『マオウ、コロス』しか言えない戦士の【孤独な英雄譚】
――祝福の鐘が鳴り響く中、ひとりだけ沈黙が落ちていた。
私は、白い空間で、ずっと彼を見つめていた。
地球から連れてきた、いとし子。
魔王城から帰還した勇者一行。
王都の大路を進んでいく。
歓声。花びらの雨。
世界を救った英雄たちをたたえる凱旋式。
名を叫ぶ声、泣きながら手を振る者。
熱狂の波が城下を満たしていた。
だが、その最後尾を歩く男だけは――
誰も目を合わせようとはしなかった。
鉄と血の匂いをしみこませた男。
無言で、冷酷にすら見える瞳。
子どもが泣き、母親が目を覆い、抱きしめる。
戦士は一切反応しない。
祝福にも、拒絶にも、何一つ。
ただ前を行く仲間たちの背だけを追っていた。
――かつて魔王の手下を初めて倒した日も、こうだった。
言葉の通じない世界で、返り血に濡れたまま帰還し、
価値観の違う騎士団は彼を拘束した。
青黒い魔物の血と、自身の赤い血に染まった男。
その口から発せられたのは、たった一言。
「……マオウ、コロス」
それ以来、人々は彼を畏れた。
拘束を振りほどき、王城へ歩むその姿に、
“血濡れの戦士”の異名が与えられた。
奇しくも、今と同じ――
誰も近づこうとしない凱旋の道。
だが、祝福の中心にあるはずの戦士は、
途中でひっそりと姿を消した。
その消失を見た者は、誰一人としていなかった。
「どうして……戦士はいなくなった?」
「名前すら分からないのに、どうやって探すの?」
「魔王を倒したのは彼だって聞いた……どうして――?」
「……僕は探すよ。」
勇者が静かに言った。
「彼にあれだけのことをした王国なんて、未練はない。
勇者の地位も、もうどうでもいい。
勝手に奪っていけばいいさ。
――ついでに、僕たちを置いてったバカを一発殴ってやらないと!」
◆ ◆ ◆
――それは、戦士が……優斗さんが異世界に来るよりも前のこと。
――その真実を、私が語りましょう。
――それが、あなたへの贖罪にも繋がると思いました
「あなたの願いを、ひとつだけ叶えましょう。」
白い空間で、少年は震える両手を握りしめていた。
今思えば、彼はこの機会をどう思っていたのでしょうか?
「お願いです……あの子を助けてください。
命だけでもいい。
僕がどうなってもいい。
どうか……どうか……」
私は静かに、その願いを胸に刻んだ。
あの少年の声は、今でも耳に残っている。
「その願い、確かに受け取りました。
ただし――あなたには代償を払っていただきます。」
少年は迷わず頷いた。
「彼女が生きるのなら……何でもします。」
「では、あなたを異世界へ送ります。
そこには“魔王”と呼ばれる、世界を滅ぼす存在がいます。
その命を断てば、あなたの願いは必ず叶うでしょう。」
「わかりました。
あの子を守るために、僕は魔王を倒します」
彼はその意味を知らないまま、光に包まれた。
――この願いが、やがて彼を“血に濡れた戦士”へと変えました。
本来なら、言葉は通じるはずだった。
だが魔王の妨害が、私の魔力を弾き、
彼に翻訳魔法を与えることができなかった。
彼の、あの呟きが今も胸に残る。
「……ああ、そうか。
異世界だもんな……言葉は通じないのか。
でも、急がないと……あの子が守ってくれた僕の命。
あの子は、いつ死んでも……おかしくないんだから」
諦めに似た、それでも折れない声でした。
異世界で、彼は必死に学び、戦い、
覚えたばかりの単語を駆使して、前へ進みました。
私には、その姿に焦燥を駆られました。
「マオウ、コロス」
合言葉のように。
「マオウ、コロス」
己を支えるように。
「マオウ……コロス!」
ただ、願いのために刃を振るい続けるその姿を。
「はは……青い血か。
本当に……異世界なんだな。
……異世界が、同じ時間とは限らない。
あの子がよくネタにしてた話であったよな……。
急がないと」
その独り言すら、私には痛ましかった。
そんな苛烈な日々の中で、彼にも仲間ができました。
勇者アリアス。
聖女ロリーナ。
魔導師ガーランド。
斥侯ディアナ。
善に属する、優しい子たち。
私は、少なからず、安堵しました。
彼らなら、問題はないだろうと。
彼の孤独を癒せるかもしれないと。
だが、彼の言葉は彼らにも通じませんでした。
だからこそ、彼は語る代わりに“行動”で応えた、いや、応えるしかなかった。
ただひたすらに、彼らを守り続け彼は前に出続けた。
あなたに助けられた記憶が、彼の胸をかすめたのかもしれません。
前に出て魔物を薙ぎ払い、
魔法を受け止め、
傷つきながらも立ち続け、傷つき続けていました。
聖女の癒しが彼を支え、言葉をかけた。
それでも、彼は止まりませんでした。
気づけば、彼だけがいつも血まみれでした。
他の誰かが、傷つくのを恐れ、彼は何度もめげることなく。
魔王の幹部――四天王のひとり、ヴァリルを斃したとき、
彼は人々からこう呼ばれていました。
血濡れの戦士。
魔王殺しの狂戦士。
それは、勇者一行の誰よりも世界を救っている男に向けられた、
あまりにも歪んだ称号。
「……分かってる。恐れられてるんだろうな」
宿の片隅で、彼が一人つぶやいた声を私は忘れられない。
「結局、僕はこの世界じゃ……異物なんだ。
寂しいな、でも頑張らないと」
俯いた彼の姿を見ているのすら、私は辛かった。
「さすがだな戦士。次も頼んだぜ」
「――ああ」
ただ、アリアスだけは、彼を恐れませんでした。
それだけは、彼も気づいていたのです。
でも、
アリアスとロリーナが談笑し、笑顔を向ける度。
彼はあなたとの思い出を思い出していました。
「魔王を、一刻も早く」
彼はあなたの命の刻限が近づいていることを知っていた。
――せめて、あなたの命を延命することを告げておけば。
次第に、彼は人の言葉よりも先に、魔物の言葉を覚えました。
耳に入る回数が圧倒的に多かった。
それは、必然であったのかもしれません。
勇者たちの指示に従い、敵へと飛び込み、
そして、魔物たちの言葉を強く理解してしまう。
「ああ、どうして……俺たちが殺されなくちゃいけない!」
「……」
その言葉を、彼だけは“理解できてしまった”のだろう。
……他の勇者たちには、おそらくわかってはいない。
――ぐしゃ、と骨の砕ける音。
心に蓋をした、無表情の彼は歩みを止めませんでした。
――そうさせたのは、私だ。
彼のもっとも大切なあなたを、人質に取ったようなもの。
見えぬ刻限を彼は恐れていた。
いつ、あなたの命が燃え尽きるか、分からないから。
「なんでだ……なんで人は俺たちを襲うんだ……
魔王様……どうか、俺たちを……守――」
――熱いものが、あたりに弾けた。
傷の無い筈の握りしめた彼の手から、赤いモノが零れていました。
「気狂いの戦士だ! 逃げろ!
お願いだ、子どもだけは……っ」
「とうちゃあああああん!!」
――どうして、こうなってしまったのでしょう。
そう自問し、そのときの私には、
どれほど彼に負担をかけていたのか、分かってもいなかった。
「どうした戦士、しっかりしろ」
アリアスが助けに入り、事なきを得ました。
――魔物の親子を見逃し、後ろから刺されそうになって……
――彼はアリアスに助けられた
魔物の声に心を揺さぶられ、彼は項垂れていました。
彼はどう思ったのでしょう?
助けようと思った魔物は、彼を攻撃し、
善意で彼を守るために、アリアスは魔物を殺した。
ただ、それだけだったのです。
「……僕は……何をしているんだ?」
彼は、魔導師からもらった樽の水で、
落ちない青い血を必死に洗い続けていました。
目の下には濃いクマ。
ほとんど眠れていないのは、明白でした。
「どうでも……いい。もう、いいんだ」
ゆっくりと顔を上げた。
表情の抜け落ちた、あの表情……。
「僕は言った。あの子を助けるために、魔王を殺すって――契約をしたんだ。
情けや、戸惑いなんて、捨ててしまえ」
その瞬間、私は初めて“過ち”を理解した。
――この少年の心は、力よりもずっと繊細で、真っ直ぐだったのだ。
確かに彼には強い力がありました。
それは地球では芽吹かなかった才能だったかもしれない。
だがその力を支えていたのは、
地球では決して育つはずのない、痛ましいほどに真っ直ぐな心。
そう、あなたを救いたいという、たった一つの希望。
「あの子のためなら、なんだってするって言ったんだ。
たとえ泥をすすっても……
たとえ、この手が血にまみれても……
マオウ、コロス」
その言葉を聞いたとき、
私は――
見ていることすらできなくなった。
そんなバカな私は……許されるべきではない。
凱旋と歓声。
――魔王は倒された。
彼の一太刀がキメ手であった。
しっかり見ることはなく、斬り終えた彼が深く目を瞑った。
その姿だけを目にした。
その姿を見て、私は……安堵してしまった。
もう、彼が傷つくことはないと。
――今までの私なら、手を広げて喜んだことだろう。
――この世界で失敗した、神の異物を排除できたのだから。
でも、
「見ちゃいけません」
彼の周りは、もう取返しなどつかないほどだった。
介入の手をためらい、彼の孤独は……もはや私には癒せない。
――彼を返してあげよう。
――婚約者さんを助けて、時間を戻して……
――そう思って、声をかけたのです。
「もう、僕は血みどろです。
いくつの命を奪ったのか分からない」
帰りたいかという言葉で、彼は乾いた笑いの中で応えた。
焦点の定まらない、虚ろな瞳は、あの時は全く違った。
「人の敵といっても、彼らも命乞いもした、死にたくないと言った。
僕と同じで、大切な人のため命も賭け、誰かの名前を叫んだ」
震える手、彼の手を握ろうとして、私は止まった。
――そんな資格、私にはない。
――この地獄に、突き落とした私には、決して。
「最初はわからなくても、それを知ってからも、途中から躊躇なく殺しました。
僕は、罪人です。
僕を助けるために、植物状態になった彼女に……。
血濡れの手を、咎人の心をあの子には見せられません。
彼女の元には、帰れません。」
ああ。
――記憶を消すという選択もある。
――でも、それは彼に対する裏切り。
――今でも、この選択を後悔する
――無理やりにでも、あなたに合わせていれば……
「あの子が無事なら、もうそれでいいのです」
「……そうですか、分かりました。
では、また会いましょう。優斗さん」
「ええ、また」
森の中、彼はずっと隠遁するのだろう。
その力を悪用されぬよう。
もう、誰も殺さぬように。
……彼は、もはや、なにも食べられなかったのです。
肉も、果実も、火でさえも。
触れようとするたびに、食料として、見ることもできぬほど。
口に含み、そのまま嘔吐してしまうほどに。
仲間を守るために斬った魔物たちの声が、
何度も蘇ってしまう……。
私が与えた力のせいでした。
私の、過ちのせいで。
それから一月たたず、彼は恨み言も飢えた言葉も発することなく、
餓死しました。
最後の最後まで、彼はあなたのことを思い続けて、うわごとのように。
「ほんと、僕は……バカ、だなぁ。
最後に、一目……
どうして、気づかなかっ……」
見守る私を見て、彼は乾いた手を伸ばして、崩れ落ちた。
苦悶の表情すら浮かべず、優しい顔で。
――涙?
私の足元に、水の跡が広がっていた。
それから数日。
森の奥、倒れた青年を見つけたのは、
捜索に出た勇者アリアスでした。
――私は彼を導かなかったはずなのに。
「……なぁ、戦士。冗談だろ?」
返事はありませんでした。
乾いた唇も、もう動きません。
「お前、こんなとこで……なんで冷たくなってんだよ」
肩を抱き起こすと、骨ばった体がぐらりと揺れました。
飢えの末に、静かに息を引き取ったのだとすぐに分かったのでしょう。
見開いたアリアスの目が、強く印象に残りました。
「辛かったんだろ……言えよ。言ってくれよ!
言葉通じないなら、もっと早く言ってくれよ……!
それなら、俺、だって!」
アリアスの声は震えていました。
握りしめた拳から、赤い雫が落ちるほど。
「なぁ……俺、言ったよな。
一発殴ってやるって……
お前が生きて、笑いながら受け止めてくれると思ってたんだぞ」
握った拳が力なく地面を叩く。
勇者の魔力のこもった一撃は、それだけ大地を強く引き裂きました。
「……お前が魔王を殺したいのはよくわかっていたつもりでいた。
辛いなら、辛いって言えよ。言ってくれよ。
言葉でなくても、行動で……なんでそこだけ隠すのが上手いんだよ!」
地割れのような、底の見えない深い溝。
私には、その溝の深さをよく知っていました。
「名前ぐらい……教えてくれよ。
最後に、一緒に酒ぐらい、付き合ってくれよ!!
なぁ、戦士……!」
返らない。
もう、なにも。
アリアスとて、それはよくわかっていたのでしょう。
――こうして、世界を救った“誰よりも優しい戦士”は
たった一人の仲間の涙の中で、静かに眠りにつきました。
せめてと、私は思ったのです。
世界は静かでした。
ただ一人、彼の死を悼む勇者の嗚咽だけが響いていました。
戸惑い、動かない彼の魂を、私はそっと拾い上げました。
神聖さすら感じる、白い魂。
あれほど、罪を認識していても、穢れない。
白き、気高い、魂……。
地球の輪廻に彼を返しました。
「――」
その瞬間、地球に残した人々の姿が胸をよぎった。
愛しく、そして愚かでもある彼らを思い、私はさらに自らの罪を悟った。
「……あなたが罪人だというなら、わたしは、邪神なのでしょうね」
本来無風のはずの、白い空間の中、私はそっと呟きました。
光も音もなく、ただ私の後悔だけが、あなたの居なくなった白い病室に響きました。




