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(2)鍛冶谷真魚と、くだんの三人。ついでにチュロス


 後日、鍛冶谷真魚は哲郎のクラスに転校してきた。

 元々表情筋の起伏に乏しいのか、朝からむっつりとした顔つきで自己紹介した真魚だったが、本人の小動物然とした容姿がウケたのか、休み時間は主に女子に囲まれていた。このクラスには親切な生徒が多い。


 そして昼休み。偶然か隣同士の席になった哲郎はこれ幸いと真魚の前に椅子を持ってくると先んじて陣取った。真魚と一つ机越しに向かい合い、昼食のチュロスを取り出す。


「転校初日の女生徒とふたりで昼食を取りたがる男子というのは周りからどう思われるものでしょうか」


「優しいやつって思われるよ」


 教室の至るところでひそひそと「どういう関係?」「ナンパ?」「先越された!」と囁く声が聞こえてくる。哲郎はどこ吹く風だ。砂糖がたっぷりまぶされた棒状のチュロスを齧る。


「……哲郎くんはもっと周りの目を気にするべきです」


「ん? 今哲郎くんって言った?」


「あ、いえ。今のは」


 哲郎くん、悪くない響きだと思った。


「いいね。なんか甘酸っぱくて。おれもこれからは真魚ちゃんって呼ぶよ」


 真魚の顔に「やってしまった」と書いてあるようだった。言質を差し出したのはあちらなので、ここは負けてもらおう。


「それでさ。昨日の話の続きなんだけど」


「ここでするんですか? みなさん聞き耳を立てていますよ?」


「心配ないって。どうせあっちで勝手に解釈してくれるさ」


 その日暮らしの能天気。それが御子柴哲郎という男だった。


「解放するとかなんとか言ってたよね? あれって結局どーゆー意味?」


「えっと……」


 真魚はと言えばまんまと調子を乱されている。ピンク色の箸を持つ手を止め、ちらちらと周りを気にしながら、


「わたしは、逢原さんが許せません。なので。彼女の被害者を助けてあげたいと」


「端的に言ったね。なんか照れてる?」


「この状況で真面目な話なんてできません……!」


(そんなもんかな?)


「まあいいけど。でもそれってちょっと筋違いじゃない?」


 真魚は弁当からだし巻きっぽい卵焼きを摘まむと「どういう意味ですか」と訊き返した。


「お節介なんじゃないかって話だよ。そもそも朔のことも。真魚ちゃんの言うその被害者ってのも、真魚ちゃんには全然関係ないやつらじゃないか」


「無関係だから放っておけと言うんですか」


 哲郎が頷くと、真魚は一度唇を引き結んだ。


「知ってしまったからには無視なんてできません。助けが必要な人に手を差し伸べるのは、そんなにおかしいことですか?」


「そりゃね。助けてとも言われてないのに。ふつーは助けないでしょ」


「自分から助けを呼べない人だっています」


「そんなのは自業自得じゃないか」


「……あなたは冷たい人です」


 哲郎は「そうかな?」とまたチュロスを齧った。


 真魚は拗ねた顔で箸を動かす。小さな弁当箱から焼きサバを摘まんでそれを口に入れた。箸捌きが綺麗で妙に目を惹く。品のある所作は朔を思い出させた。


「悪かったよ。意地悪なこと言ってさ」


 哲郎はチュロスを一本分腹に収めると、また一本取り出した。「お詫びにこれあげるよ」と言う。すると真魚は眉間に皺を寄せた。


「揚げ菓子は基本的に脂質が多く含まれます。原料は小麦粉。炭水化物も多い。とくにふんだんにまぶされたシナモンシュガーが糖質を爆増させます。総じてカロリーが高く、栄養も偏るのでカリキュラムに体育のない今日のような日には不健康極まります」


「あー。真魚ちゃんそーゆー感じか」


 器用に箸先でプチトマトを摘まむと、真魚はそれをぱくっと食べた。


「そういえば昨日の果たし状。ほかにも何人かに送ったって言ってたけど。一体だれに送ったの?」


 チュロスが一本、また腹に消える。哲郎が指先についた砂糖の粒を舐め取りながら訊くと、真魚はぷいっと顔を背けた。


「哲郎くんだって、心当たりがあるんじゃないですか」


「まあ、ないことはないかな。朔ってちゃっかりしてるから、人を選ぶんだよね。そりゃ単に上手く使われてただけのやつならたくさんいたけど。被害者って話なら、まあ何人か」


「三人です。取り急ぎは」


 ……三人か。


「ってなると、思いつくのは柚月とクルミちゃんと……」


「堂前くんです。堂前薫どうまえかおるくん」


「薫ちゃん? でもあんなの、それこそ薫ちゃんの自業自得だろ」


 ぞんざいな言い方になるが、遠慮して取り繕うところでもない。哲郎にとっては大切な友人だからこそ、思うところがある。本人には聞かせられないが。


 などと考えていた矢先である。すぐ近くで「——俺の陰口か?」と割り込む声があったのは。


「薫ちゃん? 奇遇だね」


 廊下側の窓は開いている。話し声は外に筒抜けだった。


 偶然通りがかったのだろう、そこには上背のある男子生徒が立っていた。

 男子生徒は黒縁眼鏡のブリッジを指で押し上げると、ちら、と哲郎の前に座る真魚を一瞥する。ふっ、と鼻を鳴らした。


「相変わらず軽薄なやつだな。逢原さんがあんなことになっているというのに。もうほかの女に乗り換えか」


「薫ちゃんこそ相変わらずしかめっ面だねー。せっかく良い感じの塩顔なのに、もったいないよ」


「黙れ。馴れ馴れしい名前で呼ぶな」


 男子生徒はつっけんどんな態度だ。哲郎は当然、こんなことで怯む性格じゃない。むしろ嗜虐審がくすぐられるタイプである。


「そんなに女の子といちゃつくのが羨ましいなら、だれか紹介してあげよっか? 薫ちゃんのこと良いって言ってる子、けっこういるよ?」


「っ、おまえというやつはっ」


 みるみる間に顔が真っ赤になる。かと思えば、男子性はふっと勝ち誇ったような顔で見下ろしてきた。


「いいのか? そんな呑気に無駄話していて。……さっき柚月がおまえのことを探していたぞ?」


「げっ。マジかよ」


 うへえ、と哲郎は苦い顔になった。


「薫ちゃんなんとかしてくれない? あいつしつこいんだよ」


「知らん。自分でなんとかしろ」


 付き合い切れないとばかりに踵をかえし廊下を去っていく。


「まっ、待ってください」


「真魚ちゃん?」


 その背中を、なぜか真魚が追いかけていった。


 慌てて廊下に踊り出ると、「堂前薫くん!」と律儀に名を呼ぶ。


 薫と呼ばれた男子が振り返る。


「……? きみは」


「わたしの名前は、鍛冶谷真魚といいます!」


「は、はあ」


 突然のことに、彼も面食らっている。

 しょうがない。見かねた哲郎は真魚の隣に並んだ。


「この子さ。転校生なんだ。今朝うちのクラスに来た」


「転校生。……よく俺の名前を知っていたな」


「あっ、あなたに訊きたいことがあります!」


 真魚はまるで切羽詰まった顔つきで、周りがまったく見えていない。「真魚ちゃん待った。ここはとりあえず——」と場を収めようとする哲郎の声も、彼女の耳には届いてはいなかった。


「まだ逢原さんのことは好きですか……!」


「なっ」


 長身の青年、堂前薫が、一瞬にして絶句する。


(おいおいっ)


「真魚ちゃんちょっと落ち着こうか? さすがにいろいろすっ飛ばしすぎだからさ」


「なぜ、そんなことをきみが」


 何人かが教室から聞き耳を立てていたらしい。気づけば、周囲が騒がしい。なんなんだ。この修羅場のような空気は。


「御子柴、おまえが話したのか?」


「へ? ああいや。……ま、まあそんな感じ?」


 その場しのぎに頷く哲郎。

 すると薫はまなじりを吊り上げた。


「おまえは話していいことと悪いことの区別もつかないのか?」


「あー、はは、面目ない」


「……最低だ。おまえは」


 薫は「金輪際話しかけてくるな」と凄むと、今度こそ歩き去っていった。


 苦笑する青年と立ち尽くす少女が、その場に残される。


「……わたしのせいで、哲郎くんが誤解されてしまいました」


「気にしない気にしない。元々薫ちゃんには嫌われてるし」


 薫が消えていった廊下の先を、真魚は呆然とした顔つきで眺めている。教室から少なからず注目を浴びているのもたぶん気づいてはいない。


 哲郎は「んん……」と思案顔で茶髪の頭を掻く。


 そのとき背後で、キュッ、となにか擦れたような音が鳴った。


 嫌な予感がする。おもわず哲郎が振り向くと……案の定、廊下の真ん中には車椅子に座る女子生徒とそれを押す女子生徒、二人の姿があった。


「見つけたわ」


 車椅子に座る短めの髪をした少女が不敵に笑う。車椅子脇のブレーキレバーが引いてある。今のはあれが引かれた音だったらしい。


「探していたわよ。御子柴くん。さあこっちよ。戻ってらっしゃい」


「……まためんどくさい奴が来た」


 小犬を呼ぶように手招きしたあと、少女は目にかかる前髪を手で払う。妙に演技臭い仕草だ。以前顔を合わせたときよりは髪が伸びたか。真魚よりもさらに小柄な身体をした少女は、襟足を長めに残したウルフカットの髪型をしていて、車椅子のうえで頬杖をついていた。


「……柚月麻綾ゆづきまあやさん」


 真魚が呟く。柚月麻綾。真魚が口にしていた名前のうちの一人だ。


「そちらは、御子柴くんの新しい愛人かしら?」


「そこはせめて彼女だろ」


「おかしいわね。御子柴くんの本命はこのわたしのはずなのに」


「おまえさあ……。マジでそーゆー思ってもないこと言うのやめろよ、キモイから」


 うへぇ、と哲郎は自分の両肩を抱く。


「冗談ではないのだけれど。……まあいいわ。さあ。こんなところで油を売っている暇はないわよ。ついていらっしゃい」


「どこにだよ」


「空き教室を用意したわ。今日は演劇部のミーティングだもの」


「はああ?」


 なにを言っているんだ。


「演劇部は廃部しただろ」


「まさか。廃部なんて、そんなわけないでしょう? 演劇部はほかでもない、朔さんがつくった部なのよ?」


「いやいやいや。もう部員全員辞めたってのに、なに言って」


「……どうして」


「真魚ちゃん?」


 真魚がひどく困惑した表情をしている。「どうして柚月さんが、朔さんの車椅子に……?」と、こちらを見上げてきた。哲郎は頬を掻く。


「事情があってさ。あとで説明するから」


 相変わらず麻綾は微笑みを張り付けたまま。

 さてどう収集をつけたものかと、哲郎は思案する。


 一方、哲郎の横顔を見上げていた真魚だったが……、ふと、哲郎の姿越しになにかを目撃したらしい。真魚が眉根を寄せ、じっと一点を凝視する。やがて、はっと息を呑んだ。


「あれは——」


 呟き、一目散にその場を駆け出す。


「ちょ、ちょっと真魚ちゃん? どこに」


 脇目も振らず飛び出していく真魚。一体どうしたんだ?


 哲郎は廊下の窓ガラスに視線を転じる。そして真魚が見つめていた先、窓ガラスの向こう——、遠く反対側の校舎の屋上に、一人の人影がちらついた。あれは……。


「よそ見をしていないで話を聞きなさい。御子柴くん」


「悪い柚月、それどころじゃなくなった!」


「え? ちょっと! 待ちなさい!」


「また今度相手してやるから!」


 事によっては急ぐ必要がある。哲郎は走り出した。






 逢原朔はかつて屋上をプライベートスペースとして利用していた。

 どこで手に入れたのか屋上のスペアキーを隠し持ち、気が向くと哲郎に車椅子を引かせては屋上を訪れた。なにをするでもなかったが、彼女にとっては特別な、お気に入りの場所だった。


 真魚の後を追い、哲郎は屋上へ続く階段を駆け上った。当時はよく朔を抱きかかえ、ここを上ったものだ。一人で上るならさらに身軽に、屋上まではあっという間だ。勢いそのまま分厚い扉を開け放つ。


 外は曇り空だった。無骨な鉄柵フェンスによって遮られた屋上スペースは、今は春風も踊らないどんよりとした生温かさだけがある。胡桃沢硝子くるみざわしょうこは、そんな寂しい屋上の端で、不良生徒らしく煙草を吸っていたらしい。


「やめてください!」


 哲郎が屋上に到着したとき、ちょうど女子生徒ふたりは取っ組み合いの最中だった。真魚よりも頭一つ分背が高い硝子は、やや色落ちした濃いめのネイビーブルーに染めた長い髪をひるがえし、奪われた煙草を取り返そうとしている。


「なんだよ急に! つーかだれ!」


「わたしは鍛冶谷真魚です! 今朝転校してきました! よろしくお願いします!」


「わけわかんない……!」


 片方の耳にピアスをした派手な硝子と、折り目正しい優等生然とした真魚のキャットファイトが目の前で繰り広げられる。一体、なぜこんなことに……。


「しつこい! いいから返せよ!」


「ダメです! こんなことは、もう辞めるべきなんです!」


 対格差は歴然だが、真魚は必死に抵抗している。掴み取った煙草を取られまいと伸ばした腕を懸命に振り乱す。煙草の先はまだ火がついているのか煙をくゆらせていた。これは、マズいか。哲郎は肝が冷えるのを感じ、仲裁に急ぐ。


「ふたりともストップ! 危ないから!」


 余裕の失うふたりに聞く耳はない。両者揉み合い、もつれ、間もなく揃って体勢を崩した。——ぐらり、と。崩れゆく真魚の身体を、哲郎はすんでのところで抱きかかえる。二人分の体重がのしかかるも、なんとか支え、受け止めることに成功した。どうやら最悪の事態は回避できたらしい。


「あッ、ツッッ……‼」


 気を緩めた矢先、不意に走る鋭い痛み。

 目元の一点を襲う、焦がすような激しい熱だった。


 真魚の持つ煙草の先が、思い切り、哲郎の顔に押し付けられたのだ。


「っ、す、すみません……‼」


「ちょっと御子柴、大丈夫⁉」


 激痛に耐えかね、哲郎はうずくまる。


「哲郎くん!」


 真魚が酷く血相を変えた。


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