アルテーヌの子どもたち
お読みいただきありがとうございます。
今回は襲撃の様子や人が怪我をする場面が出てきます。
苦手な方はご注意ください。
マクガリー辺境伯家メルヴィル、ベルジェ伯爵家パトリシア、デュボア伯爵家カトリーヌこの三人は幼い頃、グラーシュ公爵家アンジェリカ嬢の、所謂「影武者」たちだった。
顔かたちが同じような人間が選ばれる一般的なものではなく、影武者たちは他にも数人いて、誰がアルテーヌの相続人ゾフィーの孫なのかわからないように育てられたのだ。
四家は長い議論の末、四家に生まれた年の近い子供たちをごちゃ混ぜに育てる事でアンジェリカ嬢を守ろうと決めた。
グラーシュ公爵家の潤沢な資金、マクガリー辺境伯家とベルジェ伯爵家の表裏一体の護衛、デュボア伯爵家の諜報、それらすべてを駆使して我が子たちを守り抜く。
子供たちには戦うためではなく自分を守る事に特化した技術と、どんな過酷な状況でも生き抜く術を幼い頃からしっかり叩き込んだ。
必ず二人で行動する事を決めたのは、もしも連れ去られた時には協力して状況を打破する方法を考え、決してあきらめないと励まし合うため。
そして、どこに居ようと我々は必ず助けに行く。だからどんなことをしてでも必ず生き延びよと厳命した。
子どもたちは組み合わせを変えて常に二人一組で、グラーシュ家、マクガリー家、ベルジェ家、デュボア家、アルテーヌ邸をランダムに回って生活している。
服装も共有で、日替わりで誰か一人か二人が男の子の格好をすることに決めていた。
デュボア伯爵家は流通を通じて各国に張り巡らせた諜報網を駆使し、潜入者たちはアルテーヌの相続人に関する真偽を織り交ぜた情報を多方面から大量に流して撹乱する。
『アルテーヌに生まれた子は黒髪の男の子だそうだ』
『いいや、亜麻色の髪の女の子だと聞いていたが、いつも同じ服装で二人一緒に居るらしい。もしかして双子なのでは?』
『自分は、茶色の髪の男女の双子と聞いていたが、二人とも女の子なのか?』
『私が馬車に乗っているのを見た時は、黒髪と金髪の二人とも男の子だったよ』
謎は噂を呼び、噂は広がる程に尾鰭がついて真実を覆い隠す。
それぞれにマクガリー辺境伯の騎士が護衛に付き、侍女や乳母や従者に扮したベルジェ伯爵家の影たちに常に側を離れず付き従われている子供たちは、いずれにしても要人の子どもであることは間違いない。一体誰がアルテーヌの次の相続人なのかと、子供たちは民衆の注目を集める事になり、その多くの民衆の目もまた子供たちを守る盾となっていた。
どの子がアルテーヌの次期相続人なのかわからない以上、バラバラに行動する沢山の子どもたち全てを攫う事は不可能であり、仮に数人攫ったとしても、その中に目当ての子がいなければ意味がない。
それでもバランデーヌ国はその時を狙っていたのだ。
子どもたちが十歳前後になった頃、それぞれに特化した訓練が始まった。
マクガリー家の子どもたちはやはり剣が得意な子が多い。
ベルジェ家では暗器と呼ばれる小型のナイフや隠し武器などを器用に扱う子が多かった。
デュボア家の子どもは、それぞれが実に様々な特技を持っていた。料理やお菓子作りが上手い子は薬や毒の見分け方や扱いに長け、語学の才能を持った子は各国の方言まで聞き分けられる。また、代々受け継がれている口元を全く動かさずに会話をする、腹話術を全員が習得しており、読唇術を封じるために、他の影武者の子どもたちにも伝授してくれた。
子どもたちは皆仲良く、しかしそれぞれが少しずつ自分の立場を理解するようになると、自然と役割に応じた位置にシフトチェンジをして行った。
その中で、特にアンジェリカと相性が良く実力も申し分のない三人が最側近として目されるようになったのだ。
二歳年上のマクガリー辺境伯家メルヴィルは祖父と父、二人の辺境伯に鍛え上げられ、王都の学園の入学前に騎士科の卒業試験を軽々と突破するほどの剣の実力を持つ。
同じ時期に生まれたベルジェ伯爵家パトリシアはアンジェリカの乳姉妹であり、ドレスのまま暗器だけでメルヴィルと互角に戦える。母で侍女長のベルジェ伯爵夫人の仕込みで、将来は表裏一体のその地位を引き継ぐことを決めている。
デュボア伯爵家カトリーヌは腹話術の天才だ。腹話術での声真似には誰もが度肝を抜かれる。特にアンジェリカの声真似は父のグラーシュ公爵にしか聞き分けられない。
そして物事や人を思い通りに動かすために、まるで美しい蜘蛛の糸を張り巡らすような諜報網を敷き、それを指揮する能力に非常に長けている。
たまに声真似をする人物の人形を作って披露してくれるので、皆とても楽しみにしている。
常に緊張を強いられる生活の中にあっても、皆で助け合い肩を寄せ合って暮らしていた。
アンジェリカも自分の立場を理解するに従い、子供ながらにこれだけ尽力してくれた皆にどう報いていくのかを大伯父のユアンや父のグラーシュ公爵に師事しながら考えるようになっていった。
そんな風に過ごしていたある日、今までずっと断り続けているにも拘らず相変わらずしつこく届く王家からの婚約の打診と共に、先日王太子に決まったラシェル殿下のアルテーヌ視察の同行要請が届けられた。
体の良い見合いの強要だ。
見目麗しいと評判の王太子殿下を見れば若い娘のアンジェリカが靡くと思っているのだろうか。
今までアンジェリカについては性別すらも公表していなかった。王家からの親書にも婚約の打診を含めて、グラーシュ公爵家のみの記載を徹底することを要請していたのだ。
グラーシュ公爵家から、裁可を下した署名のある宰相エリオット公爵を通じて、これだけ徹底してアンジェリカが特定されないように動いているのを知っていながらそれを暴きかねない要請を行った事へ抗議すると、王太子の婚約者になれば今後は王家が守ると返事が返ってきた。
特定が出来ないから生きていられたのだ。
特定さえ出来れば、バランデーヌにとっては「王の孫がバランデーヌ国に入った」という事実があれば生死などどうでも良い。似た子どもなど探せばいくらでもいるのだ。
いずれ分かる事だとはいえ、今はその時ではない。
全く迷惑この上ない。
しかし、要請という名の王家からの命令には従わざるを得ず、四家の重鎮とアンジェリカ、今残っている影武者の五人の子どもたちと協議のやり取りを行った。婚約の打診と共に届いた「王太子の視察同行」と手紙に記された以上、令嬢である可能性が限りなく高いと判断されているだろう。
アンジェリカを含めた今いる六人は、これまで順番に男女の扮装をしてきたのだが、成長するにしたがってそれが難しくなってきていた。六人の内二人はここで離脱して護衛に回る事になった。デュボア伯爵家の一門の令息マルコムは語学に堪能で特に耳が良い少年で、マクガリー辺境伯家の傍系の令息カールは短剣の扱いに長けている少年だ。
一番の懸念は皆が一ヶ所に集まるという事だ。四人に減った事で一網打尽に攫われないように、もしもの時の為に邸周辺と厳重な警戒態勢を敷き各脱出ルートは入念にチェックされた。
トーラント王国の王太子が居る場所での強行はさすがに避けると思われるが、そちらの警護はくれぐれも王家に任せると通達し、当日を迎えた。
さんざん脅したせいもあり、馬車三台に物々しい数の騎乗の護衛に囲まれた大所帯で、アルテーヌ入りをしたラシェル王太子殿下の一行がアルテーヌ邸の馬車寄せに到着し、出迎えのために人々の注意がエントランスに集中した時だった。
四人の令嬢が控えていた三階の応接室の窓ガラスが破られ、窓からぶら下がった数人の黒装束の賊が四人の令嬢に向かって夥しい数の鎖の付いたかぎ針を投げ、ドレスに引っ掛かかったと思うや否や強い力で引っ張られた。窓から引き摺り出そうとしているのだ。
音を聞いて雪崩れ込んで来た騎士や護衛たちが引き摺られる四人の令嬢を押しとどめ、護衛兼侍女が即座に取り囲んで四人のドレスを裂き、針の絡んだ髪を解いていく。
まだ取り切れていないかぎ針の鎖は剣では切れず、賊がぶら下がっている鎖も切る事が出来ないと分かったマクガリー家のカールが、新たに投げつけられるかぎ針を凪ぎ払いながら窓の外の賊を切りつけようと近づいた時、脇腹に賊の投げた短剣が刺さった。
悲鳴も声も上げる者は誰も居ない。
そこへ厨房から熱湯が桶で次々と運ばれ、窓の賊に向かって滝のように浴びせて行った。賊が熱湯に怯んだ一隙をついて護衛たちが三人掛けのソファーを投げて鎖ごと賊を吹き飛ばした。
即座に次の襲撃に備えて態勢を整え、アンジェリカとメルヴィルは倒れているカールの服を引っ張って隠し通路の扉になっているキャビネットの前に移動した。
移動しながらパトリシアとカトリーヌがマルコムに庇われてもう一つの隠し通路から退避したことを目の端で捉え、二手に分かれられたことを確認すると、メルヴィルと共にカールの応急処置に掛かった。
歯の根が合わず手が震えてカールの服が上手く裂けない。
患部が露わになると、剣は刺さってはいないが脇腹を切り裂いている。
内臓に達してはいない様だが出血が酷い。侍女が運んできた沢山の綺麗なタオルを押し付けて止血をするが、カールの顔から血の気が失われていく。
護衛たちが私たちの廻りを取り囲み、騎士たちが周囲を警戒しながら確認している間、メルヴィルと二人でカールの傷を押さえながら子供のころから叩き込まれた言葉を呪文のように唱え続けた。
「絶対にあきらめるな!必ず生き延びろ!助けは必ず来る!絶対に死なせない!」
騎士に先導されて幼い頃から知っているグラーシュ公爵家の専属医師が担架と共に駈け込んで来た。
「もう大丈夫だ!助けに来たぞ!」
先生の声を聴いた途端、涙が溢れて止まらなくなった。場所を譲って先生が傷の処置をしている間、がくがくと震えが止まらず、口を開けてもがちがちと歯が鳴るだけで言葉にならない。同じように震えてはいるがしっかり立っているメルヴィルに支えられ担架に乗せられたカールに近寄った。
「二人とも、酷い顔だよ」
酷い顔色でそう言って微笑み、運ばれていくカールを見送っていると後ろから先生に肩を叩かれた。
「二人ともよくやった! 大丈夫だ、カールは助かる」
そう言われて全身の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。
襲撃とは、命を狙われるとはこういうことなのだ。
恐ろしかった、強い力で窓の外に引き摺り出されそうになるあの感覚もだが、何よりカールに剣が刺さった瞬間、血が凍ったような気がした。
傷を見た時よりも、顔から血の気が引いていくのを見ているしか出来ない事の方が遥かに恐ろしかった。
侍女たちに立たせてもらって部屋を移動しようとした時、廊下から何やら言い合う声が聞こえ、びくりと体を強張らせて顔を向けると、見たことのない男の子が三人、入り口に立っていた。
その一人と目が合ったとたん、その子は私を指差して叫びだした。
「な、なんでこんな女と結婚しなくちゃいけないんだ! 絶対に嫌だ、こんな女なんか絶っ対に嫌だ! 今すぐ父上と母上に言いに帰る!」
そう言って涙を浮かべて走り去っていった。
後の二人も嫌なものを口に入れたみたいな顔をして後を追って走って行った。
ドレスはズタズタで原型を留めておらず、髪はぼさぼさに振り乱され、おまけに血だらけで、恐怖のあまり呆然自失になっていた私は、なるほど、カールにも言われた通り酷い顔だっただろう。
だから何だというのだ。
あんな子の事はどうでも良い、早く身支度をして皆の所へ行かなければいけない。
次の日、警戒態勢は緩めず、一つずつ状況の確認をして行った。
屋根に潜伏していた賊は、鎖を持って屋根から飛び降り、その勢いで窓を蹴破ったようだ。
あの大量のカギ針付きの鎖の端は下に居た賊の仲間達が持っており、引っ掛かると同時に引っ張る仕組みになっていたらしい。
窓の下には輿が停められており、その上に吹き飛ばされた賊の数人がソファーの下敷きになっていたそうだ。逃げた賊の追跡は引き続き行っている。
その場所から三階の破られた窓を見上げ、あそこから落ちていたら確実に死んでいただろうと思うと改めてぞっとした。
大伯父様の言う通り、バランデーヌ王は生き死にには関係なく私がトーラント国を出てバランデーヌに入国したという事実だけが欲しいのだと実感した。
人ならざる悪魔
その言葉を耳にする度、ぞわりと肌が粟立つ。
私にも祖父であるその男と同じ血が流れているのだ。
人ならざる者に私は決してならない。そう自分に言い聞かせ決意を新たにするも、心の片隅に一抹の不安が過ぎり、自分を恐ろしく感じてしまう。
その日、私はその不安をお父様と大伯父様に全て吐露した。
二人は最後まで真剣に私の話を聞いてくれ、しっかりと応えてくれた。
「今まで公女様は、お父上やゾフィー王妃、影武者の者たちや護衛、侍女やメイド、僭越ながら私も含め、怪我をしたり病気になった時、どうでも良いと思った事はおありですかな?」
問われた事が理解できず、目を丸くして答えた。
「そんなこと!あるわけありません。みんな私の大切な家族です。怪我や病気になったなんて聞いたら、心配でたまらないわ」
お父様が笑いながら頭を撫でてくれた。
「そう思えるなら心配は無いよ。絶対にあの王の様にはならない。
どうしても不安ならこう思うと良い。君の血の中には確かにあの王が居るかもしれないが、同じ血の中にユアン殿と私が居る。ゾフィー王妃も、君の母のマリーも居る。
皆で力を合わせたら、あの王なんかやっつけてしまえると思わないかい?」
そう言ってウィンクして大伯父様を見ると、大伯父様は破顔して大きな声で笑いながら言ってくれた。
「なんだ、そんなもの私一人で十分だ。見つける度に大槌で叩き潰してやろう」
それを聞いて、以前カトリーヌが大伯父様の人形で腹話術を披露していたことを思い出した。槌を持って虫を追い掛け回して退治しているところを想像して、私もつられて笑ってしまった。
そうだ、私にはあの王だけの血が流れているわけじゃない。
大丈夫、悪い虫は大伯父様が退治してくれるわ。