6-1
意識が戻ったとき、辺りは真っ暗で何も見えなかった。
先ほどまで自分が立っていたはずの公園は何処にも存在していなかった。
ただ『今回』は身体の感覚はしっかりと残っていた、目を開けることも声を出すことも手を動かすことも出来ない、ただそれでも身体が存在しているとしっかり感じられる、少なくともピアスの中に居る訳ではない、そう確信できる。
意識ははっきりしているが体の自由が利かない、金縛りのような状況ではないかと推測できる。
なにかまた超常的な世界に来ていなければ、だが。
ふいに真横――左側から何か音が聞こえるが、身体が反応して動いたような様子もなかった。
「ははぁ、幸せそうに寝てやがるな、おい」
左頬に冷たい何かを当てられると同時に声が聞こえた。
知人の声だった。
「まぁ既定の倍量入れてるから簡単には目覚めねぇか」
押し殺したような、少し笑いも堪えながらと言うような口調だ。
「このためにわざわざ歩いてコーヒー買いに行ったんだ、オレが楽しんでる間、ゆっっっくりお寝んねしててくれや、なぁ海運」
頬にあてられている物を二度ほどペチペチと打ち付けられる、それによる痛みは全くない。
「でもなぁ海運、お前が悪いんだぜぇ、オレの神経逆撫でてくれちゃうんだからさぁ。イライラしてるってお前に言ってたよなぁ、バカなバイトの尻拭いで店出る羽目になったって、RrJの初日行けなくなって超ムカつくって言ったよなあ」
次第に怒気が強くなっていく。
「それなのにお前は一人で、いやこんな可愛い彼女とフェスを楽しんで、挙句通り道だから帰りに乗せてってやって欲しい?そんなの道理が通らないよなあ」
話の途中で聞き覚えのある電子音と何かが擦れる音が聞こえる。
ここで今が最悪の状況であることを理解する。
――今からじゃ知人を止めることが出来ないっ・・・
すでに賽は投げられて、いや今まさに投げられようとしていた。
ピアスの中で見た、ちょうど彼女が連れていかれるところ。あれを見させられているときオレは何をしているのかと思ったものだが、なるほど薬で眠らされていたのか、すでに死んでいるのではと思わせるほど最後まで登場しなかったのはこれが原因だったのか。
そしておそらく彼女もまた。
だからこそ暴行されながらも目覚めるまでに時間を要していたのだろう。
「寝顔も可愛らしいねぇ、これから何かされるなんて思っても居ない安心しきった寝顔だ、信頼されてるねぇ海運」
「よっ」という声と同時に身体が一瞬傾いたような感覚を覚える、彼女を担いだことで車の重心が寄ったのだろう。
「またな海運、良い夢見ろよ」
セリフの最後はオレの座る助手席のドアの締まる音と、後部座席のドアの締まる際の電子音が重なりうまく聞き取れなかった。
――さぁどうするッ、どうするっ?
正直どうしようもなかった。
薬で、それも規定量よりも多くの薬で眠らされている。それ自体に意味があるかは分からないが、少なくとも先程されたような頬を叩かれるや車が大きく揺れる程度では目覚めなかった。前日からの疲れもあり自然に目覚めるのはいつになる事か。
――あれと一緒では遅すぎる
ピアスの中で見ていた時、オレが現れた時は最早手遅れの状態だった、あれよりも早く、なんとしても起きねばならなかったが、その手立てが浮かばない。
――くそっ、くそぉぉ
意識があることで対応策など色々と考えられることは確かにメリットではあったが、それ以上に焦燥感が増していくばかりで思考が単純に単一になっていくのは最大のデメリットであった。
――起きろ、起きろ、起きろ、起きろよぉ
――頼むから、起きてくれよ、オレ・・・
心の中で泣こうが喚こうが身体が目覚めることは無かった。
――何か聞こえる・・・
起きろと念じ続けてどれくらいの時が経っただろうかそんな感覚に襲われる。
外から何かが聞こえてくるわけではない、体内で何かが反響しているような、そんな感覚。起きろという自分の声が邪魔でよく聞こえなかったので徒労に終わっていた念仏のような心の中でのつぶやきを止める。
そうして聞こえてきたのは、高く乾いた良く響く音。
――これは・・・あの鐘の音・・・
そう認識した時には目が開き周りを認識できるようになっていた。
「あっ・・・」
声も出るし、手も動かせる、すぐにシートベルトを外し、外に出ようとするが一度留まる。
あの時のオレはなにか木の棒のようなもので知人を後ろから殴り、さよりさんを抱えようとしたところを恐らく近くにあっただろうバールで殴られた、もしくは刺されたのかもしれない。向こうに何があるか分からない状態で何も持たずに向かうのは危険だと判断した。
――確かここに・・・
運転席のカーバイザーを下ろす、あの時知人はナイフを持っていた、あれは普段から護身用にと身に着けているものだったはずだ、そのための仕込みやすいバタフライナイフ、それとは別に
――あった、サバイバルナイフ
前に教えてもらったことがあった、運転時のトラブルの時用に取り出しやすいようにとここに仕込んでいると、かなり物騒な話であるがそれがいま役に立つ。
いま知人が持っている物よりこちらの方が刃渡りが長い、武器としてどうにかできるかは分からないが交渉――と呼ぶかは分からないが、それには有効だろう。入るタイミングにもよるがいきなり襲われることは無いだろうし。
ナイフを鞘から抜き、一つ大きく息をつき、二人の元へ向かうために車を降りた。
山の中に廃棄された工場跡、その中の一室に二人は居た。
建物に来るまでの道のりは一度見ていたのである程度分かってはいたが、どのような建物かはここで初めて知る、なるほど地面がコンクリートでバールのある所、両方に合致する。
その部屋の扉は空いていたのでそのまま入ると、汗、体臭、嘔吐その他諸々様々な臭いが混じりあっていて吐き気を催すが、ぐっとこらえ視線をそれら汚物の先へと向ける。
立ち膝の状態でこちらに背を向け動いている知人、その先に横たわるさよりさん。
――同じ、だ・・・
唇を噛み締める、比喩でも何でもなくただ己の無力さを痛感し、力いっぱい噛み締める。口の中いっぱいに鉄の味が広がり、また吐き気が増幅する。
「なんだ海運、もう起きてきたのか」
――ッ!?
気が付いていた。
振り返りもせずただ一心に腰を振っているだけの知人に声を掛けられ動揺が走る。ただそれでも動き止めない知人に怒りを覚えてきていた。
「もう少し待てよ、そうしたら代わってやるからな」
自分の中で何かが切れる感覚を覚える。途中途中息を切らしながら、そして最後にはお決まりのような「ははぁ」という茶化した笑い、止めない腰の振動、これら知人の言動はオレの理性を失わせるのには十分だった。
走らず、それでいて素早く距離を詰める。
地面を踏みしめ砂利などが擦り合わさる音も立てないよう、出来るだけ力を入れず軽く動く。右手に握っていたナイフを構え握る手にも力がこもる。左手はその右手を覆うように握る。
――あああああああああああッ!
近付いた勢いそのままに背中から、右胸の裏辺りにナイフを一気に突き刺す。一度骨に侵入を阻まれかけるが刃を地面と水平の角度にしていたことで骨と骨の間に滑り込ますことができ、鍔元まで突き刺すことが出来た。
「がぁ、はぁっ」
刺したナイフをそのまま薙ぐように抜き取り、さよりさんの上に乗る知人を蹴り退かす。よろめき尻餅をつくところに追い打ちをかけ、今度は正面から左胸にナイフを突き刺す、その衝撃を受けるまま知人は力なく倒れていった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、・・・うっ」
自らのしでかしたこと、さらにその感触が込み上げ、ついに耐えられなくなり嘔吐をしてしまう。
ただ、自分を労わっている時間は無かった、ここには彼女を救うために来た、もう事は起こってしまっているが、命が助かればまだ救いはある、その想いで彼女に向き直り、傍まで行き、まずは上着で裸体を隠し抱きかかえるように起こそうと右手を頭の下に忍び込ませる。
ぬちゃぁ・・・
その手のひらに湿った、滑っとした少し温かい触感、そっと手を取り出してみると、手のひらはどす黒い赤で染まっていた。
出血、それもかなり多量、しかも色から判断しても時間が経っている。
試しに彼女の左手を握ってみるが、握り返してくるなどの反応は無く手を離すとそのまま地面に落下した。
口元、胸と順に耳をそばだてるが吐息も鼓動も聞こえてこなかった。
「ああ、ああああ、ああああああああぁ」
言葉にならなかった。
オレが見てきた彼女は、登場し助けようとしたが返り討ちにあってしまったオレに声をかけてくれていた、目の前の彼女は脅威を退けたオレに何も語ってくれることはない――できない。
遅かった。
予習をしたことで対策を万全にしようとした結果か、はたまた目覚めたい一心で心の中で叫び続け鐘の音を聞くのが遅れたか、あるいはその両方か。いずれにしてもここに辿り着くのが、オレが見たオレよりも遅かった、早くなるようにと頑張っていたはずなのに。
情けなさからか、不甲斐なさからか涙が出てこなかった。泣きたい気持ちは十二分にあった、だがそれと同時に泣いて気持ちを楽にするのは卑怯かとも思った。そういったものが折り重なって涙が出ないのかもしれない。
開いたままのさよりさんの両目をそっと閉じてあげる。
その顔をじっと見つめそのまま口づけをする。
二人の、そしてオレにとって初めての口づけ、その味は酸と鉄が混じったような、とても良いとは呼べない代物だった。
ただ、唇が触れ合った瞬間に一粒だけ流れてきた涙が口に入り、すべての味の記憶を持っていってしまった。
ふぅと、大きく一息つき知人に向き直る。
最期には感情を爆発させ自分が殺してしまう事になってしまったが、やはり今までを振り返るとこいつと友達でいた期間は本当に楽しかったと思う。
それだけが理由では無いと思うがこいつの言った通りオレが気持ちを察してやれてなかった、慮ることが出来なかったことで凶行に走らせたかもしれない、そこは申し訳なく思うところである。
謝罪と感謝の意味を込めて右手を取り、自分の右手と手を組ませる。左手も添えよりがっちりと。
知人の手を放し、その手をそのまま胸に刺さるナイフに持っていく。
心の中でごめんと唱えながら一気に抜き取る、痕からは血液が溢れる様に漏れ出てくる、同様にナイフからも滴っている。
そのナイフを両手で握り自らの首元へ突きたてる。まだ傷つけてはいないが既に首から胸にかけて血液が伝う。
――これ以上に卑怯な行為も無いか
自嘲しながら大きく一息つく、その際の首の膨張でナイフが少し刺さるが、痛みなど感じなかった。
パチンッ
目を瞑り、いざ、と両腕に力を込めた瞬間、乾いた聞き覚えのある音が響きそれとほぼ同時に握っていたナイフに衝撃があり落としてしまった。
「あ、あぁ」
ゆっくり目を開けると、そこには大きなカマを携えたさよりさんが立っていた。
その瞳には今まさに零れんとする涙で溢れていた。




