第二十二話EX いくら後悔しても取り戻せないものはあるけれど、チャンスがあるのならそれを今度は離さないと思うのは何も可笑しいことではないと思う
初めて私が恋をしたのは、中学生の時だった。
当時女子たちの間ではかっこよくて人気だった男の子の成宮 翼くん。
ちょっと騒がしいけれど、運動神経が良くて、女の子全員に優しくて。
だから彼の周りにはいつも女の子が集まって、彼の気を引くためにからかったり、いたずらしたり、積極的にみんなが話しかけていた。
――でも、私は気恥ずかしさから、ただそれを遠巻きに、羨ましそうに見ているだけだった。
そんなある日、同じグループの子が修学旅行の夜のホテルでこう言った。
「私、成宮くんのことが好きなんだ!」
私はそれを聞いた瞬間、心臓がドクンと、強い音を立てたのを、今でも覚えてる。
そして、彼女は続けてこう言った。
「日向は誰が好き?」
―――言えるわけがなかった。
彼女は成宮くんのことが好きで、それを行動に起こしていた一人でもあった。
そんな彼女に対して、何もしていない私が同じ人を好きだなんて、言えるわけがない。
女の子同士の好きな人の打ち明けというのは男子のそれとは違って、信頼関係の証のようなものとはいうが、まぁ、"信頼して打ち明けたから狙わないでね"というマーキングのようなものだと私は思っている。
たかが中学生の口約束如きで人生を決めるなんて馬鹿らしいけれど、その時の私にとっては――その信頼を裏切ることなんてできなかったし、なによりも自分自身がそれを許さなかった。
「えっ、わたし~……? う~ん……いない、かなぁ~?」
だから私は笑って誤魔化した。
この時からだろうか。
困ったときに、笑って誤魔化す癖がついたのは。
―――それからは、私は自然と譲る側になっていた。
人とぶつかるのが苦手で、いつも空気を読んで立ち回るようになり、自分の気持ちを押し通す人たちの中に入っていけなくて、いつも笑って誤魔化す。
でも、それを仕方ないと思う自分もいた。
男子との関わりを恐れ、女子からの視線を気にして男子に積極的にいかない私は、誰かを好きになることはあれど、それを伝える権利などないのだと思うから。
だから、誰かが好きになった男の子に自分も好意を持ってしまったときは、その気持ちごとそっとしまって、私は何もなかったように笑う。
―――結局、中学校を卒業するまでに、私に成宮くんが好きだと打ち明けてくれた女の子は、別の男の子と付き合っていた。
所詮中学生同士の恋愛だし、そういうものかと思おうとしたけれど……。
しかし私の中の心の靄は、濃く、残った。
……もし私が彼女の気持ちを無視して告白していたらどうなっただろう。
そう考えることはたまにあったけど、とはいえ私は彼と付き合えるほど彼にとって重要でないことも理解していた。
そしてその癖は、ついぞ高校生になってもずっと抜けなかった。
高校二年生の頃、気になる人ができた。
それは、隣のクラスにいた遠野陽太くん。
初めて出会ったのは、春の体育祭の準備のときだった。
たまたま同じ委員だったきっかけで隣の席に座った彼の第一印象は。
……私と似ている、だった。
彼は他の人と必要以上の会話はせず、ただ静かに指示をこなす。
女子がふざけたり、他の男子が気軽に会話していた中で、彼だけがどこか遠くを見ているかのように。
なんていうか――周りに合わせる気がないわけじゃないのに、どこか一線を引いてるような感じ。
でも、それは人を遠ざけるための壁というより、自分を隠すための防波堤のように見えた。
それはまるで私と同じようで……。
気づけば、私は意識的に遠野君の姿を探すようになっていた。
廊下ですれ違うと気持ちがバレていないかドキッとするし、視界に入ってきたら横目で少し見てしまう。
当然、自分でも、それが"好意"だと認めるのに時間はかからなかった。
でも――。
ある日、私と最も親しかった友達の福崎ひかりが、彼の名を口にした。
「ねぇ隣のクラスの遠野くんって知ってる?」
「……ぇ……?」
そのとき私は一瞬だけ言葉を失った。
まさかと思った。そして、頼むから違ってくれとも。
けれど現実はそう上手くはいかない。
福崎は生徒会に所属していたことから他のクラスと接することがあり、そこで彼のことを知ったのだという。
「遠野君さ~、話しかけるとちょっと体震えるんだけど可愛くない?」
彼女が言った言葉は、私の中の靄に溶け込んでいく。
深く、重く。
そして、苦しさがある一定を迎えたとき、私の頭は急速に冷えていった。
「……へx~! そうなんだ、ひかりが好きそうな男の子じゃん~」
――ああ、これはもう、言えないな。
福崎は私の友達で、悪い人ではないことは私がよくわかっている。
だから余計に彼女の好意を踏みにじるようなことはできなかった。
自分が先に好きになっていたという事実はあったけど、それを言わなかったのは自分だ。
……また見ているだけで、何もしていなかった私に権利なんてない。
そんなふうに、自分を納得させた。
しかし、再度繰り返そう。
―――現実は、そう上手いこといくものじゃない、と。
修学旅行の最終日前日。
ひかりの悪ふざけと向こうの男の子らの協力で、私とひかり、そして隣のクラスの男の子の須熊くんと……遠野君の四人で、観覧車に乗ることになった。
そして。
その際に、ひかりは、観覧車が頂上に行ったら遠野君に告白すると言った。
……そしてまた私は、笑顔で取り繕う。
「―――応援、するよ!」
そして、その言葉がきっかけで私は―――孤立することになるなんて、思いもしなかった。
四人で乗る観覧車は、複雑な思いを抱えたまま徐々に頂上へと向かっていく。
私は、好きな人と乗れたことへの喜びと、これから起こる事への苦しさから、永遠に頂上に行かなければいいのにと思った。
けれども。
「あ、あの……ひっひか……あっ、福崎さんっ! えっと……あ、あなたのことが好きです! 付き合ってください!」
あまりにも唐突な告白だった。
目の前で顔を赤くしながら恥ずかしそうにそう口にする、見知らぬ男子の須熊くんは。
私の隣に座るひかりに向かって手を差し出した。
予感はあった。
それはいつも周りの顔色を窺っていた私だからこそ気が付くことのできた些細な表情の変化や視線。
きっとひかりのことが好きなんだろうなと、そう思うには十分すぎるほど、分かってしまった。
……この時、私はこれがきっかけでひかりと須熊くんがくっつけばいいのにと思っていたけれど。
「えっ、いや、私はそんなつもりじゃ……いやぁ……え~……?」
ひかりは、これから告白をしようと考えている相手の目の前で告白をされている。
その気まずさは、到底私では計り知れないほどだっただろう。
……そして。
「な、なぁ遠野はどう!? ひ、日向さんのこと好きだって言ってたじゃん!? 言わないの!?」
……?
今、彼は何と言ったのだろう?
だれが、だれを?
思わず私は遠野君に視線を向ける。
……その顔は、私が一番よく知っている。
私が鏡で何度も見た、好きな人にする表情。
「あ、あ~、えっと、ひ、日向さん……じ、実は僕も……」
――けれど、私は同時に見てしまった。
私の隣にいた、これから遠野君に告白をしようと、行動を起こそうとしていた勇気のある彼女を。
……癖だった。
「うちが遠野の彼女~!? 無理だって! 冗談辞めてよ~!?」
自然と笑って誤魔化す癖。
思ってもいない言葉が零れ出る私の口は、まるで私のものじゃないように次々と言葉が流れ出る。
「えぇ~? うちが遠野と!? ありえないって!」
自分でも、今何を言っているのかは理解することができなかった。
――そうして、私は結果として。
彼の勇気を踏み躙り、友人の想い人を否定し辱めた。
あれほど頂上に届いてほしくないと願った観覧車で、その場の誰もが。
早くこの場から離れたいと願い、誰もが外の景色を見ることもなく、私たちは再び現実へと戻っていった。
……ひかりは生徒会で多くの友人がいた。
方や私はそもそもあまり友人がいるわけではないただの女子高生。
小さな世間というべき学校という場において、私が孤立するのは当然の帰結だった。
―――そして、あの日を境にすべてが変わった。
廊下で遠野君とすれ違っても目を逸らし、偶然近くを歩くことがあっても互いに距離を保ったまま。
話しかけるタイミングなんてきっと何度もあったはずなのに――私は現実から逃げ続けた。
彼の想いを踏み躙った私に、何ができようかと……。
月日は流れ、卒業式の日。
ついぞ同じクラスになることがなかった遠野君とは、式が終わっても私の視界には現れなかった。
最後に見たのは、名前を呼ばれて立ち上がる姿。
合うことのない視線を向ける私は、何もなかったような顔をして。
本当に何もなかった人として――高校を卒業した。
それからの私は、地元の近くの大学に進学して、平凡で曖昧な日々を過ごしていた。
講義に出て、適当な昼食を食べて、大学でできた友人と映画を観たり、家でゲームをしたり。
それなりに笑ったり、悩んだりする日常はあるのに、どこか心の底では、何かを置いてきてしまったような空虚さが残っていた。
そんないつも通りのある日。
買い物帰りの電車の中――私は、窓際に立つ男の人を見て驚いた。
窓際に立つその後ろ姿は、どこか遠くを見つめているようで。
すこしだけ背が伸びたような気がして、髪も少し大人びていたけれど……でも、私にはすぐにわかった。間違いない、と。
今更話しかけてもわかるだろうか? 迷惑ではないだろうか?
あの時のことを気にしているだろうか? 今はどう思っているんだろうか?
様々な思いが一瞬にして脳内を駆け巡る。
何度も忘れたつもりでいたのに、たった一目で、私の中の消えたはずの感情が鮮やかに蘇ってくる。
――あきらめたはずだった。
もう私には彼と一緒になる権利はないのだと。
あんな風に彼を貶めた私にそんな資格はないと思っていた。
けれど、どうしたって彼を見た瞬間に、あの日の熱を昨日のことのように思い出す。
「―――遠野、くん?」
電車を降りた彼を追いかけて、自然と声が出ていた。
その声は、震えていたと思う。
でも、確かに私の意思だった。
彼はすぐに振り返らなかった。
けれど、その肩がピクリと震えるのが見えた。
懐かしい仕草だった。
あの時と同じ……人と話す時に、緊張でほんの少しだけ肩がすくむ、あの遠野君の。
「……え、っと……? 日向、さん……?」
彼に会えた喜びと、そして、彼が名前を憶えていてくれたという事実が、どうしようもなく心を躍らせると同時に、しかし胸を突き刺す痛みが増した。
けれど。
「そうだよ~、違う人だったらどうしようかと思った~」
私は、いつものように、笑顔で取り繕う。
「あっ、えっと、こ、あ~」
いきなり私に話しかけられたことに戸惑う彼に、私はしかし自然体だった。
「あ~遠野君って大学こっちなの~? っていうか……一人暮らしだったりする~?」
「う、うん。駅からちょっと歩いたとこに……住んでるけど……」
「そっか~」
電車の中で、何を話すべきかを考えてきたつもりだった。
でも、彼を目の前に立った私は、緊張でそのすべてが記憶から飛んでいく。
「あ、そ、それじゃ……」
行ってしまう。
そう思ったとき、私は、ついぞ聞いてしまった。
「……高校の頃のさ~。修学旅行、遠野君、覚えてたりする~?」
自分の後ろめたさを隠すように、できるだけ柔らかく。だけど。
「修学旅行……あ~、ごめん、全然覚えてないや……」
彼が覚えていないといったことに、正直ほっとする自分がいた。
あの日のことは、彼にとってそんなに重要なことではなかったのだと確認できたから。
……ただ、ここで止めておけばよかったのだ。
「そっかぁ~、じゃあ私に告白したことも~?」
つい、欲が出てしまった。
これを逃せばもう、次はないのだと。
「ふ~ん……ねぇ遠野君、今一人暮らしなんだよね?」
「あ、うん。そう……だけど……」
「え~? どんなところ住んでるの? 行っていい~?」
いくら後悔しても取り戻せないものはあるけれど、チャンスがあるのならそれを今度は離さない。
―――そう、思っていた。
「日向さんって、僕のことが好きなんですか?」
次こそは、ちゃんと言おうと決めていた言葉。
「え~? 急だね~。うん、好きだよ~? 昔はほら、恥ずかしかったからさ~!」
「……そう、なんだ……」
「実はね、覚えてないと思うけど、あの時……私、断るつもりじゃなくて~。隣にいた子、ひかり……あ、福崎って覚えてるかな? 福崎がね、遠野君のこと気になってるって言ってたから……」
しっかりと伝えられたことに、私は夢中で、過去のことをぺらぺらと話してしまった。
……よくよく考えれば、彼にとってそれがどんな意味なのかを理解できていたはずなのに。
「それ、今さら言うこと……?」
彼の低い声に、心臓が凍りつく。
「え?」
「断るつもりじゃなかったとか……そんなの、今言って……どうなるんだよ……」
……っ。
目の前の彼が、苦しそうに胸元を押さえたその時、私はようやく気づいた。
彼は、あの時――本気だったのだ。
あの言葉も、あの震える声も、全部が。
「……僕はずっと……あれから誰にも告白できなかった! ……あれがトラウマで、ずっと誰かに好かれるなんて無理だって思ってたんだ……って、あれ……?」
「と、遠野君!?」
叫ぶ彼に、呆気に取られ。
彼の体がぐらりと傾いて、地面へと崩れ落ちていき、思わず体に駆け寄る。
「遠野君!? とおのくんっ!!!」
あぁ。私が、もう少し早く伝えられていたら。
私が、あの日、あの観覧車で……違う言葉を選んでいたなら。
今、こんなふうに、彼を苦しめることはなかったのに――。
ここで暗い話はおしまいです。
ここまで見てくれた方に感謝を込めて、次は前向きな話を書きます!




