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プロローグ2 逃走不可能

 周りには建物はほとんど無く田畑が広がっている、車一台が通るのがやっとの大きさの道路で僕は自転車を走らせ続けている。住宅地を抜けてから十分ほど経つだろうか。

 それにしても暑い。ペダルをこぐ力はあまり入れていないので、おそらく原因はこの制服のせいだろう。

 夏も間近に迫っているというのにまだ冬服なのだ。いい加減に夏服に移行させてくれ、学校。

 僕は暑苦しさを緩和させようと片手で制服のボタンを全開にした。風が腹部や脇の下へ潜り込んで来て気持ちいい。

 内に篭っていた熱気をあらかた放熱させた僕はわずかに足を動かすペースを上げた。

 

 ここだ。

 僕以外にもここにこれがあると知っている人はいるだろうけど、入ってこようとまで思うのは僕だけのはずだ。

 ここは、僕だけの場所。

 誰も来ない一人だけの世界。

 辺りはすっかり暗くなってしまったけれど、今日は満月、月明かりが照らしてくれる。

 ぬっと黒く其処に佇んでいる巨大な人工物。それは……観覧車だ。

 僕は廃棄された遊園地の出入り口に来ていた。

 僕の背丈を優に越える真っ黒な正門には手首ほどの太さの鎖が巻きつけられていて、通常の大きさの数倍はある南京錠で固定されている。全体的にかなり錆び付いているとはいっても、人一人の力でどうにかなるようなものじゃない。

 勿論、僕はここから入ろうとはしていない。

 自転車をそこに置き、遊園地を取り囲む塀に沿って歩いて半周する。


「えっと……ここら辺に……あった」


 塀の一部が壊れて、かろうじて僕が通れるぐらいの穴が開いている、というより開けた。昔の自分が開けた……と思う。ぼんやりとしか覚えていないから、はっきりとは言えない。

 その穴を潜り抜けた僕は静寂な遊園地を見渡す。

 完成しているけど動かない観覧車、乗る馬が一匹しかいないメリーゴラウンド、乗車場所のみがあるジェットコースター。その他の場所にも設置途中の遊具や資材が放置されている。

 なんでもこの遊園地を建設していた会社と発注した会社が同時に倒産してしまったらしい。

 そしてこの土地の所有権を持つ人間は、遊具を取り除く費用を考えると何もしない方がいいと判断したようだ。

 僕は首を傾げる。

 なんでこんなに詳しいんだ? 何処で知ったんだっけ。

 それほど気にする事でもないので深く考えず、僕はメリーゴーラウンドに向かった。

 メリーゴーラウンドを囲む錆び付いた柵の入り口に手を掛けて、少しだけ力を入れると、黒板を引っかいたような嫌な音を立てて開いた。

 僕はたった一匹しかいない馬に腰掛けると、天井を見上げた。メリーゴーラウンドの天井には隕石でも落ちてきたかのようにぽっかりと穴が開いてしまっていたので、夜空が見える。

 ……これは僕がやったのではなくて、抜け落ちたという感じでもないので、おそらく仕様だろう。

 中心の柱は天井とは接せずにそのまま突っ立ている。

 この場合柱は一体何の役割なのだろう。邪魔なだけのような気がするけど。

 と、何を考えているんだか。どうでもいいじゃないか。

 再び視線を上へ。

 蒼黒の空に、星はない。一つもそこに存在してはいない。

 あるのはビー玉サイズの月だけ。

 僕自身生まれてから星というものを見たことがない。

 実際には、星は消えたわけではないらしい。肉眼で捉えられなくなってしまったから、見えない。

 何故そうなったかというと、理由は一つだろう。

 僕はおもむろに首を横へ動かした。

 そこには、夜空をかき消そうとしているかのような巨大な、先ほどの月の何十倍もあるもう一つの月があった。

 何度見ても驚いてしまう。感嘆とかじゃなくて、ただ単にそれがあるという事実に。

 あれは昔、賢者と呼ばれる六人の人間――彼らは科学者たちだとも暴君だとも言われていて、伝説じゃ宇宙の力を自在に操れたとか――が造ったとされている。

 どうやって造ったのか、どうして造ったのか、全くの不明。と教科書にあった。

 おお、勉強の成果が出てる。


「あー、勉強したくなくてココに来たんじゃなかったっけ。何復習してんだか……」


 自然と独り言が出たので、嫌気が差してため息をついた。

 その時だった。

 

 ゴウ! 

 

 と今まで味わったことのない強風が僕を包んだ。

 近くにあった固定されていなかったベンチなんて枯葉のように飛んでいってしまったのだから、咄嗟に馬にしがみ付いていなければ吹っ飛ばされていた。


「え?」


 遊園地の周辺には山が聳えているため、こんな風がやってくるはずがない。

 それに自分の股の下から風が掬い上げる様に移動するなんて、足元に大型ファンでもなければ起こらないはず。

 僕はしがみ付いた姿勢のまま固まっていたけど、なにやら音が聞こえてきた。

 いや、声だ。


 “……が……だ……”


 男の声だということはわかった。でも、遠いのかよく聞き取れない。

 僕は馬を降りて、無意識に足音がなるべく小さくなるよう抜き足差し足移動し、柱に背中をくっつけるようにして聞き耳を立てた。


「……貴様をヤれば“賢者のいし”は私を含め残り二人となる。となれば、あと一人だ」


 ……ヤる? ……賢者のいし?

 誰かと話をしているようだが相手が何も言い返さないのでどんな人か判断できない。


「能力も使わずに此処まで逃げ切れるとはさすがと言っておこう。だが、そうやって逃げられるのももうお終いだ」


 能力?

 何の話をしているんだ? という好奇心がちらついて、僕は顔だけを出して柱の陰から声のする方向を窺った。

 真っ黒なスーツを着た人と青白い光を纏ったロングヘアを持つ人がそこにいた。体格から判断するに、スーツの方は男、ロングヘアの方は女性だろう。


「連続無差別殺人事件? だったか、貴様らの組織が情報統制を行ってくれたおかげでやりやすくなったよ。他の奴らを何人殺してもその事件にすり替わる」


 殺した……? まさかとは思うけど、まさかまさか……。


「いい加減諦めたまえ。一瞬で苦しまず殺してやるから、な?」


 男は小さな子供に語りかけるような口調で、女性を挑発した。女性はこちらを背にしているため表情はわからず、言い返したりもしないのでどういう心境かは不明だ。

 ……なんて状況。

 廃遊園地(ここ)に人が来るなんてあり得ない、取り壊しに来た業者でもない限り。そして明らかに目前の二人はそうじゃない。

 これはあれだ、映画なんかでよくある決闘シーンという感じだ。命を掛けたやつ。

 ってか、男の話している内容を聞けば普通じゃないことぐらいわかる。無差別殺人事件の犯人のような口ぶり。

 素でヤバイ。別に僕は死線を潜り抜けてきた手錬の戦士でもないけれどこの空気を感じ取れないほど鈍くはない。部外者である僕が居ていい場所じゃない。

 もっと早く気付くべきだった。


「相変わらず無愛想だな」


 男が片手を大きく上げ、素早く振り下ろした。

 と同時に僕の頬に触れながら風が通り抜ける。


 ピッ。

 

 え?

 風の触れた箇所から音がして、そこが無性に痒みを帯びた。顔を引っ込めて右手で触れてみる。

 生暖かい液体がそこから指をつたって袖の中へ流れ込んできた。

 痛い…………痛い? 痛い!?

 頬に刃物で切りつけたかのような鋭い痛みが走った。状況が状況なので声は噛み殺す。口内に貫通するような大きな切り傷ではないけれど血が流れ出るぐらいはあった。

 風で切れた? そんなことがあるのか?

 と、とにもかくにもここから逃げなければ!

 正門や裏門は閉まっている。敷地内に入ってきたときに使ったあの穴から外に出るしかない。


「ハッハァ! よく避けたなぁ!」


 男の笑いの混じった声が聞こえる。僕の存在はまだばれていない様子。にしても怖い笑い方だ。

 メリーゴーラウンドを降り、開いていた柵の入り口から出る。

 あとは穴まで一直線だ。一気に駆け抜ければ数秒で到着す――


 ――ドゴォ!

 

 はっと僕は反射的に一瞬止まって後ろを振り返った。何の音だ、爆弾でも使ったのか!?

 やっぱりヤバ過ぎる。僕は走りだした。

 穴への距離は五十メートル、いや四十メートル、いやいや三十メートルぐらいであって欲しい。

 だんだん目的の場所まで近付く。

 あの穴から出たら自転車のとこまで走ってすぐにここから離れる! そしておそらく二度と来ない!

 でももう一回ぐらいは来るかも、だって思い出の詰まった場所だから、でも今は逃げを優先。

 ここが跡形も無くなくならない限りは……


 …………思い出って何だ?


 僕がここを見つけたのはつい最近、思い出なんてあってたまるか。あ、でもこの遊園地の塀に穴を開けたのは昔の自分だっけ?

 は? 何の記憶だこれ?

 だぁっ、混乱している場合じゃないだろ!

 穴までもう十メートルぐらいか、足運びが遅くなっていたので喝を入れる。

 こんな非日常的場所からはオサラバです!

 ……なんて僕の願いを神様は踏みにじったようです。

 何か黒い物体が飛んできて、穴の傍に置かれていた資材に激突した。積み重ねてあった資材は上から倒れ落ち、唯一の出口を塞いだ。鉄パイプだけでなく幾つもの仮設トイレまであって、退かすことは出来そうにない。

 足を止めて、僕は口をぽかんと開けた。駄目だこれは……。


「貴様はその程度なんだよ、リリアーヌ!」


 男が大きな声で叫んだ。この場所に立っていては見付かってしまう、僕は倒れた資材の陰に飛び込んだ。

 僕が体勢を立て直した途端、カラガラと音を立てて資材の中から人が立ち上がる。それが僕の目と鼻の先でだったので、僕は驚いて地面に尻餅を突いた。

 資材から出てきたのは女性の方だった。僕に背を向けて立ち上がった拍子にフワリと広がった長髪は瞬く間に元の位置に戻った。

 覗き見ていたときは遠かったので気付かなかったけど、今見ると身長は僕より低い。大人の女性ではなくて少女だった。


「お前は誰だ」


 それが僕に向けられた言葉だと判断するのに数秒必要だった。なにせ、こっちを一センチも振り返らずに小声で訊いたからだ。


「僕は」

「……黙っていろ」


 僕が質問に答えようとした瞬間に遮ったのでムッとしたが、男が視界にちらりと入ったために僕は身を低くした。

 本能が男よりこの少女の方が大丈夫と見極めたらしい。何が大丈夫なんだか。


「今のは痛かっただろう。抵抗しなければこんなことにはならなかったんだぞ」

「……」


 少女は返事をしない。


「屠るくらい簡単なのだ。もう一度言おう、諦めろ」

「……」


 少女はピクリとも体を動かさず直立している。


(死にたくはないな?)


 少女が小さく呟いた。僕は意味がわからず聞き返そうとするがやはり遮断して、


(死にたくはないな?)


 と同じ質問をした。

 死にたくないのは当たり前だ。僕は、ああ、とだけ返した。


(……ならば手伝え。合図をしたら走れ)

「どこへ?」

(どこでもいい)

「出入り口は閉じていてここからは逃げられないんだぞ?」

(……何処でもいいと言っている)


 少女がちょっとだけ首を動かして横目でこちらを見て威圧した。その瞳はあの大きな月と同じ蒼色だった。


「お? まさかそこに誰か居るのか?」


 男は笑い出すのを堪えている感じだった。彼女は向き直ったけれどもやはり何も言わない……と思ったけど、


「戦闘時間を百八十秒に設定。カウントダウン開始」


 少女が初めて男にも聞こえるような大きさで声を発した。


「三、」

「チッ。能力か」


 舌打ちをして、男が右手を振り上げながらこちらへ突進してきた。


「二、」


 少女が体勢を低くする。なるほど、合図はとはこれか。僕もクラウチングスタートの姿勢に。


「一、」


 男が右手を振り下ろす。僕は地面を蹴る。


「零!」


 真後ろで新幹線が通り過ぎたかのような轟音が。僕は言われたとおりに駆け出している。

 左足が地面を捉えて前に加速し、続いて右足が地面へ。そしてまた加速。

 もう一度左足を地面へ――ってあれ? 足が地面につかない? 

 背中に猛烈な圧力を感じているけれどまさか。目線を下へ移動させると……地面があった。ただし僕の足は接していない。


「まさかぁぁああああ!」


 どうやら僕の体は空中にあるようだった。

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