(9)まだ宙をたゆたっているんだ
カラオケを出ると時刻は五時過ぎだった。
予定では、とっくに解散になっている。だが今のところ、なんの成果も得られていない。真魚もそれはわかっているのだろう。「す、少しゆっくりできるところに行きましょう」とぎこちなく提案した。
近くのファミレスに入る。そして通路を挟み隣り合う二つのテーブルに、それぞれのカップル(一方は男同士だが)で分かれて座った。
真魚は気持ちを切り替えたようだ。懸命に薫へ喋りかけている。だが薫は辟易として、上手くはいっていない様子だ。がむしゃらな真魚には、こういった腹の探り合いじみた真似は向いていないのだろう。
ダメだこりゃ、と哲郎は早々に見切りをつけた。
「そういえばミモリン。柚月のほうはどんな感じ?」
メロンソーダを飲んでいた看森が、ストローから口を離す。
「べつに興味なんかないんだけど。まあ訊かないのもアレだし」
「あはは……そんなふうに言わなくても。わかってるよ」
看森は困ったように笑い、眉尻を下げる。
「おかげさまで。車椅子も辞めて、リハビリも始めたみたいだよ。でも、まだいろいろと悩んでるみたいで。不安な顔をすることが増えたかも」
「あいつも一端の人間らしくなれたってことかな」
「元から人間だよ。……でも前までは悩んでる素振りすらなかったから。こう言っちゃなんだけど、今の柚月ちゃんを見てるとちょっと安心する。御子柴くんたちのおかげだね」
「あのウザさがちょっとでも減るんなら万々歳だな。……で、ミモリンは? これからどうすんの?」
「僕も、まだ力を貸すつもり。柚月ちゃん、演劇部も続けるみたいだし」
「お人好しだな」
哲郎は湯気立つホットコーヒーに口をつける。そしてテーブルに肘をつき、少し体をだらんとさせた。看森は「あはは」と苦笑するだけ。
カラン、とベルの音が鳴る。来客を報せる音だ。
入り口に、若い青年が三人立っている。三人とも私服姿だ。ガタイが良く俊敏そうな感じがする。彼らは店員の案内を受け、哲郎たちの近くのテーブルに座った。
(あいつら、なんか見覚えが……)
「あれ、バスケ部の人たちだね」
「やっぱり?」
「うん。一番背が高いのが、おなじクラスの椿大希くん。ほかのふたりは苗字しか知らないけど、宮田くんと吉川くんかな。みんな二年だね」
ということは、薫の同学年の。
「嫌な予感がするな……」
このニアミスはかなり歓迎しがたい。
そして悪い予想というものは大抵、当たるものである。
「あれ? 堂前じゃね?」
三人が、近くに座る薫の存在に気づいた。
「おいおい。マジじゃん」
「うっわ。しかも女連れ」
三人のうち、ふたりがニヤニヤと額を突き合わすように囁き合う。やがて、どっと吹き出すような笑い声が上がった。
だがもう一人、茶髪の男子の様子が違った。険しい顔で腕を組み、じっと薫を凝視している。その男子が、やおら立ち上がる。
そして、彼らのテーブルの前まで行くと、薫を見下ろした。薫が驚く。
「大希……」
「結局なんも変わんねーのな。おまえ」
大希と呼ばれた男子は、鼻白んだ表情だ。
「逢原がいなくなったかと思えば、もう次の女かよ。真面目な顔して結局、裏じゃ節操なく盛ってんのな。失望したわ」
容赦のない、苛烈な言い草だ。
薫はしかし、ただ黙って耐えている。
「ヤリチン野郎が。キメーんだよ」
「なっ!」
黙っていられなかったのは、真魚だった。
「謝ってください! 今の言い方はひどすぎます!」
「事実を言ってるだけだろ」
「違います。堂前くんは、そんな人じゃありません」
真魚は立ち上がり、毅然とした態度で反論した。
「堂前くんは誠実で、熱意のある人です。たしかに少し異性に弱いところはあるかもしれません。けれど、それがバスケの情熱に負けているとは思いません。わたしは今日話していてわかりました。堂前くんの熱量は本物です。馬鹿にしないでください」
「鍛冶谷さん」
「ハッ」
大希が一笑に付す。後ろの席で野次馬よろしく身を乗り出している仲間たちへ「おい聞いたか? 誠実だってよ! こいつが!」と煽る。男子たちが、くすくすと馬鹿にしたように笑う。
「冗談だろ。女の尻追いかけてバスケの夢を捨てたこいつが。情熱かどうとか」
「……どういうことですか」
「どうもこうもねーよ。あんたのカレシはな。中学んときまでは全国で優勝目指すぐらい暑苦しいヤツだったんだ。それが……高校に上がった途端だ。急に好きな女ができたとかワケわかんねーことホザいて女のいる部に入りやがった」
「え?」
「信じらんねーだろ」
真魚をして、それは初めて聞く内容だったようだ。
「俺もほかの奴らも知らなかったんだ。まさかこいつが、女が大好きでしかたねーナンパ野郎だったなんてな」
「そ、そんなことは」
「言っとくけど嘘じゃねーぞ。その証拠にあの女がいなくなったら今度はすぐこっちに戻ってきたんだ。今更バスケがやりてーとか。どのツラ下げて言ってんだよ」
聞き耳を立てる哲郎も、この内容には少し驚いた。薫が惚れっぽい性格なのは知っている。だが朔のためにバスケの夢を諦めるほどだったとは。
「そんで今はべつの女とお出かけとか。どんだけだらしねーんだよ。……あんたも気をつけたほうがいいんじゃねーの? こいつマジでたらし野郎だぞ」
難儀な性格している。薫も。真魚も。
「わたしの意見は変わりません。堂前くんはあなたが言うような人じゃない」
真魚の頑なな言い分に、椿大希はひどく顔をしかめた。「話聞いてたの? こいつは女を」と言いかけるのを遮るように、真魚が言葉を重ねる。
「だれがなんと言おうと、堂前くんが誠実な人であることに変わりはありませんよ。椿くんでしたか? あなたは堂前くんが簡単に夢を捨てたように言いましたが、演劇部をしながらバスケ部を続ける選択だって、あったはずですよ。それをしなかったのは、堂前くんがバスケに対して真摯だから。中途半端をしたくなかったからじゃありませんか? こうしてあなたに好き放題言われても、一言だって言い返さないのも、ちゃんと自分の行いを反省しているから。あなたたちになにを言われても、受け入れるしかないと思っているからじゃありませんか」
大希は苛立ちを隠さず、舌打ちをくれた。
「そいつなんか信じても裏切られるだけだ」
「信じているのではありません。——知っているんです」
ヒートアップしてきた。そろそろ止めるべきだろう。こんなファミレスで喧嘩なんかして大事になっても馬鹿馬鹿しい。
「んだよ。結局両想いってわけか。キメーんだよ。こいつもあんたも。どーせ二番目の保険の女なくせして肩持ちやがって。だいたいおまえなんかが一体なにを知ってんだよ。言い返すならもっとマシなこと言えっつの。チビが」
「おーい。そのへんで」
哲郎が仲裁のために立ち上がる。その瞬間だった。
薫の拳が、大希の顎先を捉えたのは。
(……マジかよ)
容赦のない一撃だった。あまりに突然で目が追いつかないほど。
気づいたときにはもう、薫の長い腕が振り抜かれ、大希の身体が傾いている。まぬけな人形劇よろしく大希はその場で見事に一回転。——ばたり、とファミレスの床にくずおれた。
「だ、大希!」
仲間たちが血相を変える。冷酷な顔つきで、見下ろす薫。開いた口が塞がらない真魚。そして、床の上で寝そべっている椿大希くん。
哲郎は頭を抱えた。
結局大事になってしまった。
近くの店員に深々と謝罪し、ほかふたりの男子部員に軽く詫びを入れたあと、哲郎は三人とともに慌ただしくファミレスを出た。駅近くの公園まで逃げる。やや憔悴している薫を木製ベンチに座らせ、いったん一息ついた。
「逃げてきてよかったのでしょうか? 椿くんも、あのままで」
「ほかのふたりがなんとかするでしょ。知らんけど」
「そんな無責任な」
「いいよなんでも。どうせあとで大事になるんだし」
「なるんだ、大事に……」
看森が苦笑する。
「そりゃね。ミモリンもさ、さっきの見てわかったでしょ。ああいう粘着質な男は絶対あとで先生にチクるタイプだから」
「……あいつのことは、あまり悪く言うな」
薫は俯いたまま、力のない声で言う。
「悪いのはぜんぶ俺だ。さっきのことも。今までのことも」
「薫ちゃんも意外とやんちゃだね。まさかあんな必殺技隠してたとかさ。アッパーってやつでしょ、さっきの? もしかして家で練習してた?」
「はぁ……一番嫌なヤツに見られた」
真魚はベンチの前で膝を折り、薫の手を確認する。「……大変。皮がめくれてます」と、鞄から絆創膏を取り出した。
「すまない。怖い思いをさせてしまって」
「いえ。わたしは」
意気消沈した薫が、指の付け根に絆創膏が巻かれていくのを見つめる。
「ところで、薫ちゃん。さっきの話ってほんと?」
「哲郎くん。今はそのことは」
「いや、いい。おまえらには迷惑をかけたからな」
ベンチの項垂れながら、「すべて事実だ。あいつの言っていたことはすべて」と薫は言い切った。
「あいつは。大希は俺の幼馴染だ。小学校からずっと一緒にバスケをやっていた。高校に上がったら、一緒に全国を目指そうと約束し合った。大切な友人だ」
「ふぅん……。でも、結局演劇部に入ったんだ。好きな女子に誘われたからって。そりゃ、うらまれても文句言えないね」
「哲郎くん……!」
「そういうことだ。俺はあいつを裏切った。だからこれは当然の報いだ」
薫は黙って現状を受け入れている。その潔さがあまりに薫らしくて、哲郎はつい笑みをこぼす。
「でも、殴っちゃったわけだ」
んぐ、と唸り声を漏らす。
「薫ちゃん、女の子好きだもんね」
「……おまえには言われたくはない」
熱しやすく冷めにくい。かつて逢原朔が彼に下した評価だった。
朔は薫のそういった性分に付け込み、支配を試みた。そして薫はまんまと朔に惚れてしまったのだ。
「俺は逢原さんが好きだ。こんなに人を好きになったことは今までない。彼女を喜ばせるためならなんだって犠牲にできた」
それが夢であっても。
「でも彼女は目を覚まさない。いつまでも経っても。俺はもう、なにをすればいいのかわからん」
「したいことをするべきです。堂前くんのバスケに対する熱意は本物です。だからバスケ部に入部したんですよね? 戻ったんですよね?」
「それは」
薫は後ろめたさに顔を逸らすようにして、
「わからない。逢原さんがいなくなったからといって、簡単にバスケに戻って、ほんとうにそれでいいのか。そんな気持ちのままで、いいのか」
薫の気持ちは宙ぶらりんで、中途半端で、どっちつかずのまま彷徨っている。
ある意味それが、朔が彼にかけた呪いなのだろう。
「わからない。なにも」




