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蚊帳の外の気分はいかが?

いつになく機嫌よく教室に入ったラシェル王太子とその側近たちは室内の光景に驚愕し目を瞠った。


教壇の近くで昼食の汚れを纏ったままのアンジェリカ嬢が話している相手は自身の母である王妃ベアトリーチェだ。

二人は隊長フラン侯爵をはじめとした近衛に取り囲まれ、後ろに控えた宰相であるエリオット公爵と王妃の筆頭秘書官ミラー伯爵が時折メモを取りながら王妃とアンジェリカ嬢の話に聞き入っている。

クラスメイトたちも皆こちらに背を向け、資料を配りながら細かい調整に忙しく動いており、誰一人王太子であるラシェルとその側近たちに目を向ける者が居ない。

そして教壇前の最前列の席では、秘書官を伴った近隣二か国の大使たちが配られた資料に目を通しながら、細かい部分の補足を担当教師に熱心に質問している。


今日の授業は二年制の学園の上級に上がると同時に課される課題についての初めての発表の日だった。

いくつかのグループに分かれてそれぞれテーマを決め、卒業までの一年をかけて政策の草案を論文として提出する。その課題の成果は卒業後の評価と進路を大きく左右するため、グループ毎に幾度か発表の機会を設けて内容について議論し、広く意見交換しながら最終提出までに出来る限り精度を上げていくのだ。

確かに今日はアンジェリカ嬢のグループの発表の日である事は把握していた。

しかし、昨日まではコップの水が少しかかっただけでも着替える程に公爵令嬢たる体面を重んじていたアンジェリカ嬢が、汚れたままの姿で人前に立つなど到底考えられなかった。

あれほどの酷い汚れを纏っていたのだ、着替えもせずに控室を後にしたのであれば早退せざるを得ないだろう。発表は初回であれば軽い意見交換程度だろうから、きっと後日に変更されるに違いないと思っていた。

それがまさか、王妃を始め宰相や近隣国の大使まで招待されている大掛かりな場になっているなど思いもよらなかった。

しかも、アンジェリカ嬢の汚れた姿に対して本人は元より、周囲の誰一人として意に介している様子がない。


側近のフラン小侯爵ジルベールと、エリオット公子ルイは目を見開いてそれぞれの父の背中を見つめ、ミラー伯爵家のクレイグは真っ青な顔で俯いている。

宰相のエリオット公爵の後を引き継ぐために常に付き従っているはずの宰相補佐のヘイデン伯爵の姿が見えず、いつもは妹のミーガンを教室まで送ってすぐ戻るはずのヘイデン伯爵令息サイラスはいつまでたっても戻って来ない。


授業の開始を知らせる本鈴と共にアンジェリカ嬢のグループの発表が始まった。

その草案は財政の改革に関するものだったが、単独ではなく、他のグループの草案である福祉、医療、環境整備、国内外の流通すべてに絡めた大規模なものだった。

その為、今日の発表までに他のグループとやり取りして焙り出した問題点や、それに対する各グループとの意見交換やそれぞれの政策に対してどのように協力していくか幾つもの案が出され、大人たちからの助言も交えて活発な議論が展開された。

最後に次のグループの発表の草案を踏まえて新たに提起された問題や練り直す必要のある課題も各グループで持ち帰り精査する事を決めて発表は終わった。


発表の間、終始蚊帳の外に置かれた状態だった王太子ラシェルと側近たちはその光景をただ見ている事しかできなかった。

他のグループから持ち掛けられた連携の打診にはすげない態度で断り、アンジェリカ嬢のグループから事前に渡された今日の発表内容についての資料は、こんなものを渡して何を企んでいるのかと吐き捨ててその場で突き返していた。

もしもその資料を付き返したりしなければ、ほんの少しでも目を通していれば良かったのか。

いや、そもそもアンジェリカ嬢が口頭で伝えるべきだったのだ。そうすればこんな事態にはならなかった。

そう思い至り、隣国の大使の質問に答えているアンジェリカ嬢を睨みつけるつもりで振り向くと、その視線を遮るように母の王妃が立ちはだかった。


「これよりそなたとアンジェリカ嬢を伴って王城に戻る。急ぎ執事に馬車の用意を申し付けよ」


そう告げられて側の誰かを使いに出そうと周囲を見渡すと、側近たちは彼らの父に従い教室を出されている。

仕方なく自身で王族エリアへ向かうと、アンジェリカ嬢の控室の前にグラーシュ公爵が立っていた。

何の用だと訝しみながら近づき、目に飛び込んできた光景に思わず息を飲んだ。

つい先程まで部屋だった場所は、彫刻の施された重厚な扉が撤去され、家具や調度も全て運び出されて、床板はおろか壁紙や美しく施されていた天井の装飾までもが全て剥ぎ取られたぽっかりとした広い空間だけが広がっている。

目の前に立ったラシェル王太子に向かい、わざとらしい程に恭しく礼を執るグラーシュ公爵の態度と部屋の惨状を目の当たりにしてカッとなったラシェル王太子は怒りに任せて怒鳴りつけた。


「グラーシュ公爵!一体これはどういうことだ!王族専用エリアの部屋を勝手に撤去するなど、自分が何をしたかわかっているのか!」


眦を吊り上げて真っ赤な顔でこちらを睨み据えるラシェル王太子に、グラーシュ公爵は呆れかえった表情を隠すことなく、身の竦むほど冷ややかな視線を向けて答えた。


「これは異なことを。

ここにあった部屋は、我がグラーシュ公爵家が学園に賃料を払って使用権を得ていた私室です。

その部屋をどうしようと、ラシェル王太子殿下にとやかく言われる筋合いなど微塵もございませんよ」


その言葉に、冷や水を浴びせられたように一気に勢いを失くしたラシェル王太子に、グラーシュ公爵は更に畳みかけた。


「つい先ほど、私が娘可愛さに金に糸目を付けずに私財を投じて最高級の家具と調度を揃えて設えた、言わば我が公爵家の別邸ともいえる部屋に、無断で何者かが侵入したと報告がありましてな。調査をすれば、その者どもは使用人にとある令嬢の着替えの介助を命じて茶菓を饗させ食い荒らした挙句、娘の為に用意していた公爵家の紋章の入った特注の制服と我が領特産の希少な宝石を使ったオーダーメイドのヘアピンを強奪していった事が判明したのですよ。

不敬な輩が押し入ってあちこち物色した部屋になど、我が最愛の娘を一歩たりとも踏み入れさせる訳にはいきませんからな。全て撤去して廃棄したまでです。」


ラシェル王太子の顔からみるみる血の気が引いていく。

王族専用エリアにある部屋をアンジェリカ嬢が使用しているにすぎないと思っていた。

そして、そこに置いてあった、たかが制服一着、たかが小さなヘアピン一つ、それらがアンジェリカ嬢の私物だと分かってはいたが、後でグラーシュ公爵家に断りを入れておけば済む些細なことだと軽く考えていた。

しかし、グラーシュ公爵家が使用権を得てアンジェリカ嬢専用に設えた控室だという事を正しく理解すれば、自分たちは公爵令嬢の私室に無断で侵入して公爵家の財産を許可なく持ち去った事になる。

闖入者である我々の行動は部屋に居た使用人たちによってグラーシュ公爵へ大小漏らさず報告されているはずだ。


額に浮かんだ冷や汗をぬぐおうとハンカチを入れたポケットに目を遣った時、廊下の隅に積まれている木片が目に入った。それが木端になるまで叩き壊された家具だと気づいた瞬間、どくんと心臓が跳ね上がった。


木くずと化したそれらは、磨き抜かれた最高級のマホガニーを使った猫足のデザインがとても優美な鏡台とライティングビューローだったはずだ。家具にそう詳しくない自分でも一目でそれと分かるほどの逸品だった。

メグが目を輝かせて素敵だと言い、とても気に入った様子で使っているのが愛らしく微笑ましかった。鏡台に入っていた小さなヘアピンを見つけた時のきらきらと輝く瞳が美しく、着替えを手伝っていた侍女にメグの髪をセットしてそのヘアピンを付けるように指示をした。そしてメグの幸せそうな笑顔をこれからも見たいと思って言ったのだ。


『そんなに気に入ったのならいつでも好きな時にこの部屋を使うと良い。

鏡台は仕方ないとしても、ライティングビューローなら後でヘイデン伯爵家へ運ばせよう』


その時口にした自身の言葉を思い起こすと更に心臓の鼓動が跳ね上がり、滝のように汗が噴き出す。


何も言わず汗だくで立ち尽くすラシェル王太子を睥睨したグラーシュ公爵は『それでは、私はこれにて』そう言い残してその場を立ち去った。


そこで漸く本来の目的を思い出したラシェル王太子は、王族エリアを取り仕切る執事に急ぎ馬車の用意を言いつけると、震える足を叱咤して馬車寄せに向かう。

グラーシュ公爵と対峙して以来、王妃らと共に馬車で移動中も謁見の間に向かっている現在でもなお、小刻みに震え続ける手を自分ではどうしても止める事ができなかった。


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