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輪廻の弔奏者(レクイエム)  作者: 天野ラット
プロローグ~第1章
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第3節『兄弟の余韻と招集』

食卓の上に並んだボルシチと黒パンはすっかり冷め、皿の縁に付いた赤いスープの跡だけが、二人の会話の余韻を物語っていた。

 サウズは立ち上がり、手際よく食器を片付けると、暖炉のそばに置かれた茶器を取り出す。小さなやかんに水を注ぎ、火にかけた。やがて湯気が立ち上り、アールグレイ特有の柑橘系の香りが部屋に満ちていく。

 「兄さん、アールグレイだよ。昔、好きだったよね。」

 「……ああ、久しぶりだ。」

 俺は短く答え、指先でカップの取っ手を持つ。手の中に伝わる温かさは、戦場では決して得られない種類のものだ。紅茶を一口含むと、ベルガモットの香りが口の中で広がり、凍てついた心が少しだけ緩むような気がした。


 サウズは椅子に腰掛け、カップを両手で包み込むようにして、じっと俺を見ていた。

 「……こうして兄さんと一緒に飲むだけで、すごく安心するんだ。」

 「お前は変わらないな。」

 俺は淡々とした声で返すが、心の奥でその言葉に微かに揺れが走る。

 「この三年間、僕はバルタ国の村で暮らしてたんだ。村の人たちは優しくて、みんな家族みたいに僕を頼ってくれる。」

 「そうか。」

 「腰を痛めたおじいさんには、薬草で作った痛み止めをあげた。風邪をひいた子には解熱剤を配った。……神格の力なんて、もう使ってない。ただ、人として、薬師として生きてる。」

 サウズの声には誇りと同時に、どこか小さな迷いが混じっていた。

 「僕は、不老不死でも……普通の人間みたいに生きたいんだ。」


 俺は何も言わず、再び紅茶を口にした。

 ――神格の力を封じて人として生きる。その選択は、あの事件を背負うサウズだからこそできるものだろう。

 彼が歩む道を、俺は否定しない。

 だが同時に、俺は戦場に立ち続けることしかできない。


 「兄さんは……戦場以外に興味がないんでしょ?」

 「……俺の役目は弔いだけだ。戦死者を導く。それ以外のことは、あまり考えたことがない。」

 俺は淡々と答えた。

 サウズは唇を噛みしめる。

 「兄さん、ずるいよ。僕ばっかりが、こうやって寂しい思いをしてるみたいだ。」

 「……そうかもしれないな。」

 俺は視線を落とし、カップの中の琥珀色を見つめた。

 ――寂しさ。

 その感情は、もう忘れたはずだった。

 だが、サウズの笑みを見ていると、心の奥で何かが溶け出すような感覚がある。


 サウズは小さく笑って、話題を変えた。

 「そういえば、この前、村の子供が手紙をくれたんだ。『サウズ先生のおかげで、お母さんの風邪が治ったよ』って。嬉しかったなぁ……。兄さんも、ああいう素直な笑顔を見たら、戦場のことなんて忘れられるのに。」

 「俺は……そういう場に向いていない。」

 「またそれだ。兄さんは、自分を戦場に縛り付けすぎだよ。」

 サウズは苦笑しながらも、目にうっすらと涙が浮かんでいた。


 部屋を満たす紅茶の香りと暖炉の火の音が、二人の沈黙をやわらかく包む。

 窓の外では、吹雪が強さを増していた。

 「兄さん……今日はもう戦場に行くの?」

 サウズが不安げに尋ねる。

 「今日は行かない。幻装を外に出しているから、代わりに見張っている。」

 「……そっか。よかった。」

 サウズの顔が少しほころぶ。


 「兄さんがいないと、僕、またあの時みたいに壊れそうで……。」

 「お前はもう大丈夫だ。村の人間だって、お前を必要としてる。」

 「でも、兄さんがいない夜は、すごく長く感じるんだ。」

 その声には、子供のような脆さがあった。俺は何も言わず、紅茶の最後の一口を飲み干した。


 夜はさらに更け、暖炉の火が少しずつ小さくなっていく。

 「兄さん……今日はここに泊まるんだよね?」

 「ああ。お前が寝るまで、ここにいる。」

 サウズは安堵の笑みを浮かべる。

 「じゃあ、少しだけ話しててもいい?」

 「構わない。」


 サウズは村での小さな出来事を、次々と語った。

 「子供たちがよく家の前に来てね、『サウズ先生、怪我治して!』って。可愛いんだよ。」

 「そうか。」

 「腰を痛めたおばあさんには、温める薬草を煎じてあげたら、『助かったよ』って泣かれちゃってさ……僕、嬉しくて。」

 その表情は、心からの笑顔だった。

 「兄さんも、こういう毎日を送ったら、もっと優しい顔になると思う。」

 「俺には似合わない。」

 「ほんと、兄さんは頑固だなぁ。」


 部屋の灯が少しずつ暗くなり、眠気が訪れる。

 サウズは小さな声で言った。

 「兄さん、僕が寝ている間にどこか行ったりしないでね。」

 「今日は行かない。」

 「……ほんと?」

 「幻装が外を見ている。だから、俺はここにいる。」

 サウズはその言葉に安心したように微笑み、暖炉のそばのソファに横になった。


 俺は椅子に座り、弟の寝顔をしばらく見つめていた。

 ――寂しさなんて、もう感じることはないはずだった。

 けれど、サウズがこうして眠っているのを見ると、胸の奥にわずかな温もりが灯る。

 「……お前がいる限り、俺はまだ人間でいられるのかもしれない。」

 小さく呟いた声は、火のはぜる音に溶けて消えた。


 外では雪が静かに降り続いていた。

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