ルイ
アンジェリカとパトリシアは、シスターたちと共に教会に護送されたサイラスとミーガンを見送ると、生まれた赤子と乳母と一緒に女医の診療所へ移動した。
運び込まれた清潔を保った部屋で、赤子はすやすやと眠っている。
「呼吸にも問題がなく哺乳もきちんとできていますから今の所大丈夫でしょう。本来生まれる予定だった時期まではこのまま注意深く保護します。乳母殿もご不自由でしょうがお願いします」
ペルジェ家のメイドだった乳母の家族には今回の報酬として診療所の近くに家を用意することに決まり、家の準備が出来るまでしばらくは親子で診療所へ泊まり込んでもらう事になった。
アンジェリカが乳母の手を取りお願いしますねと声を掛けると、最近生まれた子の他に既に五人の子を立派に育てている乳母は、頼もしい母の顔でアンジェリカとパトリシアに強く頷いてくれた。
診療所を後にしたアンジェリカとパトリシアは、事前の根回しのために先に教会に赴いていたマルコムと合流して、司祭と出産に立ち会ってくれたシスターたちに面会した。
「皆さま、この度は本当にありがとうございました。また、シスター方にはお疲れの所お時間を頂きまして申し訳ございません。ミーガンさんの容体はいかがでしょうか」
アンジェリカの言葉を引き取って、リーダーのシスターが答えた。
「お気遣いありがとうございます。ミーガンさんについては、産後すぐの移動で疲れが出てはいるようですが、こちらに移してよかったと思っています。あの牢の中では産後の世話が出来る手も限界がありますし衛生的にも恐らく精神的にも良くありませんでしたから。それに、後から騎士や衛士に連行される事になれば、蔑みの対象になった彼らを丁寧に運ぶとは思えませんでしたので、私たちが馬車で同行したほうが安全と判断しました。お任せいただいて感謝しています」
アンジェリカはそれに応えて礼を述べて続けた。
「お心遣い感謝します。
所で、司祭様には既にお伝えしております通り、私たちはあの二人に戒律違反の事実はないと考えています。また、生まれた子は実の兄の子である事はないと断言できます。
二人は、あの幽閉場所から出る事を目的として教会に虚偽の告白をしていると判断せざるを得ません。もしも二人があの告白は嘘だったと言いだした場合、二人の処遇はどうなりますか?」
司祭は難しい顔をして答えた。
「仮令後から告白が虚偽であったと主張したとしても、二人が関係を持った事実がない事を証明するのは不可能です。当事者二人が揃って戒律違反を口にしてしまった以上、罪を犯した者として罰を与えられます。兄妹で禁忌を犯した場合の罰は、剃髪した上で百日間の水行での禊となりますので、ミーガンさんは回復後に行います。その後は元の幽閉場所に戻しますか?」
アンジェリカは司祭の問いに首を振った。
「罰に付いては分かりました。教会の判断にお任せします。
罰を受けた後の事ですが、ご連絡を頂けましたら迎えに参ります」
そう言って一行は改めて礼を述べ、寄付金を納めて教会を後にした。
◇◇◇
ジルベールが運び出され、ミーガンの出産の後はサイラスの戒律違反の告白で兄妹が連れ出された後、牢に残ったのはラシェルとルイ、クレイグの三人になった。
予定通り、窓は全て外から潰されて通路の上下と各部屋の上部に空けられた空気抜きの隙間から仄かに差す光以外、牢はほとんど闇に閉ざされている。
クレイグはあの騒動以来、一日の大半を祈りを捧げて過ごしているらしい。
ラシェルはソファーから遠ざかって牢の隅で蹲り、ぶつぶつと何かを呟いており、ルイの姿が目に入ると、髪を掻きむしって叫び声を上げているそうだ。
少し前にルイが食事と水を運ぶ衛士に紙とペンを頼んだと報告があった。それに許可を出して数日後、衛士の話ではルイは通路の下に開けられた空気抜きの隙間からかろうじて届く朝日を頼りに格子の近くで一心に何かを書いていたそうだ。
そして、それは新月の夜の事だった。
吸い込まれるような暗闇の中でルイはラシェルの牢と仕切られている格子の前に立っていた。
ラシェルはここの所ルイを視界に入れない様に反対側の壁の隅に蹲っている。
今は暗闇で姿は見えないが、格子越しにルイは語りかけた。
「そうやって自己憐憫に浸ったまま生き延びても、また私のような利口ぶった馬鹿に利用されるだけだ。仲良く処刑台に並んでいる未来が目に浮かぶ」
ラシェルの身じろぐ気配がした方へ向かって自嘲気味に更に語りかける。
「お前を担ぎ上げようなんて人間は目先の欲に駆られた詰めの甘い馬鹿だけだからな。私が良い例だ」
ラシェルが立ち上がった気配に、ルイは続けた。
「お前が初めてミーガンを目にしたのは、私が『好きになった子』だと遠目から指差した時だったと覚えているか? その日のうちにお前はミーガンに近づいてあっという間に恋人にしてしまった。あの日私は想いを告げる前に想い人を見せてしまった自分をずいぶん責めたよ。
でも、お前はグラーシュ公女との婚約話が進んでいたから、望みを捨てきれなかった私はミーガンの側に居る事を選んだんだ。
そんなある日、ミーガンが泣きながら私の胸に縋って来た。
『ラシェ様を拒み切れずに純潔を散らしてしまったのです』
そう震える小さな声で告げられたその言葉に、頭を殴られたような衝撃で動けない私にミーガンは言ったんだ。
『本当にお慕いしているのはルイ様なのです。どうか悪い夢を幸せな夢で上書きして下さい』とね。
濡れた瞳で見上げながら胸に縋る儚げな様子と、何より恋焦がれたミーガンからの告白を聞いて我を忘れた私は、夢心地でミーガンと関係を持ってしまった」
ラシェルが格子に近づき、格子を掴んで歯を食いしばって唸るような低い声で言った。
「嘘だ、メグは僕だけを愛していると言ったんだ。お前など愛してはいない。ジルが言った事もサイラスとの事も、全部出鱈目だ!」
それを聞いて、ルイは格子に顔を近づけて嘲笑うように言った。
「そうだな、全部嘘だった。
私との関係は『不幸な事故』だったらしいしな。
その後、一人でラシェの近くに居ると拒み切れないからとサイラスを側近に加えるように頼んできたし、ラシェから贈られるドレスや宝石は夜会用ばかりだと零して、父が後妻の言いなりで普段着も持っていないと項垂れる姿に絆されて普段使いのドレスや宝石は私が用意していたんだ。今考えれば本当に都合良く使われたものだ」
ラシェルのいるであろう辺りから歯ぎしりの音が聞こえる。
「それからすぐにサイラスからミーガンを私の婚約者にしてほしいと言われたんだ。
しかし、ミーガンがラシェの恋人だという事は周知の事実だ。そうなってやっとエリオット公爵家が郭公の巣だと揶揄される未来に思い至ってぞっとした。
だから、結婚は出来ないけれど、公爵位を継いだ時には養女にして側妃にすることを約束した。ラシェとミーガンを幸せにすれば、たった一度の過ちを隠し通せると思った」
ルイはゆっくり格子際を移動し、ラシェルの息が掛かる位置で歩を止めた。
「皆、私がラシェへの後ろめたさで阿っていると思っていたようだがそれは違う。
何としても二人の望む通りに幸せにしなければ、またミーガンが公爵夫人になりたいと蒸し返すかもしれない。それが何より怖かった。
だからラシェの立場を盤石にしてミーガンが満足するようにどんな事を仕出かしても尻拭いをして来た。
それがエリオット公爵家の名誉を守る事だと思いこんでいたんだ。
しかし、今となっては違うとはっきり分かる。
私はただ自分の立場を守る為に過ちを隠す事に必死だっただけだ。
ラシェに遠ざけられて宰相になれなくても公爵として誠実に働けば良かったし、そもそも名誉を守る為なら妹に後継を譲れば済む事だった」
ルイは手探りでラシェルの頭を掴んで吐き捨てるように言った。
「美人局にまんまと嵌った挙句にお前のような馬鹿を祭り上げ、結局エリオット公爵家の名に拭いきれない泥を塗ってしまった自分に心底腹が立つ」
頭を掴まれたラシェルは、押さえつけるルイの腕に爪を食い込ませるように掴んで離そうとしたが、無理な事が分かると格子から手を伸ばして触れたルイの首に両手を掛けた。
ルイの苦し気に漏れる声とラシェルの呻くような声に、クレイグが声を上げた。
「お二人とも何をなさっているのです!おやめください!やめろ!!」
その声にラシェルは叫び声を上げ、ルイの苦し気な声が続く。
「衛士殿!衛士殿!!扉を開けて下さい!緊急事態です!」
声を限りに叫ぶクレイグの声に、扉を開けてカンテラを翳した衛士が目にしたのは、格子際で呆然と立っているラシェルと、牢の床にぐったりと倒れているルイの姿だった。
カンテラのあかりに照らされてルイが倒れているのを目にしたラシェルは、大声で叫びながら牢の隅で頭を抱えて蹲って震えている。
衛士はすぐにルイの牢へ入って容体を確認し、外へ運び出した。
扉が閉められ、元の暗闇に閉ざされた牢には静寂だけが残された。
◇◇◇
それから二日後、ルイの意識は戻ることなくひっそりとこの世を去った。
ルイの牢の中には、五個のジャガイモと裏表にびっしりと文字が書きつけられた遺書らしきものが残されていた。
知らせを受け、運び込まれた牢の隣のアンジェリカの控室だった場所を訪れたエリオット公爵は看取った医師から説明を受けていた。
「直接の死因は首を絞められたことによる窒息死です。残された食事からの推測ですが、五日間の絶食状態で、抵抗する体力はほとんど残っていなかったと思われます。
心よりお悔やみ申し上げます」
医師の弔意に目を瞑って頷くと、終始無言のまま残された遺書を持ってルイを納めた棺と共に幽閉場所を後にした。
エントランスで喪服を纏って立っていたグラーシュ公爵とアンジェリカは、エリオット公爵と目礼を交わし、後に続くルイの棺を見送った。
公爵家の墓地で簡単な葬儀を終え、埋葬を終えたばかりの墓標の前でエリオット公爵はルイの遺書を開いた。びっしりと書きつけられた文字はほとんどが線で消されており、消されずに読める部分はほんの数行だった。
『父上、母上。産み育て慈しんで頂いた事に、心から感謝致します。
愚かな息子であった事、そして先立つ不孝をお許し下さい。
私は、尊敬する父上に軽蔑されるのが何よりも怖かった。しかし今思えば、取るに足らない矜持など捨てて胸を借りていれば、いつか名誉を挽回することも出来たかもしれない、何よりもここまで失望されることはなかったと、後悔は尽きません。
今の私にできる事は、万が一にもラシェルをここから出さない事です。
私の最期の姿が明るみに出ればラシェルは生涯幽閉となるでしょう。
それが私のせめてもの償いです』
手紙を読み終えたエリオット公爵は、墓標を撫でて呟いた。
「独りよがりだ、バカ息子。そっちに行ったら説教だ」




