

「あなた、誰?」

 お互いがお互いの質問に答えないという、奇異な会話。その会話を変だと思えないほど、ぼくの意識は硬直していた。緊張ではない。恐れに近いものが、そこにはあった。彼女が怖いと、ぼくは本気で思った。でも、なぜか言葉が口から漏れ出した。

「ぼ、ぼくは……浩哉。瀬戸内、浩哉……」

「そう」

 返された言葉はその一言だけで、彼女は再び目を本に戻した。彼女の読んでいる本はぼくの知らない字ばかりで埋め尽くされており、挿絵の一つもなかった。

 どうして彼女はこんな本が読めるのだろう。

「これ、デンキっていうのよ、知ってる?」

「えっ……えっ……?」

「あなたが聞いたんじゃない。『なに読んでるの?』って」

 本に目を落としたまま、彼女は言った。だが、ぼくには彼女がなにを言ったか理解できなかった。デンキ? 電気を読んでる? 電気って読めるの?


 ――そうだった。その当時のぼくは『伝記』という言葉を知らなかったのだ。


「そういえば……」彼女は本から目を離し、ぼくを見てきた。相も変わらず、その冷たい目で。「あなたの名前を聞いたのに、わたしが名乗らないのは失礼ね」

 そこで彼女は本を床に置き、立ち上がった。目線がぼくと同じ高さになった。

「わたしの名前は、怜音レイン。天乃川怜音よ」

 これが、ぼくと怜音の出会いだった。ぼくは五歳。怜音も五歳。同じ保育園で育ったぼくらだが、言葉を交わしたのはこれが初めてだった。



 あれ以来、ぼくらは友達になった。初めて話したときは物凄く怖い思いをしたが、それ以後は彼女をそんなに怖いとは思わなくなっていた。普通に、友達同士の付き合い。

 怜音は感情の起伏が乏しく、時々、怒っているのか喜んでいるのか、よく分からないことがあった。それでもぼくらは友達として――格別仲が良かったわけではなかったが、悪くはなかったと思う。

 ぼくと怜音の間に関しては、特筆すべきものは何もなかった。ただ、ぼくと怜音が仲良くなりだしてから、周囲の目つきが変わったのは、幼いぼくでも感づいた。

 まず今まで仲良くしてきた友達が、口を聞いてくれなくなった。「アイツと遊ぶなら、ぼくは浩哉くんと遊ぶのやめる」と言われた。アイツとはもちろん怜音のことで、それはぼくにも理解できたが、ぼくは怜音と遊ぶのをやめなかった。

 先生からも驚かれた。けれどその驚きは、今まで無口だった怜音が他人と遊びだしたことに対する驚きではなく、ぼくの行動に対する驚きだった。「あの子と遊んでいて楽しい?」なんてことまで言われた。ぼくは「楽しい」と即答したが、先生は首をかしげて、ぼくから離れていった。それ以後、優しかったその先生はぼくを無視するようになった。



「わたしは生まれてきちゃいけなかったの」

 怜音は時折、そんなことをぼくに言った。

「わたしは、ひょっとしたら人じゃないのかもね」とまで言ったので、ぼくは「怜音は人だよ。だって、みんなとおしゃべり出来るじゃん。おしゃべりできるから、怜音は人だよ」と答えたが、「バカね。そういう意味じゃないわよ」と、軽く返された。

 怜音が自分のことを「人じゃない」と言ったのは、怜音がぼくと同じで『幽霊が見えるから』かもしれないと、幼いぼくはそう思った。でも、幽霊が見えることが人ではないことに繋がるなら、ぼく自身も人ではないのではないか、とも考えた。結局、頭が痛くなったので考えるという作業は中断――というか挫折したが。


 ――今思えば、怜音がそういったことを言うのには、もう一つ理由があった。


 彼女は周りの人間から、そして両親からもよく思われていなかった。それは彼女の性格や行いが悪いわけではない。むしろ彼女は年齢の割に大人びており、利発な子だった。彼女が嫌われる理由は無かった。

 だから、だろう。怜音が時折自分を卑下することを言ったのは。

 きっと――いくら頑張っても、いくら良い子であっても、周りが認めてくれないのは自分がどこか悪いから。自分が変だから。周りの人たちと、違うから。異質だから。存在そのものが、異端にして異常。

 ゆえに、「人じゃない」、と。

 怜音とまともに話せるのは、ぼくだけだった。

 怜音は我が強い性格だったので、遊びの主導権は常に彼女が握っていた。といっても、遊び仲間はぼくと彼女の二人だけだったので、遊びの種類は限られていたが。それでもぼくは飽きずに彼女と遊んだ。他の友達が大勢で遊んでいようが関係なかった。ぼくのいるべき場所は怜音の側だと、思っていた。


 ――やがて一年の歳月が過ぎ、ぼくらは小学生になろうとしていた。


「今日は趣向を変えるわ」

 小学校入学の一週間前、灯篭山へ登る階段の前で、怜音はぼくに言った。「シュコウ」という言葉の意味がわからなかったが、ぼくは首を縦に振った。

 怜音とぼくは同じ小学校に通う予定だった。それはぼくにとって、とても嬉しいことだった。心の中は桜が満開。怜音の側にいる限り、その桜は永遠に散ることは無いだろう。

 怜音は階段を上り始めた。ぼくも後に続く。階段は険しく、その上整備されていないため、草木が生い茂って足元が見えない。淡々と前を歩く彼女から離れまいと、ぼくは必死になってその階段を上った。

 どれくらいの時間が経っただろうか。けっこう長い時間、階段を上っている気がする。

 その時、先頭を行く怜音が止まった。

「ついたわ」

 彼女は振り返り、ぼくを見た。ぼくは最後の力を振り絞って、残り数段を飛ぶように駆け上がった。

 そこは開けた空間になっていた。灯篭山にこんなスペースがあるとは思っていなかった。ここでなら、誰にも邪魔されることなく遊べるだろう。怜音の考えていたことは、このことだったのか。

 しかし、怜音は持ってきたボールを地面に置き、側にあった大きな岩に座り、山の下に広がる町を見下ろした。ぼくも彼女の隣でその風景を見た。

 いつも夜中になると、この山には沢山の火の玉が集まるが、今は昼。なんでもない、見慣れた町並が眼下には広がっていた。しかし、こうやって見下ろしてみると違うものだ。

 通っていた保育園。これから通う小学校。ぼくの家。怜音の家。いつも遊ぶ公園。通いなれた児童館。

 それらは手のひらに収まるくらい小さなもので、でも、間近で見るととても大きくて……。今ならこの町も、自分たちも未来も、怜音と一緒にいることの幸せも、すべてこの手で掴めるような気がした。

「ねぇ、浩哉」岩に腰掛けて町を見つめながら、怜音は言った。「どうして、あなたはわたしに話しかけたの? あの時わたしに話しかけなきゃ、いまごろあなたは大勢の友達に囲まれて遊んでいるはずだわ。でも、いまはこうやってお喋りする相手はわたしだけ。そんなの、悲しくない?」

 これは予想外の質問だった。なぜなら、今までこんなことを考えたことがなかったからだ。友達に遊びの輪から外されようが、先生に無視されようが、怜音といれば幸せだったから。それに怜音と友達になったから、こんなことが起こったとは限らないじゃないか。どうして怜音がそんな心配するんだろう。

「そんなの関係ないよ。だってぼくはいま、とっても幸せだから」

 ぼくの語彙は彼女よりも圧倒的に少ない。頭の良さだって、彼女とくらべたら絶対的に劣る。この言葉が、ぼくの気持ちを表現できる限界だった。


 ――時間が二人を包み、流れていく。ゆっくりと歩調を緩め、二人のリズムに合わせるように。


 真っ赤な夕焼けが空を染める。一番星がきらりと顔をのぞかせた。人も鳥も太陽も、帰るべき場所に帰る時間。

「……そろそろ帰ろっか」

 灯篭山にも、一つ、また一つと火の玉が集まってきた。ぼくは地面に転がっているボールを拾い上げ、階段に向って歩こうとした。

「待って」

 ぼくの歩みは、すっと止まった。怜音が服の裾を掴んでいた。

「帰らないで。もう少し、一緒にいて。一人が、怖い……」

 最後の一言には、彼女の本音が詰まっていた気がした。触れたら壊れてしまいそうな、本音。しかし、決して弱音ではない本音。

 ぼくは再び怜音の隣に座った。

「だいじょうぶ。怖くないよ。ぼくが……護ってあげるから」

 俯いた彼女は小さく首を縦に振り、ぼくの胸に顔をうずめた。

 この時、たしかに思った。

 怜音の言葉やぬくもり、それがたまらなくいとおしかった。護ってあげたいと思った。無論、彼女の方が大人で、ぼくより聡い。だから、ぼくが怜音を護るだなんて分不相応なことだ。

 だからこそ、思った。

 だからこそ――護れる力が欲しいと思った。


 町は深海のように静まり返り、ぽつりぽつりと優しげな明かりがそれぞれの家から溢れていた。

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