(16)ぼくたちわたしたちの茶番
後日から本格的に指輪探しを始めた。
ここ数週間で真魚が訪れた場所をしらみ潰しに回っていく。最近はずっと真魚と行動をともにしていた哲郎だ。記憶にある場所だけでも幾つかあった。「事態は一刻を争うわよ」と、まったく緊迫感のない口調に急かす少女は、なんと今日一日ですべての場所を回るつもりらしい。
「まさか、学校まで休まされるとは」
「出席日数なんて後でいくらでも埋め合わせできるでしょう。今は一分一秒が惜しいの」
登校日の午前中から制服姿で集まったふたりは、覚えのあるバス停でバスを降りた。しばらく進み到着したのは、胡桃沢硝子の家だった。
インターホンを押せば反応があり、玄関扉がすぐに開く。さて。出迎えは両親か、それとも硝子か。
「お久しぶりです。御子柴さん。鍛冶谷さん」
「瑠璃ちゃん? なんでいんの? 今日登校日だよね?」
予想外にも現れたのは硝子の妹。胡桃沢瑠璃だった。「それはわたしの台詞ですけど……」としゃがれた声で言いつつ、コホンッと咳をする。白いマスクが、瑠璃の顔を覆っている。
「風邪引いてるの? それならわざわざ出迎えなくても」
「両親が仕事で。今はうちにはわたししかいませんから」
「瑠璃ちゃんだけ? クルミちゃんは?」
「お姉ちゃんは旅に出ました。しばらく戻りません」
「な、なにそれ」
自分にもわからないとばかりに首を横に振る瑠璃。
気まずい沈黙が数秒、その場を支配した。
「お邪魔するわ」
「えっ? あの、おもてなしを」
「お構いなく。すぐお暇するから。……哲郎。あなたはリビングを探しなさい。わたしは硝子ちゃんの部屋を探すわ」
一方的に指示を下すと、一切の遠慮なく取次を跨ぎ、少女は階段をスタスタと上っていく。その勢いに瑠璃は呆気に取られていた。
「前に会ったときは、もっと礼儀正しい人に見えたのですが……」
「ごめんね。マジで。今だけだから」
「はあ」
せめて自分だけは年長者らしくと、哲郎はつとめて礼儀正しく上がらせてもらった。リビングに案内されると、以前も座った革のソファーに臀部を沈ませる。ぐんと伸びをして、つい欠伸を一つ。
「あの……なにか。探し物があるんじゃ」
「ああ、それは気にしないで。どうせ見つかんないだろうし。瑠璃ちゃんも急に来られてびっくりしたでしょ? ホントにすぐ帰るから、悪いけど少しだけ我慢してね」
「い、いえ。むしろ良い機会でした」
「ん?」
瑠璃は立ったまま「感謝の言葉を言えていなかったので」と言う。
「硝子ちゃんのこと? さっき旅に出たって言ってたけど」
「はい。正式に退学が決まりそうなので。今は時間が沢山あるんです」
「え? 退学?」
寝耳に水だった。哲郎は目を見開く。
「マジかよ。それなら、なおさら感謝なんかされる筋合いないじゃん」
瑠璃は静かにかぶりを振る。
「実はお姉ちゃん、最近ずっとわたしと遊んでくれてたんです。パパとも仲直りして、ママにも謝って。なんか、昔のお姉ちゃんが戻ってきてくれたみたいで」
牙を抜かれた野犬のような硝子が哲郎の頭に浮かぶ。
「そりゃ、よかったね」
「ぜんぶ御子柴さんたちのおかげです」
「おれたちはなんもしてないよ」
「いえ。お姉ちゃんがそう言ってたんです。お二人のおかげで、なんだか気が楽になったって」
あの一連をことを思い出すと、素直に感謝されるのも複雑だ。
瑠璃が深々と頭を下げてくる。律儀な態度で、
「ありがとうございました。お世話になりました」
「よしてよ」
哲郎は頬を掻く。こういうのは、むず痒い。
いつまでも病人に頭を下げさせるのは忍びない。さっさと顔を上げてもらおう、と声をかけようとしたところで、足音が近づいてきた。
「哲郎、あなたちゃんと探した?」
「うん。探した探した。なんもなかったよ」
「……そう。まあいいわ。では次に行くわよ。そこのあなた、妹さんよね? 硝子ちゃんの部屋が散らかっているから、あとで元に戻しておきなさい」
お邪魔しましたの一言もなく、踵を返して颯爽と家を出ていく少女。
「……散らかしたのはおまえだろ」
瑠璃は唖然と立ち尽くしていた。
「マジで。ごめんね。瑠璃ちゃん」
「い、いえ……」
午前から昼過ぎにかけて、隣町の駅周辺を歩き回った。例の、薫とのデートに利用したショッピングモールと繋がった大きな駅だ。
道端や建物の隅々まで目を光らせ、慎重に足を進める制服姿の女子はかなり目立っただろう。他人の視線など意にも介さない彼女はべつとして、哲郎はいろんな意味で神経を使わされた。収穫がなかったのも含めて辛く切ない数時間だった。
「まさか薫ちゃんとのデート場所まで回らされる羽目になるなんて」
「当然でしょう。指輪を落とした可能性のある場所はすべて回るつもりよ」
慣れ親しんだ自分の街まで戻ってくるときには哲郎はすでにへとへとだった。
「それにしても当てが外れたわね。哲郎の話からして、落としているとすれば薫との外出中だと予想していたのだけれど」
「あんときはずっとおれとミモリンが後ろについてたからね。なんか落としたらすぐわかったと思うけど」
「だったらそれを早く言いなさい」
そして。
最後にふたりがやってきたのは、我らが響谷台高校だった。
「なあ、マジで今から入るのか? おれら一応今日は無断欠席中なんだけどさ」
「問題ないわ。わたしは今朝学校に連絡を入れておいたから」
「マジかよ」
(おれだけかよ)
「だから今日は制服にしたのよ」
最初からその予定だったというのか。ならもっと早く言ってほしい。
学校は放課を迎えたばかりのようだった。グラウンドで体操服姿の生徒たちが駆け回っている。爽やかな青空の下、活気づく校庭のなかで、哲郎たちは余所者のようだった。
昇降口で靴を履き替える。その足で、体育館へ。
今から数週間前、真魚は何度か体育館に足を運んだ。滞在時間で言えば大した長さではなかったが、調べない選択肢はないのだろう。少女の歩みに淀みはない。
「ねぇ、体育館は後にしない? たぶん今はバスケ部がやってるよ」
「それは好都合ね」
体育館は案の定、バスケ部が活動中だった。ダンダンとボールが床を叩く音が絶えず響く。気合の入った掛け声がどこかしこでしている。ネットの向こうは今日はバレー部が使用していた。バスケ部はいつもとおなじ手前のコートだった。
少女は体育館に足を踏み入れるや、パンパンッ、と強かに手を叩いた。
「ご静聴しなさい! あなたたち!」
「……マジかよ」
芯のある声が響く。汗だくのバスケ部員たちが、一斉にこちらを見た。全員が動きを止め、面食らっている。真魚は我が意を得たりと微笑んだ。「訊きたいことがあるわ! 一度手を止めて集まりなさい!」間髪を容れず堂々と集合をかければ、困惑した様子の部員たちが集まってきた。
「ご静聴しなさいってなんだよ……」
ぼやきつつ、哲郎はそそくさとコート端へ避難する。
わらわらと集まった部員たちに優雅な声は「ここで青色の指輪を見なかったかしら?」「もし盗んだ者がいるならさっさと自首しなさい」「しらばっくれるなら容赦しないわ」「地獄を見せてあげる」などと一方的にも程がある言い様で聴取を進めている。顧問が不在の間で助かった。
「おい、あれはなんだ」
お手洗いにでも行っていたのか、遅れて体育館にやってきた薫が、少女を囲むバスケ部の群れを横目に訊ねた。哲郎は乾いた笑いをこぼす。
「なんだろうね。ほんとうに」
「なぜおまえが遠い目をしている」
「ちょっと疲れちゃってさ」
むかしから人を振り回すことに微塵の遠慮もないのだ。あれは。
「なにか聞き取りをしているようだが。おまえは手伝わないのか」
「いや、どうせ意味ないし。まあおれもやる気ないって怒られたくないから、一応さっきミモリンにもメッセ送ったんだけど。それも形式だけっていうか」
「意味不明だ」
薫は腕を回し、黒いスポーツメガネのバンドを一度引っ張った。
「おまえと鍛冶谷さんは仲が良いな。いつも一緒にいる」
「そうかな。……真魚ちゃんってさ。優しいけど危なっかしいから。だれかが手伝ってあげなきゃダメなんだよ」
「詳しいことは聞かん。俺も、その優しさに救われた身だからな」
薫は目の前の現実だけを見つめている。表情はやけにすっきりとしていた。
「そう言えば、言っていなかったな」
「なにが?」
「鍛冶谷さんは取り込み中のようだから。代わりにおまえに言っておく」
癪だがな、と哲郎と真正面に向かい合い、
「ありがとう。感謝している」
真っすぐ、そう言った。
薫は照れくさそうに頭を掻き、バスケ部のほうへ戻っていく。
その後は向かいのバレー部にもおなじような真似をし、収穫なしと判断すると即座に体育館を後にした。哲郎もそれについていく。
「どいつもこいつも使えないわね」
「親切に聞いてくれたみんなにそれはないだろ」
たしなめる声にも聞く耳持たず「時間を無駄にしたわ」と吐き捨てた。神様がいるのならこの恩知らずな少女に天罰を与えてほしい。
ぶぶっと、ポケットが震えた。
「おっ、ミモリンからだ」
スマホを確認すると、湯川看森からのメッセージが表示されている。
『指輪の件。演劇部のみんなも見覚えはないみたい』
『力になれなくてごめんね』
看森は律儀にも部員全員に聞いてくれたらしい。
「演劇部もダメっぽいね」
「あっそ」
もはや落胆の様子もなく、少女は苛立ちに逸る足取りで廊下を突き進む。
『あと柚月ちゃんからの伝言です。すごくぶっきらぼうな言い方だったけど。ありがとう、って言っておいてって。鍛冶谷さんに』
『素直じゃないよね』
看森からのメッセージはそう締め括られていた。
哲郎は後半の文章をもう一度じっくりと読んでから、懐にスマホを仕舞った。
昇降口まで来る。少女がうんざりと腕を組み、下駄箱を身をもたせた。
「ほんとうにこれで全部なの?」
「思い当たる場所はもう大体回ったけど」
「まだどこかあるかもしれないでしょう。さっさと思い出しなさい」
「そんなこと言われても」
茶番だ。こんなのは。
これ以上付き合ってやる筋合いはないだろう。
そろそろ種明かししてやってもいい。さてどう切り出したのか。と考える哲郎の顔を、「あら?」と少女がまじまじと見ていた。
「哲郎。あなたその顔の傷はどうしたの?」
「なんだよ。今気づいたのか?」
「火傷痕のようだけれど。もしかして根性焼きでもした? だとしたら惜しいわね」
「なにが惜しいんだよ」
「わたしに任せてもらえればもっとイかした傷にしてあげれたのにと思ってね。ほら。ハートマークとか」
「おれの顔、なんだと思ってんの」
真魚と硝子の初対面時のいざこざを。哲郎は掻い摘んで説明する。
すると少女は光明を見出したかのように微笑んだ。
「なるほど。そこね。ではこれから屋上に行くわよ」
「いや、もうどこ探しても意味ないと思うけど」
「この子と硝子ちゃんがもつれ合ったのなら、指輪はそのとき落とした可能性が高いわ。屋上なら人も寄り付かないし、まだ拾われずに残っているかもしれない」
こうして、屋上へ向かうことになった。




