閑話 父の回想と静かな怒り
少し短めです。
誤字報告ありがとうございます!
広大で豊かなアルテーヌ。
そのほとんどが、中央を流れる大河の恩恵を受ける肥沃な穀倉地帯であり、オルザス国、バランデーヌ国、モンテ国、トーラント国の四つの国に接した紛争の地でもあった。どの国もその豊かな実りの占有権を欲している為、アルテーヌの土地そのものを踏みにじる行動は起こさず、政治的な駆け引きや婚姻などの政略を駆使して何とかその土地の権利を手に入れようと牽制し合っていた。
それが三代前、アンジェリカの祖母ゾフィーがアルテーヌの相続人に決まった頃、美しいと評判だった彼女がバランデーヌ国の王家に攫われてしまった。
当時アルテーヌが属していたトーラント国は猛抗議をしたが、それを無視してバランデーヌ国は王妃となるゾフィーの領地とし、アルテーヌの農産物の流通条約をモンテ国とアルザス国と結び、三国が同盟を宣言したため、トーラント国も農産物の流通のためにバランデーヌ王とゾフィーの婚姻を承認せざるを得なかった。
しかし、バランデーヌ国の国王は既に寵姫として常に側に置く自国貴族の令嬢とも婚姻を結んでおり、ゾフィーを王妃として発表し、各国を招待した結婚式と戴冠式を行った後は離宮に閉じ込めて子を産ませた。娘が生まれると王女の誕生と公表し、祝賀行事を行うと同時に母娘を王都の城壁の塔に幽閉してしまったのだ。
バランデーヌ王家はその事をひた隠しに隠していたが、妹のゾフィーと連絡が取れない事を心配した実兄であるトーラント国のマクガリー辺境伯が自身の極秘部隊であるベルジェ伯爵家を総動員して数年がかりで漸く居場所を突き止めたのだ。しかし見つかった時にはゾフィー母娘は衰弱が激しく、奪還は武力だけでは無理だと判断したマクガリー辺境伯は、諜報と潜伏に長けたデュボア伯爵家を擁するグラーシュ公爵家に助けを求めたのだった。
潜入の結果、何とか移動に耐えられるだけの回復をしたゾフィー母娘を奪還し、即座にその健康状態と劣悪な幽閉状態をモンテ国とアルザス国にも開示した。
モンテ国とアルザス国は、バランデーヌ王がゾフィーを見初めて愛し合った末の駆け落ちだと説明されており、その強引な手段に業腹ではあるものの同盟を結んだのはゾフィーが王妃として大切にされている事が前提だったのだ。
それが、実際は誘拐であり子を産ませた後は幽閉して劣悪な環境で瀕死の状態に追いやった事、二人を亡き者にした後、王妃は病死と発表し、寵姫の生んだ娘をアルテーヌの後継者と偽って乗っ取る計画だったことも白日の下に晒されて大々的に告発された。
各国の信用を失ったバランデーヌ国とは国民のための人道的な流通のみが行われ、アルテーヌと三国との国境は封鎖されて国交は絶たれた。
助け出された時、ゾフィーの娘は洗礼も受けておらず正式に名前さえも付けられていなかった。マクガリー辺境伯家ではそれまでゾフィーだけが呼んでいた、マリーという名を正式に届け出て洗礼を受けさせた。二人は兄であり伯父であるマクガリー辺境伯に大切に保護されて漸く人間らしい生活が出来るようになったのだ。
ゾフィー奪還の時から信頼関係を築いてきたマクガリー辺境伯家とグラーシュ公爵家は領地が隣接している事もあり、マリーと同い年だったグラーシュ公爵家の嫡男ジュリアンは幼馴染としてお互いを大切に思いながら育ち、ゆっくりと愛を育んで結婚した。
しかし、生まれた時から劣悪な環境に置かれていたマリーは体が弱く、娘のアンジェリカを産み落とすと同時に儚くなってしまった。
マリーの母ゾフィーと夫のジュリアンの悲しみは深かったが、マリーが命と引き換えに残してくれたアンジェリカを大切に大切に育てて来たのだ。
あれから16年、グラーシュ公爵ジュリアンは妻マリーの小さな肖像画と髪を納めたロケットを常に持ち歩いている。
『体の弱い私はきっと長くは生きられないわ。あなたを置いて逝かなければいけないなら、私の生きた証としてあなたの子を残したいの。あなたは私たちの子を必ず幸せにしてくれる素晴らしい父親になるわ。そしてその子は必ずあなたを幸せにしてくれる。
私はたくさんの幸せをくれたあなたを悲しませるだけの存在ではなかったと、そう思える事が唯一の救いなの』
そう言って、出産には耐えられないと知っていながら、私の腕の中に素晴らしい宝物を残して逝ってしまったマリー。
マリー、私は二人の宝物を傷つけようとした者どもを許せそうにない。
『お飾りの王妃としてどこかに閉じ込めておけば良い、あの公女の祖母の様に』
君が生まれたと同時に助け出されるまで、小さな命の火を懸命に灯し続けたあの地獄のような幽閉場所を知りもしない者どもが、アンジェリカを同じような目に遭わせようと嗤いながら計画していると知った時、体中の血が沸騰する程の怒りを覚えたんだ。
戦争も紛争もない今、王都でぬくぬくと過ごしてきた者どもには君たち母娘やアンジェリカがどれ程必死に生きて来たかなど分かりはしない。
処罰の内容は任せると言われて王家にあの者どもに相応しい場所を用意させた。
お前たちが嘲笑いながら軽々しく口にした場所がどれほど過酷でどれほど劣悪か、身を以て思い知るが良い。
グラーシュ公爵はロケットを握りしめ、陛下の裁定が行われる謁見室へ向かう。