第二十四話 過去3
「ゲホッゲホッ」
驚いて飲み込んだ唾が気道に入り込んでしまったみたいだ。咳が落ち着いたところで、確認した。
「聞き間違いじゃないですよね?」
「いいえ。左座君も賢者の遺志の一人よ」
ペネロペさんは流し目気味で僕に視線を投げる。
「でも、僕、ほら、能力者じゃないですし」
「賢者の遺志だから能力者、なんてこと言ったかしら」
僕は言い返せなくなって言葉に詰まった。そんなことは確かに言ってない。
「じゃ、じゃあ……その、えと」
何か訊こうと頭いっぱいに思いをめぐらしても、なぜか分からないけど、言葉になって出てこない。
ペネロペさんは大きくため息をついて、やれやれと言うように肩を竦めた。
「動揺しすぎよ」
そんなことを言われても……あまりにも突飛な事で驚かないほうがおかしい。ペネロペさんの言っている事はつまり、僕は賢者達の血を受け継いでいる人間だということだ。今時、冗談にも使わない。
「あなたが知りたいことは何なのか、もう一度整理しなさい」
整理……確かにそうだ。僕は今、冷静でない。落ち着かなければ。
僕は夢を見た。
その夢は妙にリアルでただの夢だとは思えなかった。遊園地でのこともあるし、もしかして僕自身の記憶なのだと思った。その理由は、知らない場所で、知らない事が起こっているのに、そこに知っている人が出てきたからだ。
もし夢が僕の記憶だとしたなら、僕とペネロペさんは前に出会ったことがあることになる。僕は夢が過去なのか確かめるために、記憶を取り戻したかのような芝居を打った。ペネロペさんは芝居に乗った。これで夢は本当にあった出来事なんだと思った。
では、ペネロペ会った事があるのにどうして黙っていたのか。そしてペネロペさんは何者なのか。知りたいのはこのことだ。
「ペネロペさん、どうして前に僕に会った事があることを黙っていたんですか」
「正解」
ペネロペさんは唐突にそう言って、続ける。
「それが最初の目的でしょう? 私はあなたを試していたのよ。本当に記憶を取り戻しているのかどうかを確かめるためにね」
僕はピクリと眉を動かしてしまった。もしかしてペネロペさんから手がかりを得ようとして逆に相手に覚られて、さらには罠も仕掛けられていた……?
「何の脈絡もない事を話しながら重大な情報を聞かせ、当初の目的を忘れさせて様子を伺う。はぐらかすのは私の専売特許だし。それにわかっちゃたんだけど、どうやら記憶を取り戻したって言うのは嘘みたいね」
「……」
ばれた。
「あなたは小さい頃から賢者達に興味があって、彼らについて学んでいた。記憶を取り戻したのなら知っているはずの事もあなたは知らなかったわ」
「……」
ずっと賢者の話をして様子を伺っていたのか……、してやられた。
「それは……確か五歳の時だったかしら」
「五歳? そんな幼いときにそんなこと……」
さすがにそれは冗談だろうと僕は聞き流そうとする。
「賢者の血を受け継いでいるからでしょうけど。それにしても左座君ってかなり鈍い子ね」
「え、鈍い?」
「夏神ちゃんをナイフのような感覚の持ち主としたら、あなたはこんにゃくってとこね」
例がよくわからない。ナイフを例えに使うのは分かるけどこんにゃくって。夏神をナイフで例えるなら、せめて僕も錆び付いて刃こぼれした包丁並み、ぐらいに例えて欲しかった、って自分で例えても意味がわからない。
「……私は言った傍からまたはぐらかしているんだけどねー」
「……!」
またやられたってことかよ。
「今度はあなたの過去を話して質問から逃げてみたわ」
口で争うと百パーセント勝てない。かといって力でも勝てないだろう。ペネロペさんは能力者だし。打つ手はなし、お手上げだ。
「……ひどい顔ね。途方に暮れてるって丸分かりだわ」
「ペネロペさん……はぐらかそうとするのはもう止めて下さい」
こうなったら目的の事以外は気に留めずに、それだけを聞くしかない。
「あら。これは本当よ。左座君はもろに顔に出るタイ――きゃっ!」
ペネロペさんの後ろに突っ立っていただけの夏神が鬼としか形容できない形相で、ペネロペさんの襟首を掴んで持ち上げた。
「……ふざけるのも大概にしろ」
「凄い殺気ね。今の状況を他の隊員が見たら勘違いしても仕方ないわよ? それとも……本気なのかしら」
夏神は眉間によりぐっとしわを寄せ、ペネロペさんを放り投げた。ペネロペさんは坂になっている土手を転がることなく上手く受身を取った。
「いつまで馬鹿げたやり取りを続けるつもりだ……」
夏神が冷たく言い放つ。嫌々ながらペネロペさんは土手の一番上まで上がり、そこで服についた草を払った。
「さすがに夏神ちゃんも相手に回ると厄介ね。でもね、私は危惧しているの」
「……危惧?」
「夏神ちゃんは強いわ。能力があるからじゃなくて、心が。だから事実も伝えられた。けど左座君はどうかしら。あなたと同じように伝えられたら人として再起不能になるかもしれないわ」
自分が精神的に弱いと間接的に言われた僕はかちんときた。二人は、なにやってるんだ。僕は膝をついて立ち上がった。
「なんで二人だけで話してるんですか。僕が、自分の意思で知りたいと言ってるんです」
ペネロペさんは後悔した表情を浮かべ、
「……そうね。言う相手を間違えたわ」
僕を真正面に捉えるように向き直り、右手を軽く腰に当て、左手は下げたまま、体の重心を右側に寄らせた。瞳ははっきりと僕の瞳を覗き込んでいた。
「……黙っていた理由は…………、あなたの親と約束したからよ」
ズキッ!
体が凍った。胸にひび割れでも起こったのか深く、鋭利な痛み。癒えかけた傷が再び開くような。
「僕の……? どういうことですか!」
「鈍い!」
また言われたけど、気にしない。話を逸らされては困る!
「だからなんですか!」
「言ったでしょう。あなたは賢者の遺志だと。なら、子が受け継ぐ血はどこから来るの!」
総毛立った。そこまで言われたら僕も理解できる。つまり……。
「僕の両親も……賢者の遺志、ですか?」
「そうよ」
なるほど、僕は鈍い。最初に言われたときに気づいておくべきだった。じゃあ、その前は? 死んだおじいちゃんやおばあちゃんも? 両方ともでなくても最低どちらか片方は……。
「僕の家族は全員、賢者の遺志……」
ペネロペさんは今日初めて、哀れむと言うか、沈痛な面持ちになった。
「ごめんなさい。それは……違うの」
そういった瞬間に夏神も僕を向く。
「……違わないですよ。遺伝子的にそれは――」
……ハッとした。ペネロペさんが言わんとしようとしたことが、真実が漸く認識できた。
僕に伝えるべきでない訳も。知らされなかった訳も。
「――父さんと母さんが僕の本物の親じゃない……?」
至った現実を否定してほしかった。けれど、ペネロペさんはゆっくり、小さく首を縦に振った。
手がわなわなと震える。意識に関係なく。止まらない。止められない。
「私はあなたの母親の友人であり、かつての仕事仲間だったわ」
「……仕事仲間?」
「私や夏神ちゃんの所属している組織、あなたの母親もその組織の構成員だったの。特に私はよく覚えてる。相棒として組んでたから……」
ペネロペさんは遠い目をする。
「その……その人は今どこに……?」
つい、真の母親であるはずの人に、その人、と言ってしまった。
「死んだわ。殺されて」
ミシィ!
胸の痛みが深く、広がった。
「どうして!?」
「どうしてと言われてもね……私にも分からないわよ。でも犯人の目星は付いてるわ。あなたの母親が賢者エリーゼの遺志の一人だということから考えるとね」
「それって…………ま、い、く、さ、が?」
痛い。胸が痛い。痛いけど熱さは全くない。むしろ冷たい。体中の血液が集まってくるはずの心臓が凍ってしまったみたいだ。
立っていられないほどの痛みで、右手で胸を押さえながら地面に倒れこんだ。再び上体を起こそうと努めるけど、左手が草を握り締めるだけで動けない。
「左座君!」
ペネロペさんが駆けつけて来る。
『この子を死なせはしない』
甦る声。
『お前が誰だか、私は知らないが、家族を、やらせはしない……!』
そして映像。
僕は車の中に座っていた。
すぐ隣にはお母さんが、運転席にはお父さんがいる。
お父さんは運転中で、お母さんは僕の顔をじっと見つめて微笑んでいた。そんなに僕を見て楽しいの、と訊くと、とっても楽しいわ、と言う。もしかして顔に何か付いているのかと触ってみるけど特に変わったところはないみたいだ。それを見て、お母さんはさらに幸せそうに顔を綻ばせる。
車で家に帰宅する途中で、確かおじいちゃん家に行ったんだっけ。辺りは暗くて、もう既に夜みたいだ。
「何だ……?」
不意に乗っている車の速度が徐々に落ちているのに気づいた。しばらくして僕たちの乗った車は橋の上で完全に停止した。
「どうしたの?」
不思議に思った僕は尋ねる。お母さんも同じことを言いたげにお父さんに目を合わせた。
「人が、道の真ん中に」
僕とお母さんはフロントガラス越しに前を確認すると、道の真ん中に黒いスーツを着た人が立っていた。あんな所にいたら危ないのに。
「……私の知り合いだわ」
お母さんがぼそりと呟く。
「ほんとに?」
「……お前の?」
お父さんと僕は二人でお母さんを見つめた。お母さんは頷いて、一人で車外に出た。
それを見たお父さんはシートベルトを外して、
「誠人は、ここに残っていなさい」
と言って同じく外に出ようとする。
ところがお母さんが手で制して、歩み寄ろうとしていたお父さんはドアを開けたまま車の傍で待機することになった。
「お久しぶりです。朱音さん」
「久しぶりね、舞草君。何の用かしら」
道に立っていた男の人とお母さんは会話をし始めた。どうやら本当に知り合いみたいだ。
「一つ、確認しておきたい事があります」
「言ってみて」
男の人は俯いてお母さんの顔を目視せずに、
「朱音さんは、賢者の遺志でしたよね?」
と、問う。何のことを言っているのだろう。賢者の石って知ってるけど、あんなもの映画の中で出てくる石っころだよ。
「ええ。それが?」
「……すみません」
男の人が声を震わせて言うと、お母さんが突然、消えた。続けてものすごい突風が吹き付けてきて僕の乗っている車が大きく揺さぶられた。
「むっ」
お父さんも何が起こったのか分からない様子で、右腕で直接顔に風が当るのを防いだだけだった。
「どういうことかしら……舞草君」
消えたお母さんはどういった手品か知らないけど車の横に移動していた。ドアを開けて、僕を外に連れ出す。
「……賢者エリーゼの遺志を殺さなくてはなりません。朱音さんと、その子供を」
お父さんとお母さんは両方とも顔を顰めた。僕はあの人が酷いことを言ったのかと思って、男の人を睨み据えた。
「何故か教えてくれる?」
「……できません」
お母さんはお父さんに僕を預けて、なにやら二人で男の人に見えないよう合図を取り合っている。
「舞草君が訳もなしに人を殺す事なんてないから、それ相応の理由があるんでしょうけどね。でもこんな理不尽は許されないわ」
「……わかっています。けどもう、これしかないんです!」
男の人はついに泣き出した。大の大人が人前で号泣するところなんて見た事がなかったので面食らってしまった。逆にお母さんたちが悪い事をしているのではないかとちょっとばかり思うほどに。
「それならそれでいいわ。私は家族を傷つけようとする人は許せない。だから、あなたを倒すわ。引退した身とは言っても舐めないでね」
お母さんがお父さんにウインクをして、アイコンタクトを送る。その瞬間、お父さんは僕を抱きかかえて車から離れるように駆け出した。
「……!」
突如、大きな炸裂音がした。お父さんと僕は吹っ飛ばされて地面を転がったけど、お父さんが僕をギュッと抱いてくれていたので怪我はなかった。後ろが見えないように抱っこされていたので様子がわからない。
「お母さん!」
お母さんが心配で僕は叫んだ。お父さんの腕を押しのけて間から覗き見た。僕たちがついさっきまで乗っていた車は炎上していて跡形もない。一体どんな事をしたらああなるのか想像もつかなかった。
「あなた! 逃げて!」
炎を潜って男の人が歩いてきた。ありえない。そんなことをしたら絶対火傷してしまうのに、スーツに焦げ一つなかった。あの男の人が人間じゃない気がして、僕は恐怖を感じた。
男の人へ向かってどこからか現れたお母さんが突撃して行く。
お父さんは返事をすることなく立ち上がって再び走り出した。でもまた突風を受けて前のめりに倒れてしまう。お父さんに守られて僕は全然痛くなかった。
「きゃあっ!」
僕たちの横にお母さんが飛ばされて来て、一回地面に跳ねてから止まった。
「朱音!」
お父さんが心配そうに声を上げる。僕も声を出そうとするけど声が出なくなってしまっていた。なんで? 僕は喉を押さえる。
「……大丈夫」
お母さんは何事もなかったかのようにすっくと立ち上がる。でも、右手からは血が流れていて、その腕が力なくぶら下がっていた。
「やせ我慢はよせ……!」
お父さんは僕を地面に置いて起き上がった。
「お願いします……抵抗しないでください」
ゆっくりと歩きながら距離をつめる男の人はありえないことを言う。それに対してお父さんは怒ったような表情を見せた。僕は生まれて初めてお父さんが殺気立つのを感じた。
「馬鹿げた事を……!」
「……この子を死なせはしないわ」
お母さんは左手だけで構えを取った。よく見れば右腕だけじゃなくて頭や口からも血が出てる。これじゃお母さんが死んでしまう! けど、いくら遣っても喉は嗄れてしまったみたいに音は生じない……。
「お前が誰だか、私は知らないが、家族を、やらせはしない……!」
お父さんもお母さんの隣に並んで、男の人を睨み付けた。
「……それなら、私も全力でやりま――ッ!?」
空から何かが降ってきて、男の人が立っていたところに激突した。なんだかカクカクした形の、人工的に作られた大きな岩みたいなものだった。
『無事か?』
「エイトセンスッ……ということは桜ちゃんがいるのね」
『俺はあんたらを援護しに来たんだ』
お母さんはほんのわずかだけ安堵したように息を吐いた。あのカクカクは何だか味方してくれてるみたい。
「好都合。あなた!」
「何だ?」
「あの子にお守りを持たせて、川に投げ落として!」
突拍子もない事をお母さんはさらりと言った。
「……わかった」
一瞬だけ躊躇したお父さんだったけどすぐに僕に駆け寄ってきた。
「これを持て」
「……?」
「大事なもの、だ。お前に託す。絶対に無くすな。よく握っていろ」
声が出ないので僕は頷いて答えた。
「息を大きく吸え」
お父さんの言ったとおりに僕はめいいっぱい空気を肺に送る。でも待って、もしかして……。
「死ぬな」
まさか――お父さんは僕を橋から突き落とした。
「じゃあ、ここがその橋……」
取り戻した記憶の波浪から我に返れば、目の前に見とめるのはあの橋だ。
川幅自体は目測で十五メートルそこらだけど川原や土手まで含めれば四十メートルはありそうだ。橋は二車線と歩道があるので想像していたものより大きかった。
「左座君……」
憂慮な顔をしてペネロペさんが横から僕を見遣っていた。
「どうして僕はここに?」
「あなたが、急に立って歩き出して……」
「そ、そうですか」
やっぱり僕は精神的に危ない状態なんだなと薄笑いが出てしまう。それと同時に心に笑うだけの余裕が生まれている……いや、違う。余裕じゃない、穴が開いてしまったみたいだ。
「はは。全部思い出しました。これは、本当です」
辺りを見渡せば橋の一部だけが他の部分と比べて新しい。あそこが車の爆発したところだろうか。
記憶と現実が噛み合っていくのを感じる。ピースのなくなったパズルが、長い時をおいて完成した。
振り返ると夏神とペネロペさんが同じ表情をしている。
「僕も、賢者エリーゼの血が流れているんですよね?」
「……ええ」
「それは……」
夏神がペネロペさんに詰め寄ろうとしたところで、ペネロペさんは首を横に振る。
「舞草と夏神ちゃんは血縁関係だけど、左座君とはそうではないわ」
「……そう」
ぎすぎすした空気が一帯を覆いつくしていた。
「あの……もう帰りましょう? 知りたい事は知ったわけだし、もう時間も遅いし、明日も学校だし」
僕は手を握り締めてペネロペさんに言う。
「……わかったわ」
ペネロペさんは腕時計を操作してエアーバイクを呼び寄せた。
エアーバイクに乗るペネロペさんを夏神が睨みつけている。夏神の傍に寄ると今度は僕を睨んだ。
「あ、何?」
「……なんでもない」
重たい雰囲気のまま、僕たちはエアーバイクで飛び立った。
何時もの僕ならこんな状況、胸が詰まるほど苦しくなるはずなのに、今だけは心地が良いとも思った。