二人の天才
ソラリア魔術アカデミーの入学試験から数日が経過した。
あの日、俺、ゼノ・ヴィリジアンが実技試験場という閉鎖空間で引き起こした二つの現象――『沈黙の解答』と『ベクトル制御』。
それらはアカデミーという旧弊なシステムの信奉者たちに処理不能な『異端』の記録として中枢へと報告されたはずだ。
旧弊な権威主義と硬直した組織が、あの観測データをどのように処理し、どのような『解』を出力するのか。
そして今日、そのシステムが下した最終的な『評決』が公に示される日だった。
アカデミーの大講堂前のホールは、数百人の新入生たちの熱気と不安、そして剥き出しの野心的な期待によって異様なほど騒がしかった。
貴族街から来たのであろう、仕立ての良い真新しい制服に身を包んだ子弟たちは自らの家名を誇示するかのように尊大な態度で仲間たちと談笑している。一方で、地方の小貴族や推薦枠で来たのであろう生徒たちはその圧倒的な権威の空気に気圧され緊張した面持ちで壁際に佇んでいる。
彼らの全ての視線がホールの中央に設置された巨大な掲示板、ただ一点に集中している。
そこに、入学試験の最終結果が張り出されるのだ。
俺は、その喧騒の渦から一歩離れた場所で群衆という名の複雑な生態系を冷静に観測していた。
俺の思考OSにとってこの儀式は単なるデータ開示イベントに過ぎない。彼らの不安や期待は俺の目的関数とは何の関係もない非合理的な感情のノイズだ。
俺の目的は順位ではない。
このシステム内で俺の研究に必要なリソース――すなわち、あの大図書館と『禁断の書庫』への正規のアクセス権を確保すること。ただそれだけだ。
やがて、時刻を告げる荘厳な鐘の音と共に、アカデミーの職員が厳かに掲示板を覆っていた分厚い紫色の布を取り払った。
瞬間、ホールを絶対的な静寂が支配する。
数百人の視線が羊皮紙にインクで記された無数の名前を、まるで自らの運命を占う聖典でも読むかのように必死で追い始めた。
自分の名前を見つけて安堵のため息を漏らす者。名前が見つからず小さく打ち震える者。
そして数秒後。
その静寂は一人の生徒が上げた、まるで神の降臨でも見たかのような歓声によって破られた。
「一位だ! やはりアウレリウス様だ!」
その声が引き金となり熱狂が爆発した。
「おお、素晴らしい! まさに完璧!」
「筆記、実技、全てにおいて満点……! なんという御方だ!」
「さすがはアルゲントゥム家の『秩序の寵児』!」
掲示板の最上段。その筆頭には揺るぎない事実としてその名が黄金色のインクで記されていた。
【一位:アウレリウス・フォン・アルゲントゥム】
彼は筆記試験においては教義の完璧な暗唱と解釈を示し、実技試験においては太陽賛歌の荘厳で美しい魔法を披露した。アカデミーが定める『正統な手順』において完璧な『模範解答』を示し満場一致の首席として選ばれたのだ。
その場にいた試験官の一人が感動に声を震わせながら隣の同僚に語りかけているのが聞こえた。
「……見なさい。これこそが我らがアカデミーの光だ。あの日あの異端な少女が見せた野蛮で混沌とした『力』に我々は恐怖した。だがアウレリウス様のあの芸術的な魔法こそが我々の進むべき道が間違っていなかったことの証明なのだ」
(……なるほど。彼らは俺が提示した『最適解』を『混沌』と呼び、アウレリウスが提示した『儀式的な非効率』を『秩序』と呼ぶのか。実に興味深い認知バイアスだ)
アウレリウスの首席合格は、このアカデミーという旧弊なシステムが自らの秩序と伝統の正しさを再確認した祝祭の瞬間だった。
試験官たちは安堵の表情を浮かべ、周囲の生徒たちはその圧倒的な『正統な天才』の存在に惜しみない賞賛と尊敬の眼差しを送っている。
俺は、その熱狂の輪には加わらずただ淡々と掲示板のリストを上からスキャンしていく。
俺自身の識別コードを探すためだ。
(二位。当然の結果だ。俺の解答は全て正解だったがこのシステムの評価基準がプロセスを重視する以上、減点は避けられない。だが問題ない。重要なのは順位ではない。このシステム内で俺の研究に必要なリソースへのアクセス権を確保することだ)
俺の思考OSが内面描写の通りに冷静な分析を完了させた、その時。
アウレリウスの名前のすぐ下。
その位置に俺の名前が記されていた。
【二位:ゼノ・ヴィリジアン】
その名前が群衆の誰かの目に留まった。
アウレリウスへの熱狂的な歓声とは明らかに異質な、困惑とそして猜疑心に満ちたさざ波が群衆の中に走り始めた。
「……二位?」
「ゼノ・ヴィリジアン……? どこの家の者だ? 聞いたことがない」
「待て、あの銀髪と翠眼……まさかあの時の……」
「ああ、あの詠唱もせず光弾もまるで手品のように逸らした、あの……」
人々の囁き声が俺が刻まれた烙印――『翠眼の魔女』という忌まわしい単語を呼び覚ます。
アウレリウスがこのアカデミーの『光』であるならば俺は彼らの秩序を脅かす『影』。
その認識が次の瞬間に決定的なものとなった。
「……おい、見ろ! 名前の横に何か書いてあるぞ!」
誰かが指差した俺の名前の真横。
そこには他のどの合格者の名前にもない、小さなしかし明確なインクのシミのような注釈が付け加えられていた。
【――実技試験における特記事項あり】
その一文が全ての答えだった。
アウレリウスへの熱狂的な賞賛とは正反対の反応が爆発した。
「特記事項……? 入学試験でそんなもの前代未聞だぞ」
「やはりあの時の魔法は『まとも』ではなかったのだ……。何か不正な手段を使ったに違いない」
「アカデミーも彼女の力を認めざるを得なかったが同時に『危険』だと判断したということか……」
「ヴィリジアン家……確かかつても異端の研究に手を出してアカデミーから追放された者がいたはずだ。その血か……」
(予測通りの結果だ。このシステムは未知のデータに対してそれを解析し理解するのではなく『エラー』として分類し隔離することを選択した。俺の解答は完璧だったが故に彼らの常識の枠を破壊した。その結果がこの『特記事 項』という名の異端の烙印だ。実に非効率で実に人間的な妥協案だ)
俺は、その評決をただのデータとして受け入れこの場から立ち去ろうとした。
その時ふと強烈な視線を感じた。
俺は群衆の向こう側へと視線を向ける。
熱狂と賞賛の輪の中心。
そこに立つ秩序の寵児アウレリウス・フォン・アルゲントゥムがまっすぐに俺だけを見つめていた。
一瞬だけ二人の視線が喧騒のホールを横切って交差する。
彼の蒼い瞳に浮かんでいたのはライバルに対する闘志や二位の者への敬意ではなかった。
それは俺が彼との対話で観測したあの冷たい光。
自らが信じる『秩序』と『美しさ』を汚す理解不能な『異物』に対する静かなしかし絶対的な拒絶の色。
「――君には、この世界の真の理を語る資格はない」
彼の視線はそう雄弁に語っていた。
俺は、その視線を何の感情もなく受け止めた。
怒りも屈辱もない。
ただこのアカデミーという思想的牢獄における俺の主要な『対立変数』を再確認しただけだ。
俺は彼から視線を外しその場に背を向けた。
アウレリウスが喝采を浴びる『表』の道を歩むのなら俺は俺の道を歩むまでだ。
群衆がまるで呪われたものでも避けるかのように俺のために道を開ける。
俺は、その誰とも視線を合わせることなくただ一つの目的地へと足を速めた。
(非効率な儀式は終了。これより本来の目的であるこのアカデミーという巨大なデータベースの解析を開始する。最初のターゲットはクレメントが言っていた『禁断の書庫』。そこに俺の理論を完成させるための最後のデータが眠っているはずだ)
『正統』と『異端』。
アカデミーが定義した二人の天才は今それぞれの道を歩み始めた。




