第十七話 襲撃
「えっ……?」
まさか。
「上だ。この建物を利用して潜んでいるんだ!」
夏神がこんな大きな声でものを言ったのは初めてだった。それだけ状況が緊迫しているということだろう。
立てるほどに回復したので、急いで夏神のもとに駆け出そうとした。しかし、
「動くな!」
と夏神の一言で僕の足が止まる。
「どうして!」
「とにかく今は動くな!」
そう言いながらも夏神が注意しているのは建設中の建物の方だ。舞草がこの中に隠れている、とすれば鉄柱の落下も舞草の攻撃なのだろうか。待ち伏せされていた……?
夏神は携帯を取り出して連絡を取ろうとする。
「……圏外? 馬鹿な」
首をくるりと動かして夏神が僕を見る。
「来るっ!」
夏神が視界から消えて、続いて僕の視界がぐるりと一回転して光景が移り変わった。
これが僕を抱えて移動したのだと理解できたのは後々のことで、今はその場の流れで気に留めなかった。
舞草の衝撃波が地面を抉り、風圧で飛んできた砂埃で僕は目を閉じた。怖い、直撃したらと思うと。
「貴様……一体何だ!?」
「はっ?」
目を開いて確認する。夏神が肩で息をし、汗を掻いている。そして怒っている。
怒っている? 僕に対して?
「どうしてこんなに重いんだ!」
「え?」
意味がわからなかった。でもそんなことを気にしている時じゃない。
「えっと、雀部と明日喜さんは?」
「……そこにいる」
夏神は衝撃波から僕を守るために雀部と明日喜さんを置いて来てしまっていた。
「二人を放っておくのか!?」
「私だけでは三人も一緒に運べない!」
そうか、どんなに超人的な力が出せる夏神と言えど両手で持てる数には限度がある。けれどそれでは同時に狙われたら、二人は救えない。
「舞草は二箇所を同時に攻撃できない。広範囲攻撃をすれば関係ないが、それでは自分も巻き込まれるだろう」
僕の心中を察したのか夏神が的確に言った。
「だから助けられないことはないが……それではこちらから攻撃できない。協力してもらうぞ」
「きょ、協力?」
「そうだ。私の能力には制限時間があるのは知っているだろう。時間が経てば不利になるのはこちらだ」
「どうすれば……?」
「囮になってもらう」
またか。あの時は逃げていろと言われていただけだったけど、こう直接言われると気が引ける。
「舞草をビルの外へと誘き出す。あちらへ走れ」
夏神は雀部たちのいる方向とは逆を指差した。
「いいか、助かりたければそうしろ」
そう言って夏神が居なくなった。
今度は舞草が雀部たちを攻撃したのだった。衝撃波が命中する前に高速で二人を運び、退避させる。夏神たちは鉄柱の横まで移動していた。
僕との距離が離れた。次に狙われるのは僕……ええい、畜生!
夏神が示した方へ走り出した。何処まで行けばいいのかわからないけどもう知ったことか。走れるところまでいってやる!
「よし」
指示したとおりに走り出してくれた。
私の後ろには一般人が二人。舞草のことだから、時間稼ぎに、一人になった左座誠人を攻撃するのは間違いない。
この建物の構造上、あの位置にいる目標を攻撃するには少なからず外に体を出さなければならない。目測が誤っていなければこの場から奴が見えるはずだ。
案の定舞草は左座誠人を狙い、ほんの僅か、腕だけだが姿を見せた。場所さえわかれば攻撃方法など幾らでもある。
私は地面に突き刺さっていた鉄柱を引き抜き、構えて、舞草に投げつけた。
ゴオ! と新幹線が通過したような音がして、ハッと建物を見上げた。舞草がいた。
そこに鉄柱が飛んできて今まさに当たってしまうかというところで、舞草は右手を振るって弾き返した。凄まじい、金属同士が激突した轟音の後、弾かれた鉄柱はクルクルと回転しながら軽い枝なんかみたいに飛んでいってしまった。
流石に鉄柱ほどの質量を持つ物を弾くとなると衝撃を相殺できないようで、足場からバランスを崩して地に落ちだした。
鉄柱は、多分夏神が投げたのだろう。彼女以外にそんな芸当ができる人間がいるとは思えない。沢山いては困る。
落下した舞草は空中で体位を整え、足からゆっくりと着地した。ふわりと。
鉄柱を投げられ、それを難なくかわし、十メートル以上ある場所から落下して無傷。こんな奴……倒せるのかよ。
しかも舞草が着地したのは僕のすぐ傍だっ。なんて運の悪い!
逃げなくては……!
僕は夏神のところに行こうとするけど、
「小僧……また会ったな」
僕を凍りつかせる声。冷や汗が噴き出し、足が動かなくなった。身の毛がよだつとはこのことだ。体が、痛いほどに硬直した。
「しまった……!」
夏神が駆け出すけど、その瞬間に舞草が衝撃波を雀部たちに放って動きを封じる。
「……お前から死んでもらう」
全力で振り返り、舞草を目視した。右腕で僕に狙いをつけていた。やられる……。
「……」
「さよならだ」
地面を吹き飛ばすような一撃を喰らったら、それこそ僕は……死ぬ?
くい、と舞草の右手に力が込められる。
ああ、終わった……。
「なんだと!?」
どうした。
「小僧……お前は何者だ!」
「はっ?」
あれ? さっきも同じことを言われた。夏神に……どうなっている?
衝撃波は来ず、舞草が驚愕の表情で僕を睨んでいる。
しかしもう一度僕に腕を向ける。
「またか!」
な、何が?
「左座君! 早く立って逃げて!」
明日喜さんの声だ。立って?
気付くと僕は知らない間に地面に座り込んでいた。逃げるには立たないと。けど足に感覚がない。ちゃんと足は付いているから、竦み上がってしまったのか。小心な!
そこで舞草が僕を見ていないとわかった。舞草の目は夏神たちに向いている。何かを見咎めたのか、呟いた。
「あれは……」
夏神を見ているのか? にしてはおかしい。今の今まで認識していなかったような驚きが、舞草にはあった。
舞草が奥歯をかみ締める。そして再び僕を見た。けれども、瞳が違った。
「お前は……“左座”なのか」
「……何?」
次の言葉は僕の予想を遥かに超えていた。
「……両親は……健在か?」
「はい?」
全く話が掴めない。何が言いたいのだろう。僕はつい敬語になってしまった、僕を殺そうとしている相手に対して。
「舞草ァァアアアア!」
夏神が突撃していた。
両手で鉄柱を振りかぶり、空中に跳び上がる。舞草は瞬時に防御体制へと切り替え、振り下ろされた鉄柱を容易に両断した。
「むっ!」
夏神は鉄柱を投げ捨て、僕の首根っこを掴んで後退した。
「うげっ!!」
僕を助けるために仕方ないとは言え、首だけを持たれていれば急に動かされた時に衝撃がそこへと集中する。首に激痛が走った。
「ぐう……」
「すまない」
夏神は僕を持って雀部たちのいる場所まで跳んで移動していた。僕は痛みで首を押さえる。後ろから、大丈夫か、と雀部の心配する言葉が聞こえた。
「これは……」
三人を同時に運べないという理由で、僕と二人を散けて置いておいたというのに合流してしまった。
もし攻撃されれば、三人とも助けるのなら夏神が盾にならなければならない。それができないのなら、多分夏神は二人を見捨てるだろう。それは……駄目だ。
舞草は追撃の大チャンスだというのにどうしたことだろうか、自分の右手を見つめていた。どうかしたのならこちらが逃げるチャンスかも。
と思いきや、夏神も自分の右手を凝視していた。戦闘のプロである彼女がこの機を逃すなんてこととは……ないよな。
「なあ、今が逃げる好機じゃあ……」
ドンッと目の前の地面が吹き飛んだ。礫が飛び散って、僕たちに当たってしまう。けれど死ぬほどのものじゃない。
「……うわっ」
「きゃあ!」
「のうわ!」
「くっ!」
舞草はどうもしていない。まだまだ戦闘を続けるつもりだ。雀部と明日喜さんも見られてしまったのだから、僕たち全員が標的だ。容赦がない。
「ここで仕留めてくれる!」
どうも流されてしまっている感じがして、殺されそうになった時でさえも、ぼんやりとした気持ちだった。舞草が意思表示し、それで舞草が僕を殺そうとしていると漸く実感が沸いた。
ぐっと両手に力を入れる。どう考えても今の状況は絶望的だ。何か打開策はないのか……?
こんな時には、助っ人がやって来る。
戦隊物とか、ヒーロー系の特撮やアニメでの展開は、そうだ。だけど、ここはそんなテレビの中じゃあない。
でもここには超能力者とか、あり得ないような人間が二人もいる。となれば、あり得ないことがあり得ることだってあってもいいだろ!
すがる物がもう何もないのだから……、いや、ちょっと待て。
僕はポケットからお守りを取り出した。袋の中に何が入っているのかは知らない。木か何かで、なんの効力もないだろう。
僕の家庭は神道ではないけれど、神様、どうか、助けてください!
ギュッとお守りを握り締めた。
『その願……聞き届……り!』
「えっ?」
心の中に直接、声が聞こえたような気がした。
「何?」
夏神が上空を見上げる。
キラリ。紺青の空が一点だけ煌いて、そこから何かが急降下してきた。そしてその速度を保ったまま、謎の物体は舞草の頭上へと落ちていく。
「なっ!」
さながら隕石でも落ちてきたのかと思った。舞草は飛び退いて物体をかわし、物体は地面にめり込む。風圧のような物理的な現象は発生しなかった。物体はゆらゆらと浮き上がって、めり込んだ部分が全て抜けると空中に静止した。
落ちてきたのは、正八面体の形をした赤い物体。表面には赤と少し黒ずんだ赤で幾何学模様が画かれていた。
「エイトセンス……!」
舞草が一歩後ずさる。
『ふう………………で間に合……ぜ。っ……、ブロ……ムめ、人使……荒い……と、俺は人じゃ……ったな……ははは』
「お前がいるということは……」
「そうね、私がいるということよ」
僕の後方から女性の声がして、それは聞いたことのあるペネロペさんのものだった。
僕は振り返る。
そこにいたのは、身長は小学生並みの少女だ。いや、女性?
肩まで届くブロンドの髪に、不似合いなスーツ。子供が背伸びして大人に見せかけようとしているようにしか見えなかったけど、手に持っている黒い短機関銃がそうではないと示している。
「ハァイ。お久しぶりね、海藤。じゃなくて、舞草兵駕」
「チェリー、ブロッサム……」
「あら? リリちゃんは本名で呼ぶのに、私はあだ名なの? 悲しいわ」
「お前が本名を明かしていないだけだ」
「そうだっけ」
『そ……よ』
エイトセンスと呼ばれた物体は音を発することなく、僕の心に自分の声を伝えているようだけれどノイズのようなものが邪魔してうまく聞こえない。他の人の反応から見て、多分この場の人間全員の心に語っているのだろう。どうやら、僕に対してはいい加減みたいだ。
「どうしてお前がここに? 私の陽動に引っ掛かっているものとばかり思っていたが」
「あんなちんけな陽動に? 馬鹿言わないでね。まあ、部隊の連中はどうだか知らないけど」
女性は僕たちの隣まで歩いてきた。
「大丈夫だった? 夏神ちゃん。舞草が電波の妨害工作をしていたから危険を伝えられなかったわ」
「はい。ペネロペ」
やっぱりこの人がペネロペなのか。
「左座君も、友達も無事ね。急いで駆け付けて良かった。間に合わなかったら私の責任だろうし」
『勿……お前……任だ』
「五月蝿いわよ」
なんでペネロペさんはこんなに余裕なのだろう。そしてあのエイトセンスとかいう奴もよくわからない。
「ねえ、私がここにいるということは、わかるわよね」
「む」
「すぐにでも応援がやって来るわよ。それでもいいのかしら? それとも私と夏神ちゃんを相手にしてみる?」
「いや……よしておこう」
舞草はそう言うと、自分の足元を攻撃して砂煙を巻き上げた。風が全方位に吹き荒び、僕は腕で目を覆う。少しでも気を緩めると吹っ飛ばされそうだった。
『目晦……だ! 追……!』
「……いえ、いいわ。事後処理があるしね」
煙が晴れると舞草の姿はなく、エイトセンスはペネロペさんの隣に移動していた。
「護衛対象がまた増えちゃった。はあ……そろそろ本部から応援を呼ぼうかしら」
ペネロペさんが雀部と明日喜さんを横目に、ため息混じりに言った。
「これからちょっと時間あるかしら。二人にも説明しなくちゃならないだろうしね」
「ええ……」
「ああ、あるけど……」
二人がおずおずと答える。
「そう、よかった。ここは部隊の奴らに任せて、そこのファミレスにでも行きましょう?」