引導
エリオット公爵は玉座を背後に項垂れるラシェル王子の目の前に立った。
事の発端である婚約自体がグラーシュ公爵家にとっては一方的な押し付けであり、結果的にグラーシュ公女が甚大な迷惑を被っている。
国王夫妻に対してこの場でそれを指摘したところで、水掛け論になるだけだろう。
ここに至って、国王の言うであろう言い訳は手に取る様に分かる。
グラーシュ公爵家との婚約は前国王の不始末を償うために王家として必要な事であり、アルテーヌとアンジェリカ嬢の保護のために行った事、それにより襲撃があった事は不幸な出来事だったが、守ろうとした結果であって決して悪気があった訳ではない。
アンジェリカ嬢を、純潔に不安の声があったにも関わらず、もしもそうであったとすれば過去には目を瞑って王妃にすると決めたのは、過去にゾフィー王妃を守れなかった事への罪滅ぼしであり、形だけの婚姻を認めたのも、ラシェルとアンジェリカ嬢ともに思う相手と添えるように、良かれと思って最大限考慮した事だ。
ラシェルがアンジェリカ嬢を蔑ろにしていた件は、グラーシュ公爵家からどのような事をしても注意をするなと言われた結果であり、冤罪事件は、まさかラシェルがそのような事を画策するなど夢にも思っていなかった。
しかもそれはグラーシュ公爵家からの指示で矯正の機会を奪われた事が大きな原因であると言える。だとするならばラシェルはむしろ被害者だ。
実に荒唐無稽な話だ。
しかし、詭弁であろうとも国王の言葉である。
自身の言葉を微塵も疑わずに被害者を装う姿に、善良な国王と信じている民衆が煙に巻かれてしまう可能性がある。
『素晴らしい妄想劇場でしたわ』
裁定の場で拍手と共に発したグラーシュ公女の言葉が蘇り、ラシェル王子が披露した芝居がかった持論の展開を思い出した。
国王の言い訳を想像し、この親にしてこの子ありと呆れと共に妙に感心してしまい、思わず片方の口角だけが微かに上がってしまう。
ならば国王には何も語らせずに、ラシェル王子の口から無意識の悪辣さを衆人環視の下認めさせる。
自主的な退位発表はさせない。
考えが読めていれば更に簡単な事だ。
私には最近習得した技がある。何しろあの王子には効果覿面なのだ。
◇◇◇
ラシェル王子は側近たちの晒してしまった本音と醜態を、俯いて歯ぎしりしながら聞いていた。
(僕を守るのが側近たちの役目だろう、彼らがこんなに役立たずとは思わなかった。
メグの歪んだ顔は、正直見たくはなかったが、僕だけに向けるあの蕩ける様な笑顔と甘い唇に癒されていた日々は忘れる事が出来ない)
不貞腐れた顔を隠すように下を向き、目の前に立ったエリオット公爵の顔を見る気にならなかった。
「ラシェル王子、トーネット伯爵の読み上げた罪状は証拠、証言とも反論の余地はないと思います。何故このような事態が引き起こされてしまったのでしょう。加えて貴方の側近たちの自白は、実に身勝手なものだった」
額に手を当て、大げさに首を振って続ける。
「私も周囲も、貴方が小さなころから立派な王子になるよう、心を尽くしてきたつもりだった。しかしそのどれもが間違っていたのだと、貴方の行動によって突き付けられてしまった。
私たちの至らなさがこの事態を引き起こしたのか、何度遠ざけてもいつの間にか戻ってしまった側近たちの影響なのか…」
てっきり責められると思っていたラシェル王子はその言葉に思わず顔を上げた。
「そうだ、僕は仕方なく悪辣な側近たちに操られていただけなのだ…」
続けようと思ったところで言葉を奪われた。
「何度も遠ざけたはずの側近たちが戻っていたのはご自分の本意ではなかったと?」
その問いにラシェル王子は大きく頷いた。
「そうだ、仕方なかったんだ、国のためだった…」
実際、ルイを側近から外すのは王位を狙っているからという噂が一時期あったのだ。
それを言おうとして言葉を遮られた。
「国のために、悪辣な側近たちに操られていたと仰るのですか?」
まただ、思うように話せない。
「そうだ!…」
言葉を続けようとしたら、エリオット公爵が大きなため息を吐いた事でまた話を遮られた。
そして大きな身振りで聞き返された。
「王族が家臣に操られて、アルテーヌの相続人を婚約者にしながら蔑ろにしている王家と国内外で誹られ、アルテーヌを守るグラーシュ公爵家とマクガリー辺境伯家の怒りを買い、宝石商を脅して国宝の贋作を作らせ、王太子妃となる方を冤罪で幽閉しようとする。これの何処が国のためだというのでしょうか」
それは…と口にしかけた時、耳元で囁く声が聞こえた。
『どんな言い訳をするのかなぁ。ね、オ・ウ・ジ・サ・マ』
「うるさい!僕を誰だと思っているんだ、未来の国王だぞ!黙って言うことを聞いていれば良いんだ!」
嗤いを含んだ声にカッとして答えてしまった。
静まり返って僕を見つめる沢山の冷たい視線に、聴衆が居るという事に気が付いた。
玉座に目を遣ると、父と母が悲し気に僕を見つめている。
エリオット公爵が胸に手を当て、眉尻を下げて殊更に消沈した面持ちで話しかけてきた。
「ラシェル王子、両陛下は常々、国民や周囲の声を聴くように、我がトーラント国は議会の承認無くして決定するような独裁的な国ではないと仰っていましたよ」
不意にまたあの声が聞こえた。
『両陛下はお気の毒だね。ほら、君のせいでとっても悲しそうだよ』
「そうだ、父上と母上はいつも皆のために最善の方法を考えていらっしゃる。僕の事も、国のために犠牲になって、バランデーヌの悪魔の血を引く穢れた女と結婚しなければならない事に心を痛めて力を貸してくれていたのに、こんな事に…」
エリオット公爵が言葉を引き継ぐように遮り、大きな身振りで心から同情したように続けた。
「ああ、善良な両陛下らしい。ところで、[バランデーヌの悪魔の血を引く穢れた女]とは誰の事でしょうかな」
そう言われて失言に気が付き、目を泳がせているとまたあの声が聞こえた。
『誰が言ったかきちんと説明しないと、君が言った事にされちゃうよ』
「母上が侍女長とグラーシュ公女をそう呼んでいたのを聞いたのだが…」
その時、エリオット公爵が大きく息を呑み、また言葉を遮られた。
「何と!あの善良な王妃様が、まさかその様な事を」
聴衆の目が一斉に王妃に集まるのを見て、ラシェル王子は慌てて訂正した。
「違うんだ!まだ婚約前にグラーシュ公女に会う前の事で、母上ではなく侍女長が言っていたんだ。母上はそれを聞いていただけだ。
それに、グラーシュ公女が婚約者になってからは、優秀なグラーシュ公女と忠誠心が篤く有能な側近たちには政務を全て任せられると、とても評価してるし褒めているんだ。
そうすれば僕は悠々自適に過ごす事が出来るし、グラーシュ公女は優秀な王妃として称賛される。素晴らしいお考えだろう?」
王妃から視線が外れたとほっとしたのも束の間、はて、と大げさに首を傾げたエリオット公爵から問われた。
「しかし、国宝の王太子妃の首飾りの冤罪事件で幽閉されてしまえば、[優秀な王妃]などと称賛される未来はあり得ないのでは?」
ラシェル王子は、ああ、それならと説明を始めた。
「グラーシュ公女の冤罪は、父上と母上のお力添えで折を見てきちんと晴らす事になっていたから心配ない。一定期間の幽閉に付いてはグラーシュ公女をアルテーヌに帰してあげるために必要な事なんだ。瑕疵が無いと王家から出す事は出来ないし、側妃も認められないからね」
小善は大悪、エリオット公爵は今正にその言葉を体感していた。
グラーシュ公女と両脇に座るグラーシュ公爵とユアン翁の温度の無い視線は、国王夫妻にぴたりと向けられている。
エリオット公爵は、目を閉じて大きく頷きながら重ねて尋ねた。
「では、冤罪に付いても幽閉に付いても、王家としては[必要な事]だったという事ですね。
して、具体的にはどの様なお力添えがあったのでしょうか」
玉座の両親に視線を向けたラシェル王子は、二人の強張った表情に一瞬怯んだ様子で口を噤んだ。
そこへまた耳元であの声が聞こえた。
『みんなが幸せになる方法なのだろう? もしかして、何か疚しい事があるのかな?』
「そうだ、全て必要な事だった。婚約者と不仲だとアルテーヌにそのまま返す事になったら、王太子の僕の有責になって慰謝料が必要になるだろう。その莫大な金は国民の税金なのだ。宰相ならそのくらいの事は分かるだろう。幽閉だってせいぜい数年の事だ。その間側近たちを含めて政務を担うのは王太子妃として当然の事じゃないか」
ラシェル王子が同意を求めるように周囲に目を走らせるも、誰もが黙して頷く者は居ない。
「グラーシュ公女をアルテーヌに戻す理由を探していた父上と母上に、王太子妃の首飾りの事を相談したら、父上が宝物庫から持ち出してくれたんだ。母上の私室の宝石棚に置いておけば紛失する事はないし、うっかり戻し忘れていた事にすればグラーシュ公女の冤罪は晴れる。イミテーションはグラーシュ公女が王妃を庇うために作らせた事にすれば名誉も回復するし、むしろ賞賛されるのだから何の問題も無い」
その言葉を最後まで聞いたエリオット公爵の纏う雰囲気が一転した。
低い声で問い質しながら見据える目は、獲物を前にした猛獣の様な目だった。
「ラシェル王子、今までの言葉に二言はないな。嘘偽りなく証言したと誓うか」
先ほどまでと明らかに違う怒気を露わにした姿に体を強張らせたラシェル王子は、玉座の両親とエリオット公爵を交互に見ながら後ずさりした。
「誓うかと聞いている」
気迫に圧倒されてコクコクと頷きながら掠れた声で返事をしたラシェル王子を押しのけ、エリオット公爵は玉座に向かった。
「自身らが仕掛けた冤罪を晴らす為に折を見てなど、一体どういう了見だ。
契約上形だけの婚姻が認められていたのだから何の落ち度もないグラーシュ公女に瑕疵を付ける必要がどこにある。
貴方たちのお為ごかしの尻拭いなどもううんざりだ」
玉座に向かってゆっくり近づくエリオット公爵に、国王は立ち上がり対峙した。
「アルテーヌを手中にする事はこの国にとって最も重要な事だ。その為に臣下の公女一人が数年幽閉される事など些細な事だ」
エリオット公爵は一歩ずつ玉座に近づく。
「臣下を裏切る王は、必ず国民を裏切る」
国王は立ち上がったまま睥睨するようにエリオット公爵を見据えて言った。
「臣下が国王を守るのは当然の事だ」
エリオット公爵がまた一歩近づく。
「裏切られ、捨て駒にされると分かっていながら仕えるなど、そんな不毛な道を進んで選ぶ者は居ない」
玉座のまえで歩を止めたエリオット公爵は、手を挙げてトーネット伯爵に合図を送った。
素早く壇上に上がったトーネット伯爵は、広げた書類を掲げて朗々と読み上げた。
「トーラント王国議会は、摂政エリオット公爵の裁定の下、トーラント国王が守護するべきアルテーヌの相続人の命を脅かした事、更に冤罪事件とそれに伴う監禁未遂を幇助したとして、トーラント国王並びに王妃を廃位し、離宮にて生涯幽閉とする事を全会一致で可決・承認した事をここに記す」
それを聞いた国王は顔色を変えて近衛に命じた。
「エリオット公爵の反乱だ!即刻この不届き者を捕らえよ!」
しかし、近衛たちは国王と王妃を取り囲むように立ち並んだ。
気色ばんだ国王に、法律書を開いたトーネット伯爵が説明した。
「エリオット公爵閣下は国王の廃位に伴い、議会にて改めて摂政に任命されております。
捕縛命令などに対して、近衛・騎士は摂政の命令のみで動きます」
そこで言葉を切ったトーネット伯爵は、拘束されているラシェル王子をちらりと見やって続けた。
「また、今後の国王選出については議会にて、王位継承権のある方の中から資質・功績などを十分に協議した上で決定することも可決されました」
国王が取り囲む騎士を手で払いのけるように前へ進み、なおも言い募ろうと口を開いた瞬間、その呼吸をとらえたエリオット公爵が静かに問いかけた。
「貴方はご自分が前国王の最期のお姿に掛けた言葉を覚えておいでか?」
息を飲み、一瞬動きを止めた国王をまっすぐに見据えて言った。
『見苦しい』
「まさか、その姿を誰よりも忌み嫌っていた貴方が同じことをなさろうとは。
成る程、血は争えませんな」
片眉を上げて呆れたように放ったその言葉に、国王は瞬きすら忘れて石の様に固まって動かない。
その様子に肩を竦め、やれやれと軽いため息と共に騎士に指示を出した。
「離宮の特別牢へお連れするように」
ぎこちない動きながら騎士に支えられて退出する国王夫妻の背中を見送り、かろうじてまだ王子のラシェルを振り返ると、顔を紅潮させて興奮気味に話し始めた。
「父上の事は残念だが、王になった僕をグラーシュ公女とあの優秀な側近たちが支えてくれれば…」
エリオット公爵が顔をずいと近づけると、ラシェル王子は一歩後ずさりをして言葉をひっこめた。
ほう、これでも言葉を封じられるのか。
「ところで、貴方はグラーシュ公女のお名前を知っているか?」
目を泳がせ、言葉に詰まるラシェル王子は最後まで期待を裏切らない。
そのまま手を挙げてトーネット伯爵に視線を送る。
頷いたトーネット伯爵は、もう一つの書類を開いて掲げ、朗々と読み上げた
「トーラント王国議会は、国宝の盗取と隠蔽、贋作作成の首謀者として王太子ラシェルを廃太子とし、王位継承権、並びに王籍の剥奪を全会一致で可決、摂政エリオット公爵の承認を以て決定した事をここに記す。
また、この決定に伴い、グラーシュ公女アンジェリカとの婚約は白紙撤回とする」
トーネット伯爵は書類を丁寧に片付けながら付け加えた。
「なお、罰については、余罪を含めて共謀者五人と共にグラーシュ公爵の采配の下、収監される事が決定している」
それを聞き、もう王子ですらなくなった、ただのラシェルがエリオット公爵に飛び掛からんばかりの勢いで詰め寄り、言葉を発しようとした瞬間、またぐっと顔を近づけてエリオット公爵が言った。
「この親にしてこの子ありとは、実によくできた言葉だな」
その言葉と共に騎士に取り押さえられ、他の五人と共にきつく拘束され、壇上から降ろされるのを見届けながらエリオット公爵は自嘲気味に独り言ちた。
「この親にしてこの子ありとは、我ら親子の事でもあるな」
さあ、自身の進退を発表して終わりだ。
元々、建国時からの古い家柄であるエリオット公爵家へ先王弟だった父が婿入りしたのだ。妻は傍系の侯爵家から迎えているから、彼女がエリオット公爵を継ぐことになんら問題はない。
私が貴族籍を抜ける事で引責としてもらえるよう交渉しよう。
そう思い、エリオット公爵が聴衆に向き直った時、立ち上がったグラーシュ公女の涼やかな声が会場に響き渡った。ざわめきをも凌駕して隅々まではっきりと聞こえる不思議な声に、側に控えるカトリーヌの姿が目に入り得心した。一人の声ではないのだ。
改めてその技量に感服だ。
「アルテーヌの初代守護者アンジェリカがご挨拶致します。摂政エリオット公爵閣下に於かれましては、この度の裁定に心から感謝申し上げます」
グラーシュ公女の言葉と行動に、エリオット公爵は感極まり言葉に詰まった。
前に進み出て優雅なカーテシーを披露したグラーシュ公女の手を取ると、民衆に向き直るように促して高らかに宣言した。
「トーラント国摂政として、アルテーヌへの変わらぬ友好をここに誓う。
アルテーヌに栄光あれ!」
歓声に包まれる中、グラーシュ公女はにこやかに手を振って聴衆に応えながらこっそり囁いた。
「これからお忙しくなるとは思いますが、エリオット公女への毎日のお手紙、お待ちしておりますわね」
そう言って晴れやかな笑顔を見せ、グラーシュ公爵とユアン翁に両腕をエスコートされて、エリオット公爵へ一礼した側近たちと共に会場を後にした。
「全く、貴女には敵わない」
一行を見送りながら、エリオット公爵は苦笑いと共にその背に向かって思わず呟いた。
その後に続くように引き立てられていくラシェル元王子と元側近たちが目に入る。
この場はグラーシュ公女の側近たちによる軽い仕返しの場、言わば真打登場前の前座に過ぎない。
王家がグラーシュ公爵とユアン翁の抗議と要請で用意したラシェル王子と元側近たちの収監場所は、グラーシュ公爵とユアン翁の怒りを暫くの間やり過ごすつもりが透けて見える [居心地が良くない程度] の部屋だったことが判明した。
その場所を目にした静かに怒れるグラーシュ公爵は、王の幽閉先の離宮の特別牢と共に、お眼鏡に適う場所を用意したと聞いている。
これからグラーシュ公女が手ずから開く扉の向こうにあるのは、一体どんな地獄だろう。