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(8)I know 恋愛脳


「ありゃ完全に惚れたね」


 体育館を離れ、ふたり廊下を並んで歩く。運動部の喧騒が遠ざかったところで、哲郎はにやりと笑って言った。


「だれが、だれに惚れたんですか?」


「薫ちゃんが、真魚ちゃんにだよ。辛い目に遭ったところを可愛い女の子にかばわれて、ころっといっちゃった感じだね」


「は?」


「相変わらず初々《ういうい》しいよなあ。薫ちゃん」


 さっきの薫の初心うぶな反応ときたら。あれほどわかりやすい反応もないだろう。哲郎としてはからかうポイントが増えて嬉しい半分、変わらない一面に微笑ましくなる気持ち半分だ。


 真魚は「ころっとって……」とたじろいでいる。

 

「哲郎くんの勘違いでは? さすがに、そんなこと」


「可愛い女の子に優しくされたら、思っちゃうもんだよ。『あれ? もしかしてこの子、おれのこと好きなんじゃね?』って。真魚ちゃんもそこんところ自覚しとかなきゃね。自分が可愛いって自覚してない女子は危険だよ」


 多分に経験則を踏まえた助言だった。

 しかし真魚はふるふるとかぶりを振った。


「いえ、そういうことではなく。そもそも堂前くんは逢原さんのことが」


「まあそういうのはいいじゃん。べつにさ」


 追及を軽くいなし、


「それに。薫ちゃんのそういう性格は真魚ちゃんも知ってるんじゃないの? 朔の記憶、持ってるんでしょ?」


 けしかけるように言った。あえて、哲郎はそういう言い方を選んだ。

 真魚は、なぜか驚くように瞬きをした。


「それは……そうなんですけど。それが」


 ——ぐらり。

 と、少女の小柄な体が、大きく傾く。


「ちょっと!」


 哲郎は慌てて両肩を支えた。

 真魚が小さく苦鳴を漏らす。両足に力が入らないのか、ずるずると廊下の床にへたり込んでしまった。


「なに? しんどいの? 保健室行く?」


「いえ……すぐ収まると思うので。すみません」


「謝んなくてもいいよ」


 突然どうしたのだろうか。頭痛に耐えるように、手で頭を押さえている。ただ事ではない雰囲気だ。


「心配ありません。最近、よくあるんです」


「よくあるって」


 ふと、勘が働いた。


「もしかして……朔の記憶のせい?」


 真魚は青ざめた顔で、肯定も否定もせず。


「ねぇ、実はけっこう辛かったりする? 今の、なんてゆーか、その」


 今まで、想像したこともなかったが。

 もしもべつの人間の記憶が、自分のなかに一気に流れ込んできたとしら? 記憶は精神と大きく結びつくとも言う。元々一人分の容量しか備わっていない器に、無理やり膨大な記憶が押し込まれたら……、それは少女の心身に、想像を絶する負担を生じさせる、のではないだろうか。


「なんか、ごめん。いろいろ失念してた。とりあえず、しばらく休憩したほうがいいよ。薫ちゃんのことはまたいつか考えれば」


「ダメです」


 ふらふらと不安定な動きで真魚が立ち上がる。


「いつかとか、そのうちとか、嫌いです」


「でもさあ」


「柚月さんのときは、上手く解決できませんでした。全面的にわたしの力不足です。なので、今度こそはちゃんと」


 そのまま覚束ない足取りで歩き出す。……まったく。あの細い両足は一体なにを原動力にして動いているのだろうか。ほんとうに、危なっかしくて、ほっとけない。


「……わかったよ。でも今日のところはマジで休憩ね」


「いえ。わたしは」


「休憩です。ほら、手繋いであげるから。保健室行くよ」


「一人で歩けますから、もう、触らないでください。いっ、一触即発ですよ!」


「なんで意味わかってないのに難しい言葉使おうとするんだよ」






 **






 デートというものに少し憧れがある。

 行為もそうだが、その単語自体にも心がときめく。かつて逢原朔に目をつけられ、半ば強引に関係を迫られ、以降飼い犬のように扱われてきた哲郎にとっては、そういった甘い言葉は羨ましいものだった。


 ——週末。

 日曜の駅前は人の往来が絶えない。

 比較的大きな駅だ。隣接するショッピングモールと直接繋がる構造をしており、娯楽施設の多さも相まって休日の人気スポットである。行き交うのは賑やかな家族連れ。談笑する若者たち。そしてスーツ姿のビジネスマンたち。それぞれがそれぞれの事情で休日に駆り出す。


 哲郎と言えば、湯川看森と並んで立っていた。


「いやー、どこ見てもカップルばっかりだなあ」


「そうかな? そんなことないと思うけど……」


「やっぱ一緒に服買ったりすんのかなあ? あっ。そういや、あっちにはシアターもあるんだっけ? 映画館デートってのも乙だよなあ」


「御子柴くんテンション高いね」


 

 ご指摘通り、哲郎は浮足立っていた。

 現在は男同士だが、看森は相変わらずの女装姿で、哲郎も紳士として本日は私服に気合を入れている。客観的には、カップルにしか見えないだろう。大事なのは真実ではなく事実。あとは本人の気持ちだ。


 プラットフォームのほうから電車が発車していく。ぞろぞろと乗客だった者たちが駅の階段を下りてくる。人波のなか、見覚えのある男女が近づいてきた。そのうち男のほう、堂前薫が、待ち構えていた哲郎を見て驚愕する。


「なっ」


「おっ、薫ちゃん。遅かったねー」


「なぜおまえたちがここにいる!」


 哲郎はひらひらと手を振った。隣で看森が小さく会釈する。


「そりゃあ今日はダブルデートの日だからね。四人いないと成立しないってもんだよ。いやあ、一度やってみたかったんだよねえ、こういうの」


「……一体どういうことだ。鍛冶谷さんは知っていたのか?」


「す、すみません」


 薫と並んでいたのは真魚だった。申し訳なさそうに肩身を狭くして、いつもよりも小さく見える。まあまあ、と哲郎は笑った。


「安心していいよ。ふたりの邪魔はしないからさ。おれとミモリンもデートは満喫したいし」


「湯川は男だろう」


「うわあ、薫ちゃん。そーゆーステレオタイプな考え、やめたほうがいいよ。ポリとかコレとか、イマドキ超厳しいんだからさ」


「……一気に帰りたくなった」


「ほんとうに、すみません」






 真魚と薫が駅中を並んで歩く。

 さっき、ふたりの予定は教えてもらった。これからモール内でショッピング、映画鑑賞をしてランチを取り、しばらくあたりを散策したのち三時過ぎに終了らしい。


 哲郎はふたりからやや距離を取り、看森とともに歩いていた。


「ごめんねミモリン。今日はわざわざ付き合わせちゃってさ」


「ううん。僕は大丈夫だよ」


「都合良くつかわれてムカつくでしょ?」


「いや、ほんと全然」


 看森がかぶりを振る。艶やかな髪がさらりと揺れる。


「御子柴くんたちにもなにか考えがあるんだろうし。鍛冶谷さんにも恩があるから。僕に協力できることがあるなら、なんでもするつもりだよ」


 殊勝なことを言ってくれる。哲郎の周りにはお人好しが多い。

 看森は一度前を歩くふたりを見たのち、「それより訊きたいんだけど」と哲郎を見上げてきた。


「堂前くんってさ。逢原さんのことが好きだったんだよね?」


「だね」


「どうして、鍛冶谷さんとデートしてるの?」


「そりゃ真魚ちゃんから誘って、薫ちゃんがオッケーしたからだよ」


「ええ……?」


 なんとも言えない顔をしている。なにか、おかしいことを言っただろうか?


「そういや真魚ちゃんも言ってたよ。誘っても絶対来てくれないだろうって。今のミモリンみたいな顔でさ。ははっ、薫ちゃんが断るわけないのにね」


「鍛冶谷さんは、堂前くんのことが好きなの?」


「べつに? んなことないけど?」


 看森の頬がどんどん引きつっていく。


「薫ちゃんがなんか悩んでるみたいだからさ。真魚ちゃんはそれを解決してあげたいんだとさ。でも、今はなにに悩んでるのかもわかんないから。今日はそれを聞き出そうっていうアレだよ」


「それでデート?」


「そう。仲良くなるには打ってつけでしょ。ちなみにおれのアイデア」


「やっぱりそうなんだ」


 今の「やっぱり」には、多分に呆れが含まれているようだった。






 真魚と薫のデートは意外にも和気藹々としたものだった。


 映画を観たあとは近くのレストランで仲睦まじくランチタイム。昼過ぎになると真魚の発案だろう、本屋で映画原作の小説をふたりで買っていた。それからは、どこへ行くでもなくモール内を談笑しつつ散策していた。


「良い感じだなー。あの二人」


「御子柴くんは、なんで不満そうなの」


 薫のことだから、もっとたじたじになるかと思いきや。思った以上の紳士ぶりを発揮している。真魚も満更でもなさそうだ。


 やがて薫たちはモール外へ出ると、すぐ近くのカラオケ店の前で足を止めた。なにやら話し込んだかと思えば、そろって店へ入っていく。聞いていた予定にはない行動だ。


 哲郎も店に入り、こそっと薫に問う。


「薫ちゃんってカラオケとかよく来るの?」


「あまり縁がない。鍛冶谷さんは、足繁く通っているらしいが」


「へぇ」


 料金の都合上、四人はおなじボックスに入室した。


 真魚はうずうずと、妙に浮かれている様子だ。先陣切ってマイクを握ると、慣れた手つきでデンモクを操作する。まもなく流れ出したのは演歌っぽい歌だった。真魚はこれでもかと、こぶしとビブラートを存分に利かせた歌声を響かせる。


「昭和歌謡……。しかも絶妙に上手い」


「父親の影響だと言っていた。採点機能はマストらしいぞ」


「そ、そうなんだ」


 失恋の痛みは消えない。嗚呼、酒よ。この痛みはどうすれば忘れられるの?

 みたいな感じの歌を熱唱していた。






 十数分後、お手洗いに真魚が席を立った。

 これ幸いと哲郎も続いてボックスを出る。

 女子トイレの前で待つこと数分。真魚が出てくる。


「そんなところで。一体なにをしているんですか?」


 壁際でスマホをいじっていた哲郎は、じとっとした眼差しをやる。


「真魚ちゃんさ。今日の目的忘れてない?」


「デートのほうはつつがなく。この後レストランでディナーを取り。夜はビルの上階で夜景を眺めながら愛を囁き合い。やがてふたりは結ばれます」


「どんだけ盛り上がってんの。いいからちょっと落ち着いて」


「いえ早く戻りましょう。薫は寂しがり屋ですから。わたしがいないとダメなんです」


「なに言ってんだ」


 とりあえず深呼吸をしてもらった。


「今日は薫ちゃんから話聞くんでしょ? そのために来たんだよね?」


「そういえばそうでした」


「しっかりしてよ。そのぶんだと、もしかしてまだなんも訊けてない感じ?」


「……すみません。初めてのデートが楽しすぎて。つい舞い上がってしまいました」


 年頃すぎる。


「そもそもデートの誘いなんて。絶対断られると思っていたので」


 薫たちのいる部屋のほうを見つめながら言った。あっさりオッケーをもらえたことが、そんなに信じられないのだろうか。


「堂前くんは、なぜ受けてくれたんでしょう?」


「なぜって……。むしろなんで断られると思ったの? かわいい女の子にデートに誘われたらウキウキで行くでしょ。ふつー」


「でも堂前くんは逢原さんのことが」


「薫ちゃんはべつに朔の彼氏でもなんでもないよ」


 義理立てする必要なんてない。


 真魚はそれでも納得がいかないようだった。


「今日のところは諦めとく? またなにか作戦を考えてからでも」


「いえ。ちゃんと聞き出します。堂前くんが今一体なにに悩んでいるのか」


「悩みなんかないかもしんないよ」


「あります」


 えらくはっきり断言する。哲郎は「なんで真魚ちゃんにそんなことわかるの?」と疑問を投げる。すると真魚は「わたしじゃありません」と首を横に振った。


「わたしじゃないんです。わかっているのは」


「……そっか」


 哲郎は壁から身を離す。


 真魚は神妙な顔つきでいる。その黒髪三つ編みに、青いリボンがいくつか結ばれているのが目についた。そういえば今日は私服だ。


 白Tにピンクのチェックスカート。意外と可愛い趣味だ。Tシャツに英字で刻まれたADULTの文字は冗談みたいだが。おまけにチェックスカートはふくらはぎ丈、スニーカーもローカットなせいで足元はくるぶしまで丸見え。とどめに肩に提げたショルダーバックはさめを模したような変てこアイテム……。


「とりあえず、そのダサい服だけは、今度からどうにかしようか」


「え?」


 

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