事件
牢は通路を挟んで三区画ずつ並んでいる。それぞれの間は腰までの壁があり、その上は天井まで格子が嵌め込まれている。
扉を開けて、通路左側の一番手前にジルベール、中央にラシェル、その奥にルイの牢が並び、対面に位置する通路右側の一番手前がミーガン、中央がクレイグ、一番奥がサイラスの順に収監されている。
ミーガンの牢は、クレイグとの仕切の前に大きな鏡台が置かれているため、正面のジルベール以外からはほとんど姿が見えない様になっている。さらに奥の窓の無い壁際に置かれている寝台に引っ込んでしまえば、ジルベールからもその姿はよく見えない。
今の所、一般牢と違う所は食事が一日一個の茹でたジャガイモと小さな木桶に一杯の水だけになった事だ。
ミーガンだけは出産まで、元控室に居た時と同じくカトリーヌ配下のメイドが健康管理も兼ねて食事と水を運ぶことになっており、皆に分からない様に大きめのジャガイモにチーズとハムが挟まれている。
しかし、それもミーガンの出産までの処置だ。出産後は窓は全て外から潰されて通路の上下と各部屋の上部に空けられた空気抜きの隙間から仄かに差す光以外、ほとんど暗闇の牢獄になる。それに必要最低限に満たない食事となれば、人は急速に弱っていく。
ゾフィー王妃とマリー王女が幽閉されていたのは、石造りの壁や床に囲まれ、北側に空気抜きの細い窓があるだけの箱の様な場所だった。
マリー王女のお披露目の夜会が終わると、突然連れて行かれてドレス姿のまま閉じ込められたのだ。
夜が明け、唯一光と空気が望めるその細い窓を覗くと、正面の壁に罪人が吊るされているのを目にして戦慄した。
寝台はおろか毛布すらもない状態で乏しい食事となれば、せいぜい持って数か月だろうと思われていた。
しかし、ゾフィーはそこでマリーと共に三年間生き延びた。
何よりマリーのため、ゾフィーは必ず助けが来ると信じて最期の瞬間まで諦めはしなかったのだ。
ドレスのままだったことも功を奏した。幾重にも重なったボリュームのあるスカートにふんだんに使われた布と、子供たちに配る為にポケットに沢山忍ばせておいたキャンディ、そして王妃とは知らぬ看守と子を持つその妻たちの密かな同情が二人の助けになった。
それでも、命の灯は三年でほとんど消えかかっていた。
ここでの彼らの刑期は三年となっている。同じ様な部屋で、罵り合いによって疲弊するこの環境下では、生きる希望と、生き抜こうとする強い意思がなければ無事に生還するのは恐らく難しい。
ラシェルは相変わらずぶつぶつと繰り言のように不満を漏らしているかと思えば、ふと視界に入ったルイを役立たずと一日中罵り続け、食事を渡した衛士に小声で礼を言ったクレイグを卑怯者と呼び、衛士に取り入っても無駄だと小馬鹿にして嘲笑う。
ジルベールに対しては悪魔の手先と呼び、裏切り者のお前たち家族のせいで王位が簒奪されたと言い続けていた。
その一方、ミーガンには優しく話しかけているものの『大丈夫です』を繰り返すばかりの反応が不服らしく、その苛立ちを毎朝食事と水を持ってくる衛士に向け、こんな劣悪な待遇に置いたせいでミーガンが体調を壊したのだと八つ当たりの様に喚くも無視をされては怒っている。
一般牢に居た頃はミーガンもそんなラシェルと共に境遇を嘆いていたのだが、今はそれすらしていない。
自分をここから出す助けにならない者へ媚びるのはやめたらしい。
◇◇◇
そして収監から三か月ほど経ったある日、その騒動は起こった。
その日の夜、水の桶を倒してしまって飲み水がなくなったラシェルが、ルイに水を差しだせと言ったのだがルイは既に飲み干した後だった。
それを聞いたラシェルが、何故主に差し出す水を残しておかないのだとルイを役立たずと罵った後、仕方がないから裏切り者の水で我慢してやると言ってジルベールに水を差しだすように言うと、それまで何を言われても何をされても反応を返さなかったジルベールが呟いた。
「いつまで自分を主人だと思っている。皆同じ囚人だ」
それを聞いたラシェルは激高し、ジルベールとの間の格子を掴んで大声で喚いた。
「なんだと!僕はお前たち裏切り者の反逆のせいで捕らわれているだけだ!ここを出たら残党のお前などすぐに処刑してやる!」
その言葉を聞いたジルベールは鼻で笑って言った。
「ここを出られると思っているのか? もしも運よく三年生き延びたとしても、弱り切った体で放り出されればもう食べ物も貰えないんだぞ。せいぜい数日彷徨って野垂れ死ぬ」
ラシェルは格子を拳で叩きながら叫んだ。
「僕は王太子だ!反逆者のお前とは違う!」
その様子に、ジルベールはラシェルをじっと見据えて言った。
「確かに両親が手を組む相手は間違っていたが、ラシェ、お前が王の器ではないという判断は正しかった。
もしもあのまま王家が続いていたら、俺は言われるまま、国が亡びるまで気付かずに片棒を担ぎ続ける事になったと思うと心底ぞっとする。それに、下手をするとそこに居るあばずれを、お前に愛妾として差し出すために妻に迎える駒にされたかもしれないと思うと虫唾が走る」
その言葉に反応したのはミーガンだった。
「ジル様、あばずれって、私の事を言ってるの?」
牢の奥から聞こえるミーガンの震える声に顔を向けてジルベールが吐き捨てた。
「他に誰が居る?」
『ひどいわ』と、か細い声ですすり泣くミーガンの声を聞いたラシェルは、額に血管が浮き出る程の憤怒の表情で格子に体当たりをしながらジルベールを怒鳴りつけた。
「メグは僕の妃だ!侮辱することは許さん!」
ジルベールは自嘲的な笑い声を上げ、声を震わせて話し始めた。
「国王夫妻がグラーシュ公女を気に入ったことを知って焦ったその女は、ラシェを体で繋ぎ止めておきさえすれば思い通りになると思ったんだろう。実際ラシェはその女の言いなりだったしな。
しかし、純潔を失った未婚の令嬢は妾にしかなれず、ただの囲われ者として社交界には出られない事すら知らなかった馬鹿な女だ。
それで公爵夫人になる事を狙ってルイを泣き落として体の関係を持ったのに、主の恋人と結婚する事は出来ないと断られたんだよな。
なあ、ルイ、その代わりの罪滅ぼしとして自分がエリオット公爵を継いだら養女にしてラシェの側妃にすると約束したんだろう?
ラシェを裏切った後ろめたさを利用されてサイラスを取り立てたり、二人にずいぶん貢がされていた事も知っている。
ルイがラシェに異常なほど阿るのも逆らえないのもそのせいだ。
ルイ、お前は俺と違って頭がいい。これからどうすれば良いかよく考えろ」
ジルベールはラシェルの頭越しに奥の牢に居るルイに向けて問いかけた。
ラシェルはぽかんと口を開け、目を見開いたままジルベールを見つめている。
そして今度は蔑んだ笑みを口の端に浮かべてミーガンに語りかけた。
「それでも安心できなかったこの女は、俺に泣きながら縋って来たんだ。王太子のラシェの要求は断れないとか、ルイとの関係は不幸な事故だったとか。
何度も俺に体を差し出してその度に言っていたよな。
『愛しているのはジル様だけなのです』だったか?
少し考えれば分かる事なのに、馬鹿な俺はこの女の泣いて縋る姿と言葉に絆されていた。
上手く行けば侯爵夫人の肩書と財産にラシェの愛妾の地位も手に入るんだ。その為に体を差し出すなどこの女にとっては安いものだったんだろうな」
ジルベールが話す間、ミーガンの牢の奥からはずっと泣き叫ぶ声が聞こえていた。
「嘘よ!全部作り話だわ!私はそんな事していないわ!」
その声を無視してジルベールはサイラスの牢に顔を向けて言った。
「なあ、サイラス、ラシェのいない時間を狙ってお前がルイや俺を引き込んでいたんだから全て知っているだろう? 全部お前の筋書きなのか?」
サイラスの牢から返事はない。
「まあいい、今もここから出ようと何か考えているんだろうが、出たその先はきっとここよりもひどい地獄だぞ。グラーシュ公爵が見逃すならそういう事だ」
サイラスにそう言って、ジルベールはまだ呆然とミーガンの牢を見つめているラシェルに向き直り、止めの言葉を投げかけた。
「ラシェがいつもメグと名を呼びながら顔を埋めて寝ているそのソファーで、ルイも、俺も何度も何度もその女を抱いていた」
その言葉を聞いて、怒りのあまり蒼白な顔になったラシェルは、ソファーを持ち上げようとしたが動かす事が出来ず、怒りのあまり言葉にならない唸り声を上げながら恐ろしい形相で格子から手を伸ばしてジルベールを掴もうとしている。
その様子を哀れむような瞳で見つめ、ジルベールは穏やかな口調で語りかけた。
「ラシェ、現実を見ろ。お前はもう王太子ではないんだ」
そう言うと、ジルベールは木桶に嵌っていた鉄の箍を外して自身の首に宛がった。
ずっと石壁に擦り付けて研いでいたのだろう、鋭利なその縁は難なくジルベールの首を切り裂いた。




