閑話 父娘の語らい
もう間もなく午前の授業が終わり、テラスの窓が開け放たれて庭園が見渡せる学園のカフェテリアは多くの生徒たちで賑わう。
その庭園の中、木漏れ日の影が美しく落ちる小道をグラーシュ公爵とアンジェリカが連れ立ってゆっくりと進んでいる。
「ずいぶんな荒療治でしたわね、お父様」
新調したステッキを軽やかに操りながら、アンジェリカの問いかけにグラーシュ公爵は答えた。
「収監して少しは己を顧みるかと思ったが、クレイグ以外は反省の欠片もなかったからね。
このまま幽閉先に押し込めても、罰ではなく理不尽だと勘違いしたまま自身の境遇を嘆くだけだ。それでは簡単に甘言に乗せられて利用される。腐っても元王太子、駒としての利用価値は絶大だ。そうなると次代の人々が苦労をするからね」
そう言ってアンジェリカを振り返りウィンクをした。
それを見て美しい笑顔を返したアンジェリカに微笑むと、ふと、遠くを見るような真顔になって呟いた。
「しかし、両親が亡くなったと聞いた二人の反応は対照的だった」
その言葉を聞いてアンジェリカもため息交じりに答えた。
「二人とも一人息子で、両親からの愛情を一身に受けて育ったはずですのに」
ステッキを小脇に抱え、エスコートの腕に添えたアンジェリカの手をポンポンと優しく叩きながらグラーシュ公爵は答えた。
「ラシェルは真綿で包むように大切にされていたが、そのせいで両親は何でも自分のいう事を聞く存在だと思って育ってしまったのだろう。両親を奪ったと私に食って掛かった後、亡くなった経緯を聞いた後も、そうさせたのは酷い境遇に置いた私のせいだと腹を立てるばかりで嘆き悲しむ様子がなかったそうだ」
ゆっくりと歩きながらグラーシュ公爵は続けた。
「ジルベールは母親に溺愛されていて、その行動の動機は全て母親の言葉だったようだな。父親もしっかり者の妻の言う事は正しいと、言われるままに行動していたようだから疑問を持たずに育ってしまったのだろう。そこは似たもの父子だな。
野心家の母親はラシェルを見限ったまでは良かったが、その権力欲をバランデーヌに利用されてしまったのだ。目の前に広がった都合の良い未来だけに囚われて善悪の判断まで付かなくなるとは、人の欲とは恐ろしいものだ。
ただ、ジルベールは嘆きが深く生きる指標も失って呆然自失の状態らしい。注意が必要だ」
頷きながら聞いていたアンジェリカが口を開いた。
「ルイは幼い頃からの習慣から抜けられないのか、それともミーガンとの情事に対する罪悪感なのか、まだラシェルの機嫌を取る行動が見られるそうですわ。ただ、それもミーガンの妊娠が知らされるまでの事、ルイとジルベールの裏切りを知ったラシェルの怒りと共に下僕だと見下している本心をぶつけられれば、嫌でも目が覚めるでしょう」
それから、これは憶測ですが、とアンジェリカが続けた。
「サイラスはミーガンの妊娠に気が付いているかもしれません。皆と同調して抗議をしたり抵抗したりしてはいますが、私にはその態度が他人事だと思っている様に見えるのです。
子どもを理由に二人で子を育てるためだと泣き落とせば幽閉を免れられるとでも考えているのではないかと。彼らとミーガンの逢瀬はサイラスが采配していましたから、誰の子であっても言い訳の用意はあるのでしょう。サイラスだけはどう転んでも反省はおろか後悔すらする気配が感じられない。ただ、その余裕がどこから来るのか。現在カトリーヌが周辺を探っています」
二人は会話を続けながら庭園を進み、突き当たった生垣に隠れるように取り付けられた扉を潜って中に入った。
グラーシュ公爵がラシェル、ルイ、ジルベール、サイラス、クレイグ、そしてミーガンの六人の幽閉先として選んだのは、かつての学園の王族エリアだった。
その場所はランチルームから望める広く美しい庭園を挟んだ向かい側に位置し、庭園に沿うように伸びた美しいアーチ壁の外回廊を渡った先の建物の奥に位置していた。
今はその回廊は撤去され、カフェテリアからその建物へ辿り着くには庭園の中に配置された石畳の小道を通らなければならない。
庭園を進んだ先に見えていたその建物の周囲には新しく植えられた背の高い生垣が張り巡らされ、その姿を垣間見る事が出来ない。
その存在を知らない者は、そこに建物があるとは思わないだろう。
全ての窓と外に通じる扉には鉄の格子が嵌められているのが窺える。
建物の入り口には見張りの衛士の詰め所が作られ、ホールと廊下の間には頑丈な鉄格子が取り付けられている。
鉄格子を潜り、廊下を進んですぐの所に以前アンジェリカの控室として設えられていた部屋があり、突き当りにある王家の紋章を施した重厚な扉の奥がかつての王族エリアだった。
その扉を開けると、床も壁も剥がされて石の壁と床がむき出しになった空間に、真ん中の通路を挟んで向かい合うように格子で仕切られた六つの部屋が並んでいる。
四つの部屋には簡素な寝台だけが置かれており、一部屋には王族エリアに置いてあったカウチソファが入れられ、もう一部屋にはアンジェリカの控室でミーガンが特に気に入っていた鏡台が、斧の跡が生々しい木片と割れた鏡をおざなりに繋ぎ合わせた状態で置かれていた。
幽閉場所を見回したアンジェリカはカウチソファに目を止め、グラーシュ公爵を見上げた。
その視線を受け止めたグラーシュ公爵は、肩を竦めて言った。
「知らぬは亭主ばかりなり、まあ、亭主ではなく恋人だがね」
そんな会話をしていると、カフェテリアの方から学生たちの賑やかな声が微かに聞こえた。




