それぞれの道
ソラリア魔術アカデミーの入学試験という名の選別儀式から数日が経過した。
あの日、俺、ゼノ・ヴィリジアンが引き起こした二つの現象――『沈黙の解答』と『ベクトル制御』――は、アカデミーの権威という名の脆弱なシステムに観測可能なほどのエラーと恐怖を刻み込んだ。
その結果が掲示板に張り出された『二位:ゼノ・ヴィリジアン』という序列と、『実技試験における特記事項あり』という異端の烙印だった。
そして今日、俺たち新入生は、このシステムの『正式な構成員』となるための最後の儀式へと招集されていた。
入学式。
この思想的牢獄がその権威と秩序の正当性を新たに取り込んだ歯車たちに再確認させるための壮大な社会的催眠だ。
アカデミーの大講堂は、その目的のために完璧に設計されていた。
物理的に人間を見下ろす位置に設置された教授陣の演壇。
壁一面に描かれた、太陽神ソル・インウィクトゥスが異端を裁く神話のフレスコ画。
そして天井のステンドグラスから降り注ぐ荘厳でしかし計算され尽くした光の束。
その全てがこの場に集った数百人の新入生たちに自らの小ささとシステムへの絶対的な服従を無意識レベルで刷り込むための装置として機能していた。
俺は、その非合理的な儀式の光景をホール最後方の席でただ冷静に観測していた。
周囲の生徒たちはあの過酷な試験を突破したことによる安堵とエリートとして選ばれたことへの高揚感で、そのオドをわずかに上擦らせている。
彼らは自らが牢獄の囚人となったことにさえ気づかず、その牢獄の美しさに感嘆しているのだ。実に非効率で、実に人間的な反応だった。
(……退屈だ。この儀式には何の新しいデータも存在しない。ただ既存の秩序を再生産するだけの冗長なループ処理だ)
俺の思考OSは、この非生産的な時間的コストに既に軽い苛立ちさえ覚えていた。
俺の意識はここにはない。
俺の意識は既にこのアカデミーの真の心臓部。あの大図書館とそこに眠る未知のデータセットへと向いていた。
学長の退屈な祝辞が終わる。
それは、このシステムの保守性を賛美する内容のない音声データの羅列に過ぎなかった。
そして、この儀式のクライマックスが訪れる。
「――次に、新入生代表、挨拶」
司会進行役の教授が朗々とそして誇らしげにその名を告げた。
「新入生総代。アウレリウス・フォン・アルゲントゥム!」
その名が呼ばれた瞬間、それまで形式的な静寂に包まれていた講堂の空気が熱を帯びた。
一人の少年が新入生たちの列から静かに立ち上がり演壇へと向かう。
秩序の寵児、アウレリウス・フォン・アルゲントゥム。
太陽の光をそのまま紡いだかのような金髪と秩序と理性を体現するかのような蒼い瞳。
彼が演壇へと歩むその完璧な立ち居振る舞いだけで講堂に集まった者たちのため息を誘う。
あの実技試験の日俺が『異端』として恐怖と混乱を撒き散らした後彼は『正統』の力を見せつけ試験官たちを安堵と熱狂させた。
彼は、このアカデミーというシステムが求める完璧な理想像そのものだった。
アウレリウスは演壇に立つと、集まった生徒たち、そして教授陣をゆっくりと見渡し、完璧な貴族の礼と共に口を開いた。
その声は彼の魔法のように完璧に調律され若々しい力強さと自らが信じる世界への絶対的な確信に満ちていた。
「尊敬する教授陣の皆様、そして、栄光あるソラリア魔術アカデミーの門をくぐりし、同志諸君」
彼の声は魔力による増幅などなくともこの大講堂の隅々にまで染み渡った。
それは、彼が持つ生まれながらのカリスマ性だった。
「我々は今、この大陸における最高の知の殿堂に立つことを許された。これは、我々個人の栄誉であると同時に神聖なるソラリア帝国の未来を担うという重い責務の始まりでもある」
(……観測を開始する。個体名:アウレリウス。彼のスピーチの目的関数は、システムへの『忠誠の誓い』と集団の『士気の最大化』か。実に非効率な儀式だが、彼の言動はこのシステムの要求するパラメータに完璧に合致している)
アウレリウスの演説は続いた。
彼はアカデミーの輝かしい伝統のすばらしさを説き太陽賛歌という神聖な魔法体系の『美しさ』を賛美した。
「我々が学ぶ魔術とは、ただの力ではない! それは、太陽神ソル・インウィクトゥスが定めたもうた完璧な『秩序』と『伝統』の体現である! 我々はその神聖な法則を敬意と感謝をもって学びその守護者とならねばならない!」
彼の言葉に、教授陣は満足げに頷き、多くの新入生たちはその目に憧憬の色を浮かべている。
彼は、俺が『非効率なバグ』と断じた詠唱や魔法陣を、『美しさ』と『秩序』という全く異なる価値基準で賛美している。
(……この個体は、このシステムの完璧な『製品』であると同時に、その教義を心の底から信奉する最も敬虔な『信徒』なのだ。彼のオドは、その言葉と完璧に同期し、一点の曇りもない黄金色の輝きを放っている)
「だが、同志諸君。我々の道は平坦ではない。我々の秩序を脅かす混沌の影は常に存在する。赤き月の戦争の悲劇を我々は忘れてはならない。伝統を軽んじ、神の法則を嘲笑う野蛮で破壊的な力――そのような『異端』が、我々の知の殿堂を汚すことを、私は決して許さない!」
その瞬間、アウレリウスの蒼い瞳がまるで必然であるかのように講堂の最後方に座る俺の姿を正確に捉えた。
一瞬だけ、二人の視線が交差する。
彼の瞳に浮かんでいたのは明確な敵意だった。
試験の日に俺が示したあの『美しくない力』に対する絶対的な拒絶。
彼は俺を自らが守るべき『秩序』に対する最大の脅威としてここに公然と宣告したのだ。
俺は、その視線を、何の感情もなく受け止めた。
(……合理的だ。彼は彼の論理に基づき、俺を『バグ』として排除することを宣言した。ならば、俺は俺の論理に基づき、彼の『秩序』がより高次の物理法則の前ではいかに非効率で脆弱であるかを証明するまでだ)
アウレリウスが演説を終えると、講堂は割れんばかりの拍手と喝采に包まれた。
彼は、このアカデミーという社会において、そのスタートラインで既に『太陽』として君臨することが決定づけられたのだ。
そして、その完璧な『儀式』が、ようやく終わりを告げた。
「これにて、ソラリア魔術アカデミー、入学式を閉会する!」
その言葉が響き終わるか終わらないかのうちに、俺は席を立っていた。
周囲の生徒たちが先ほどの興奮の余韻に浸りながら互いに挨拶を交わし新たな人間関係という名の非効率なネットワークを構築しようとしている。
演壇の前ではアウレリウスがまるで王のように教授陣や有力貴族の子弟たちに囲まれている。
俺は、その全てに背を向けた。
誰とも言葉を交わさず誰の視線も意に介さずただ人混みを縫うようにして大講堂の出口へと向かう。
俺の姿は、この熱狂の中で、あまりにも異質で、冷え切っていた。
だが、そんな俺に気づく者は、誰一人としていなかった。
彼らの目は、今、輝ける『秩序の寵児』にしか向いていないのだから。
それでいい。
彼が『光』の道を歩むのなら、俺は『影』の道を行く。
彼が『秩序』の頂点を目指すのなら、俺は『真理』の深淵を目指す。
(ようやく、この非生産的な社会的儀式が終わった。時間の浪費だった。これより本来のフェーズ、データ収集へと移行する。彼らが『秩序』と呼ぶものの欺瞞を暴くための本物の『知』が眠る場所へ。まずは、クレメントが恐怖していた、あの『禁断の書庫』のセキュリティレベルの解析からだ)
俺は、クレメント・マリウスから得た情報に基づき記憶していたキャンパスの地図を脳内に展開する。
目的地は、ただ一つ。
このアカデミーの、いや、この帝国の知の全てが集積された巨大なデータベース。
アカデミー中央図書館。
俺は、その荘厳な建物の前に立った。
その規模は、父サイラスの書斎など比較にもならない。
この石と羊皮紙でできた巨大なサーバールームこそが、俺がこの牢獄に入った唯一の理由だ。
『正統』と『異端』。
アカデミーが定義した二人の天才は、今、それぞれの道を歩み始めた。




