視線の先は悩みの種
その日の夜、俺はなかなか眠れなかった。
沙耶は只の幼馴染だ。それ以外、考えられないのに、雰囲気に流されてキスをしてしまった。
俺のファーストキスだ!たぶん沙耶も……。
何でだ、何でだ!
慰めてやりたいとは思った。泣き顔が痛々しくて辛かったのも本当だ。
「うわ―!!!!!」
自分の気持ちのモヤモヤを晴らしたくて大声で叫んでしまう。
こんな時は、親父もお袋も留守で良かったと心から思う。どうした?と聞かれても困るだけだっただろうから。
次の日、俺は殆ど眠れないまま朝を迎え、無理やりパンと牛乳を口にして家を出た。
いつもより少し遅い時間だから沙耶には遇わないだろうと思っていたのに、駅の前で姿が見えた。
別にやましい事などないけれど、瞬間的に俺は身を隠す。どんな顔して遇ったらいいのかわからない。
でも沙耶はいつもの通りスタスタと歩き、当たり前だけど俺を探す素振りも見せずに改札口に消えて行った。
只でもさえ遅刻ギリギリだったので、沙耶の姿を見送った俺が教室へ着くと、既にホームルームが始まっていた。
静かに扉を開けて教室へ入った途端、担任と目が合う。
「遅いぞ、滝川。今日は見逃すが、次回からは遅刻だからな」
気さくで良い担任なんだが、今日はこんな些細な小言まで気分を鬱にさせる。
「はい、気を付けます」
口先でそう答えて席へ着く。
ピリッと背筋を伸ばし真っ直ぐ前を向いて、いつもと変わらない姿だった。
「……連絡事項は以上だ」
沙耶をボーっと見つめていると担任が話しを終えて教室から出て行くのが目に入る。
坂井が振り向いて声を掛けてきた。
「幸平?何ボーっとしてるんだよ」
「あ、いや別に。ちょっと寝不足なんだ」
「井原のこと、見てたのか」
「ぶぁ、何トンチンカンなこと言ってんだよ」
「なんだ、違うのか。そうか、そうか。まっ良いけどさ」
意味ありげな微笑を残して坂井は前を向く。沙耶はどう思っているんだろう。やっぱり眠れなかったりしたんだろうか?
唇に微かに触れた柔らかな感触を思い出しながら、俺は自分の中の不可思議な感情を持て余していた。
それなのに、沙耶はいつものままで何事も無かったように振舞っていた――女って解らない。
その日、ただでもさえ鬱々していた俺を更に悩ます出来事が起きた。
「なぁ、幸平。ちょっと頼みがあるんだ」
坂井がそう言って来たのは、帰り支度を済ませた時だった。
「何だよ、頼み事って」
「だからさぁ……。ここじゃ何だからマック行こうぜ」
「マック?俺、小遣いピンチだからさぁ、ここでいいじゃないか」
「奢る、奢るからさ」
「なら、いいけど」
俺が承諾すると無言で坂井は歩き出した。
マックは学校から2つ先の駅前にある。
その間、俺が何を聞いても適当な言葉が返ってくるだけで、頼み事の欠片も漏らさない。
「何でも奢る」
「そうか…。じゃあビックマックとコーラ。セットで」
「それ、二つ」
坂井が注文して、商品を受け取って窓際の席につく。
直ぐに話し出すのかと思ったが猛烈な勢いで食べ始めたので、俺もそれに従った。
一通り食べ終えると坂井はまた口を閉ざした。
痺れを切らして俺は訊ねた。
「どうしたんだよ」
「…お前さ、井原の幼馴染なんだよな」
「ああ小学1年から一緒だよ」
「ただの幼馴染なんだろ?」
「あっ当たり前じゃないか。あんなキツイ奴は幼馴染で充分だ」
言いながら俺は、すごくドキドキしていた。昨夜のキスの感触が甦る。
「誰か好きな奴がいるのかな・・・・・・」
「へっ誰が?」
「・・・・・・井原だよ!」
ちょっと待て、坂井の言いたいことが解った気がした。
でも、俺、それを聞いたら・・・・・・・。
「知らないよ!そんなこと本人に聞けよ」
俺は坂井から目を逸らし、残りのポテトを全て口に押し込んだ。
視線が向けられているのが辛い。
「そうだよな、幼馴染だって言ったって何でも知っている筈ないよな。ごめん、忘れろ」
肩の力が抜けた気がした。
「奢ってもらったのに、役に立てずに悪かったな」
「いや、いいよ。気にするな。そういえば明日のレッツの試合、楽しみだよな。布川が復帰するらしいし」
「それホント?朗報だ!!!あっ・・・・・・」
「どうした?」
「明日は塾の日だ」
「仕方がない、俺が試合経過をメールで知らせてやるよ」
「頼む、持つべきものは親友だ!」
沙耶の話をしていたことなど無かったように俺達は話し続けた。
アイツの思いが解ったように坂井にも俺の気持ちが伝わったのかしれない。
ただの幼馴染だった筈なのに・・・・・・。
そして俺も沙耶も坂井も、何事も無かったように振舞って1学期は終了し、嬉しくない通知表をもらって夏休みが始まる。