後日談 王都を去る前に②
「アンジェお姉様!」
王都を発つお別れの手紙の返事として、エリオット公爵家から送別の晩餐会の招待を受けたアンジェリカ一行が、エリオット邸のホールに入ると、エリオット公女グレースが元気よく螺旋階段を駆け下りて来た。
ピンクのドレスを纏い、持ち物が全てピンクだ。相変わらずお人形のように愛らしい。
エリオット公女を受け止めてお話をしていると、夫のエリオット前公爵にエスコートされた、現エリオット女公爵が優雅に螺旋階段を下りて来た。
アンジェリカと、今はまだ側近の五人は一斉に礼を執って招待の礼を述べた。
「本日は晩餐のお招きありがとうございます。皆とても楽しみにしておりました」
エリオット女公爵は、鷹揚に笑ってアンジェリカの手を取って招き入れた。
女公爵がちらりとエリオット公女に目を向けると、エリオット公女はちょっと肩を竦めた後、実に優雅なカーテシーを披露した。
「こちらこそ、招待を受けてくれてありがとう。皆に会えるのを楽しみにしていたのよ」
晩餐は和やかに進み、デザートは談話室で頂く事になって皆で食堂を後にした。
甘いお菓子と食後のお茶を頂きながら、アットホームな雰囲気でアルテーヌと近接するグラーシュ領やマクガリー辺境伯領の事や、エリオット公女をお迎えする場所や護衛の配備など、具体的な話の調整も行った。
アルテーヌはこれから三国の庇護下に入り、それぞれの国から大使を受け入れる事が決まっている。総合庁舎となる現在のアルテーヌ邸は改修中であり、それぞれの国の大使館の建設も始まっている。三国の流通の要として町はもっと大きくなるし、独自の自治の為の法整備も行わなければならない。これから三国との調整に入る為、アンジェリカの激務と共にエリオット公女もかなり忙しくなると伝えた。
もちろん無理はさせませんし、お預かりする以上きちんと交流を致しますと約束した。
エリオット公女に滞在して頂くのは、グラーシュ公爵邸のアンジェリカの私室の隣を用意している事も伝えた。
先ず、メルヴィルとアンジェリカはアルテーヌの整備と管理に注力する事になっている。
グラーシュ公爵家もマクガリー辺境伯家も、現当主が働き盛りであるし、ユアン翁もまだ矍鑠としている。メルヴィルとアンジェリカは将来この二家も担って行くことになるが、その頃には、アルテーヌの守護者は代替わりをしているかもしれない。
そんな話がひと段落着いた頃、カトリーヌが箱を取り出した。
その箱から、エリオット公爵夫妻の人形と、エリオット公女グレースの人形がひょこりと顔を出した。それを見て顔を綻ばせていた三人だが、それぞれの人形が本人と同じ声でしゃべりだした途端、その顔は驚愕に変わった。
「お父様とお母様の声よ!そっくり、というかそのままだわ!」
エリオット公女の声に、夫妻も驚きながら頷いている。
「毎日お手紙を頂く事は事前にお知らせしておりましたでしょう? お手紙は、この人形たちがご夫妻に代わって読み上げます。そうすれば、離れていてもお寂しくは無いでしょう?」
そう言ったアンジェリカとカトリーヌの手を取った女公爵は、感極まって言葉が出ない様だ。
「おしゃべりすることは叶いませんが、グレース様のお人形はお手元にお持ちください」
そう言ってミニグレースを女公爵にそっと手渡した。
愛おしそうに人形を撫でるエリオット女公爵に、実はもう一つと、箱の中からルイの人形がひょこりと顔を出した。
エリオット公爵夫妻の目がルイの人形に釘付けになっている。
それを見ていたエリオット公女が、人形が新品ではない事に気が付いた。
「このお兄さまは、私たちより先に誕生していたのね」
「ええ、そうです。王都に来てすぐに誕生しました」
そう答えたカトリーヌに笑顔を向けたエリオット公女は、ルイの人形をじっと見つめ、首を傾げてその人形の頭をそっと撫でながら呟いた。
「きっと悪役だったのでしょうね。ねえ、お兄さま」
その言葉に、皆の目が泳ぎそうになった。リボンで吊るされてミニパトリシアとミニマルコムにパンチされていたなんて言えない。
すると、ちっちゃいルイは、えっへんといった風に胸を張って言った。
『そんなことはありません!』
一生懸命に胸を張って威張っているちっちゃいルイを、エリオット夫妻はしみじみと眺めていた。
カトリーヌが、女公爵にルイの人形を手渡すと、渡された女公爵はルイの人形をそっと抱きしめ、その背中を夫のエリオット前公爵が優しく擦っている。
「ありがとう」
そう聞こえた言葉は、エリオット夫妻どちらの声だっただろうか。
しんみりとした空気を振り払うように、女公爵がカトリーヌの手を、がしりと掴んだ。
カトリーヌもそれに応えて頷いている。
取り残された皆が唖然と眺めていると、カトリーヌがアンジェリカに問いかけた。
「デュボア伯爵家は、エリオット公爵家と事業提携したいと思います。寄り親であるグラーシュ公爵家の許可を頂きたいです」
がっちり握手しているカトリーヌとエリオット女公爵の目が輝いている。
二人に凝視されて、アンジェリカはこくこくと頷いた。
カトリーヌが人形の作り方やミニチュアのドレスのコツを話し、女公爵からはデザインやジュエリーの案があっという間に出来上がっていく。
人形用の繊細なレースの話が出た時、アンジェリカは持っていたジルベールのレースを取り出して披露した。
一流のレース職人を、エリオット女公爵が見逃すはずはなかった。
◇◇◇
それから数か月後、アルテーヌに戻って執務に追われていたアンジェリカは、何とか実務を繰り上げてエリオット公女を迎えに王都までやって来た。
社交界では、令嬢や令息とそっくりな人形と、本人とおそろいの服やドールハウスをプロデュースするエリオット公爵家の特別サロンの話題でもちきりだ。
これからは貴族だけでなく裕福な市民向けの店舗も展開するという。
公爵家の女性として社交界を牽引するとはこういう事なのだ。
エリオット女公爵の印章が押された、すっかりお馴染みの薄桃色のレースの縁取りが施されたカトレア模様の便せんが執務室に届く度、アンジェリカとパトリシアとカトリーヌが、貪るように読んではうっとりため息を吐く光景が見られるようになるのは、もう少し先の話。