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(10)白昼夢のような


 週初めの月曜日。

 哲郎が登校すると、どこからともなく「堂前薫が暴力事件を起こした」という噂が聞こえてきた。あの三人のうちだれかが言いふらしたのか。全員でこぞって広めているのか。


 案の定、その噂はすぐ教師たちの知るところになり、薫は部活での活動を禁止された。バスケ部の顧問からおとがめがあったらしい。


 この仕打ちに真魚は怒り心頭だった。


「どうして堂前くんだけが咎めを受けるんですか? 先に突っかかってきたのは椿くんのほうじゃないですか」


「先に殴っちゃったのは薫ちゃんだよ」


「納得できません。……哲郎くん。一緒に直訴じきそしましょう。顧問の馬場先生は二年の担当だったはずですから。教室で待っていれば来るはずです。ほら。早く」


「えー」






 **






 一日が過ぎ、二日が過ぎ、四日が過ぎた。

 そして金曜日の昼休み、突如真魚は薫から呼び出しを受けた。


「すまない。しばらく考えさせてもらったが。やはり君の気持ちには応えられない」


 体育館裏へおもむけば、開口一番、謝られた。


「えっと……」


「俺は逢原さんを忘れられない。半端な気持ちで君の誘いに応じてしまったこと。あらためて詫びさせてほしい。ほんとうに申し訳なかった」


 薫が深々と頭を下げる。


 真魚はただ首を傾げ、立ち尽くす。

 憐れな少女の肩に手を置き、哲郎は微笑みかけた。


「ドンマイ真魚ちゃん。まあこういうのも、経験のうちだよ」


「なぜわたしがフラれたみたいになってるんですか?」


「混乱してるんだね。わかるよ。それだけショックだったんだ」


「いえそうではなく」


「泣きたいなら、胸くらいは貸してあげるから」


「その顔ウザいです」


 果てしなく納得がいかない真魚だった。


「んで? 薫ちゃん部活はどうすんの? 今は謹慎中なんだよね?」


 ここへ呼び出されたのは真魚だ。哲郎はまるきり部外者であるが、無関係ではない。その証拠に哲郎が勝手についてきたことを、薫は責めなかった。


「バスケは……やらない。少なくとも逢原さんが目覚めるまでは」


「退部するってこと?」


 気負いのない頷きが返ってきた。


「いつ朔が目覚めるかもわかんないのに?」


「待つさ。いつまでも。それしかできない」


 気のせいか、どこか諦めたような微笑みだ。


「みんな朔のこと好きすぎだろ」


 哲郎は浅く息をつき、独り言ちた。

 気を取り直した真魚が、咳払いを一つ挟み、言う。


「堂前くんの気持ちはわかりました。でも今日ぐらいは、部活に行ってください」


「なに言ってる。俺は今謹慎中で」


「先日哲郎くんとともに顧問の先生へ直談判しました。堂前くんだけが咎めを受けるのはおかしいと。当日同席していたわたしたちから、あらためてなにがあったのか伝えさせていただきました」


「なんだと」


「そして今日先程、椿大希くんも、自分に非があることを認めたようです。馬場先生からは『今日から復帰していい』と堂前くんに伝えてほしいと頼まれました」


 薫は寝耳に水といったふうだった。


「だから。辞めるにしても、今日は参加してください。そうじゃないと、わたしたちの助力も水の泡です」


 上手い言い方だ。責任感の強い薫には効果てきめんだろう。まあ、真魚にはそんなつもりはないのだろうけれど。


「……わかった。善処しよう」






 放課後、哲郎たちが体育館を訪れると、バスケットボール部は練習試合の最中だった。部員内で五人ずつに分かれた両チームがボールを争い駆け回っている。薫はオレンジ色のゼッケンを着たチームに参加していた。


 顧問に見学の許可を取ると、哲郎たちは壁際に移動する。


「結局おれたちにはどうにもできないんだよ」


 残念だけどさ、と哲郎は練習試合を眺めながら言った。


「前にも言ったけどさ。どこまでいっても、ぜんぶ薫ちゃんの自業自得なんだ。真魚ちゃんは朔の被害者だっていうけど」


「……」


 真魚はなにも言わず、ただ唇を引き結んでいる。


「まあきっと朔は、薫ちゃんのそういう惚れやすいところに付け込んだんだろうけど。ぶっちゃけこういうのって、惚れたほうが負けじゃないか」


 ボールが緩い放物線を描き、綺麗にゴールのなかに収まる。「ないすー!」ゼッケンを着ていないチームがハイタッチをし合う。よく見ると、掛け声をしたのは先日ひと悶着あった椿大希だった。顎の下あたりにガーゼをしている。


「だからまあ、関係ないおれらがしてやれることなんかないんだよ。薫ちゃんもさ、朔が目覚めたらって、言ってたでしょ? たぶんそんときにちゃんと気持ちを伝えるんじゃない? 知らんけどさ」


「そんな、他人事ひとごとみたいに」


「だから他人事なんだって」


 知ってしまったからには無視できない。以前真魚はそう言った。ありがた迷惑だとわかっていて、お節介をすると決めたのは真魚だ。その気持ちは尊重してあげたい。けれど、おなじくらい哲郎は薫が悩んだ末に決めたことも尊重してやりたかった。


「十分やったほうだよ。こうやって薫ちゃんが最後にケジメをつけられるのも、きっと真魚ちゃんのおかげだ」


 部員らがもつれた拍子に、ボールがあらぬ方向へ転がっていく。

 オレンジのゼッケンを着た男子がすかさず走る。ラインギリギリでこぼれ球をキャッチした。


「堂前!」


 イレギュラーな状況に敵ディフェンスも一歩追いつかない。ゴール前はほぼフリーだった。好機だ。パスをもらった薫がドリブルで切り込んでいく。

 鮮やかなステップから、長い足のバネを活かした大きな跳躍。レイアップシュートの要領で薫はゴール目がけ、ボールを放つ。


 しかし、ゴールに収まる直前、ボールを叩く者がいた。後ろから迫っていた、椿大希だ。弾かれたボールはあえなくライン外へ転がっていく。


(……目の敵にされてるなあ)


 立ち尽くす薫の横を、大希が通り過ぎていく。すれ違い様、彼をあざけるように、ふっと鼻で笑った。薫が唇を噛み締める。


「どっちみち。この部に居続けんのはキツいでしょ」


 くすくす、と声がした。見やれば、コート端で待機する部員の何人かが、薫を指差して笑い合っている。


 ほんとうに強豪校か? と哲郎はあきれて声も出ない。


「不愉快ね」


「え?」


 ため息混じりにそう呟いたのは、真魚だ。


「……真魚ちゃん?」


 真魚の表情は、どこか平常とは違っていた。子猫を思わせる童顔はそのまま、煩わしそうに柳眉を寄せ、羽虫でも払うかのように三つ編みの髪を手で払う。

 すぅ、と息を吸った。


「いい加減見苦しいわよ! 薫!」


 体育館に響き渡る。芯のある声。


 ゴール下で息を切らしていた薫が、ぎょっとして、こちらを振り向く。


「そうやってまぬけな顔を晒して。悩んで。いつまでもうじうじと。無い頭でいくら考えてもどうせ無駄よ! 薫のくせに賢くなったつもり⁉」


 薫の顔はまるで呆けているようで。

 哲郎も似たようなものだったかもしれない。


「わたしが目覚めるまで待つですって? 笑わせるのも大概にしなさい。一体それが、わたしになんの利益をもたらすというの! そろそろ気づきなさい! 後ろめたさに自分をごまかして、どれだけ取り繕って格好をつけても、愚浅な自分の本性は隠せないわ。それでも省みないのなら、あなたは犬以下!」


 コート内が静まり返っている。試合中の選手も、ほかの部員たちも、顧問の教師も、一斉に言葉を失い、真魚が発する気丈な声に耳を傾けている。


「迷惑だと言っているの! わたしを逃げる言い訳にされるのも! あなたの気持ちも!」


 薫が大きく目を見開く。


「好きにしなさい! 無邪気に走って、ケダモノらしく駈けずり回って、そこの低能どもとおなじように!」


 気高く、ブレなく、ただ孤高に力強く。


 舞台上でスポットライトを浴びる女優さながらの佇まいで、真魚は「あなたにはそれがお似合いよ!」と凛然と言い放った。


「堂前!」


「っ……!」


 停止していた時間が動く。油断なんてものじゃない。すでに全員が隙だらけだった。どこからかボールが放られ、薫の手中に収まる。

 我に返った薫が、いち早くスタートダッシュを切る。


 完全なフリー。唯一椿大希は反応したが遅い。薫は静寂のコートを一人ドリブルで駆け抜ける。そしてスリーポイントラインの上、軽やかにシュートを放った。

 ボールが山なりに弧を描く。見惚れるような美しい放物線。


 やがて、ゴールの内側へ。スパッと爽やかな音を立てて、それが収まった。


「な、ナイスシュート!」


「ど、堂前ナイスー!」


 現実が追い付くかのように、選手らの声。

 駆け寄ってくるチームメイトたちと、薫はぎこちないハイタッチをする。哲郎も「か、薫ちゃんないすー」と控えめに声援を送る。


「あの。……真魚ちゃん?」


 真魚は、放心状態のようだった。さっきまでの引き締まった表情はどこへやら。いろんな安生が綯い交ぜになって、整理がつかず、顔色を失っている。数秒前とは、別人かのようだ。


 ふと、薫がこちらを見ている。


「っ」


 目が合ったのだろう、真魚がびくりと動揺する。


 薫は、ふっと相好そうこうを崩すと、一度頭を下げた。やがて顔を上げ、試合へ戻っていく。


 一瞬だけ見えた、

 どこか晴れやかな薫の表情だけが、ひどく鮮明に残った。


 

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