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異端賢者の魔導原論  作者: 杜陽月
揺り籠の中の観測者

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最初の侍女エリアナ

 生後三年。


 俺の身体という観測装置は、ようやく最低限の自律行動が可能なレベルに達した。

 二足歩行は安定し、発声器官はこの世界の言語体系に準拠した複雑な音声データを出力できるようになっていた。


 だが、俺の行動は常に監視下に置かれていた。

 父と母、そして屋敷の侍女たち。

 彼らの存在が、俺の探求……書斎への自由なアクセスを物理的に阻害している。


 その日、俺の監視体制に新しい変数が投入された。


「ゼノ様、本日よりお側仕えをさせていただきます、エリアナと申します」


 目の前で深々と頭を下げる若い侍女。

 歳はおそらく十五、六といったところか。

 亜麻色の髪を後ろで一つに束ね、その表情には緊張とそれを上回る強い責任感が浮かんでいる。


 俺は即座に彼女の解析を開始する。


(個体名:エリアナ。新規に割り当てられた専属の監視ユニットか。オドの流れを観測。パラメータは……極めて安定的だ。恐怖や打算といったノイズがほとんど見られない。基調となる波形は……『忠誠心』と純粋な『好意』か)


 彼女のオドはまるで澄んだ水のようだった。

 裏表がなく、その思考と感情がほぼ完全に一致している。


 父サイラスのように俺の知性に恐怖を抱くこともない。

 母ヘレナのように俺を何かの道具として利用しようという打算もない。


 彼女はただ、ヴィリジアン家の娘である俺に、侍女としての務めを誠実に果たそうとしているだけだ。


(……なるほど。彼女の行動アルゴリズムは極めてシンプルだ。『主である俺に誠心誠意仕えること』。それが彼女のOSの最上位に設定された絶対的な行動規範なのだ)


 その単純さが、俺にある可能性を示唆した。


(この個体は……使える)


 彼女の純粋な忠誠心と好意は、この屋敷という名の牢獄において極めて脆弱なセキュリティホールになり得る。

 俺は彼女という新しいインターフェースの性能を試すため、最初のコマンドを出力した。


「エリアナ。ほんがよみたい」


 俺がこの世界で初めて、自らの意志を明確な言語として発した瞬間だった。

 エリアナは俺の言葉に驚いたように目を見開いたが、すぐにその表情を喜びと感嘆の色に変えた。


「まあ、ゼノ様! もうそんなに難しい言葉が……! かしこまりました。すぐにお子様向けの絵本をお持ちいたしますね」


 彼女の反応は俺の予測モデルと完全に一致していた。


 彼女は俺の異常な言語能力をただの『早熟な天才』としてポジティブに解釈した。

 そこに父が抱いたような恐怖はない。


 数分後、彼女が持ってきたのは動物や妖精が描かれた色彩豊かな絵本だった。


(……非効率だ。この程度の情報量では俺の知的好奇心は満たされない)


 俺はその絵本を一瞥しただけで興味を失い、部屋の隅に積まれていた父が置き忘れたであろう魔法物理学の専門書を指差した。


「……あれがいい」

「え? ですがゼノ様、あちらは……」


 エリアナは困惑した。当然の反応だ。

 三歳の子供が大学レベルの教科書を要求するなど、彼女の常識……OSでは理解不能なエラーだろう。


 だが、ここで俺がすべきなのは論理的な説得ではない。

 彼女のOSに最も効果的に作用するコマンドを入力することだ。


 俺は彼女の目を見上げ、そして意図的に子供らしい無垢な表情を作ってみせた。


「……だめ?」


 その瞬間、エリアナのオドに明確な変化が現れた。

 『忠誠心』と『好意』のパラメータが急上昇し、『困惑』というノイズを完全に上書きした。


「……っ! か、かしこまりました! 旦那様にはわたくしから上手くご説明いたしますので!」


 彼女はまるで何か尊いものを守る騎士のように、その専門書を手に取り俺の前にそっと開いた。


 俺はそのページに描かれた複雑な魔法陣と数式に、意識の全てを集中させた。


(……実験は成功だ。彼女の行動アルゴリズムは俺の予測通りに機能する)


 彼女の忠誠心は、俺の要求がたとえ常識から逸脱していてもそれを満たそうとする方向に作用する。

 彼女の好意は、俺の子供らしい(と彼女が誤解している)振る舞いによってその忠誠心をさらに強化するブースターとして機能する。


 彼女は俺の監視役として付けられたはずの牢獄の番人だ。

 だが、その番人は俺が望むなら牢獄の扉を開ける鍵にもなる。


(個体名:エリアナ。感情パラメータ:忠誠心、好意。行動予測:俺の要求を基本的に受け入れる。……使える。彼女は俺がこの屋敷という牢獄から脱出するための最初の『鍵』になるだろう)


 俺は目の前の数式から目を離すことなく、内心で冷徹な結論を下した。


 この純粋で誠実な侍女は、俺の偉大な探求のためにこれから何度もその忠誠心を試されることになるだろう。


 そしてそのことに、俺の心は一片の痛みさえ感じてはいなかった。

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