第二話 転校生
僕の学校は私立天明園学院高等学校である。
創設してからは長い歴史があるけれど、一年前に校舎の建て替えが行われたので全くもって古びたところはない。しかも大学にあるような最新設備も整えている。時代の移り変わりって簡単なものだなあ、なんて年をとった人たちは言うのだろうか。
今年の高等部二学年では一年のときの文理選択で理系、文系の人数がキリの悪い数字になったらしく、一クラスだけ理系文系合併クラスが誕生してしまった。
僕が在籍しているのは合併クラスで、理系の僕と文系の雀部が同じクラスにいるのにはそういうわけがある。
教室に着いた僕は机に突っ伏して眠っていた。席の場所はクラスの後方、廊下側。
あの夢のせいで浅く眠ることしかできなかったらしく、現在猛烈な眠気に襲われ、抗わずにいる。自分には無駄に神経質なところがあるので机の上でなんて眠れない。
目を閉じているだけ、と言うほうが正しい。それでも幾分かはマシになるだろうと思う。
不意に僕の体が揺さぶられた。体に触れる手の感触……この大きくてごつごつした手は雀部のものだ、間違いない。見てわからないのか、僕は寝ているんだ。
「左座、起きろよ」
ゆさゆさ。
「左座ー」
ゆさゆさゆさゆさ。
「俺が暇だろー。起きろよ」
ぺしっ。
雀部が僕の頭を叩いたところで上体を起こすことなく僕は叫んだ。
「寝てるんだよ!」
数秒だけ雀部は沈黙したけどまたすぐに僕の体を動かし始めた。
「起きてるならそう言え」
「……ウザ」
「あ? 何か言った?」
「何も言ってないよ」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「でもウザいって呟いただろ」
「聞こえてるんじゃないか……」
しぶしぶと頭を起こし、僕の眠りたいんだから放っておいてくれ的空気を読まないクラスメート、雀部のために話し相手になってやることにした。
同じ組の生徒は全員揃っているようで、クラスではそれぞれ数人のグループを作って話をしている。そろそろ朝礼の時刻だろう。
ボーとした頭でそれだけ考えて僕は隣の席に座る雀部に向き直った。
「おい、その顔のやつ、怪我でもしたのか」
「怪我……?」
雀部が僕の顔を指差して言ってくるので頬に触れてみると、ちょっとした痛みがして手を引いてしまった。今度は気をつけて触ってみると顔に傷パッドが張られていた。
「ほんとだ、怪我してるみたいだ」
「おいおい。知らなかったのかよ……」
雀部が呆れるように言う。お前に言われたくはない。
「ところで、今朝のニュース見た?」
「いや。見てないけど」
「まじで? じゃあ、あの事故のこと知らないのか?」
「事故?」
「山の方にさ、放置されてる遊園地があるじゃん」
「うん」
「あれのさ、観覧車がぶっ壊れて落下したらしくて。テレビじゃ老朽化がどうのこうのって言ってたけど俺は違うと思うね」
「へえ……そんなことがあったんだ。危ないなー」
僕は興味が湧かないので感情の篭っていない相槌を打つ。
「ほら、理由訊かないのか。俺がそう思う理由」
雀部が顎に手を当ててなにやら自信ありげな態度をとった。僕はイラッとくるのを呑み込んで、
「……なんで?」
と訊いてあげた。雀部は待ってましたといった感じでニヤリと笑う。
「フ。聞いて驚くな……その理由とはっ」
次に雀部の言葉が発せられようとしたちょうどその時、教室のドアがガラリと開いた。
僕のクラスの担任、女性教師の橘内先生が入ってきたのだった。脇には出席簿を抱えている。
「話を止めて席に着きなさい。はい、黙想!」
合図がかかると瞬く間に教室中が静まり返る。僕も目を閉じて黙想をする……ふりをして隣の雀部を見ると不満げな顔で何かを呟いていた。
四十代になろうかという年なのに独身の橘内先生は高校生相手でも彼氏を絶賛募集中らしい。
先生の持つ男に勝る凄みが男を遠ざけていることに、いつになったら気付くのか。……気付いても変わりそうにないけれど。
「委員長!」
「……起立!」
学級委員長の号令に、ガッと皆一斉に立ち上がる。起立から礼、着席までまるで軍隊のように統率されていた。橘内先生は出席簿を教卓に置いてため息をついた。
「ええっと、まず一つ重大なことを言っておく」
橘内先生が重くゆっくりとした調子で口を開く。過去に数度この口調になったことがあるけど、その後ろくな事が起きなかった。前は黒板が汚かったと言うだけでクラス全員に説教と、レポート課題が出された。
これから起きることを想像して僕はごくりと生唾を飲み込んだ。
しかし、うれしいことにその予想は外れることになる。
「このクラスに転校生が来る。そこの廊下まで来ている」
クラスが、どよとざわめきたつ。僕も先生の言ったことが信じられずに隣の雀部を見た。同様に雀部も驚いた表情をしていたけど直ぐに『女子か、女子か? 美人か、可愛いのか? 男子はないだろ? 空気読めよ橘内』と呟き、彼の世界に突入してしまった。
「先生、女子ですか!?」
窓側の男子が手を上げて、大半の同級生が訊きたいであろう事を代表して問う。
「私はいつでも少女の心持だぞ」
「ボケはいいですから」
「ちっ。黙れ、貴様ら」
橘内先生は露骨に舌打ちをして言った。しんと静まり返るのには一秒と費やさない。
「調子に乗ってんじゃないぞ、ガキ共。転校生ぐらいなんだ。それくらいではしゃいでんじゃねえ」
生徒に向けてガキとは……先生の言葉使いとは思えない。
「……女子だ」
目線を窓に向けながら橘内先生が告げた。男子がオオウと雄叫びの様な歓声を上げ、女子はアァーと残念がる。
「入ってきたまえ」
「失礼します」
クラスがさらに騒然となった。音の発生源は男子が主ではあるけど女子も十分に声を出していた。
「まじか……?」
雀部が口をあんぐりと開けて愕然としている。
それもそのはず、転校生は、いや、なんと言ったらよいか、美人というか、可愛いというか、群を抜いて、その、綺麗だった。
背中まである長い黒髪。体格のラインはしなやかなのに、どこか鍛えられている感じがする。西洋人と東洋人の中間のような絶妙なバランスの顔立ち。美人の定義をいいとこ取りしてきた様でいて、幼さもわずかに残す。
転校生の容貌は完璧であった。
「この子の名前は夏神紫杏。アメリカからの帰国子女で、三歳の頃からアメリカにいた。名前は日本人だがハーフだそうだ。ご両親の希望で日本の生活を経験して欲しいとのことだ。転校生ではあるが……留学生に近い。仲良くしてやれ。じゃあ、夏神、自己紹介を頼む」
夏神という転校生は頷いて、先生が教壇から降りると今度は夏神がそこへ上がった。
「今日からこの天明園学院に転校しました夏神紫杏です。先生がご紹介なされたとおり、私はハーフです。ですが、普通の日本人とかわらずに接していただけるとありがたいです。小さい時から外国にいましたので日本の文化に慣れないところもあると思いますが、これからどうぞよろしくお願いします」
アメリカに長い間居たというからてっきり片言か何かだと思ったけど、日本語は完璧だった。どこか冷めた言い方で、不安や期待を含んだ感じがしないのは帰国子女だからだろうか。
「わかったよ!」
「困ったことがあったら言ってくれ!」
初めて会ったというのに、がっしりと男子達のハートを掴んだらしい。隣の雀部もなにやら叫んでいるけど聞きたくない。
「可愛いな! な! おい、左座! あんな子、手を出さない方がおかしいよな! わかるぜ!」
聞こえた。
「……犯罪には走るなよ」
「なに言ってんだ、左座ぁ! 夏神って子、お前ばかり見てたぜ。いや、参った参ったなんという早業なり。学校に来る前に知り合いになるとは!」
「は? 俺、転校生に会ったのは今が初めてだぞ」
「何!? ということは夏神はお前に気があるのか! 一目惚れか!」
「……あー、うるさい黙れ」
僕は雀部の変な推理が心底嫌になった。僕は嘘はついていないし、おそらく転校生が僕を見ていたというのは雀部の気のせいだろう。
……本当はデカ過ぎる雀部を見ていたのでは?
と言えば雀部は絶対、図に乗るので口に出さなかった。
「自己紹介も終わったから……あの席に座って頂戴」
「はい」
先生が指差すのは……僕!? あ、僕の後ろの席ってことか。どうりで朝、僕の後ろに見知らぬ席があると思った。
凛とした表情で転校生がこちらに、正確に言えば僕の後ろの席に歩いてくる。
僕は転校生の顔を見上げる。すると、見下ろす彼女の目と僕の目が合った。一瞬どきりとした。けどすぐさま頭に靄のような物がかかった。
ん……? どこかで見たことがある気が…………するだけで思い出せない。この頃、こんな事が多いなあ。