第9話 南極ミッション
「左翼メインエンジン、異常発生! 推進コイルがオーバーロードしています!」
「慣性制御モジュール、異常振動発生! これ以上は…!」
連続に継ぐ連続の高負荷に、各システムと機体が限界に達し、痛烈な悲鳴を上げる。
「まだ耐えられる! 何としても、ここを潜り抜ける!」
アリアは歯を食いしばり、必死に突破口へとすがりつく。
レーザーが空を切り裂き、変異体の群れを焼き払う。
だが、その数はあまりにも膨大だった。
燃料は刻一刻と減り、機体には次々と損傷が蓄積されていく。
食らいついていたネクロム獣の一部が、機体の主要配線を破損させる。
そして、けたたましい警告音と共に、ついに機体の左翼から激しい爆発音が響いた。
「左翼メインエンジン、停止! 推進力喪失!」
「機体傾斜! 制御不能になります!」
グレイブスに続き、ハーパーの悲痛なまでの状況報告。
機体が大きく傾き、制御を失って回転し始める。
グレイブスが必死に操縦桿を戻そうとするが、もはや無駄だった。
機体は、核の冬の荒れ狂う嵐の中、猛烈な勢いで南極の白い荒野へと急降下。
「くそっ…ここまでか……」
サンダーズが絶望に満ちた声で、呻き呟く。
激しい衝撃と共に機内は暗闇に包まれ、人類最後の希望を乗せた大角鴉は、漆黒の翼を砕かれ、白い大地へと墜ちていく。
だが、‶彼は〟あきらめなかった。
制御不能だったはずが、墜落の瞬間、奇跡的に重力慣性制御システムが作動した。
ホーンド・レイブンは、致命傷を負いながらも必死に足掻き、最期に大気を掴み取り羽ばたいたのだ。
そして、雪面がクッションとなり、辛うじて胴体着陸に成功した。
壊滅的な墜落は免れたもの、機体状況は絶望的だ。
朦朧とする意識の中、アリアはコックピット内を見回す。
他のクルーは、気絶しているだけで無事なようだ。
──ボク…頑張ったよね…?
極限状態での変性意識による影響なのか、アリアにホーンド・レイブンが語りかけた。その声は、幼い子供のようだ。
幻聴だろうと構わない。この子には感謝しかない。
「ええ……。よく、頑張ったわ……。あなたがいなければ、私たちは、ここに辿り着けなかった……」
アリアは、込み上げる涙を抑えきれず、震える声で語りかけた。
我が子を労り慈しむように、機体のメインコンソール、その冷たくなったパネルにそっと優しく手を添える。
「だから……もう、大丈夫よ……。ゆっくり、おやすみ……。私たちの『翼』……」
──よかった……。じゃあ……おやすみ……ママ……。
そして、最後まで一つだけ点灯していた計器ランプが、命の炎が尽きるかのように、ゆるやかに、そして永遠に消え去った。
「はぁ……」
アリアは涙をぬぐい、深く深呼吸をし、自らの頬を両掌で一喝。
今は、感傷に浸っている場合ではない。
「あなたたち、呑気に寝てる場合じゃないわよ。とっとと起きて!」
「…うう…どうなった…? 俺たち…助かったのか…?」
アリアの呼びかけに、グレイブスが意識を取り戻した。
「ああ、そうみたいだな……」
「ハァ…システムの方は全滅…。機体の損傷具合から、もう飛べそうにないですね……。帰還方法はどうしましょう?」
同じく、サンダーズとハーパーも続いて目を覚まし、早速の現状把握。
「……まぁ、死神に嫌われたようで何よりね。今は帰る事より、まず、他スタッフの安否確認からよ!」
アリアたちは、損傷した機体から這い出し、貨物室で待機していた他のクルーたちの生存確認。
全員無事だ。誰しもそれを奇跡と称した。
ホーンド・レイブンは、その命が尽き果てようとも、見事に責務を全うしたのだ。
周囲は猛吹雪と、墜落の衝撃で歪んだ金属の残骸、そして凍てついた雪面だけだった。彼女の視線の先には、かろうじて機能しているポータブルGPSが示す、目標座標があった。
エレシュキガルは、依然として3000m下の氷底に沈黙したままだ。
「通信は不可能…だが、まだやれる。」
チームの生存者たちと合流したアリアは、状況を冷静に分析した。
輸送機は完全に航行不能だが、最も重要な物資――氷底を融解させるための高出力レーザー装置と、特殊機材類は、耐衝撃コンテナによって無事だった。
問題は、これらを3000m下の氷底まで運搬し、安全に設置することだ。
道中には、核の冬で活動が活発化した極地のネクロム。
極寒に適応し、さらに狂暴化した生態系の脅威が待ち受けている。
「目標地点まで、この重量物を人力で運ぶのは不可能だ。」
一人の隊員が呟いた。
「それに、どうやって3000mも降りるんです?」
アリアは、その隊員を一瞥して、然も無いと言った様子で即答する。
「当然、‶車か電車〟ね。」
「は?」
何が当然なのか、この天才は何を言っているのか、理解できずに間の抜けた表情の隊員。
アリアはその反応にやれやれと、深いため息をつく。
「エコー・ベースは設立当初から、深層氷床コアリングや地質調査のために、特殊なドリル車両が通行可能な幅と勾配を持つ、大規模な‶スパイラル掘削トンネル〟が、既に地下深くへと掘り進められていたのよ。」
「な、なるほど…」
「エレシュキガルは、この掘削トンネルの終点、あるいは途中から派生した支線の先に位置していた、とすることで、3000mという深度へ車両運用でのアクセスが可能というわけ。理解した?」
「りょ、了解です。そうなると……」
隊員は、ようやく理解したもの、懸念要素が脳裏によぎる。
「ええ…エコー・ベース跡地を通る必要があるわね。」
かつてエミールたちが地獄を経験したエコー・ベースは、今やネクロパルス菌と極地の氷に半ば埋もれた廃墟となっている。
そこには、最初の感染者である主任科学者ハーマン教授を含め、無数のネクロムが眠っている可能性が高い。
人類最後の希望を乗せた南極ミッションは、まさにここからが本番だった。
凍てつく死の地で、彼らは「エレシュキガル」へと続く、絶望的な道を切り開かなければならない。
南極の白い荒野に墜落したホーンド・レイブンの残骸から、アリアたちは最後の希望を背負い、かつてのエコー・ベースへと足を踏み入れた。
目標はただ一つ、地下3,000メートルに沈黙する「エレシュキガル」に再び到達することだ。
「前方、ネクロム反応、多数!」
廃墟と化したエコー・ベースは、核の冬の極寒に適応したネクロム獣と、かつての隊員が変異したネクロムたちの巣窟と化していた。
雪に埋もれた居住区の窓からは、異形の影が蠢き、研究棟の入口からは、耳をつんざくような咆哮が響く。
「隊列を維持! 融解レーザーと掘削機材を優先的に運搬する! 側面を固めよ!」
アリアは冷静に指示を飛ばした。彼女たちは、輸送機から回収した残存兵器と、アリアが急造した簡易な自走式搬送ユニットに融解レーザー装置を搭載し、慎重に進んでいく。
「あれは…ハーマン教授か…?」
視線の先に、かつての主任科学者ハーマン教授らしき、異様に膨れ上がった「凶変異体」が立ちはだかった。
体中に黒い血管が浮き上がり、顔は判別できないほど歪んでいる。
彼は、まるで基地を守る番人のように、通路の真ん中に仁王立ちしていた。
「目標、ハーマン! 全火力を集中せよ!」
激しい銃撃が始まり、レーザーが凶変異体の巨体を貫く。
しかし、その肉体は驚くべき回復力で傷を癒していく。
「エミールのデータによれば、奴らの核心は脳じゃない! 特定の結合組織が活性源!」
アリアは叫びながら、精密照準でハーマンの特定の部位を狙うよう指示した。
苦戦を強いられながらも、彼らは決死の覚悟で強敵を突破し、ついにエコー・ベースの深層掘削トンネルへの入り口に到達した。
トンネルの入り口は、氷と崩れた岩盤で塞がれていた。
しかし、エミールたちが以前使用していた、緩やかな傾斜を持つ「スパイラル掘削トンネル」の構造は、かろうじて保たれていた。
「よし! このルートを使えば、3,000メートルまで到達できるわね!」
アリアは、輸送機から回収した掘削機材と、残存する電力を使って、簡易的なレール式牽引システムを構築し始めた。
重い融解レーザー装置を搭載した搬送ユニットをレールに乗せ、ゆっくりと地下へと降下させていくのだ。
「照明が不安定だ! 前方、視界不良!」
トンネル内部は、外界のブリザードとは異なる、さらに陰鬱な闇に包まれていた。
数万年にわたって眠っていた菌の胞子、そして変異した昆虫や小動物のネクロムが、崩壊した構造物の隙間から不気味な音を立てて蠢く。
彼らは、わずかな光と音に反応し、隊員たちに襲いかかろうとする。
「後方から接近! 巨大なムカデ型ネクロムだ!」
レーザーの光が、異様に巨大化したムカデの体表を照らす。
彼らは、氷の中を自在に移動し、チームの掘削作業を妨害しようとする。
隊員たちは、狭いトンネル内で身をかがめながら、襲い来るネクロムと戦い続けた。
数日間の絶望的な降下作業が続いた。
電力は常に不足し、食料も尽きかけ、隊員たちの疲労は極限に達していた。
しかし、エレシュキガルに辿り着くという、ただ一つの目的が彼らを突き動かしていた。
そしてついに、地底深く、彼らの前に、漆黒の巨大な影が姿を現した。
それは、3,000メートル下の氷底に荘厳と沈黙する‶冥界の女王〟。