(4)演劇部のイマ
かつての演劇部の活動拠点はもっぱら新校舎の空き教室であり、体育館が使える機会と言えば月に数えるほどだった。これは創部一年目の実績なき部としてはかなりの好待遇である、この背景には逢原朔の活躍があった。人心掌握に長ける部長がいとも容易く教師陣を懐柔してみせ、勝ち取った月に何回かのステージ練習。
哲郎と真魚が到着したときも、案の定、演劇部は体育館のステージ側に集まっていた。手前側はバスケットボール部が使用している。大きなネットで二つの部は仕切られており、ふたりは端に沿ってネットをくぐり演劇部員たちに近づく。
柚月麻綾はやはり、車椅子に座っていた。台本を膝に置き、ステージ上の女子部員たちに指示を飛ばしている。十数人ほどの部員たち。こころなしか女子の姿が目立つ。
「哲郎くんは昨日、あとで話すと言ってくれましたが」
「うん」
「どうして、柚月さんが車椅子に座っているんですか? しかもあれは逢原さんの車椅子ですよね?」
目下、優先すべき標的は堂前薫だ。
しかしこればかりは真魚が気にするのもしかたない。これは逢原朔の記憶を持つという真魚が知らない事情だ。
「交通事故だってさ。ちょうど一ヶ月ぐらい前に。単独だけど。……で。右足を骨折した。初めは松葉杖をついてたけど、そのうち、学校に置きっぱなしになってた朔の車椅子を使い始めたんだ。一応、いろんな人に許可は取ってるみたいだけど」
「交通事故って……接触事故ですか? 相手は車とか?」
「いや。道端で転んだだけ」
「は?」
後ろから、気の抜ける声がした。
同時に、車椅子に座った柚月が振り向く。
「あら? 御子柴くんじゃないの。嬉しいわね。そちらから来てくれるなんて」
麻綾は相変わらず、張り付けたような微笑みでふたりを迎える。背後に控える昨日とおなじ車椅子係の生徒も「御子柴くん。久しぶり」と手を振った。
「おまえ、マジで部長やってんだな」
「意外そうな顔ね。あなたも聞いていたでしょう?」
「いや初耳だから」
そうだったかしら? と麻綾はおっとり頬に手を当て、わざとらしく小首を傾げてみせる。哲郎は苦い顔をした。……いや。今は我慢するべきだ。
「それよりさ。薫ちゃんどこ? 見たとこ、今はいないみたいだけど」
「かおる……ああ。あの意気地なしのことね」
せせら笑い、
「あの男なら辞めたわよ。今はほら——あそこ」
「え?」
麻綾の意味ありげな視線は、垂れ下がったネットの向こうへ。その先で、試合中のバスケットボール部員たちが躍動している。そのうちの一人、汗を流してボールをドリブルしている、見覚えのある青年の姿があった。
「か、薫ちゃん?」
間違いなく、堂前薫だった。
「おいおい、なんでだよ? 部員のやつらはみんな残ったはずだろ?」
「どこでそんなこと聞いたのかしら? わたしは一度も言ってないわよ?」
なんてことだ。
完全に当てが外れてしまった。哲郎は「マジかよ」と頭を抱える。
「残りたい気持ちが少しでもある人には留まってもらったけれど。辞めたい人をさして止める必要が一体どこにあって? ——来る者拒まず去る者追わず、と朔さんにもそう言っていただけると思うわ」
麻綾が流し目にこちらを見やる。
「御子柴くんも戻ってきたいのなら、歓迎してあげるわよ?」
「戻る気も話す気も、たった今失くなったわ。つーか薫ちゃんいないならマジで来た意味ないじゃん。あーあ、嫌な顔見て損しただけかよ」
「ちょっと。なによその言い草は!」
哲郎は、この少女が苦手だった。
「んじゃ……。もう話してても無駄だし。おれたちはこの辺で」
「あの、柚月さん」
黙していた真魚が、そのとき割って入ってきた。
「ちょっと真魚ちゃん。こいつにはもう用はないんだから、さっさと」
「どうして、そのような喋り方をしているんですか?」
麻綾の片眉が、ぴくり、と動いた。
「昨日も思いましたけど……柚月さん、前はもっと変な喋り方でしたよね? 標準語じゃなく、関西訛りで、子供っぽくて品がなくて、なんというか絶妙に下品な」
「だ、だれが下品よっ」
真魚は心底不思議そうな表情をしていた。
「振る舞いもそうですよ。もっと我儘で、幼稚で、そんなふうに丁寧な感じじゃなかったはずです。それじゃあ、まるで逢原さんのような」
「なによあんた! 初対面で失礼ね!」
たまらず喚く。このあたりの辛抱のなさは、相変わらずか。
しかし麻綾は「……ああ、そういうこと」と、したり顔で頷いた。
「あなた。さてはわたしのファンね? わたしが好きすぎて手あたり次第調べちゃった。みたいな? そうでしょ?」
「いえ、わたしは」
「そうそう。そうなんだよ」
咄嗟に否定しかける真魚を制し、哲郎が肯定する。ぼろが出ぬよう、ここは相手に合わせておこうという算段だった。
「おまえに会いたかったんだとさ。だからいろいろ知ってんだよ」
「いえ。そうではなく」
「でしょうね。どうりで知らない顔だと思った。新入生かしら? ねえ、あなた名前は?」
「あの、わたしは」
「鍛冶谷真魚ちゃんだよ。気軽に真魚ちゃんって呼んであげて」
麻綾はしきりに頷き、「覚えたわ」と言うと、
「では鍛冶谷さん。まずはあなたの演技力を見るわ。ステージに上がりなさい」
「なぜわたしが」
「見込みがない場合は裏方に回ってもらうわよ。それが嫌なら」
そして、憎たらしく微笑んだ。
「わたしの召使いにでもなってもらおうかしら?」
「こいつ……」
やっぱり、苦手だ。
鍛冶谷真魚という人間はかなり流されやすい性分らしい。
あれよあれよという間にステージに立たせられた真魚に、ぐいと台本が押し付けられる。いつのまにかステージ上で一人取り残された真魚は、心細そうに周りを見回した。
「では一ページ目から。感情を込めて読み上げなさい」
(真魚ちゃん、ご愁傷様……)
慣れない読み上げをさせられる真魚に向けて、哲郎はこっそり合掌した。これは控えめに言っても公開処刑だ。
「御子柴くんは、部に戻ってくるの?」
「いや? ミモリンには悪いけど、そーゆーつもりじゃないんだ。今日は」
麻綾がメガホンを持ち、叱咤を飛ばす。その後ろで、車椅子係の部員がこそこそと耳打ちしてきた。青を基調とした上下長袖のジャージに身を包む、艶やかな長髪をしたおとなしめの美人。名を湯川看森という。
「そっか。残念だな」
看森の声は落ち着いている。哲郎は「それよかさ」と舵を切り、
「なんでみんな戻ってきてんの? みんなそんなに演劇好きだったっけ?」
「熱量のある子は少なからずいるよ。なんだかんだ、去年も楽しかったし」
「みんながそうってわけじゃないだろ。なんか理由あんの?」
「まあね。ちょっと事情が」
ふうん、と哲郎は生返事。
「もっと声を張れないかしら? ぜんぜん聞こえないわよ?」
「すみません。こういうの、わたし初めてで……」
「言い訳はいいわ。とにかく一文字一文字を意識して発生なさい。あとはもう少し動きを加えることね。これは朗読じゃないの。いい? 全身を見られていることを意識して?」
「といわれましても」
「それとあなた地味だから、もっと演者としてのオーラを出しなさい。今のままじゃ舞台映えがしないわ」
「む、無茶言わないでくださいっ」
真魚に演技の才能はないようだ。
目の前で繰り広げられる茶番を尻目に、哲郎は欠伸を噛み殺す。これが、あとどのくらい続くのか。哲郎も、一応片棒を担いだ身ではあるが、いつまでも道草を食っているわけにはいかないだろう。
——と。
哲郎の指先に、なにか固い感触が。
ぐいと押し込まれる。掴むとそれは、二つ折りにされた紙片だった。
看森はすぐに腕を引っ込める。そして何事もなかったふうを装い、麻綾と言葉を交わす。やがて命令され車椅子を引いて行った。
「……なんだ?」
二つ折りを開く。
すると必死に走り書きしたのだろう、乱れた文字で『ぶかつおわり。タイクカンうらで』と記されていた。
思いのほか部活は早く終わり、演劇部はすぐに解散となった。
麻綾はほかの女子部員に車椅子を押させて戻っていった。去り際に「あなたが入部すると言うまで何度でも勧誘するから」と怖いことを言われ、哲郎は非常にげんなりとした。
さて。
薫のことは計算外が起きたため一時見送りするとして、哲郎は一度真魚に事情を伝え、指定された体育館裏へと向かった。
外は夕焼け。茜色の空に筆を走らせたような雲が浮かぶ。
武道場と体育館の間に空いたスペース、湯川看森は体育館からはみ出した段差に腰かけ待っていた。着替えはもう済ませたのか。黒のブレザーにおなじく黒のスカートを履いている。
「ごめんね。遠回りさせちゃって」
「全然。でもこんな回りくどいことしなくちゃ話せないことなわけ? 恋バナとかじゃないよね?」
「あはは……残念だけど、ハズレ」
看森は段差のうえで三角座りすると「柚月ちゃんに聞かれたくなくて」と呟く。
まあ、そんなところだろう。わざわざ文字で伝えたのも、車椅子を押す役目をほかの部員に任せたのも、きっと理由はおなじだ。
「湯川くん?」
おとなしく後ろをついてきた真魚が、看森を見て驚愕の顔を浮かべる。
「えっと……、鍛冶谷真魚さん、だっけ? 僕の名前も知ってるんだね。すごいなあ。ほんとにファンなんだ」
「その格好は、どういうことですか?」
「どうって?」
看森が見上げ、小首を傾げる。
真魚は恐る恐るといったふうに、「だ、だって……」と続け、
「湯川くん、男の子ですよね? なのにそんな、女子生徒みたいな格好で」
湯川看森は紛うことなき、男子生徒だ。
しかし、今は女子生徒のような格好をしている。
「べつに昨日もおなじ格好だったでしょ」
「気づかなかったんです。哲郎くんも、どうしてそんなに普通でいられるんですか。友達が目の前で女装してるというのに……」
まあ、初めはそういう反応にもなるだろう。
実際、彼が女装を始めた当初、学内はかなり盛り上がったものだ。哲郎も、あの頃は、今の真魚と似たような反応をしていた。
「ミモリンは四月からずっとこうだから」
「うん。そうなんだ」
「い、一体なにが起きたらこんなことになるんですか」
「……似合ってない、かな?」
長い髪を指先ですくい、看森が上目遣いに見上げる。元から華奢で、線が細い顔立ちをしているせいか、女装をするとこれがかなり化ける。真魚の表情にも、戦慄が走っていた。
「に、似合っては、いますけど……。いえ、そうではなくて。その、豹変の理由をお聞きしたくて」
「そういえば、おれも理由、聞いてなかったな」
正確には、聞けなかった、のだが。
看森は、どう見ても女子にしか見えない男子は、困ったように笑って、
「そのあたりの事情も込みで、話したいことがあるんだ」
そう前置きをした。




