最初の衝突
実技試験場は熱狂に包まれていた。俺がこの旧弊なシステムの信奉者たちに提示した『沈黙の解答』と『ベクトル制御』。それらが引き起こした恐怖と混乱、そして異端への憎悪に満ちた空気は、たった一人の天才の登場によって完全に浄化されていた。
秩序の寵児アウレリウス・フォン・アルゲントゥム。
彼が披露した教科書通りの完璧な詠唱と芸術品のように荘厳な魔法陣。それは俺の『効率』とは対極にある『美しさ』と『伝統』の絶対的な肯定だった。
試験官たちはまるで救世主を見るかのような目で彼に駆け寄り、その完璧な技術を賞賛している。
彼らは俺が引き起こした『異端』の恐怖をアウレリウスの『正統』の輝きによって、ようやく上書きすることができたのだ。
俺はその熱狂の輪からただ一人離れ、壁際で冷静にデータを分析していた。
(個体名:アウレリウス・フォン・アルゲントゥム。彼の魔法は無駄な装飾が多すぎる。太陽賛歌という旧式のOSは現象を発生させるプロセスにおいて、あまりにも冗長な儀式を要求する。だが、その出力自体は高い)
俺がベクトル制御で消費したエネルギーを1と仮定した場合、彼が光弾を『防いだ』エネルギーの総量は推定で8000以上。愚の骨頂だ。だが、その非効率なプロセスで、あれだけの出力を維持できるという事実は彼自身の魂の設計図――オドの絶対量が、俺の現在の身体のそれとは比較にならないほど膨大であることを示唆している。
(……結論。彼はこのシステムの理想を体現した完璧な製品であると同時に素材そのもののポテンシャルも極めて高い。非効率なOSで高性能なハードウェアを無理やり動かしている状態か。実に勿体ない)
俺が次のシミュレーションへと移行しようとした、その時だった。
熱狂の輪が静かに割れ、その中心にいた人物がまっすぐにこちらへ歩み寄ってくる。
周囲の空気が再び緊張する。『正統』が、『異端』の元へと。『秩序の寵児』が、『翠眼の魔女』の元へと。
アウレリウス・フォン・アルゲントゥムは俺の目の前で足を止めるとその一点の曇りもない蒼い瞳で俺を静かに見下ろした。その視線には、賞賛も、怒りも、侮蔑もない。ただ自らが信じる秩序とは異なる存在を冷静に値踏みするような、絶対的な強者の視線だけがあった。
「ゼノ・ヴィリジアン」
その声は彼の魔法のように完璧に調律され、静かな権威を響かせていた。
「君の力は確かに興味深い。私はあれほどの魔力制御をあの若さで成し遂げた者を他に知らない」
彼は俺が実行した二つの現象――『沈黙の解答』と『ベクトル制御』を正確に観測していたらしい。
(……ほう。彼は俺の行為を『偶然』や『故障』として処理しなかった。このシステムの信奉者にしては珍しく観測眼が開いている)
俺は無表情のまま、彼という新たな観測対象からのデータ入力を待った。
アウレリウスはそこで言葉を区切るとまるで残念なものを見るかのように僅かにその眉を寄せた。
「だがゼノ・ヴィリジアン。君が先ほど披露した『あれ』は、断じて『魔術』ではない」
その一言は静かだったがこの世界の絶対的な真理を語るかのような揺るぎない確信に満ちていた。
「あれはただの現象の破壊だ」
破壊。
その単語が俺の思考OSに新たな解析対象として入力された。
(彼は俺の理論を『破壊』と定義した。興味深い。古いパラダイムの信奉者が新しいパラダイムを拒絶する際の典型的な認知バイアスだ)
俺は怒りも動揺も感じなかった。ただこの世界の『常識』という名の壁の強度がどの程度のものであるかを測定するための絶好のサンプルが現れたことに知的な興奮さえ覚えていた。
(この対話はこの世界の『常識』という名の壁の強度を測定するための良いベンチマークになる)
俺が沈黙しているのを肯定と受け取ったのか。あるいは、自らの正しさを説くためか。アウレリウスはその完璧に調律された声で彼の『秩序』を語り始めた。
「魔術とは神聖な儀式だ。我々が不敗の太陽が定めたもうた完璧な法則に敬意を払い定められた『プロセス』――すなわち神聖なる詠唱と先人たちが築き上げた芸術的な魔法陣を通じて初めてこの世への顕現を許される奇跡だ」
彼の言葉は筆頭試験官が叫んでいた教義そのものだった。だが試験官のそれが恐怖に裏打ちされたヒステリーだったのに対しアウレリウスのそれは寸分の疑いも差し挟む余地のない絶対的な信仰に裏打ちされていた。
「君がやったことはその全てを省略し冒涜する行為だ。そこには神への敬意も先人たちへの感謝もそして何よりも魔術の根源である『美しさ』への理解が決定的に欠如している」
彼は俺の『ベクトル制御』をまるでゴミでも見るかのように断じた。
「あれは野蛮で美しくない力だ。神聖な魔術の体系をただの現象操作という名の『暴力』で汚す許されざる行為だ」
(……なるほど。彼の思考OSは『美しさ』という極めて曖昧で定量化不可能なパラメータを最上位の公理として設定しているらしい)
俺の『効率』。
彼の『美しさ』。
この二つの論理体系は決して交わることのない平行線だ。
俺はこのベンチマーク・テストを次の段階に進めるため初めて口を開いた。俺の声は四歳の幼児(の精神を持つ俺)が発するにはあまりにも冷たく、平坦だった。
「あなたの定義は非合理的です」
その一言にアウレリウスの完璧な表情が初めて僅かに揺らいだ。
「魔術とは儀式ではありません。ただの物理現象です。詠唱とはエラーの多い冗長な音声コマンドに過ぎず魔法陣もまたエネルギー伝達効率を著しく低下させる旧弊なインターフェースでしかない」
俺は彼に理解できるかどうかは別として観測した事実だけを淡々と述べた。
「俺が実行したのは『破壊』ではありません。『最適化』です。あなたは光弾の運動エネルギーをその8000倍のエネルギーで受け止めた。俺はその0.012%のエネルギーでその軌道を変更した。結果は同じ。『被弾しなかった』という事実に変わりはありません。あなたの言う『美しさ』とはその過程で浪費された残りの99.988%のエネルギーのことを指すのですか?だとしたらそれはあまりにも非効率で野蛮な定義だ」
静寂。
俺の完璧な論理は彼の完璧な信仰を真っ向から否定した。
アウレリウスの蒼い瞳が冷たくそして鋭く細められる。それは異教徒の言葉を聞いた敬虔な聖職者の目だった。
「……君にはやはりこの世界の真の理を語る資格はない」
彼が絞り出したその声にはもはや俺への興味はなくただ相容れない存在に対する冷徹な拒絶だけが満ちていた。
「君は確かに『力』を持っている。だがその力はかつてこの世界を『大崩落』へと導いたあの『公理の構築者』たちと同じ傲慢で空虚でそして危険な力だ」
「君の言う『効率』がこの世界の秩序と伝統を破壊し混沌をもたらすというのなら。私はこのアカデミーの首席としてそして『秩序』の継承者として君のその野蛮な理論を全力で否定する」
彼はそう一方的に宣告すると俺に背を向けた。
「君の道は破壊の道だ。その終着点が君自身の破滅でないことを祈るがいい」
彼は集まっていた群衆をかき分けまるで汚れたものから離れるかのように去っていった。周囲の受験生たちはアウレリウスの明確な『拒絶』を目の当たりにし俺からさらに距離を取った。
俺はただ一人その場に残された。『異端』の烙印は今やアカデミー首席のお墨付きとなったのだ。
俺はそのアウレリウスの後ろ姿を冷静に観測しながら内心でこの最初の衝突の分析結果をまとめていた。
(……対話の試みは失敗。彼は科学者ではなく宗教家だ)
(彼は俺の理論を『破壊』と定義した。ならばこのアカデミーで俺がやるべきことは一つ。彼らが『破壊』と呼ぶ俺の『効率』が、彼らが『秩序』と呼ぶ彼らの『非効率』を、あらゆる面において凌駕することをただ証明し続けるだけだ)
俺はこの思想的牢獄における当面の研究テーマが決定したことに静かな満足感を覚えていた。




