異端の評決
「……課題は完了しました。光弾は私に命中していません。この結果をどう評価しますか?」
俺が放ったその問いは、死んだように静まり返った実技試験場において絶対的な権威に対する挑戦状として響き渡った。
周囲の空気は魔力発射装置が放った光弾の残滓である焦げたオゾンの匂いと、受験生たちの冷や汗が蒸発した匂い、そして試験官たちの間に急速に広がる『恐怖』という名のフェロモンで満たされていた。
数百の視線が俺という一点に集中する。
受験生たちは何が起こったのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしている。
「故障だ」「偶然だ」「もしかして、高等な幻影魔法か?」という囁き声がもはや何の説得力も持たないことを誰もが悟っていた。彼らの常識という脆弱なOSが処理不能なデータを前に激しく軋みを上げている。
だが、試験官たちの反応はそれとは異なっていた。
筆頭試験官はわなわなと震えていた。彼の顔は蒼白を通り越し紫がかっている。それは論理的な思考がフリーズしたことによる純粋な恐怖と、自らの権威が、自らが半生を捧げて信じてきた『秩序』が、たった一人の少女によって足元から崩されたことへの屈辱的な怒りだった。
俺の問いは解答を求めるものではなかった。彼らの思考OSでは処理不可能なエラーを突きつけ、その脆弱性を白日の下に晒すための冷徹な最終確認だった。
彼の唇が意味のない音を紡ごうとして、震える。
そして、彼がその硬直から回復したとき、その口から絞り出されたのは「評価」ではなかった。
それはこの旧弊なシステムが未知のデータを前にした時に行う、唯一の防御行動。
「異端だッ!!」
その絶叫が実技試験場全体に響き渡った。
その一言はまるでダムの決壊だった。
凍り付いていた他の試験官たちが一斉に動き出す。だが、それは秩序だった動きではない。パニックだ。
「見たか今のは! 魔力障壁を一切展開していなかったぞ!」
「光弾が…まるで意思を持ったかのように、彼女を避けた。あり得ない! あのような現象はいかなる教本にも記されていない!」
「第一の課題もだ! 無詠唱どころか魔力の励起反応さえ観測できなかった! あれは太陽賛歌の体系を根源から愚弄する行為だ!」
彼らの間で激しい議論が交わされる。
その混沌の中、比較的若い、まだ知的好奇心の光を失っていないように見える一人の試験官が、震える声で反論を試みた。彼は学者としての良心をかろうじて保っていた。
「……し、しかし! 結果は完璧でした! 彼女は提示された二つの課題を、我々の誰よりも効率的に、そして完璧にクリアしたのです! これは未知の魔法体系の『発見』である可能性も…! 我々は、その『結果』をこそ評価すべきでは…」
だが、その合理的な意見は筆頭試験官の怒号によって即座に粉砕された。
「黙れッ! プロセスこそが全てだ! 我々アカデミーの教義とは、神聖なる太陽賛歌という完璧な『プロセス』を、一言一句違わずに遵守し、その結果として神の恩寵たる奇跡の顕現を許されることにある! あの女のやったことは、その神聖な儀式への冒涜だ! あれは魔術ではない! 野蛮な『力』の暴走だ!」
筆頭試験官は忌まわしい記憶を振り払うかのように叫んだ。 「忘れたのか! かつてこの大陸を焼き尽くした『赤き月の戦争』を! あの悲劇も始まりは『未知の発見』とやらを標榜する、傲慢な異端者たちの制御不能な力だった! あの女の力はそれと同じ匂いがする! 秩序を破壊する混沌の匂いだ!」
俺はそのヒステリックな議論の応酬を、ただ冷静に観測していた。
(予測通りの結果だ。このシステムは、未知のデータに対して、それを解析し理解するのではなく、'エラー'として分類し隔離することを選択した。彼らの知性は自らの理解を超える現象を恐怖として処理するらしい。実に非効率だ。)
俺の思考OSは彼らの混乱を冷徹に分析する。
(彼らは学者ではない。教義を守るだけの司祭だ)
俺が提示した『ベクトル制御』や『直接的な熱エネルギーの付与』という新しい物理法則の可能性。彼らはそれを解析し、自らの知識体系をアップデートする絶好の機会を自ら放棄した。
彼らが守りたかったのは『真理』ではない。真理の探求を独占してきた自らの『権威』だ。 その権威がたった一人の少女によっていとも容易く脅かされた。その事実が彼らの恐怖の根源なのだ。
(これは父サイラスと同じ反応だ。彼は俺の知性を前に『愛情』よりも『恐怖』を選択した。 クレメント・マリウスも同じだ。彼は俺の理論を理解しながらもそれがもたらす『混沌』を恐れた。 このアカデミーというシステムは、彼ら個人の恐怖を制度化した巨大なサイラス・ヴィリジアンに過ぎない)
彼らが『プロセス』に固執する理由もこれで説明がつく。 (『プロセス』は、彼らが理解し管理できる既知の領域だ。だが『結果』――俺が提示した結果――は、彼らの管理外から来た未知の領域だ。彼らは真理の探求者ではなく秩序の門番なのだ。門番にとって理解できないものは全て、排除すべき敵でしかない)
やがて、彼らの非効率な議論は一つの結論へと収束していった。
筆頭試験官が、まだ納得のいかない顔をしている若い試験官を睨みつけながら、重々しく口を開く。
「……よろしい。結論が出た。ゼノ・ヴィリジアン。貴様の行った行為はアカデミーの教義に真っ向から反する、極めて危険な異端の兆候である。本来ならば、即刻不合格とし異端として然るべき機関に報告すべきところだ」
その言葉に他の受験生たちが息を呑む。 だが、彼は言葉を続けた。
「……しかし。課題の結果そのものは、完璧であったことも事実。ヴィリジアン家の名誉にも免じ、今回は『合格』を認めよう」
「ただし」と彼は続けた。その声には怒りよりも冷たい、管理者の事務的な響きが混じっていた。
彼は助手から一枚の羊皮紙――俺の学生ファイルを受け取ると、羽ペンをインクに浸した。その震える手で、彼は俺の名前の横にある特記事項の欄に強い筆圧でこう書き殴った。
『異端思想の兆候あり。要観察』
それがこの旧弊なシステムが、俺という未知のバグに対して下した最初の『評決』だった。
俺はその評決を無表情のまま受け入れた。
彼らが俺を『異端』と呼ぼうと『要観察』と分類しようと、どうでもいいことだ。
(……重要なのは、俺が『合格』したという事実。これで俺はこのアカデミーのデータベースへの正規のアクセス権を手に入れた)
俺の視線は彼らの愚かな議論にはない。
その遥か先。このアカデミーの中央にそびえ立つ巨大な図書館。
クレメントが恐怖に震えながらその存在を教えてくれたアカデミーの心臓部。
『禁断の書庫』。
ソラリア正教が異端として断罪し、その存在そのものを歴史から抹消しようとした本物の『真理』――『公理の構築者』たちが遺した、世界の根源的なソースコードが眠る場所。
T俺の目的は彼らに認められることではない。
俺の目的は、この世界の全ての真理を解析し、この手で証明することだ。
試験官が「次の者!」と叫ぶ声と、周囲の受験生たちが俺から距離を取ろうとする気配を背中に感じながら、俺はただ一人、次の戦場となる『象牙の塔』のデータベース攻略シミュレーションを開始していた。




