しぶとい王子様と不愉快な仲間たち
何が起こっている。
裁定の間から移された控えの間の中をぐるぐると歩き回りながら繰り返し呟いているが、考えはまとまらない。
裁定の間の壇上からエリオット公爵に付き添われて現れた人物は、国王ではなく、国王の装束を身に纏った王妃だった。
そのまま護衛に囲まれて何も言わずに退室して行った。
玉座は奥まっている上に薄い帳が少し降ろされていたため顔がはっきり見えなかったのだ。
言葉を発することがなかったのはこのためだったのか。
国王代理として摂政が任命されているという事は、国王が不在という事だ。
王妃や王太子である自分が居るにも関わらず、何故エリオット公爵が摂政なのか。
父上が王宮を離れるなど、そんなことは全く知らされていなかった。
何より、徐々に大きくなるこのどよめきは一体何なのか。
押しつぶされそうになる不安を打ち消すように、いつものメンバーで語り合った輝かしい未来を思い出す。
国王に即位した自分の周囲では、宰相のルイ、近衛隊長のジルベール、補佐官のサイラスと秘書のクレイグが脇を固め、そして傍らには妃となったメグが寄り添い美しく微笑んでいる。
キラキラと輝く未来は約束されたものだった。
変わることなどありえない不動のものでもあったのだ。
アルテーヌの相続人を王妃にしておけば、他の国への牽制にもなり優位に立てる。
実際、経済封鎖されてもバランデーヌが崩壊せずに保っているのは、アルテーヌの相続人であるゾフィー王妃が支援し続けているからだ。
僕たちならもっとうまくやれる。
グラーシュ公女は側近の令嬢に囲まれていつも大人しく人形の様に微笑んでいるだけ。
入学して以来、どんなに邪険に扱っても悪評を流しても、咎める事も反論することもしてこないばかりか、周囲の大人たちに報告さえしていない様だった。
グラーシュ公爵は元より国王も王妃も、顔を見る度に小言しか言わないエリオット公爵でさえ何の反応もなかったのだ。
流石にメグが入学して初めての昼食時に、グラーシュ公女の制服にコップの水を零してしまった時には焦ったが、その時だって側近の令嬢たちに囲まれてすぐに退席して、その後は何事もなかったように午後の授業に参加していた。
用心のため、グラーシュ公爵家からヘイデン伯爵家へ抗議があった場合の事を考えて、側に居た僕たちが、グラーシュ公女がメグの足を払った事を証言するつもりだったし、近くに居た令嬢と令息たちにも、自ら名乗り出てそのように証言するように言い含めていたのだ。
しかし、そんな用心も必要なかった。グラーシュ公爵家からは何の音沙汰も無く誰からも何の咎めも無かったのだ。
それ以来、僕たちには何もできない高位貴族令嬢の矜持をへし折り、惨めな姿を眺めて嗤う遊びはうっぷん晴らしや暇つぶしにはうってつけだった。
婚約者に無視をされて周囲に惨めな姿を晒して立ち尽くす様子を見ては皆でほくそ笑み、食事のトレーをひっくり返されて汚れた姿であたふたと退席する様子を面白おかしく語り合い、同じ年頃の貴族令嬢の中では一番の美少女であるメグとは婚約前からの恋人であることを周知してメグと仲睦まじい姿を堂々と見せつけ、二人の仲を引き裂く存在としてグラーシュ公女を位置づける。
ただし、それは大人の目の無い学園の中だけの事だ。
一歩外へ出れば、品行方正な王太子と優秀で闊達な側近たちの顔を崩さなかった。
目を合わす事も言葉を交わす事も一切しないが、それをうまく隠しつつエスコートや贈り物などの婚約者としての義務は誰の目にも完璧に果たしていたのだ。
ただし、グラーシュ公女への贈り物の宝石は全てイミテーションで、浮いた予算で買った本物は全てメグに贈っていた。
イミテーションを身に着けて現れたら本物はどこへやったのかと皆の前で糾弾して困惑した姿を嘲笑ってやろうと思っていたのだが、気位の高いグラーシュ公女は本物で同じものを作らせたようで、その計画は残念ながら実行出来なかった。
しかし、そこでルイが思いついたのだ。
結婚後に贈られる王家の国宝の宝石であればそうはいかない。
国宝のイミテーションを持っている事で断罪し、それを理由にこっそり地下牢に幽閉するというシナリオが出来上がった。
そして数年幽閉して老婆のような姿になったら恩赦として故郷に帰る事を許してやってはどうかというメグの意見に皆が賛成した。有能だという若き辺境伯は見る影も無く窶れ果てたかつての想い人を見てどう思うだろうか。きっと忌み嫌われるだろうと嗤い合ってそうなる事を楽しみにさえしていた。
完璧だった。全てが思い通りに上手くいくはずだった。
それが、どうしてこんな事になったのか。
発端はたかが制服とヘアピン一つ。
いやそれ以前にあの部屋の存在が許せなかった。
学園の王族エリアにある部屋はどれも同じ作りで、王族に相応しい重厚な家具と設えで統一されているが華美ではない。
そのはずなのに、垣間見えたグラーシュ公女の控室の中は明るくとても美しい設えで女性らしい華やかさに溢れていた。
あんな女には不相応だ。
そう憤って迷わず入った部屋は、垣間見えた以上に素晴らしい空間だった。
華美過ぎず上品な設えで統一され、王妃の部屋をも凌駕するほどの素晴らしい家具に囲まれたこの部屋は、目を輝かせて大輪の花が咲き誇る様な笑顔を見せるメグにこそ相応しい。
あんな女のくせに、この様な部屋や家具を王家に負担させているグラーシュ公女の烏滸がましさに苛立ち、公費の無駄遣いを理由にこの部屋から追い出す事に決めたのだ。
扉に彫刻された紋章だの、壁紙の透かし模様だの、制服の小さなボタンの紋章だの、そんな些細な事に気付くべきは側近たちだし、もし気付かなかったとしても家臣なのだから自分たちの立場を弁えて王太子の僕に従うのが当然なのだ。
それを盾突くなど、きっと国王の不在を狙ってグラーシュ公爵とあの公女が仕組んだことに違いない。
父上が戻ったら、今回のグラーシュ公爵家の反逆行為と、あのバランデーヌの悪魔の血を引く女の本性を暴いて断罪するのだ。
僕を怯えさせるなど、あの二人には死ぬ前に嫌というほど後悔させてやる。
国家反逆を理由に処刑してアルテーヌを没収するんだ。
それから、僕を裏切ったクレイグもただでは置かない。
何とか皆と連絡を取る方法は無いかと、まんじりともせず苛々と爪を噛んでいると
扉がノックされ、入って来たのは父の国王とエリオット公爵だった。
入り口に立つ国王の姿を見た瞬間立ち上がって報告した。
一刻も早くグラーシュ公爵父娘を排除しなくてはならない。
「父上! グラーシュ公爵家の反乱です。あの父娘は父上の不在を良い事に、王太子である僕を冤罪で陥れて馬鹿げた裁定を開かせました。母上も一部始終を見聞きしています。エリオット公爵も見ていただろう!王族を陥れようとする反逆者は一刻も早く断罪して処刑するべきです!」
言葉なく立ち尽くす国王を尻目に、エリオット公爵は呆れたように言葉を発した。
「しばらく小言を我慢していたが、その間に随分と阿呆になり果てたものだ」
その侮辱の言葉にカッとなり言葉を返そうとした瞬間、エリオット公爵が国王に向かって言葉を掛けた。
「これで諦めがついたでしょう。グラーシュ公爵家からの報告書を信じたくなかった気持ちは分かりますが、この姿と言い分が殿下の本来の姿です。
王妃様も裁定の場での殿下と元側近たちの言動を全て見聞きしてやっと納得なさったようですよ」
本来の姿を暴かれるのはあの女の方だ、そう叫ぼうとして息を吸い込んだ瞬間、心底憐れんだように僕を見下ろしながらエリオット公爵が続けた。
「婚約の締結の時、息子たちの本質を知るべきだとグラーシュ公女に言われた時は、我らの誰もが憤りを隠せませんでしたな。試しに一年間、何を見聞きしようとも一切の小言も注意もせず彼らの言動がどう変わって行くかを見て、もし、私が間違っていたら平身低頭してお詫びしますと言う言葉に、生意気な小娘が何を言うかと思っていたのですがね。優秀で機転が利くと自慢だった我が息子が、半年経たずにその能力を間違った方向に向けて悪辣さを露呈し始めた時は愕然としましたよ」
エリオット公爵は何を言っているんだ。ルイは僕を助けてくれる優秀な片腕だ。
そう言おうと口を開けるとまた言葉を封じられた。
一体何なんだ!あの女と言い、エリオット公爵と言い、なぜ思うように話せない。
「ほう、グラーシュ公女の真似をしてみたのだが、本当に言葉が出せなくなるのだな。こんな些細な事で話を優位に好きな方向に進められる。妻が言う通り社交界では絶大な効果だろう。あの公女は傑物だ」
目を細めて僕の様子を眺めながらエリオット公爵は父上に顔を向けた。
「…そなたは我のこの出で立ちを見て何も思わぬか。周囲から聞こえるこの群衆の声をどのように聞いている」
呆然と立っていた父上から唸るような低い声が聞こえた。
そう言われて甲冑を身に纏い兜を手に持った姿であることに気が付いた。
出征していたというのか? 一体いつから? どこへ?
そんなことは誰からも何も聞いていなかった。
言葉を継げない僕に、父上は畳みかけた。
「そなたも側近たちも誰一人、本当に気づいていなかったというのか。秘密裏に進めていた為、気づいていない素振りをしているだけだと思っていた、そう思いたかった。
今日の、いや、もう昨日になるのか。グラーシュ公女の政策に就いて事前に資料も渡されて、発表も直接聞いていたはずだ」
父上が何を言っているかわからず、顔を見つめるだけの僕を見てエリオット公爵が大きくため息を吐いて説明し始めた。
「バランデーヌと繋がっていた貴族家と王家と敵対していた貴族家への諜報のために、明確にされてはいなかったが資料を読んで発表を聞けばバランデーヌ割譲後のアルテーヌの経済政策と三国間の流通についての内容だと分かったはずだ。その為に数か月前から各グループの貴族家と共にモンテ国とアルザス国の大使とも密かに協議を重ねていたのだ。トーラント国については私が責任者として協議のテーブルに着いていた。その内容も資料に記載していたはずだ。各国の大臣の承認も済み即座に施行出来る様に、昨日わざわざモンテ国とアルザス国の大使を招いて最後の調整を急いだ事を考えれば、どこへいつ出征するかは予想できたはずだが?」
何も知らなかった。ただ視線を泳がせる僕を、父上は虚ろな瞳でじっと見つめている。
エリオット公爵が扉の外に向かって声を掛けた。
「お前たちの中で気づいていた者はいるか? 知っていたというなら言ってみろ」
その言葉と共に、扉の陰から騎士に拘束されたルイ、ジルベール、サイラスの三人が姿を現した。
「それこそがグラーシュ公女の陰謀です!私たちはそんな資料を受け取ってはいません!」
ルイが口火を切った。
あぁ、この三人が居れば何とかなる。
早くこの状況を脱してあの父娘の思い上がりを叩き壊してやるのだ。




