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第8話 空戦



 ホーンド・レイブンは、核の冬が支配する空を南へと向かっていた。


 機体は、分厚い雲を突き抜け、時折、上空のジェット気流に煽られて大きく揺れる。セレス基地から飛び立って数時間、機内には特有の機械音と、隊員たちの息遣いだけが満ちていた。


 コックピットウィンドウからは、鉛色の空がどこまでも広がっていた。

 地表は厚い雲に覆われ、地獄と化した世界を隠している。

 しかし時折、雲の切れ間から、放射能によって変異し、不気味な輝きを放つ氷の山々や、異形化した都市の残骸が垣間見え、人類が失ったものの大きさを突きつける。


 それは、どこか不自然なほどの静けさだった。

 ネクロムの咆哮も、彼らが蠢く音も、この高度ではまだ聞こえてこない。


 元アメリカ空軍の退役軍人、グレイブスは操縦桿を握り、計器類に目を走らせる。

 彼の表情は冷静だが、その目には遠い過去の空戦の記憶がよぎっていた。


「この感覚、懐かしいな……」


 彼は かつて「62d Airlift Wing(第62空輸航空団)」に所属し、大型輸送機のパイロットとして、数々の困難な作戦に従事してきた。

 パンデミックで家族を失い、一度は生きる希望を失いかけていたが、アリアの計画と「人類を救う」という大義に再び人生を賭けることを決意したのだ。


「何か言った、()()?」


 隣に座るアリア・ヴァンスは、メインコンソールで、データ分析作業に没頭。

 視線はそのまま、グレイブスに何事か尋ねた。


「いや、ただの独り言だ。…それに、そんなカビの生えた肩書きなんざ、とうの昔に‶ワシントン〟に捨ててきたよ」


「ワシントン?…ああ、『ルイス・マッコード統合基地』のことね。まぁいいわ、それよりも……」

 

 アリアは、どうでもいい事だと、再び作業へ戻るが、指先が微かに震えていた。

 エレシュキガルから齎されたデータの解析は進んでいるが、ネクロパルス菌の全容は未だ闇の中だ。

 彼女の思考は、未来への期待と、背負った人類の命運の重さの間を揺れ動いていた。


 「…何も来ねぇな。」


 後部座席の、サンダーズがレーダーコンソールを凝視しながら、小さく呟いた。

 警戒を緩めないまま、わずかな敵性反応を探り、周囲の計器を確認する。


  サンダーズは、元陸軍特殊部隊「デルタフォース」の曹長。

 世界最高峰の対テロ・コマンドの一員として、極秘任務を数多く経験。

 高度な戦闘訓練、偵察、サバイバル術に精通しており、最新のセンサー技術や戦術装備の扱いに長けている。


 その隣で、ハーパーが通信機器のノイズの中から微かな電波を探り、情報処理に集中している。


「ここまで通信が途絶えるとはな。まるでこの空に、私たち以外の生命が存在しないとでも言いたげだ……」


 通信機から聞こえるホワイトノイズに眉をひそめ、苛立たしげに呟く。


「それが一番恐ろしいな。」


 サンダーズが低く答える。


 ハーパーは、元NSA(国家安全保障局)の主任情報分析官。

  高度な情報収集、暗号解読、そしてサイバーセキュリティの専門家として、国家の機密情報を扱ってきた。

 パンデミックにより情報網が寸断される中で、わずかに残されたネットワークを駆使し、セレス基地の通信機能を支えていた。


 彼らの顔には、疲労と、これから始まるであろう死闘への緊張が滲んでいた。

 各々が各システムを点検し、静かに息を吐く。


「…静かすぎるな。」


 グレイブスが、沈黙を破るように呟いた。


「ええ。まるで、何かを待っているかのように…」


 アリアの声は、空の静けさとは対照的に、どこか張り詰めていた。

 彼女の脳裏には、南極で見た無数のネクロムの残骸と、地底深くに潜む異星の存在が焼き付いている。


 その時、機体の外気温計が急激な低下を示し始めた。

 そして、気象レーダーが突如として激しい乱れを示し始める。

 遠くの空に、不吉な嵐の兆候が見え始めたのだ。

 それは、自然の猛威だけではない、何かが迫っている予兆でもあった。


 嵐は、まるで空の壁のように、彼らの行く手を塞ごうとしていた。

 そして、その嵐の向こうから、彼らを待ち受ける異形の影が蠢き始めていることに、まだ彼らは気づいていなかった。



「目標、南極上空。現在の高度、16000フィート(約5,000m)。気象データ、異常あり。ジェット気流が乱高下。機体への負荷が増大。」


「了解、アリア。ハーパー、航路の再計算は?」


 機長を務めるグレイブスが、乱気流に揺れる操縦桿を握りしめながら、冷静に指揮し、アリアが副パイロットとして、機体システムを監視していた。


「データリンクは不安定ですが、最悪の進路は避けます! ですが…」


 ハーパーの声が途切れた。


「後方、急速接近する多数の反応! ネクロム、推定鳥類型! 大規模な群れです!」


「まさか、こんな高高度まで…!」


 サンダーズが、レーダーディスプレイを凝視する。

 ディスプレイには、点滅する無数の赤点が、まるで津波のようにホーンド・レイブンに迫っていた。


 機体に不気味な影が落ちる。窓の外には、核の冬に適応し、異様に肥大化した翼を持つ、巨大なカラスやワシのようなネクロム獣の群れが、猛烈な速度で迫っていた。  

 その目は血走っており、鋭利な爪と嘴は、金属を容易く引き裂くだろう。

 彼らの咆哮が、機体に搭載された防音システムをわずかに貫いて聞こえてくる。


「迎撃用意! 30mm機関砲、展開!」


 アリアが冷静に指示を飛ばした。

 機体側面から、重々しい音を立てて30mm連装機関砲ポッドが展開される。


「目標、最も密度の高い群れ! 発射!」


 轟音と共に、30mm機関砲が火を噴いた。

 炸裂する徹甲弾が、ネクロム獣の群れを次々と撃ち落としていく。

 肉片と黒い体液が空中に飛び散り、機体の窓に叩きつけられる。

 しかし、その数はまるで減らない。


「キリがない! 連中、機体に食らいついてきます!」


 ハーパーが報告。外装カメラの映像には、機体のあちこちにしがみつき、装甲を爪で引っ掻くネクロムの姿が映っていた。

 彼らの体液が機体に付着し、装甲をわずかに侵食し始めている。


「主翼に損傷! 異星合金部分にも浸食!」


 アリアが叫んだ。ホーンド・レイブンの軽量・高強度合金で強化された装甲も、この猛攻には限界がある。


「ダメだ、数が多すぎる!このままじゃ機体が持たない!」


 グレイブスが焦燥の声を上げた。


 アリアは、即座にコンソールのパネルを叩いた。


「了解! 指向性音波パルス、展開! 全員、神経保護システム起動! グレイブス、機体をやや傾けて!」


 機体下部から、重々しい音を立ててポッドが展開される。


「目標、直下の群れ! パルス発射!」


 瞬間、ホーンド・レイブンの下部から、可視光では捉えられない、しかし空間そのものを震わせるかのような低周波の音波パルスが放たれた。

 それは、地鳴りにも似た微かな振動となって機内にも伝わる。

 直後、機体に群がっていたネクロムたちが、まるで糸の切れた人形のように、あるいは神経を直接焼かれたかのように、突如として動きを止めた。

 

 異形の体躯が痙攣し、空中から次々と落下していく。

 

 彼らの目からは、見る者を凍り付かせるような混乱と苦悶の色が浮かんでいた。

一時的に、機体の周囲からネクロムの数が激減した。


「効いてる!奴らが怯んでるぞ!──いや待て、前方!」


 サンダーズが、絶叫に近い声を上げた。


「超大型反応!」


 巨大な影が、嵐の雲間から現れた。


 それは、太古の空を支配した巨体だった。だが、その皮膚には青黒い血管が浮き出し、目は濁り、口からは凶悪な牙が覗いている。


「あれは…‶プテラノドン〟!? なぜ古代の生物が…?」


 それは、明らかにネクロパルス菌によって変異した、「翼竜型ネクロム」だった。 しかし、不可解な疑問は、今は思考の片隅に追いやられる。


「機首レーザー、出力最大!撃てぇ!!」


 アリアが命令する。機首から、高出力融解レーザーが発射された。


 オレンジ色の極太の光条が闇を切り裂き、翼竜型ネクロムの胴体を文字通り蒸発させた。

 空中に、異様な硫黄の臭いが立ち込め、残された群れが一時的に怯んだ。


「今よ! ハイブリッド推進システム、最大出力! 慣性制御も最大!」


 アリアが叫んだ。エンジンナセルから、異星由来の補助推進コイルと、ターボファンエンジンの推力が融合し、ホーンド・レイブンは急激に加速した。


 搭乗員にかかるはずの高Gは、劣化版重力制御(慣性制御)モジュールによって部分的に相殺される。

 体感的には通常の加速だが、外部から見れば信じられないほどの機動だ。

 ネクロムの追撃を振り切り、機体はさらに南へと向かう。


 しかし、高負荷の戦闘は、システムに大きな負担をかけていた。




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