回廊にて
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エリオット公爵にエスコートされ、王宮の回廊をゆっくりと進む。
「ルイの事だが、アンジェリカ嬢が気にする事ではない。
あれは、子供のころから才気煥発と誉めそやされてラシェル殿下の側近に選ばれた事で驕心のみを育ててしまった。育て方を間違ってしまったとしか言いようがない。アンジェリカ嬢には迷惑をかけてしまって申し訳なかった」
私は軽く首を横に振って答えた。
「顔に出てしまっていたようでお恥ずかしいですわ。児戯程度の事でお気遣いさせてしまって恐縮です。
ご子息様の件はこちらが矯正の機会を奪ったようなものですので、やはり心苦しく思っております」
エリオット公爵は表情を硬くして押し出すように続けた。
「いいや、陛下も私たちも、婚約してすぐの頃に自分たちの子どもがアンジェリカ嬢をお飾りの王妃として幽閉すると言ったと聞いた時に全てを諦めたのだ。あのような考えを一度でも持った者に矯正など望むべくもない。
ゾフィー王妃とマリー殿が幽閉先から助け出された時の様子を嘲笑っていたと聞いた時には我が子ながら背筋が凍る思いだった。
それに、今回の事でラシェル殿下が何故あれを重用して傍に置いたのかがよく分かった。
どんなことを仕出かしてもそれを正当化して相手を言い負かし、自尊心を満たしてくれる便利な道具だ。本人がそれに気付いていない事が情けない」
陛下を始めエリオット公爵たちの子を想う気持ちは、領地の大人たちが必死に私たちを守ろうとしてくれた姿を思い起こさせ、やはり居た堪れない。
気を取り直すように、私はエリオット公爵を見上げて言った。
「それよりも、婚約者になれば王家が守るとお約束頂いた通り、王都に来て以来穏やかに過ごせている事には感謝しております。陛下にもそうお伝えくださいませ」
その言葉には苦笑いで返された。
「守るなどと、どれだけ慢心していたか嫌というほど思い知らされた。
アンジェリカ嬢が王宮に到着したその日、迎えのために居並ぶ侍女と侍従の数人にパトリシア嬢が声を掛けて別室に入ったと思ったら、部屋に居たメイドと三人で瞬時に拘束して帯びた暗器を全て取り出したときには度肝を抜かれた。
それに、マルコム殿からほんの些細だがバランデーヌ語の癖があると知らされた情報で間者が特定された事は感謝しかない。特にラシェル殿下の教育係やその周辺は特別に厳選されていたにも関わらず、その秘書に紛れ込んでいるとは思いもよらなかった。その者はトーラントで生まれ育ってトーラント語しか話せないのに、まさか言葉で判明しようとは本人も驚いただろう」
私の後ろに従う五人を見やり、ふと気づいたように聞かれた。
「カール殿…カトリーヌ嬢も…」
今夜は月明りもなく近づいてもわからないと思ったのだけれど。
「さすがエリオット閣下、お目が高いですわ。
目に見えている物や耳に聞こえるものが全て真実とは限りません。
人は [勘違い] をする生き物ですから。自分のよく知る人物の姿が見えてその人物の声が聞こえれば、その人の言葉だと誰もが思い込む。どんな声や[音]でさえも再現できる人間がいるなど、普通は考えもしないでしょう」
そう言う私に、少し焦った様に告げられた。
「間者たちを留め置くようにと指示したのはこのためか。だが、間者たちが言う通りに動くとは限らないし、拘束されていると気づかれれば不信感を持たれる。仮令腕利きの護衛が付いているとはいえ危険すぎる」
私は微笑みを返し、安心させるように腕に手を重ねて続けた。
「彼女は自ら張り巡らせた諜報の糸に守られています。彼女以外がその糸の上を歩けばたちどころに絡め捕られて身動きが出来なくなってしまうのです。それに、間者たちは拘束して以来、声と動きを封じる薬を使って定期的に雇い主の元へ報告に赴かせて実験を重ねていますから。素材を知り尽くしたお菓子作りの上手な子は、あらゆるものを調合出来る知識と腕があるのですよ。
間者たちは自害を封じられて全てを自白させられた後に、自身の意思とは関係なく体を動かされて声を出せない自分に替わって自分の意思と全く違う報告をする自分の声を聞いている事しかできず、自ら雇い主を裏切り祖国を破滅に導いて行く様を見せ続けられるのです。
彼らにとってこれ以上の罰は無いでしょう」
窓の外を見やり、故郷の空へ祈りを捧げる。
「今夜、間者たちの雇い主たちはラシェル王太子殿下の不始末で裁定の場が開かれている事で国王陛下始め重鎮たちは手いっぱいだと知らされています。
このままラシェル殿下が廃太子になり、王位継承順位の高いエリオット公爵令息も失脚すれば、息の掛かった貴族や王宮内の間者たちを煽動して私を次の後継者に仕立て上げる事が出来る。そうすれば労せずしてトーラントを手中に出来ると囁かれ、その言葉を真に受けた者たちは、目の前にぶら下がった餌に気分を良くして振る舞われた特別な祝杯を挙げ、枕を高くしてぐっすり眠る事でしょうね」
思わずと言った風に足を止めたエリオット公爵に呆れたように見つめられた。
「無茶をしないようにとジュリアン殿に頼まれてお目付け役で残った私は面目丸潰れだな。
黙って見ている事はしないと思っていたが、これならユアン翁も安心だろう」
後ろに従う側近たちを振り返ると、皆良い笑顔を返してくれた。
「ここにいる皆だけでなく領地に残っている皆の能力と尽力あってのことです。私たちは年端も行かぬ頃から苦しめられてきたのです。皆には本当に苦労を掛けましたもの。
仮令祖父であろうとも売られた喧嘩は倍値で買うと決めていましたのよ」
クスリと笑ったエリオット公爵は手を差し出し、私が手を取ると再び裁定の場へ向かって歩き出した。
「陛下率いる我がトーラントの軍は、軍を率いたオルザス国とモンテ国の王と共に、先鋒のマクガリー辺境伯軍とグラーシュ公爵領軍の後方を固めている。
この三十年、経済封鎖で疲弊しきったバランデーヌ軍は迎え撃つ力は無い。国民に向けてずっと人道支援を続けて来たゾフィー王妃を旗印に民衆も蜂起した。恐らく今夜半には第一報が届くだろう。
さっさと茶番を終わらせて祝いの準備をしないとな」
ふと、槌を持って虫を追い掛け回して退治する人形の姿を思い出した。
闇夜に紛れる勇猛果敢な故郷の猛者が狙うはただ一人。
人ならざるバランデーヌの悪魔のみ。




