恋文 ~沙耶~
誰も居ない部屋に帰るのは慣れているつもりだったけれど、一人で暮らすのは寂しいものだった。
あんなに悩んで出した答えなのに、ひと月も経たない内にギブアップしそう。出来ないけど。
レポート用紙に大きくバカ!と書く。
それから一番下の隅っこに小さく会いたいと書いた。
出すつもりもないのに溜まる一方の殴り書きの手紙らしきもの。
うーんと嫌味を言って・・・・・・・
で、少しだけ肩を借りて寄りかかる。
アイツとは幼馴染。
のんびりお調子者の癖に、私が辛い時はいつも隣にいてくれた。
お互いの気持ちに気が付いたのは高校3年生になってから。
あまりに近くにいたから、気恥ずかしくて素直になれなかった。
離婚して離れて暮らす父の再婚とか、母の恋とか、もう好きにやって!!!状態で自分は絶対、恋なんかしないと思っていた。
でも誰かを好きになるのは理屈ではないんだね。
頭のどこかを占領されてしまうみたい。
それなのに、アイツと離れて暮らす決断をしたのは私。
東京でも勉強できるのに、どうしても京都のK大にこだわった。
目指す職業について書かれた本にとても共鳴したから、どうしてもその教授から学びたかったのだ。
高校生になった頃から目標にしていたのだ。
もう一つ理由がある――母を自由にしてあげるためだ。
母は恋人と新たな家庭を築きたいと思っているらしいけど、私は一緒に暮らしたくない。
結婚に反対なわけではないし、もちろん母の幸せを願っている。
でも私も一緒にと言われるのは嫌だった。
これ以上、物分りの良い子どもではいられない。
だけど母には私の気持ちが理解できないようで『結婚に反対』していると思われてしまった。
その為に選んだ答えが今の状況。
アイツは、私の選択を受け入れると言ってくれた。
諦めた思いを一緒に背負ってはやれないし、自分の行きたい大学も遠いから結局、同じことだと。
絆を信じよう――二人でそう決めた。
アイツは受験に失敗して、この一年は東京で浪人生活に入った。
私はK大に合格することが出来てしまった。
「受かった」と報告すると良かったと自分のことのように喜んでくれた。
アイツの方はその前に駄目だと解っていたのに、そういう人だ。
小さなミニキッチンに向かう。
レタスを洗って、その上に買って来たコロッケを乗せた。
冷凍庫にあるご飯を電子レンジでチンして夕食の出来上がり。
料理が出来ないわけじゃないと思う。
思うって辺りが情けないけど、事実だから仕方がない。
アイツは料理が上手で、私はそれを食べるのが好きだった。
宿題、教えるからって夕食を作ってもらっていた。
幼馴染から恋人らしき関係になって、アイツは男だったんだと改めて思う。
私よりずっと背も高く、たくましい体をしている。
ずっと対等だと思っていたけど、違うんだ。
違ってって当たり前なんだよね。
男と女って性別が違うのだから、特性が違う。
料理が上手いとか、掃除が好きとかは男も女も無いけれど
体の仕組みは、違うんだ。
ずっと自分が女であることが嫌だった。
弱い部分があるのは許せなかった。
勉強だって負けない、討論でも打ち負かす自信はある。
それなのに、一人で強く生きてやると誓っていた気持ちが揺らいだのは、アイツのせいだ。
理屈ではなく感情の部分がアイツを求めている。
傍に居たい。
アイツの体温を感じるだけで休まる気持ち。
『沙耶は、自分で気が付いていないようだけど可愛いよ』
怒るなよと前置きしてからアイツに言われた。
『可愛い』と言う言葉、嫌いだったのに、その時は嬉しかった。
それが私の女の部分なのかなぁ・・・・・・・。
小さなテーブルに並べたささやかな夕食の前で私は考える。
アイツのこと考え始めると駄目なんだ。
さっき書きなぐった紙を見て、電話に目をやる。
掛けて来てよ!
タイミングよく電話が鳴る。
ドキドキして受話器を耳に当てる。
「もしもし」
『沙耶?私、優花」
電話から聞こえてきたのはアイツの声ではなかった。
「あ、優花。元気?」
『やんなっちゃうな、そんなにガッカリした声、出さないの」
「ガッカリなんて・・・・・・」
『解ってるって。それよりさ、ゴールデンウィーク、帰って来る?来るよね」
カレンダーに目をやる。もう1週間もない。
母から帰ってくるようにと交通費をもらっている。
「そのつもりだよ」
『よかったぁ!』
「何よ?悪巧みの片棒担ぐの嫌よ」
『もう相変らず沙耶は硬いな』
優花は私の数少ない仲のいい友達。
直ぐに誰かを好きになってしまい大騒ぎするのが難点といえば難点だが、明るくて可愛い子だ。
「この間、話してた庸之って人と旅行でも計画したの?」
『やだー、何で解るの』
高校生の時に、もう既に2回もアリバイ工作を手伝ったんだから解るわよと告げるとケラケラと笑われた。
『いい?』
「どこに行くことになってるの?」
『軽井沢!』
「ふ~ん」
『一緒に行く?幸平君でも誘って』
「幸平君でもって何よ。行かない。アイツ、受験生なんだよ」
『やっぱり駄目?じゃあアリバイだけでも・・・・・・』
「解ったわよ。いつものようにね」
それから優花のお惚気をたっぷりと聞かされて受話器を置く頃には疲れ果てていた。
ゴールデンウィーク、旅行、お泊り・・・・・・・頭の中をそんな単語が飛び交いながら私は眠ってしまったようだ。
夢の中にアイツが出てくる。
ギュッと抱きしめられて胸がドキドキして、アイツの手の温もりを感じて私は幸せな気持ちになっていた。
でも目覚めると一人だと気が付く。
カレンダーの日にちに大きく丸をつける。
あと5日。
気分が重いまま大学に向かった。
途中で麻美という大学での友人に会う。
「おはよう」
同じ夢を持つ同性の友達。いろいろ励みになる。
「何かいやなことでもあったん?」
いつも通り挨拶したつもりなのに違ったようだ。
「ううん別に・・・・・・」
「彼のことでも考えて眠れんかったとか」
「ないない、そんな事、無い」
「ええよ、うちもその内、ええ男、見つけるから気にしんで惚気ていいんよ」
麻美は言う。
気にしているのは私の方。
勉強に集中しなくてはアイツに悪い気がしていたのだ。
高校を卒業したので、さすがに三つ編みは止めたけれど、後で無造作に結んでいる。
着る物も母が勝手に買い揃えた流行の服ではなく、高校時代と代わり映えのしない格好だ。
何もそんな格好しなくても――母はそう嘆いた。
おしゃれな母はいつも年齢より若く見られる。40代半ばだなんて信じられないと言われては喜んでいるのだ。
その母に反発するかのように私は地味に地味に装った。
「ゴールデンウィークは実家に帰るん?」
「まあね。麻美は?」
「うちはバイト。兄弟、多いから仕送りにあんまり頼りたくないんよ」
「すごいな・・・・・」
大学に入ってからの友達だから知らないことばかり。
自分の家庭環境を話すのが嫌で、私は滅多に人のことも訊かない。
その態度が壁を作っているように見えるのだろうか?
麻美は、そんな中で珍しくバックボーンには興味を示さない子だ。
バイトをしているのは知っていたけれど、兄弟が多いなんて初めて聞いた。
自販機でお茶を買ってカバンに入れる。
麻美と一緒に座っていると同じ学部の男子がやってきた。
「井原さん、話があるんだけど」
「何?」
「あのさ、ちょっとお茶でも飲みにいかないか?」
いくら鈍くても、顔を赤らめてお茶に誘われれば言われることの想像がつく。
嫌だった。
ずっと共学で過ごしてきたから、告白された事だって何度かはあるけれど、嫌だった。
――幸平。
アイツの顔が浮かぶ。
「ゴメン、私、付き合っている人いるから」
そっけなく言って私は歩き出した。麻美が追いかけてくる。
「男前だね」
「何、それ。褒め言葉?」
「そう。カッコええよ」
女の子に男前って言うのが褒め言葉だなんて、少し可笑しくて私はクスクス笑った。
「スタートダッシュって言うんやって」
「何が?」
「4月中に彼氏や彼女作ること」
「へー始めて聞いた」
「変だよね」
「うん、変だ」
今度は二人で顔を見合わせて笑った。
「沙耶の好きな人、いつか会いたいな」
「いつか会わせるよ」
素直に言えた。隠すことでも何もないのだから。
「うちは、ゆっくり自分に会う人探すん」
「見つけたら教えてね」
「うん、教える。あー恥ずかしい。こんな事、初めて言った」
麻美が照れて言う。
二人でケラケラと笑いあう。
ほんの少しのことで気持ちが楽になる。
友達って、そう言うものなのかな。
恋人も同じ・・・・・・?
時代設定は今より少し前のころ。現代社会必須のあのアイテムはまだ一般的ではありません。