サイラスとミーガン
出産後すぐに移動した教会で、ミーガンはサイラスと離されて産後の体調が戻るまで隔離されていた。
牢から付いて来たメイドが食事を運んで来る以外は、ここへ来るのは出産に立ち会ったシスターだけだ。その二人も必要最低限の会話だけで目を合わせる事すらしない。汚らわしいものに対する態度は、牢を出る時に向けられたものと同じだ。
その理由は分かっている。兄の計画に乗ったせいだ。
元控室に収容された時にアンジェリカから妊娠している事とサイラスの計画を聞かされた。兄の計画を知ったミーガンは、運はまだ自分を見放しては居ないと思った。
こんな牢獄で何年も閉じ込められた挙句、既に貴族ではなくなったのなら解放された後だってどうなるか分からないのだ。
それなら、ここを出て実の両親の下で暮らすという兄の計画に乗る事に迷いはない。
一時、戒律違反の汚名を被るだけだ、尤もそんな事実はないのだから否定すれば済む。
あの苦境のせいで自分を失っていた、教会に嘘を吐いた事を悔い改めて修道院に行きたいと、殊勝な態度と哀れを誘う風情で涙を流して懇願すれば周りの人間は皆、自分のいう事を聞く。
そう、簡単な事だ。
父母と対面を果たした後、訪れた劇場で二人を見かけたことがあった。
劇場に足を踏み入れた途端、最先端の衣装を身に纏い、大勢の人々に声を掛けられ気遣われる二人は周囲の注目を一身に集め、その中で優雅に微笑み挨拶を交わす姿に、まだ少女の頃のミーガンは羨望の眼差しを向けていた。
しかし、ある日を境にその考えは変わった。
その日、ミーガンはラシェルに王宮に招かれて恋人として国王夫妻に紹介されたのだ。
そこで目にした煌びやかな王宮と、大勢の使用人や貴族たちに傅かれて贅沢な調度に囲まれた国王一家を目の当たりにし、それが将来全て自分の物になるとラシェルに囁かれて有頂天になった。そんなミーガンにとってあの二人はどんなに羽振りが良くても所詮は貴族ではなく、兄が伯爵位を継いだらオーナーになる事が決まっている娼館の広告塔でしかないと見下すようになったのだ。
しかしこうなっては仕方がない。自分たち兄妹を下にも置かぬ扱いをしていたあの二人の所で、自由気ままに贅沢に過ごすのもそう悪くはないかもしれない。
それに二人の人脈を利用すれば、自分の輝かしい未来を潰したあの公女に復讐することが出来る。そう考えていた。
あれから一か月が過ぎようとしている。
相変わらず食事を運ぶメイドとシスター以外この部屋にはやってこない。
何を訴えても全く取り合わない二人に我慢の限界を迎えたミーガンは、ここ最近、食事を運ぶメイドにコップを投げつけて怒鳴りつけている。
「いつまで待たせるのよ! 私は戒律違反なんか犯していないって言ってるでしょう?!
あなたたち、ちゃんと司祭に伝えたの?!」
メイドは毎日、当たることなく床に転がったコップを眺めて「私の仕事は食事を運ぶだけです」と繰り返して部屋を後にする。その冷静な態度が癪に障り、閉じた扉に向かって拾ったコップをもう一度投げつけた。
「それにしても、あの三人ったら本当に使えない。こんな事ならあの公女の側近の二人をお兄さまに閉じ込めさせて既成事実を作っておけば良かったわ」
爪を噛みながら独り言を言い、苛々と部屋を行き来している。
「お兄さまも一体何をしてるのかしら、ちゃんと否定はしたの?まさか、自分だけ解放されたんじゃないでしょうね!」
そう思い至ると居ても立っても居られず、もう一度コップを拾って扉に投げつけようとした時、不意に扉が開いていつものシスターが現れ、付いてくるように言うと振り返る事なく前を歩き始めた。
慌てて付いて行った部屋には、祭壇と泉の水を引き込んだ深めの水盤があり、その祭壇の前にシスターたちが十名ほどずらりと並んでいた。
ミーガンは、その中央に居た一番年配のシスターの前に跪き、胸の前で手を組んで涙を一杯溜めた大きな瞳で懇願するように訴えかけた。
「私はあの苦境のせいで自分を見失い、咄嗟に嘘を吐いてしまいました。私は決して実の兄と関係を持つなどおぞましい行為はしていません!どうか信じて下さい!
そして教会を欺いた罪を悔い改めるために修道院で祈りを捧げる生涯を送りたいと思います」
ミーガン渾身の演技をシスターたちはただ黙って見下ろすだけだった。
目の前の年配のシスターは、哀れなものを見る目を向けて答えた。
「貴方のような女性は、皆驚くほど同じポーズで素晴らしい演技を披露してくれるのです。しかし我々観客としては正直食傷しているのですよ」
そう言って、ミーガンに側に置いてあった椅子を勧めた。
バツの悪い顔を隠すように俯いて椅子に座ったミーガンを、二人のシスターが縄で括り付け、六人がかりでミーガンの手足と椅子を押さえつけた。
更に頭を押さえつけられて叫び声を上げるミーガンの前に立った年配のシスターは、鋏と剃刀を捧げ持つシスターを両脇に従えて慈悲深い顔で告げた。
「頭を剃るだけですから、じっとしていればすぐに終わります。暴れると手が滑って耳を削ぎ落してしまいますよ」
その言葉に、悲鳴さえ出せずに固まったミーガンの長い髪が切り落とされ、残った短い髪は剃刀で丁寧に剃り上げられた。
椅子から解放され、頭を抱えて泣きじゃくりながらミーガンは訴えた。
「どうしてこんなひどい事をするの?私は戒律違反なんか犯していないのに!どうして誰も私の言うことを信じてくれないの?!」
出産に立ち会ったシスターたちが、ミーガンに囚人服から用意した水垢離用の白い服に着替える様に指示して言った。
「純潔であれば無実と判断しますが、誰の子か分からない子を産んだ貴方にはそれを証明することは出来ません」
その言葉に、ミーガンは立っているシスターを下から睨み付けながら低い声で言った。
「私は伯爵家の人間よ。その言葉を信じないと言うの」
そう言うミーガンを睥睨してシスターは続けた。
「皆、信じていますよ。貴方の最初の言葉をね」
その冷たい視線と返された言葉に言葉を呑んだミーガンを、シスターは水盤の前に連れて行った。
丁度その時、同じく水垢離を行うために修道士に連れてこられたサイラスの姿を見て、ミーガンは悲鳴を押さえるために両手で口を押さえた。
ミーガンの体調が整うまでの約一か月、既に水垢離を行っていたサイラスの皮膚は乾燥してボロボロになっており、剃るときに暴れたのだろうか、頭にはいくつもの傷が生々しく残っている。美しかった兄は見る影もなく、まるで別人のようになっていた。
サイラスはミーガンの姿を見つけると、力なく頭を振り、背中を押されて諦めたように水盤の中に入った。同じようにミーガンも水盤の中に入れられて座らされると、シスターと修道士たちの祈りの声と共に四方から柄杓で水を掛けられた。
どのくらい時間が経っただろう、気が遠くなりかけた頃、二人は水盤から出され、言葉を交わす気力もなく男女に分かれているそれぞれのエリアに連れて行かれた。
そして来る日も来る日も、朝になると連れ出され、戻されてからは倒れ込んで気付けば朝になってまた連れ出されるという生活が繰り返されるうち、怒りと憎しみが沸々と湧いて来た。あの公女はこうなる事を知っていて黙っていたのだ。水に浸かる度、掛けられた水が目に滲みる度、自分の幸せを全て奪ったあの公女への憎しみが募っていく。
絶対に許さない。
そしてサイラスが来なくなって暫く経ったある日、シスターに百日の禊が終わった事を告げられるとミーガンはその場に泣き崩れた。
やっと、やっとこの地獄のような生活から解放される。
こうなったのも全てあの公女のせいだ、ここを出たら絶対に復讐するのだ。
◇◇◇
サイラスとミーガンの禊が終わったと知らされたアンジェリカと側近たちは、司祭との約束通り、迎えに行くために馬車に乗り込んだ。
「復讐すると喚いているそうだ、絶対に私から離れない様に」
そう言ってメルヴィルに手を取られて頬を染め、はにかむような笑顔を見せるアンジェリカを皆が微笑ましく見つめている。
走り出した馬車の中で、マルコムがしみじみと言った。
「復讐心に囚われた者の多くはその憎しみの呪縛から逃れるのは難しい、あとは破滅に向かうだけだと。これは多くの罪人を見て来たトーネット伯爵の受け売りですが、そう言った輩は我を忘れて何をするか分かりません。本当に気を引き締めて対峙しなければ」
到着した教会のホールに連れられて来たミーガンは、アンジェリカの姿を目にすると同時に、連れて来たシスターを振り払い足枷と手枷をものともせずに叫び声を上げて走り寄って来た。
「このクソ女!」
ミーガンが掴みかかろうと手枷を嵌めた両手を伸ばした所を、アンジェリカを守るメルヴィルに床にべしゃりと叩きつけられ、側に居た衛士がそのまま馬乗りになって背中を押さえつけている。
サイラスは床でもがくミーガンよりも、メルヴィルとアンジェリカを取り巻く側近たちの姿を驚いたような顔で眺めている。
「今後の希望を聞こうと思って来たのだけれど、元の牢に戻るという事で良いのかしら?」
ミーガンが顔を歪めて声を上げようとしたと同時に、サイラスが慌ててミーガンの頭を床に押し付け、自身も床に頭を擦りつけながら言った。
「どうか無礼をお許しください、妹は厳しい禊が終わったばかりで錯乱状態なのです。妹は私が必ず監督いたしますので、どうか二人ともに王都から離れた村の修道院に送って頂けませんでしょうか。そこの矯正施設で生涯祈りを捧げながら罪を償ってまいります。何卒お願い致します」
サイラスの、やせ衰え窶れ果てた姿で涙を流さんばかりに懇願する姿は、実に兄妹愛に溢れ哀れを誘う風情だ。それは、演技だと知っていてさえ同情を禁じ得ない程だった。
しかし、希望の幽閉先を聞いた所でアンジェリカたちが向ける目の温度は一気に下がった。
彼らは何も変わっていない。
「では、そのように」
マルコムが、護送用の荷馬車の御者として同行した衛士に掛けた言葉を残して、アンジェリカ一行はその場を去った。
彼らに掛ける言葉は全て無駄だ。
暴れたために縄を掛けられ口を塞がれてもなお顔を歪めて唸り声を上げているミーガンの隣で、サイラスは神妙な顔を装い俯いて座っている。
まんまと思惑通りに進んだことで笑みが零れそうになるのを隠すためだ。
百日間の水垢離には正直辟易したが、これでもう罪は償った。やっと自由の身になれるのだ。
修道院へ到着し、繋ぎ役の下男を探して早速両親の下へ手紙を送った。
すると、すぐにサイラスとミーガンそれぞれに下男から小さな薬瓶が届けられた。
二人が寝台でこと切れた姿で発見されたと、アンジェリカが教会から知らせを受けたのは、護送から十日ほど経った頃だった。身寄りのある者や管理下にある者は亡くなった事を知らせる事になっているのだが、ほとんどの場合、埋葬などの後の事は教会に任される。
アンジェリカは教会が見慣れた慣例通りの答えを返した。
「全て良しなに」
教会から運び出されたサイラスとミーガンの棺は、金と引き換えに共同墓地で二人の人物に引き渡された。
そのまま墓地の小屋に運び入れ、棺の蓋を開けた二人は思わず眉を顰めて顔を見合わせた。
自分たちの美貌を受け継いだかつての美しい兄妹の面影はどこにもない。痩せ衰えて老人の様に窶れ果て、ボロボロに荒れた肌に、剃られた頭から斑に生えた髪には白髪が多く混じっている。
「これじゃ商品にならないわ」
「手間賃を弾んだってのに、とんだ無駄金だったな」
「このまま穴に捨てて帰る?」
「そろそろ息を吹き返すぞ。穴の中で騒いで俺たちの名を出されたら厄介だ。お前、毒薬を持ってないか?」
「今日は持ってないわ。まさかこんな姿だなんて思ってもみなかったもの」
「せめて髪があれば少しは金になったのにな」
「あら、まだ歯があるわよ」
ひそひそと話す間に、サイラスとミーガンが身じろいだのを見た二人は、作り笑いを浮かべて近づいた。
「大変な目に遭ったわね。さあ、新しい生活に出発よ」
その言葉に安心したサイラスとミーガンだったが、連れて行かれた場所で押さえつけられて歯を抜かれた。
その歯を売ったお金を嬉しそうに数える両親の姿を、サイラスとミーガンは恐怖に震えながら眺める事しか出来なかった。
再び馬車に乗せられ、止まった場所で兄妹は馬車から蹴り出された。
「好きにして良いわよー」
母の声を合図に馬車はサイラスとミーガンを残して走り去ってしまった。
ここがどこだか分からない。
沢山の手が兄妹に伸ばされ、二人は暗闇の中に引き摺り込まれた。
その後の兄妹の消息は、杳として知れない。




