第十五話 屋上にて
眠さから僕は午前中の授業をほぼ寝て過ごした。昨日は、いつ夏神が帰ってくるかな、と思いながら起きているとなんと徹夜してしまったのだった。
明日になれば学校も休み……そう思っても耐えることができなかった。
四時間目終了の印であるチャイムが鳴ると相変わらず、大量の人が押し寄せてくる。物量に潰されてダメージを受ける前に自陣から退却する。
さすがにその人の群れは初日に比べれば減ってはいる。特に女子の割合はほとんどなくなり、男子だらけでむさ苦しさレベルが上がっている。夏神もお気の毒に。
僕は他人に夏神とどういう関係なのかと問い詰められる前に購買に行き、今日の分のパンを買って屋上へ向かった。今日のパンはチョココロネやクリームパンなどの菓子パンにカレーパンやかつサンドなどのメインもいつもより少しばかり多めに買っておいた。
屋上に着き見渡すとやはり誰もいない。どうしてこの場所は人気がないのだろう。昔何かあったのだろうか。
ベンチにパンを置いて空を見上げ、待ってみる。
ああ、やっぱり来た。
ストッ、と着地音の大半を殺して、この屋上に降り立ったのは夏神だ。
「また大ジャンプして来たのかよ」
「いや、今度は四階から上がってきた。大したことはない」
四階の窓から蹴り上がって一階上にやって来たと。十分に凄いんですけど。
「それにしてもあの集団は何なんだ……」
「一目見てファンになったんじゃないのか」
「ファン?」
手を顎に当てて考え込む。嫌がっているような表情はしていなかったので満更ではないのかもとちょっとばかり思った直後に夏神は顔をしかめた。
「厄介だな……あまり“友人関係”が多くなるのは好ましくない」
「でも昨日は明日喜さんと友達になったじゃないか」
「……同性の友人がいないのはおかしいため、一人ぐらいは、と」
あれだ、夏神は人との交流が苦手なのかー……完璧な人だと確信していたのに弱点はあるもんだ。一人許したら皆迫ってくるものだと知らないのだろう。
「ところでさ、昼食とった?」
「まだだ」
「じゃあ、パン食べる?」
「……ああ。頂く」
僕はパンを数個夏神に手渡してベンチに座り込み、パンを受け取った夏神は前よりは僕に近い所に座った。
三個入りかつサンドの一つを食べ、気になっていた昨日のことについて訊いた。夏神はホットドックを一口した後に答えた。
「舞草が発見されたのはいいが、また取り逃がした」
夏神の顔には悔しさが滲んでいる。
「現在は部隊の連中が捜索中だ」
「そうか……夏神は大丈夫だったのか?」
「……私か? 特に怪我はないが」
気遣われたのがよほど意外だったのか、怪しむような、驚いた口調で答えた。
「それなら良かった。そういや、夏神の記憶を前に見せてもらっただろ?」
「ああ。記憶を取り戻させるために」
「あの時に舞草って奴から攻撃を受けたみたいだったけど、それも大丈夫?」
「どうして知る必要がある」
「別に理由はないけど」
「……肋骨にひびが入っただけだ。さすがに完治には時間を要するが任務に支障はない。気にするな」
「大丈夫じゃないだろ、それ」
刺々しい言い方をして僕の興味を削ごうとしているのかと思いきや、普通に答えてくれる。いちいち……面倒な。
突然、眠気が再びやってきて欠伸がでる。くっ……ねむたい。
「……どうした」
「目が閉じそうだよ。夏神は眠くないのか。昨日寝てないだろ」
「私は一週間ほどならば睡眠をとらずに作戦行動が可能なように訓練を受けている」
「さいですか」
スーパーマンか。
僕はパンに齧りついて眠気を晴らそうと努力する。噛む力を意識していれば眠らないはずだ。
端から見ればやけくそにパンを食べている様に見える僕を一瞥して、夏神は左手首につけている腕時計を見た。
「そろそろか」
夏神が呟くと屋上のドアが開いた。そこから登場してきたのは昨日会った女子、明日喜さんだった。
「あ……こんにちは、えと……左座くん」
明日喜がこちらに礼をしてくる。あわてて僕も挨拶し返す。
「お、お邪魔します……」
明日喜さんは夏神の隣に座り、両手に持っているナプキン包まれた弁当箱を開いた。夏神は瞬時に演技の仮面を被ってしまい、表情が優等生夏神紫杏になっていた。
男子対女子比率が一対二になってしまったために話し辛い。空気が女子の場になってしまった。
にもかかわらず、(言っては悪いけど)根暗っぽい明日喜さんは話し出すきっかけを掴めず、もう一人は他人との交流が苦手(であろう)な夏神なのでしんとしたまま沈黙が続く。なんだこれは、辛い、居るだけで辛い。
夏神はパンを次々に口へと運び、明日喜さんは夏神をちらちら見ながら弁当に箸をつける。僕は食べたパンが呑み込めない。
屋上から逃げ出そうかな。でも出て行くのも出て行くので勇気が必要だ。パンを食べ終えたのなら理由として使えるだろうけどパンが喉を通らないので無理みたいだ。
いや待て、もし僕がここで居なくなったら二人で会話することがあり得るだろうか。ほぼ十割がた沈黙が継続して、それで昼休みが終わりそうな気がする。
僕が会話を作ってやるしかないのかな……。
「……あの、さあ」
明日喜さんに声を掛ける。
「は、はい!?」
明日喜さんは動転して上擦った声を上げた。弁当が落ちそうになる。何もそこまで驚かなくても……近くにいる訳だし。
「明日喜さんって元気になったの?」
彼女について僕が持っている数少ない情報で、訊けるのはこれくらいだ。ここからどうにか話を展開させていければ。
「……は、あ、ええ、まあ」
……。
……。
……そこで止まるなよ。
これ以上は不可能だ。精一杯の勇気で訊いたのに。
夏神に視線を向けて合図を送ってみる。話をここから続けてやってくれと。通じたのか夏神が口を開く。
「ご病気なんですか」
「……はい。一週間前に、体調が良くなったから退院していいってお医者さんが。完治したかは不明なので様子見の仮退院なんですけどね」
「お辛いですね」
ここで話が止まったかと心配したけれども、
「……あのう」
と明日喜さんが会話を引き続かせるために話題提起する。
「……一緒に居るみたいですけど、二人は知り合いなんですか」
来るものが来たかと苦い気持ちで、心の中の僕は額に手を当てた。大勢の前でこの質問をされるよりかはだいぶマシだと自分に言い聞かせる。まだ運が良い方だ。
「一緒に住んでますから」
「え、ちょっ!?」
なななんななん何を言ったんだこの人は! 僕は身を乗り出して止めようと手を伸ばすと、パンが地面に落ちた。
「一緒に……住む?」
明日喜さんは出し抜けに出た答えに戸惑っているようだけども、おいおいおい。夏神って何者だ!?
「…………ええっ!?」
意味を理解した明日喜さんは両手を口に当てて驚き、飛び上がるように立ち上がった。そして膝上に置いていた弁当が地面に落ちた。
「お二人は兄妹(姉弟)だったんですか!?」
……おお、そう結び付けたか。
「違いますよ。ホームステイのようなものです。親が私を寮に入れたくないらしくて」
「は、はあ。そうなんですか。で、それが偶然左座くんの家だったと」
「そうです」
「それは……知り合いになっちゃいますよね」
すぐさま明日喜さんは落ち着いて、再びベンチに腰掛ける。
「ねえ、明日喜さん」
「……何ですか?」
「このことはしばらく黙っておいてくれない?」
「……ええ、いいですけど。ほかの人に知られたら左座くんが酷い事になりそうです。推測できます」
「ありがとう」
……物分りの良い子で助かった。雀部とかだとどうなっていたことか、想像すると鳥肌が立つ。
不幸中の幸いか眠気が吹き飛んでいってしまったし、昼休みも終わりそうだし、パンを……って、あ。
「ああ……パンが」
「あぁ……お弁当」
僕は落としたかつサンドについているゴミを払い、入っていた容器に戻す。他の落としたパンたちは袋に入っているからまだ食べられるし、かつサンドも完全に食べられなくなったわけじゃない。でも明日喜さんの弁当はしっちゃかめっちゃかになってしまってさすがにもう無理だろう。
弁当の中身を片付け、ふうと明日喜さんは肩を落としてしまった。
「良ければ、無事なパン……食べる?」
「いえいえ、そんなこと」
「何か食べなきゃ体に悪いよ。はい、あげるよ」
僕は菓子パンを明日喜さんに渡した。明日喜さんは渡されたパンを数秒見つめてから顔を上げ、
「いいんですか?」
「別にいいよ。秘密にしてくれるって言ってくれたし」
「……ありがとうございます」
明日喜さんは笑顔になって軽く頭を下げた。なんだ、暗い感じでやだなぁと思ってたけど、案外顔は可愛いのか。夏神のような完璧な美ではなく、小動物のような愛くるしい可愛さだ。
「あの……友達になってくれませんか」
明日喜さんが小声で呟いた。もしこれが教室なら他の喋り声にかき消されてしまうだろうというほど小さかった。けれど聞き取れた。
女子から友達になってくださいなどと言われたのは人生初の経験だったけど断る理由もない。
「うん、いいけど」
パアッと明日喜さんの表情が明るくなった。友達のいないらしい明日喜さんだから男子の友達なんてのは勿論初めてだろう。ほぼ面識のない僕に友達になろうと提案してくるとは、僕にはまねできない。勇気のある奴だ……もしかして彼女のような人が巷で噂の肉食系女子……とは違う。
「おお、いたいた。ああ! また左座か!」
聞き慣れた大声の主は雀部だ。屋上のドアの前に肩で息をして立っていた。
「お前……こんなに積極的にアタックする奴だったとは、油断していた」
雀部が汗だらけで息が荒いところを見ると学校中で走り回りながら夏神を探していたのか。それとも“紫杏ちゃん”の件で追われていたのか。お疲れなことで。
「紫杏ちゃん! 屋上で飯を食うのなら誘ってくれれば良いのに。友達だろ?」
「ごめんなさい。雀部さんも次からご一緒に」
「謝ることはないよ。ありがとうな。ん……明日喜さんも?」
「あ……」
明日喜さんを知っているとは、前に言っていた「女子なら全校生徒知っているし、全員に声を掛けて見せる!」宣言は嘘ではなかったらしい。
「私の友達の明日喜万里さんです」
「なるほど、紫杏ちゃんの友達……俺は紫杏ちゃんの友達だから、友達の友達だ! つまりは友達と同意! よろしく、万里ちゃん」
いきなりテンションの意味不明なぐらいに高いのに加えて頭の中の理論が崩壊している雀部に名前で呼ばれ、明日喜さんはビクリとしたけれど雀部の差し出した手を握り返して握手をした。身長差が五十センチ近くある握手は子供と大人がしているようで、似つかわしくない。
「は、はあ……どうも」
「よし、それじゃあ明日! 皆で遊びにいこうか!」
雀部との付き合いが長い僕でさえ、突拍子もない申し出に驚き入ってしまった。
「と、突然だな」
「ラブストーリーはそんなもんさ!」
……? ほんとに意味がわからん。