10年後のプロポーズ
10月になると沙耶と俺の誕生日が来る。そして今年で二人とも28歳になる。
沙耶が3日で俺が24日。ほんの一瞬だけ沙耶がお姉さん。ただしこれを言うと沙耶は嫌な顔をする。
「だから何?」ってことらしい。
沙耶はもう忘れているかもしれないけれど、10年前、俺は一度プロポーズをしている。
まだ付き合ってもない頃で、沙耶と家族になりたいと瞬間湯沸かし器みたいに言ったのだ。
「10年後にもう一度行ってくれたら考える」が沙耶の答え。
だからって10年にこだわったわけではないけど、そろそろ良いんじゃないかと思っている。
クーを飼うようになったことをきっかけに同棲を始めたけれど、この生活は思っている以上に快適だ。
思ったことを話せる相手がいるというのはこんなにも良いことなのかと改めて思う。
電話やメールというツールがあっても隣で話すのとは違う。
どちらも仕事が忙しく、家には寝に帰っているような時でも手を伸ばせば相手を感じられる。
寝顔を見れるだけでも安心できるのだ。
だから結婚なんて形式に囚われなくても良いと思っていた。
でも最近になって違うかなと思い始めている。
沙耶は頭脳明晰で弁護士としてもバリバリ活躍しているが、いつもどこかで不安を持っている。
捨てられた記憶――たとえ沙耶の父がそんなつもりは無かったとしても。
壊れた家族と新たな夫婦が二組、そして弟の悠。
相手を間違えた結婚、その婚姻の下で生まれた自分。
間違ってたらどうしよう。違ってたって言われたら、捨てられたらと不安を押さえられないのだ。
先のことなど誰にも保証出来ない。
沙耶だってそんなことはわかっている。
わかっていても『結婚』を沙耶は受け付けれなかった。
未来に対する約束のない同棲なら受け入れれるのに……。
俺は沙耶を一生のパートナーだと思っている。
それは社会に堂々と言えるほど強い気持ちだ。
だから、俺はもう一度、プロポーズしようと思う。
沙耶の28歳の誕生日に、俺の意志を伝えるのだ。
外堀を埋める作業をするために、まず沙耶のママに会う。
「沙耶にプロポーズしようと思います」
沙耶のママは俺の宣言を喜んで受け入れてくれた。
用意していた婚姻届の証人欄に名前を書いてもう。
「沙耶をお願いします」
署名を終えるとママから深々と頭を下げられた。
まだ本人から返事をもらったわけではないけれど、俺もよろしくお願いしますと頭を下げた。
次に会ったのは沙耶の父親。
同様に頭を下げられてしまう。
沙耶の両親にサインをもらった婚姻届。
頑なな沙耶の気持ちを溶かすことが出来たらいいが……
10月になり沙耶の誕生日がやってきた。
外食して祝おうと二人で食事に出掛けた。
何度か訪れたお気に入りの小さなレストラン。
店内は個室ではないがテーブルがゆったり配置されて隣を気にせず食事ができるのだ。
「誕生日おめでとう!」
グラスを合わせ誕生日を祝う。
美味しい料理を食べるといつもなら幸せな気分になるが、今日の俺はそれどころではない。
どんな言葉で伝えれば俺の気持ちが伝わるのか、そればかり考えてた。
メイン料理を食べ、デザートが運ばれてくる。
サプライズ演出なんて出来ないし、やっぱり直球勝負だよな。
「あのさ、沙耶」
「何?」
その声色では俺のプロポーズの予想さえしていないのだろう。
「俺と……」
「だから何?」
デザートスプーンを置き、沙耶が俺を見る。
俺も真っ直ぐ沙耶の目を見る。
「結婚しよう」
沙耶が怒り出したらどうしようと思っていたけど、じっと俺を見つめている。
「幸平は怖くないの?」
「何を」
今度は俺が沙耶の言葉を引き出す番だ。
「気持ちが変わったり、運命の相手を間違えてるかもしれないし、幸平の気持ちが私から離れたらって考えるだけでも嫌」
「俺も同じだよ。沙耶が誰か他の奴を選んだらどうしようっていつも心配だった」
「だから」
「だけど、俺たちは7年の遠距離にも1年ちょっとの同棲も互いに離れる要素は見つけれなかっただろ?」
沙耶は頷いてくれる。もう既に涙目。
涙が零れないよう目を見開いて上を見ている。
「幸平のバカ!」
「ごめん、ここじゃ泣きたくないよね」
「わかってるんなら止めてよ」
「ごめん、でも、家ではないところで言いたかったんだ。俺、このところ何て言おうかずっと考えてたんだぞ」
プッと沙耶が吹き出した。その途端、涙が頬を伝わる。
「真理子さんみたいな奥さんにはなれないよ、私は」
「沙耶は沙耶のままでいい。今のままで俺は満足だよ」
「仕事も辞めないよ」
「当たり前だ」
「……ひょっとして婚姻届、用意してる?」
お見通し⁈
「よくわかってるじゃん」
泣き顔のままニコッと笑う。
「当たり前でしょう」
沙耶はスーッと大きく息を吸う。
「きっとママとパパが証人のサインしてる」
「当り」
「あの二人は失敗した人たちだよ。参考にならない」
「でも沙耶の父として母として二人はここにサインしてくれたよ。その絆は無くなってない」
俺は胸ポケットに入れていた婚姻届を取り出し沙耶に渡す。
「もうヤダ……」
沙耶は婚姻届を握りしめ人目も憚らずボロボロと泣きだした。
俺は沙耶の手をそっと包み、気持ちが落ち着くのを待つ。
涙が止まり顔を上げてくれるまで、どれぐらいの時間が経ったのだろう。
俺の目を再び見てくれた時、沙耶はもう泣いていなかった。
「結婚しよう」
もう一度、伝える。
「私、幸平と結婚する」
沙耶がはっきりそう答えてくれた。
俺達はテーブル越しにキスをする。
「どうしよう……グチャグチャになっちゃった」
沙耶は握りしめてた婚姻届を広げている。
「大丈夫。2枚書いてもらったから予備がある」
俺の予想は大当たり。
おじさんとおばさんに2枚づつ書いてもらったのだ。
「用意良過ぎる」という沙耶の抗議に俺は笑いながら謝った。
「おめでとうございます」
オーナーシェフが俺たちのテーブルにやってきた。
「すみません、聞こえてしまったので、差し出がましいとは思いましたがお祝いをさせてください」
そう言ってシャンパンを抜いてくれたのだ。
「お二人でお幸せになるよう歩んでいかれますように。乾杯」
一緒にグラスを傾けてシャンパンを飲んだ。
これからも二人で歩むのだ。
その健やかなるときも、病めるときも、
喜びのときも、 悲しみのときも、
富めるときも、貧しいときも、
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、
その命ある限り、 真心を尽くすことを誓いますか。
――― 誓います。