閑話 エリオット公爵の回想
夜が明ける前からバランデーヌ解放の一報は人々の歓喜をもって受け入れられた。
王の非道な所行による非難のための経済封鎖にも関わらず、バランデーヌ王は各国からの取引や勧告にも一切耳を貸さず、民の疲弊を顧みることなく王座にしがみ付いていた。
伝え聞くバランデーヌ王の圧政に困窮を極める民のため、モンテ国とアルザス国とトーラント国の民たちは皆心を砕いて支援を続けていたのだ。
その人道支援のための物資でさえも搾取し、王族のみが贅沢な暮らしをして肥え太っていた王家がついに倒されたと報告を受けた各国は、バランデーヌの民のために喜びに沸いた。
虐げられた国民は長年の苦境から漸く脱したのだ。
長かった三十年、他国がただ手を拱いて見ていた訳ではない。
ゾフィー王妃奪還の知らせを受けたモンテ国とアルザス国が、国間の同盟のための条件を偽ったバランデーヌ国に戦争を仕掛ける大義名分は十分であり、トーラント国と共に三か国で攻め入ればバランデーヌ国を下す事は容易だっただろう。
しかし、やはり戦争である以上、勝ったとしても自国の民の負担は避けられず、バランデーヌを割譲したとしても、戦地となった土地の荒廃と疲弊した民、バランデーヌの貴族たちの混乱を収めて復興するまでにはそれなりの時間が掛かる。
そんな中、モンテ国王とアルザス国王が警戒したのは、羊の様に大人しく善良な前トーラント国王だった。
他国から俯瞰してみれば、ゾフィーが攫われた時もマクガリー辺境伯からの依頼で猛抗議はしたものの、各国の友好関係を優先して同盟を維持しており、ゾフィー王妃とマリー王女の幽閉に付いてはマクガリー辺境伯からの知らせを受けた時に調べる事は容易だったはずだ。しかしそれをせずに『あれ程大事にされていたのだから心配ないだろう』と逆にマクガリー辺境伯家に相手の善性を説いて宥めてさえいたのだ。
結果的に、自身では動かずマクガリー辺境伯家とグラーシュ公爵家を動かしてゾフィー王妃を奪還させ、アルテーヌの庇護国としての権利も手に入れた。
その後も、バランデーヌに攻め入る一番の理由も手駒をも手にしながら、バランデーヌ王に欺かれた被害者を演じ、モンテ国とアルザス国へバランデーヌ王の悪辣さを訴えながらも自らは動こうとしなかった事で両国の意見は一致した。
か弱く善良な羊の皮の下で漁夫の利を狙う狐だと。
動こうとしないトーラント国に業を煮やしたモンテ国とアルザス国がバランデーヌ国に攻め入り、三カ国間が紛争状態となれば、恐らくトーラント国はアルテーヌとゾフィー王妃の守護を盾に紛争には加わらない。そうすれば、戦争中の両国へ物資の供給をすることで経済は潤い、支援という名の恩が売れる。
決着した頃を見計らって疲弊した二国に手を差し伸べる事で圧倒的に優位に立つ事が出来るのだ。
羊の皮を被った狡猾な狐は、労せずして近隣諸国を掌握しようとしていたのだ。
狡猾さは国を担う上で重要な要素ではあるが、前トーラント王はか弱い羊を演じすぎた。
モンテ国とアルザス国から、これだけの仕打ちをされて嘆くだけの王ではこの国はおろかアルテーヌを守る事は負担が大きいのではと、そのか弱さを装った狡さを利用しようとしている事を察知した王弟の前エリオット公爵の動きは素早かった。
速やかに今回の事態の引責という形での退位を迫り、当時の大臣たちや高位貴族家に根回しをして新国王への譲位を発表させたのだ。
やや素直すぎるきらいはあるが正義感溢れる王太子に、優秀で冷静な判断が出来ると評価していた自身の息子を宰相として補佐に付ける事で両国からの不信感を、完全にではないだろうが払拭する事は出来ただろう。
二国と協力体制を敷き、国民には支援を続けながら王家の崩壊を促し続け、その間、グラーシュ公爵家とマクガリー辺境伯家はゾフィー王妃と次期アルテーヌの相続人を守り抜く。
それは各国王の代替わり後もしっかり引き継がれている様に見えていた。
ただ一人、前エリオット公爵だけは二年前に息を引き取る直前まで言い続けていた。
『あの王子から目を離すな、ルイも含めた側近たちもだ。うるさいと言われようとも注意を怠るな』と。
小言を止めた後の、王太子となったラシェル殿下とその側近たちの増長を目にする度に、父である前エリオット公爵の口癖を思い出した。
『血は争えん、悪い芽を見つけたらすぐに潰せ』
裁定に当たり、グラーシュ公女への伝言の返事は『否』だった。
渡されたメモには、子の事は自分たちに任せて欲しい旨の走り書きがあった。
血は争えない、ならばその体に流れる血の恐ろしさと、それを自覚しながら共存する術を知っている公女の手に委ねるのが最善かもしれない。
凱旋の準備は整った。
王都の城門が開かれ、町中が歓喜に沸いている。
門から広場に続く大通りは人々が溢れ、英雄たちの到着を今か今かと待ちわびている。
頼もしい次代へ未来を託しに行くとしよう。




