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(17)輪郭をなぞるように


『屋上の鍵ってどっかに隠してあったりする?』


 屋上への道中、ダメ元で硝子にメッセージを送った。

 すると数秒経たず返信がかえってくる。


『屋上扉の前。引き出しの中』


 先に質問したのは哲郎だ。だが、この返信の速さは予想外だった。今まではどんな文面を送ったところで無視が常だったのに。硝子の態度が少し軟化したことを哲郎は感じた。ところで、


「引き出し」


 とはなんだろうか。


 そう思いつつ哲郎が最後の階段を上り切ると、屋上扉の手前のスペースに、使われていない学習机が何台か放置されていた。——これか。得心がいき、哲郎はさっそくしらみ潰しに覗き込んでいく。まもなく、とある一台の机のなかに『屋上』と札がかかった鍵が見つかった。


 屋上扉を開ければ、晴れ晴れとした青空の下、鉄柵フェンスに囲まれた屋上スペースが目の前に広がった。雲一つない快晴の空。高所を吹きすさぶ風は割合、生暖かいものだ。夏の気配が迫っている。


「久しぶりね。ここにくるのは」


 屋上の中央まで進み、少女が静かに空気を吸う。

 いつもはひざ丈のスカートが今日は少し短い。風が吹き、大きくめくれ上がった裾から黒いタイツに包まれた太ももまでが覗く。いつもなら無遠慮に目に焼き付けていた哲郎だが、今はなんとなく悪い気がして目を逸らした。


 グラウンドから、カキンッ、と金属バットの快音が響く。吹奏楽部の練習音は今日は聞こえない。体育館ではバスケ部が駆け回っていることだろう。おそらく演劇部もひっそりとどこかで。みんな、目まぐるしい日々の一瞬を懸命に過ごしている。

 だからだろうか。屋上の、この空間だけが、まるで外と隔絶されたかのよう。ふたりの立つ場所はまるで時間の流れが遅く、静かで、異界じみている。


「なにをしているの、哲郎? さっさと指輪を探してくれるかしら? きっとどこかに落ちているでしょうから」


 哲郎は立ったまま動かない。


「どうしたの? まさか反抗期? もう一度お灸を据えないといけないかしら」


「なんか、今日はずっと必死だな」


 少女が柳眉りゅうびを寄せた。


「そうかしら?」


「ああ。余裕がないな。少なくともおれは、こんな逢原朔は見たことがない」


「いくらわたしでも、焦ることぐらいはあるわよ。そうでなくとも『ノアズリング』は危険な代物なのだし。早く取り戻しておかないといけない。前にも言ったでしょう?」


 仮面を張り付けたような微笑みを、哲郎は半眼でにらんだ。


「その笑い方。悪企みしてるときの朔にそっくりなんだけど」


「悪企みね。たとえば、どんな?」


「たとえば、そのまま真魚ちゃんの身体を乗っ取ろうとしてる。とか」


「馬鹿馬鹿しいわね」


「じゃあ」


 もしくは、そう、


「真魚ちゃんの記憶ごと、もう一度元の身体に戻ろうとしてる。とか」


 少女は、今度は微笑みもしなかった。無表情でなにも言わない。

 沈黙はときに雄弁だ。哲郎は的中したことを悟る。


「前に、おれが真魚ちゃんを元に戻せるかって訊いたときさ。おまえ、しれっと肯定してたけど、絶対嘘だろ。魔法の指輪とかなんとか言ってるけど、そんな都合のいいことができるんなら、もうとっくに真魚ちゃんがやってるはずだ」


「ふふ」


 観念したような笑みだった。


「哲郎のくせによく考えたじゃないの。ご褒美に足でも舐めさせてあげましょうか?」


「それは真魚ちゃんの許可を取ってからだ」


「変態って度し難いわね……。死ねばいいと思うわよ」


「どの口が言ってんだどの口が」


 もう誤魔化されない。哲郎の決意が伝わったか、やがて、少女は、その瞳とおなじ色をした青空を仰ぎ見た。


「この状況も、もう飽きてしまったもの。それなりに新鮮で、刺激的な体験ではあったけれど。それだけよ。やっぱり元の身体が一番ね」


 常軌を逸した飽き性。それが逢原朔だ。


「仮にそうなったら、真魚ちゃんはどうなるんだ?」


「さあね。知らないけど。たぶん今も病院で眠っているわたしの肉体のように、空っぽになるんじゃないの?」


 事もなげに言う。

 やっぱり、と思った。それが聞けて良かったすら。哲郎のなかで、ある一つの確信が固まった瞬間だった。


「だったら、なおさら渡すわけにはいかないな」


「あら? 飼い犬のくせにご主人様に反抗するというの?」


「君はおれの主人じゃないよ」


 そのときだった。目の前の少女の余裕に、明確な綻びが生じたのは。


「あなた……」


「前提が間違ってる。たぶん、最初からだな。だって、そうだろ?」


 先を制し、刃物の切っ先を突き付けるように。


「君は逢原朔じゃない」


 真っすぐ、告げた。


「なにを……」


 哲郎はわざとらしく肩をすくめ、


「ずっと。変な感じがしてたんだ。だからこの何日間か、考えてた」


「……」


「んで。さっきようやく結論が出たんだ。君はやっぱり朔じゃない」


 朔はふっと嘲笑ちょうしょうじみた表情を浮かべる。「あなたってそんなにお馬鹿さんだったかしら?」と。だが哲郎は怯まない。「馬鹿はそっちだろ」と哲郎は間を置かずして返した。


「大体さ。なんで訊く必要があるんだよ? 真魚ちゃんがこの数週間、どこ行ってたとかそんなこと。おまえがほんとうに真魚ちゃんの記憶を飲み込んだって言うならさ、おれなんかに訊かなくたって、一人で探せるはずだろ」


「そんなの言葉の綾よ。目に見えないものを完璧に説明しろだなんて土台無理な話でしょう?」


「屁理屈って言わないか、それ」


「筋は通っているでしょう?」


「……まあいいけどさ」


 これは水掛け論だ。無駄なことだ。哲郎は、気を取り直すように咳払いを一つ。そしてあえて余裕を示すように腰に手を当て、「おれとしては、こう思った」と片方の腕を真っすぐ伸ばした。


「今もそこで、真魚ちゃんは戦ってるんじゃないかってさ」


 突き付けた人差し指の先には、鍛冶谷真魚の姿をした少女。


「戦ってる? 一体なにと?」


「逢原朔とだよ」


 少女から表情が失われる。


「希望的観測ね。あなたがそう思いたいだけではなくて?」


「ちげーよ。だって……ほら」


 哲郎は学生ズボンのポケットに手を突っ込む。

 やがて取り出したのは——青く光るガラス細工の小さなリング。青い指輪。

 それは紛うことなき『ノアズリング』だった。


「なぜ……あなたが持っているの」


「真魚ちゃんの家に行ったとき。おれ袋持ってってたでしょ。ドーナツが入ってたやつ。帰り際に、持って帰れって真魚ちゃんに渡された」


 哲郎の語る内容に、少女はまるで初めて知ったように聞き入っている。


「その袋だよ。あとで覗き込んだら、これが入ってた」


 なぜ、どうしてこの指輪が袋に入っていたのか。

 結論は一つしかない。


「真魚ちゃんなんだろ? 入れたの」


 あの日、真魚は哲郎に帰れと急かし、菓子の袋を強引に押し付けた。指輪を忍び込ませるタイミングはあのときしかない。


「こうなること。真魚ちゃんはわかってたんじゃないの? この指輪を持ってたら危険だって思ったから、おれに預けたんじゃないの?」


「返しなさい。それは元々わたしのものよ」


 凄まれるが、哲郎は軽薄に笑う。


「だったら力づくで奪ってみろよ。まあ、どうせ真魚ちゃんの非力な腕じゃムリだろーけどさ」


「死ぬほどムカつくわね。わたしにここまで無駄足を踏ませたことにくわえてこの屈辱。タダじゃおかないわよ?」


「脅してもダメだ」


 朔の、真魚の額に汗がにじみ始めていた。

 どれだけ表面を取り繕っても、隠せないものは隠せない。


 今目の前の少女のなかで、どんなせめぎ合いが起こっているのか。想像もつかないが、きっとそこで哲郎のよく知る真面目な少女が戦っているはずだった。


「わかったわ。ならもうこの子のことは諦めるから。せめてわたしの記憶だけ元に戻させて。そうすれば、この子もわたしの記憶で苦しむことはないでしょう?」


 だからこそ、自分が支離滅裂なことを言っていることにも気づかない。


 少女が青ざめた表情で、さあ、と手のひらを差し出す。


 哲郎はそれをじっと見つめながら、静かに決心を固めた。


 くるり、とその場で百八十度回り、少女に背を向ける。哲郎は手のなかで指輪をぎゅっと握りしめた。固い感触が肌に食い込む。ややあって、その腕を大きく振りかぶる。気分はマウンドに勇敢に立つピッチャーさながら。


 そしてやたら美しいフォームで「よいしょおお‼」哲郎は叫ぶ。瞬間、腕を振り抜き、指輪を投げ放った。


 目にも止まらぬ速さ(だったかどうかはわからないが)で飛んでいく指輪は、瞬く間に——屋上扉へと激突した。


 魔法の道具なんてのは名ばかりか。青い指輪はいとも容易たやすく砕け散る。パキンッ、と思ったよりも爽快な音を立てて。


 跡形もなく破壊されたガラスの残骸は、妙に神秘的な青い光の粒となって、屋上を吹きすさぶ風に運ばれていく。儚くも美しい春の終わりを告げる光景のようにも思えた。


「おれってさ。実はその昔少年野球に入ってたこともあるんだぜ。けっこう評判のいいピッチャーだったんだ。すぐ辞めたけど」


「なぜ……」


「なぜって、そりゃ監督がウザかったからだよ」


「そ、そうじゃないわよ!」


 信じられないとばかりに一歩踏み出した途端、「うっっ……‼」少女の顔がひどく歪む。「っ、ぐっ……」苦悶の表情で頭を押さえ、その場にへたり込んだ。


 そんな少女を見下ろし、哲郎は言う。


「いい加減気づけよ。逢原朔は、もうどこにもいないんだ」


「ハッ……! なにを言っているのかしら」


 苦悶に喘ぎながら、それでも少女は虚勢を張る。


「じゃあ訊いてあげるけれど。あっ、あなたには今、このわたしが一体だれに見えるというのかしら?」


「そりゃ、真魚ちゃんだよ」


 哲郎は即答し、


「真魚ちゃんだよ」


 もう一度、続けた。


「ねぇ、真魚ちゃん。君はさ。おれたちのことを朔の被害者だって言うけど。おれには真魚ちゃんが一番の被害者に見えるよ。……おれたちなんか揃いも揃って自業自得で。ほんと、どうしようもない奴らばっかりだけど」


 ぐったりと緩慢な動きで少女が顔を上げる。汗ばんだ額に前髪が張り付いている。


「でも真魚ちゃんは違うでしょ。逢原朔とはなにも関係ない。赤の他人だ。なのにずっと張り詰めて、一番苦しそうで。そんなのおかしいって」


 徐々に、少女の声は萎んでいく。


「で、でも……だって」


 凛然とした声が跡形もなく消えて、ただか細く震えた、少女の声になる。


「わたしのせいで、みなさんがあんなふうに……」


「クルミちゃんが言ってたこと覚えてる? 真魚ちゃん」


「ぇ……?」


「ありがとうってさ。言ってたじゃん」


 指輪よりもずっと綺麗な、少女の青い瞳が弱々しく揺れている。


「クルミちゃんだけじゃないよ。瑠璃ちゃんも、薫ちゃんも、柚月も、ミモリンも、みんな言ってたんだ。ありがとうって。真魚ちゃんに」


「でもそれは、わたしのなかの、逢原さんがやったことで」


「それは勘違い」


 大きな、勘違いだ。


「考えてもみなよ。あの逢原朔が、ほんとうにあんなことすると思う? 柚月のためを思って叱って、薫ちゃんを背中を押してやるために激励して、クルミちゃんを楽にさせるために話をしたりして。そんなこと。あの性悪がやるわけないって」


 あり得ないのだ。そんなことは。

 だとすれば、だれの意思がそれを行わせたのか。

 そんなのは明白だった。


「真魚ちゃんだよ。今もあのときも。真魚ちゃんは真魚ちゃんなんだよ」


「わたしは……」


「だから、朔の記憶なんかに負けないでくれよ」


 お願いだからさ。と哲郎は付け足した。


 支えを失った人形のように、不意に少女の身体がくずおれる。


「おっと」


 哲郎が肩を支えると、少女の身体は汗でぐっしょりと濡れていた。


「大丈夫? 真魚ちゃん?」


 哲郎が顔を覗き込む。

 色を失い、ぐったりとした少女。その口元がふっと緩む。


「……前から、思ってたんですけど」


「ん?」


「初対面の女性にちゃん付けは……ちょっと引きます」


 意表を突かれ、哲郎はぱちぱちと瞬きを繰り返す。


「マジかよ」


 少年の腕のなかで、少女は眠るように気を失った。


 

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