親心
出張の合間に、などと甘く考えておりました。
出来るだけ毎日更新を!と思っていたのですがなかなか思うように進まず…
本日はもう一話更新予定です。
お読みいただいた皆様、本当にありがとうございます。
感想やご意見もとても励みになっています。
「まだ少し気の早い話だが、国王陛下は凱旋と共に退位を表明することになっている。
先王時代にアルテーヌの相続人をバランデーヌに奪われて簒奪の危機を招いた事と、
現王太子による次期アルテーヌの相続人を蔑ろにした事の度重なる失態の引責という形だ。
陛下の出征前に摂政に任命されている私が、引き続きオルザス国とモンテ国とのバランデーヌ割譲の交渉に加えてその政務に当たる事になっている。私は即位しないと決めているのだが、継承権の順位から次代の国王には我が娘が有力候補でな。
そこで、一つ頼みがあるのだが…」
エリオット公爵は言い難そうに私を見やって続けた。
「娘はまだ十歳になったばかりなのだが、アンジェリカ嬢の元で鍛えてはもらえないだろうか。
妻と、何より本人の強い希望なのだ」
薄桃色のふわふわのドレスに同じ生地のリボンでハーフアップの髪を纏めたお人形のように可愛らしい令嬢を思い出した。
以前王妃様主催の庭園でのお茶会で、女の子たちに芋虫を投げつけてきたどこかの令息に一人立ち向かっていたのだ。虫が平気そうだったのでこっそりミミズをたくさん渡してあげた。
しっかり有効活用した彼女はたくさん叱られただろうに、最後まで私の名を出さなかったのだ。
もちろん、後ほど公爵夫人と皆様にはしっかりお詫びをしたけれど。
儚げな見た目に反してなかなか気骨があるようだがまだ十歳だ。両親と離れての慣れない生活はきっと寂しく、時に辛いはず。
「子供の内は側に寄り添って、しっかり愛情を伝えて沢山褒めて育てるのがアルテーヌ流ですのよ。離れて暮らすのなら、ご両親ともに毎日お手紙を書いて頂く事がお預かりする条件です」
少し目を泳がせ、善処すると言った横顔を見て、この家族の中で育った彼が何故…という落胆はやはり拭えなかった。
エリオット公爵家の兄妹は共に根底の部分はよく似ている。正義感が強く機転が利き、相手に立ち向かう勇気は賞賛に値する資質だ。
しかし、立場と環境、そして向かう方向が違えばその人生は大きく変わる。
その能力を、兄の様に人に阿るのではなく人々のために使う事が出来ればあるいは…
裁定の場の扉の前に到着した時、エリオット公爵にこっそり聞かれた。
「ところで、例のヤギは健在かな?」
私は頬に手を当て、眉尻を下げて困った様に返事をした。
「えぇとっても。でも、最近好き嫌いを申すようになりましたのよ。カトレア模様の紙は食べませんの」
そう言って扉の前にエスコートされて腕から手を放す瞬間、エリオット公爵家の紋章を施したカフスボタンをするりとなぞった。
扉の前で深呼吸をする。
これから私が行う事は、壇上の御方にとっては心を抉られるような痛みを伴う。
幼少のころからラシェル殿下の我が儘と癇癪には随分と心を砕いていらしたと聞いている。
幾度となく教育係や側近の見直しを行っても、気に入りの者を遠ざけられたラシェル殿下のハンガーストライキに根負けした周囲が一人を戻すと、あっという間に新しく側に従った者たちは排除されていつもの顔ぶれに戻ってしまう。
やがて、大人たちの前で [健全に成長した明るく理想的な王子とそれを支える優秀な側近] を演じる事が自分たちの立場を守る術だと気づいた彼らは、周囲にそれを印象付けるよう振る舞うようになり、大人たちは成長した様子の彼らに安堵し、好意的に受け止めるようになっていった。
しかし、彼らの本性は全く変わっていなかった。
大人たちの前では明るく心優しい王太子殿下と優秀で闊達な側近たちを装いながら、目下の者に対しては高圧的に持論を展開し、相手が反論できない事で正しいと思い込み増長する。それらは人目に付いても不審に思われない場所や状況で行われ、その事を誰かに告げられないように脅す事も忘れない。
慎重で狡猾な彼らの行動は、表面上大きな問題がある様には見えなかっただろうし、両陛下ともお忙しい公務の合間の対面では、明るく闊達な少年たちの本性を見抜くのは難しかっただろう。
目の前に居るのは、自分たちが理想とする王太子であり、それを支える優秀な側近たちなのだから。
その信頼が音を立てて崩れたのは、婚約の顔合わせ以来私に対して取り続けている態度だ。
婚約時の契約で、私にどんな態度を取ろうとも何をしようとも一切口出し出来ず、私の側近からの詳細な報告を目にする度に心労を重ねていったに違いない。
アルテーヌを守るために尽力してくれた多くの人々に報いるため、周辺諸国の安定のためならと、条件付きではあるがこの婚約に踏み切ったのだが、彼らは早々に地雷を踏み抜いた。
『お飾りの王妃としてどこかに閉じ込めておけば良い、あの公女の祖母の様に』
この言葉については言葉の綾だとかその場の軽口だとかで言い逃れる事は許さない。
この裁定の場で、その根底にある真意を語ってもらう。
扉が開かれ、裁定の場に足を踏み入れた私は、陛下の前で最敬礼を執り名乗りを挙げた。
「アンジェリカ・グラーシュ・アルテーヌ、お召しにより罷り越しましてございます」




