第三十九話 曼珠沙華 この身に巡る 紅の毒 祓いし後には 天上の華
森先輩の作品から少し歩いたところにある区切られた空間の前には小さな人だかりができていた。
時間は午後三時。
この大学の一般公開が午後四時までと考えると、明らかに異常な人数とも言える人だかりだろうか。
―――代表である森先輩が、悔しさを感じるほどの作品。
燕尾先輩が描く作品が、すぐそこにあるという事実に、僕はすこしばかり緊張してきた。
「ふぅ……」
覚悟はさきほどの森先輩とのやり取りでできている。
……けど、やっぱね~~~緊張はするよね~……。
だって、さっき五十五万の絵をぶち破る先輩見てんだよ????
いや、あれ僕のせいだよね?????
結果的に森先輩は満足してたし、僕もいい感じにしちゃったけど、五十五万……。
バイトの給料何か月分よ……。
そして、その森先輩にすごいと言わしめた燕尾先輩の作品の値段は如何に……。
っていやいや、値段じゃないからね、価値は!
うんうん、勘違いしちゃいけない。
値段がいくら高かろうと、燕尾先輩の作品は素晴らしいものであることには違いないんだから!
……しかしあれだな。
さっき森先輩と話したからか、燕尾先輩がいくらすごいと聞いていても耐えられてるな?
てっきり藍原さんのときと同じように寂しさを感じると思ったけど……。
これは果たして僕が強くなったのか、それとも―――。
さっ、行くぞ~! 見るぞ~!
え~~~い!!
そうして飛び込んだ先に、僕の目に飛び込んできたのは―――。
「……これは……!?」
絵がよくわからない人が綺麗な絵を見たときに抱く感想は、それこそさきほど森先輩の絵を見た僕のように、綺麗だとか、上手いだとか、凄いだとか、抽象的なものが多いと思う。
だけど、今。
燕尾先輩の描いた絵を見たときに、最初に湧き上がってきた感想は。
「なんでこんなに苦しいんだ……?」
―――苦しみだった。
キャンバスいっぱいに咲き誇っていたのは紅い華。
そしてその紅い華は、一度惹きつけた視線を決して離すことを赦さず。
後悔や自責、慚愧や煩悶のような感情が溢れ出し、苦しみを湧き上がらせてくる。けど……。
ただの絵。
言葉にしてみればそれだけのはずなのに、森先輩の時とはまた違う胸のざわつきを感じた。
この作品に集まっていた人が多かったのは、作品のクオリティもさながらに、きっとこの苦しさから目を背けられなかった人たちが多かったからだろう……と客観的には判断できているのに、それでも、僕もまた例外ではなく目を逸らすことができない。
キャンバスの中心に、燃えるように咲く紅い華。
これは確か、彼岸花だったろうか。
……曼珠沙華とも呼ばれるその花は、その独特な姿から地獄花や幽霊花などの多数の不吉な別名を持つように、人を殺してしまえるほどの毒性を有する。
そしてその所以から、死を呼ぶ花―――彼岸花と呼ばれるようになった。
つまり、この絵が指し示しているのは――――。
「――そう、"死"だよ」
と、突然すぐ背後から声がして僕の体は大きく跳ねた。
……静かな、でも芯のある声。
先の声に意識が途切れたことで首が動くことに気が付き、僕はゆっくりと振り返ると、そこに燕尾先輩が立っていた。
「……いきなり話しかけてすまないね、遠野君」
「……燕尾先輩。いえ……それよりも、あの……死って……どうして、こんな……」
僕の問いに、燕尾先輩は自分の描いた作品を見つめる。
「……この絵から、遠野君は何を感じた? 苦しみ? 後悔? 怒り?」
……正直、そのどれもを強く感じた。
けど、よく見てみると、この作品からは微かに……。
「……最初は苦しみでした……。けど、なんだか、少しの悲しさが感じられるような気がして……」
僕が正直にそう言うと、先輩はゆっくりと頷いた。
「さすが、美鈴が認めた人だね」
美鈴?
って、あ、森先輩のことか?
ん? ってことは?
「……見てたんですか?」
「そりゃあね、あんだけ大きな音が鳴れば気にならない人の方が少ないよ」
うわぁ~~~~恥ずかしいな……。
まぁそれじゃそうか……あんなに大きな音が二回も鳴ってたらそりゃ誰だって気になるにきまってるじゃんね……。
あれ、いや、待てよ? それって。
「あ、あの……ずっと見てたんですか?」
もしかして泣いてるところも見てたってことじゃないですか……?
「勿論、僕も美鈴のことを気にかけていたからね……まぁ、それもやっぱり君がどうにかしてくれたから杞憂で終わったんだけどね」
あぁ、見られてるじゃんこれ……ハズカシッ!
「……まぁそれはそれとして、だ。……さっきの答えだけど……この作品はね、僕自身なんだ」
「……燕尾先輩自身?」
華が燕尾先輩を表している?という疑問のまま、僕は先輩の言葉に初めてこの作品のタイトルを見た。
―――鳳仙大学 経済学部三年 燕尾 司。
―――作品名『リコリス・ラジアータ』
リコリス……っていうと確か彼岸花の学名だったっけ……?
それがどうして燕尾先輩自身の……ん?
いや、まっ、って、いうか……えっ!!!!!??
と、ふと作品の横に立てかけられていた、森先輩のところで見たものと同じ落札札を見て僕は口を大きく開けた。
「はぁっ!? さ、三百万円っ!?!?」
いや、え? つまり?
この作品に、三百万ものお金をかける価値があるということですか……?
三百万って……え、いや、サラリーマンの平均年収じゃないっすか……。ホヘ~……。
ハハ……森先輩……お金よりも言葉の方が価値があると言っていましたけど……三百万円を超える言葉は、果たしてあるのでしょうか……?
「……あ、もしかして遠野君、さっき美鈴が話してたことを考えていたりする?」
オワッ、なんでそれを?
話の中身までは聞こえてないはずだよな?
「あ~いや……実はさっき、美鈴から、『お金で買えないものを私は見つけた! もう負けないからな! 三百万女!』って連絡が来て……なんのことか分からなかったんだけれど、その表情を見てなんとなく理解できた気がするよ」
も、森先輩……。い、一応ここまで来るとお金を気にしてはいるんだ……。
まぁそりゃそうだ。
三百万だもんな……三百万……。
エ、三百万って想像が出来ないんですけど……。
「……まぁでも、正直、こうした言動をするのは他の人に失礼かもしれないけれど……実は僕も美鈴と同じ考えなんだよね」
――ッ!?
「えっ、三百万の絵なのに!?」
「うん、そうだよ」
「一年何もしないでも食べていけるんですよ!?」
「あ~、ははっ、確かにそうだけどね」
えぇ~~~~……。
な、なんていうか……今まで燕尾先輩に対して驚くことは多々あったけれど、これが一番驚きかもしれない。
このぐらいのお金でも気にしないって言えるって……すごいな……。
もうこのぐらいがもらえると思ってて当然だとか思っちゃって感覚マヒしてないですか??? 大丈夫ですか???
……っと、そういえば。
「あの、さっきの……この作品が燕尾先輩自身、ってどういうことですか? こんな……死を想起させる作品って……え、もしかして燕尾先輩、余命何日とかなんですか……!?」
そうだ。
彼岸に咲く花を自分で描いたうえで、これは自分自身だと……。
こんなの、燕尾先輩がもうすぐ亡くなってしまうということの表れでしか……っ!
ウウッ、燕尾先輩っ!
「いやいや、死なないよ? 驚いたな、そう解釈されるとは……」
あぁ、違うのか!
よかった……!
「……まぁこの作品における、"死"っていうのが僕って認識は間違ってないけれど……これは、過去の自分への戒め……だね」
「戒め……?」
「……うん。……ほら、一昨日話しただろう? 僕は君に……ずっと、違う人物を重ねてた、って」
ん?
あ、あぁ~~~~。
「ミナトくんって人ですか?」
「……そう。……今考えれば、ゲームのキャラクターに現実の人を重ねるなんて普通に考えたらありえないし、失礼なことだってわかる。でも……当時の僕は、そのことに気が付けていなかった」
あぁ、なんかそんなこと言ってたな??
まぁそもそもそんな僕は気にしてないからいいんだけどね……?
っていうかむしろアニメキャラに似てるって言われたら嬉しくない???
あっ、僕ってこんなかっこよく見られてたんですか!?ってなったけどね??
「……これは美鈴しか知らないから、人に話すのは初めてなんだけど、実は僕は大学生活の中で、人間関係に上手く馴染めなくて、当時は絵も上手くいかなくてね……この美研を辞めようと思ったこともあったんだ」
「……え、えぇ!? 燕尾先輩が!?」
僕の疑問に、燕尾先輩はゆっくり頷いた。
いや、え、燕尾先輩が大学ボッチだったってこと!?
うわぁ、全然想像できないや……。
てか今はこんな売れてるのに、昔はそうだったのか……。
意外だ……。
「で、そんなとき出会ったのが、【ワールドリバース】っていうゲームの、『ミナトくん』だった。そこから僕は再び活力を得て、今の自分になったんだ」
あぁ~、まぁ推しができて性格が変わったりするのはよくあるらしいよね。
推しに好かれるために、推しの隣にいて恥ずかしくないように自分を変える的な。
まぁ、そういう意味では、現実世界と何ら変わらないよな。
あくまで触れ合えないということさえ除けばだけど。
しかし、ということは、だ。
「じゃあ、その過去の自分との決別……あ、彼岸花……別れの花……ってことですか?」
彼岸花の別名、別れの花。
これが過去の自分との別れを意味するのなら……って、あれ? でもそれじゃ期間が合わなくないか?
僕にすべてを打ち明けた時には既に描き終えてたらしいし……。
ん? どういうことだ?
―――と、僕がその疑問を思い浮かべたと同時、学祭の一般公開終了十分前を告げる鐘の音が館内に鳴り響き、気が付けば周囲に人はいなくなっていた。
そして、燕尾先輩はその鐘の音が鳴り始めたと同時に、一本の筆を手に取る。
……あ、あの、それは何をするつもりなんでしょうか。
「……実はね、これを描いたとき、僕は遠野君ともう二度と関わらないつもりだったんだ」
「……えっ?」
そう言葉を紡ぎながら、燕尾先輩はその筆で―――。
「バイトもやめて、絵だけで稼いでこの先を静かに過ごすつもりだった。……だけどね、一昨日、君と話して、僕はどうしてもあることを伝えたくなってしまってね」
三百万円の値が付いた絵に、流れるように筆を流し―――。
「……これは過去の自分への別れと死、だから、最終日に僕は君にこれを見せたかったんだ」
「これは……白い、華……?」
苦しみを表す紅く染まった彼岸花の中心に、新しく咲いた、白色の華。
姿かたちは他の彼岸花と変わらないというのに、その華からは一切の悲しみは感じられない。
……というより、どこか明るい、希望のような感情が湧き上がってくる。
「これは天上の華だよ」
「天上の華……?」
「そう。彼岸花……曼珠沙華の名前の一つ――天上の華。……あまり知られていないけれど、本来はこの花は祝福を告げる花なんだ」
彼岸花が、祝福を告げる花……?
確かに聞いたことなかったけど……。
そうだとして、それで伝えたいことって……なんだ?
「ねぇ遠野君。そういえば藍原さんのこと、最近名前で呼ぶようになったよね?」
……ん?
え、なんでそれを今……?
「ま、まぁ……ちょっと事情があってですけど……」
「……"僕"は?」
―――え?
「だから……ぼ、僕の名前は……その……よ、呼んでくれたりとかしないのかい……っ?」
……ン????
いや、え、なっ、えっ!?
伝えたいことって、コレ!?!?!
まっ、三百万円の絵に白い華を足して伝えたいことが、名前を呼んでくれないか!?!?!?
いや……こ、これがもしかして、燕尾先輩が思う、お金よりも価値のあるコトなのか!?
名前だよ!?!?
しかもちょっとなんでそんな照れて……えっ、いやえぇ!?
「い、いや、その、ホラ……燕尾先輩は……燕尾先輩……っていうか……! エト、その……」
えぇ!?
燕尾先輩を名前呼び!?
いや、確かに藍原さんや笹草さん、日向さんは名前で呼んでるけど、でもそれって同学年だったり年下だからまだよかったけど……そ、その、先輩相手に名前呼びはあんまり考えてなかったって言うか……!
「……だ、だめ、かい?」
――――――っ!!!!!!!
一つ、問おう。
今まで男性だと思っていた人が、実は女性で。
頼れる先輩だと思っていたら、少し照れくさそうに、顔を赤らめてこう言った。
さて、どう思う?
スゥーーーーーー。
可 愛 す ぎ る だ ろ う が !!!!!!!
なんだそれ!?
こっちが天上の華だろ!?
てか反則でしょ!?
な、なんでそんな急に恥じらって……!
燕尾先輩だよ!?
あの! 頼れる! 燕尾先輩!!!
それがこんなに上目遣いで恥ずかしそうに……。
あぁもうなんだこれ?????
「あ、あ~~~っと……その……」
なんか言え!! 遠野陽太!!!!!
えーっと、えっと!!!
「つっ……」
「……! つ~?」
ぐっ、ぐぅ……!
「つ、司……先輩……?」
「~~~~っ!!」
ハァッ、ハァッ……!
くそうっ! 燕尾先輩、男の人みたいな顔立ちだと思ってたけど、近くで見ると整っててマジで綺麗だな……!
これって、女性だって認識したからそう見えるようになったってことなのか!?
ちょ、直視するのが恥ずかしいんですけど!!!!!
いや、でも、これで満足してもらえただろうか……!
「~~っ! そ、それじゃ、僕は美研の集まりがあるから、ま、またねっ! ……よっ、陽太君っ!」
そう言って、燕尾先輩は、立ち尽くす僕に向かって可愛らしく手を振って、その場から去っていった。
……ウン。
いや、今もしかして僕の名前を呼びました?
ウワァ……なんだろう、恥ずかしがりながら名前を呼ぶ先輩……イイッスネ。
――‐と、立ち去った燕尾さんを後に残ったのは、燕尾先輩が描いた『リコリス・ラジアータ』と僕。
そんな中で改めて僕は燕尾先輩が描いた作品を眺める。
紅く咲いた花の中心に咲く白い華。
天上の華に変わった"死を呼ぶ花"ねぇ……。
僕はそんなことを思い出し―――。
ウン。
あの……え、っと……コレって……三百万の弁償とかない、ですよね……???
などと、燕尾先輩から再度連絡が来るまで、恐怖という名の自身の"死"に怯えていたのだった―――――。




