第2節『弟との再会』
ロゴボ村は深い雪に閉ざされ、夜の静寂が凍りついていた。
白銀の世界に、ただ一人の足音だけが刻まれていく。
俺――アイズ・ミノラは、雪の中をゆっくり歩いた。吹雪が肌を裂くように冷たいが、もう人間のように寒さを気にすることはない。
戦場の血の匂いも、凍った風も、俺にはただの景色だ。
不老不死となって千年以上、俺は死者を弔う役目だけを抱き続けてきた。
寂しさや孤独は、とうの昔に捨てている。
「……三年ぶりか。」
呟きながら、家の前に立った。
扉は雪に埋もれ、凍りついている。
この家に帰るのは、ブイアール新興国の内戦に向かう前以来だ。
扉の向こうに待つ者などいないはずだった――そう、思っていた。
だが、扉を開いた瞬間、暖炉の温かな空気が頬を撫でた。
「……誰だ。」
思わず低く問いかける。
暖炉の前に座っていたのは、銀髪で緑がかかった青年。
その横顔を見て、心臓がわずかに跳ねた。
「おかえり、兄さん!」
青年が顔を上げ、笑った。
「サウズ……。」
三年ぶりに弟の名を呼ぶ。
サウズは立ち上がると、姿がふっと揺らぎ、17歳の青年から12歳の少年に変わった。
無邪気な笑顔で駆け寄り、俺の胸に飛び込む。
「やっと……会えた!ずっと、兄さんの帰りを待ってたんだ!」
「……そうか。」
俺はその頭に手を置き、静かに背を撫でた。
サウズは感情が高ぶると少年の姿に戻る。その特異体質は、神格を宿した証でもある。
かつて再生神ポダクとして二柱の神を消滅させた彼が、今は気弱で優しい弟に戻っている。
その事実が、少しだけ心を和らげた。
やがてサウズは落ち着きを取り戻し、17歳の姿に戻る。
「兄さん、スタルクの屋敷で予言があったんだ。兄さんに会いたいって言ってて……。」
「スタルクが?」
スタルク・オベス――俺たちの従兄で、未来を見る異能者。
「うん、でも僕は……あの人の予言なんてどうでもいい。兄弟従弟を集めたいだけだよ。僕は兄さんに会えればそれでいいんだ。」
サウズの口調は、少し不満げだった。
その声を聞きながら、俺は「こいつらしいな」と心の中で苦笑した。
「今日は兄さんと一緒に食べたくて、準備してたんだ。少し待ってて。」
サウズは厨房に向かう。
俺は椅子に座り、暖炉の火を見つめながら弟の背中を見送った。
「……三年ぶりに、お前の料理か。」
「うん。薬師の仕事の合間に、ちゃんと練習してたんだよ。人を癒やすには、料理の味も大事だって思ってさ。」
彼は笑いながら、ボルシチを鍋にかけ、黒パンを切り、ザワークラウトや燻製肉をテーブルに並べた。
酸味と甘味の混じった香りが広がる。
俺たち不老不死は、食事をしなくても生きられる。
だが、人間だったころの味覚だけは消えずに残っている。
「俺たちに食事は必要ないが……味を覚えているのは悪くないな。」
「僕もそう思う。これだけは、人間だったころを思い出せるからね。」
テーブルを挟み、二人で食事を始める。
ボルシチの赤いスープは、炎の揺らぎを映していた。
一口すすると、昔の記憶が一瞬だけ蘇る。
「……悪くない。」
「やった!」
サウズは嬉しそうに笑う。
少し沈黙が流れた後、サウズが真剣な目を向けてきた。
「兄さんはさ……戦場で戦死者を弔うこと以外、興味がないんでしょ?」
「……興味はないな。」
俺は正直に答えた。
「俺の役割はそれだけだ。戦場に散った者たちを弔う。それ以外に意味はない。」
「……僕は、兄さんともっと話したいんだよ。」
サウズは小さく呟いた。その声に寂しさが滲んでいた。
「でも、兄さんは戦場の方ばかり見てる。僕……ずっと置いていかれる気がする。」
「……サウズ。」
俺は彼を見つめ、低く言った。
「お前がここにいるだけで、俺は戻ってこられる。」
その言葉にサウズの目が潤み、少し俯いた。
「兄さん……ずるいよ、そういうの。」
彼は笑いながらも、寂しげな表情を隠せなかった。
食事が終わる頃、サウズはテーブル越しに切り出した。
「スタルクがね……明日、兄さんを屋敷に呼びたいってさ。予言のことがあるって。」
「予言、か……。」
「僕も興味ないけど、あの人しつこいんだよ。兄さんが行かないと、また僕のところに押しかけてくるんだ。」
「……気が向いたら行く。」
短くそう言うと、サウズはホッとしたように微笑んだ。
暖炉の火が静かに小さくなる。
外では吹雪が強まり、世界を白く塗りつぶしていく。
だが、この部屋には確かに温もりがあった。
サウズが片付けをしながら、ふと呟く。
「兄さん、今日くらいは戦場のこと、忘れてくれた?」
「ああ……お前と食事をしている間だけはな。」
俺はそう答え、立ち上がった。
窓の外の雪は絶え間なく降り続いている。
--こうして、兄弟の静かな夜は過ぎていった。




