第九話 プロローグ’2
私には心の中で疑問を言葉に変換する暇さえ与えられなかった。
舞草の衝撃波を正面から胸に受けた私は一瞬視界が真っ白になり、意識をほんの僅かな間だけだが失ってしまっていた。
覚醒したときにはもう遅く、背中から何かの物体に激突した。受身も取れずに全身叩きつけられ、更には上から大量の何かが覆いかぶさってきたのだ。
顔面と胸にそれが当たるのだけは避けられたがどうもこの状況は最悪である。
出ようと思えばそれほど重くは無いので手で退かせられるだろう。しかし先に一撃喰らってしまった以上、圧倒的にこちらが不利。出た瞬間に死ということもある。
望むなら私に被さって来たこの物体――質と重さ、形状から判断して鉄パイプ――がどれぐらいの規模で広がったのかが知りたい。
数メートルにしか広がっていないなら隠れていても同じ、逆に広範囲であれば近付いてきた舞草の不意を突く事もできるか。
「貴様はその程度なんだよ、リリアーヌ!」
……五月蝿い。
一度大きく深呼吸する。
ズキリと胸が痛む……肋骨が折れたようだ。折れて肺に突き刺さっていないようだから、ただ罅が入っただけかもしれない。
舞草のカウンターが即死級の威力を持っていなくて助かった。
怪我は……一箇所か。案外ダメージは少なかった。実際は擦り傷や切り傷は数えられないほどあるが、あえてカウントすることはない。
手持ちの武器を再確認。ほぼ減っていないワイヤーと爆薬数百グラム、信管、導火線。
直接武器となるナイフを失ったのは痛い。ワイヤーで絞殺することも考えるが舞草と私の力の差がありすぎるために、不可能だろう。
さて、どうする。
私が思いあぐねていると、
「はぁ……はぁ」
という他者の荒い息遣いが聞こえてきた。
舞草か!?
……にしてはおかしい。舞草は息切れするほどに能力を使用しただろうか。組織にいた頃の体力はその程度ではなかったはずだ。
聞こえてくる方向も変だ。私の後方から。
一瞬で舞草が移動したということは考え難い。高速に動けるなら今までに私を仕留めるチャンスはいくらでもあった。
とするならば私と舞草以外に、もう一人いるということだ。戦闘時における呼吸法が出来ていないので一般人か。人の気配には敏感であると自負していたのに、今の私は一般人の存在に気づかないほど追い詰められていたのか……。
もしかすれば舞草の仲間ということも……考えられなくも無い。だが、この状況から脱するには利用するしかあるまい。仲間でないのであれば鈍感な舞草は、おそらくこの第三者には気付いていないだろう。
これは賭けだ。私の勘が生き残るのに値するものなのかどうかの。
私は勢いよく立ち上がった。
鉄パイプがガラガラと私の上から落ち去っていく。三人目は私を目視しただろう。
どちらからも攻撃は、こない。
舞草の姿は思いの外、遠くにあった。数字として見ると五十メートルほどはある。
「お前は誰だ」
三人目は即答しない。
この間は答えることを躊躇しているのではなくて事態が呑み込めていないものだろう。
「……僕は」
「黙っていろ」
私は何か発言する前に制した。舞草がやや速い歩調で近付いてきている。三人目を有効に使うには、その時まで三人目の存在に気付かせてはならない。
「今のは痛かっただろう。抵抗しなければこんなことにはならなかったんだぞ」
「……」
私は返事をしない。
「屠るくらい簡単なのだ。もう一度言おう、諦めろ」
「……」
舞草の歩みは余裕を見せて、ゆっくりとしたものだ。距離もほとんどつまらない。
(死にたくはないな?)
私は小声で後方の人物に問いかけたが、黙ったままだ。
(死にたくはないな?)
もう一度。
今度は反応があり、ああ、という相手の肯定が取れた。これで三人目はただの一般人であることがハッキリした。
(……ならば手伝え。合図したら走れ)
「どこへ?」
確かに、それは訊いてくるだろう。本当ならば舞草に突っ込んで行ってもらうのがベストなのだが、一般人がそんなことはしないだろう。
今重要なのは三人目が存在しているということであり、それ自体が“囮”として十分な威力を持つ。
(どこでもいい)
「出入り口は閉じていてここからは逃げられないんだぞ?」
(……何処でもいいと言っている)
私は少し首を動かし、横目で三人目を見据えた。
顔は良く見えないが男子の制服を着ていることはわかった。学生なのか。
「お? まさかそこに誰か居るのか?」
ハッとなって首を元に戻す。ばれただろうか……いや、舞草の嘲っているような声音からしてからかっているのだろう。だがこれ以上近づかれれば三人目が見つかるかもしれないし、私の能力発動する隙もなくなるかもしれない。
「戦闘時間を百八十秒に設定。カウントダウン開始」
わざと舞草に聞こえるよう大声で言う。後ろの奴はこれが合図であると気付いてくれるだろうか。
「三、」
「チッ。能力か」
舌打ちをして舞草がこちらに突っ込んでくる。
「二、」
ギリギリだ、ギリギリまで舞草を引き付けなければ。
「一、」
舞草が振り上げていた腕を下ろした。そして能力である衝撃波が放たれようとする。
「零!」
舞草の視線が別の方向にずれた。囮は成功したのか。若干舞草の能力発動が遅れた。
狙い通り……私は地面に転がっていた鉄パイプを二本拾い上げ、その場から飛び退く。
直後に叩き込まれた一撃。
本気の攻撃だったらしく、前のものとは比べ物にならないほどの風圧。私の体が自然と飛ばされて行く。
あの少年は、と飛ばされながら探してみると地面を転がっている。どうやら無事だったようだ、よかった……。
着地すると私はすぐさま物陰に隠れ、舞草の様子を伺う。
「小僧! 貴様は誰だぁあああ!」
あの少年はやはり見つかったか。もし隠れてくれていればもっと優勢な状況ができたのだが、これ以上は望まないでおこう。
「貴様も組織の者か!」
「……そ、組織ってなんですか?」
今にも舞草が少年を殺してしまいそうだ。仕方がない、行かなければならない。
私は地面を蹴り、空中で一回転しながら少年の目前に着地した。
「そいつは違う……」
「違う? ただの一般人だとでも言うのか? こんな場所にそんな人間が居るとでも?」
「こんなヘタレ……組織にはいない……」
“お前みたいなヘタレ、組織にはいないぞ?”
挑発の意味をこめて、過去の舞草の言葉を使って否定する。
「確かにそうだ。アハハハハハハ」
舞草は笑う。
「ハハハ……ならば、殺しても構わないということだな?」
口調が重く鋭く変わった。挑発に乗ってくれたか、これで少しは有利になるだろう。頭にきた方が負けるのはどの勝負事でも一緒だ。
「……逃げ回っていろ」
私はそれだけを告げると、すぐさま舞草に向かって突進した。
「近距離戦闘しかできない貴様には私を倒すことなどできるはずがなかろう!」
舞草は余裕なまま、一歩も動かない。
「あとは貴様の戦闘継続時間が切れるのを待って嬲り殺しにしてやるさ。その小僧と一緒にな!」
私は左手に持っていた鉄パイプを舞草へ思いっきり投げつけた。一撃で仕留めることができるよう、私の最大の力を込めて。
「ふん!」
舞草が腕を横に払い、発生した衝撃波で投げた鉄パイプを弾き飛ばした。
その間に私は舞草にさらに接近し、もう一度鉄パイプを投げつける。
舞草は右手を鉄パイプに向けて翳す。すると鉄パイプが粉々に砕け散った。
まだだ。これはまだ衝撃波によって攻撃を防いだにすぎない。舞草の隠している真の能力を発動させたわけではない。
迎撃から攻撃への転換が速いのが舞草の長所だ。私は過去の経験からしてこの後間髪入れない反撃が来るはずとわかっているため、攻撃が来る前に避けることは容易だった。
跳んで、空中で一回転して建物の屋根に降りつく。私の立っていた場所は抉れ、アスファルトの下にある砂石が露出していた。予測通り、である。
「むう……ちょこまかと!」
舞草が私に向けて衝撃波を横一文字に放つ。
だが、この距離は舞草の能力の有効射程から数メートルだけ離れている。元々精密度のない攻撃ゆえ、避けるまでもなく衝撃波は私から逸れていく。
……ハズだったのだが。衝撃波は思ったほど軌道が変わらず、私は回避を余儀なくされた。
前へはもう間に合わない。私は後ろへ退いて建物の下に飛び降りる。
衝撃波はそのまま進み続け、進路上にあった観覧車に直撃した。
「……はっ?」
「なっ!」
観覧車は衝撃波を受けた部分から二つに分かれ、上部が落下し始めていた。その落下地点に、先ほどの少年がいる。少年は呆然としていて避けようとする素振りすら見せない。
「くそっ……!」
私は考えることもなく全力をもって駆け出す。間に合うか……!
能力発動中の私でもあわや、というところだった。少年を助けようとして巻き込まれてしまったのでは全てが無意味だ。
少年の下にたどり着いたときには観覧車は少年に命中寸前だった。観覧車に挟み込まれると思ったが、押し潰されるのを滑り出るようにして逃れた。
観覧車の起こした砂塵を利用して舞草から離れ、物影へと移動する。抱きかかえていた少年は気絶してしまっていた。
これでは戦えない。
動けない人一人を庇いながら戦えるほど舞草は生易しい相手ではない。
「こちらアプロディテ。作戦区域にて一般人一名を保護……しましたが、舞草との戦闘継続が難しい状況に」
『……逃げられそう?』
「舞草はこちらを見失っているようですから、どうにか」
『じゃあ、帰還しなさい。死んじゃったら駄目だし、一般人に見られたのなら事後処理もあるから』
「……了解」
不本意ながら逃げるしかなさそうだ。爆薬に信管と導火線をセットし、近くの石ころにそれをくくりつける。
導火線に火をつけ……投げ上げた。
爆薬といっても、ドアを爆破して突入するための隙を作るための爆薬だ。威力はそこまでなく、殺傷範囲は爆心から数メートルが限界。
そのかわりに爆発した瞬間に強烈な閃光を生み出し、敵の目を眩ますことができる。
投げ上げた爆薬が爆発して期待通りの閃光を放った。舞草の注意は上空に向いているはずだ。
私は少年を抱きかかえて、閃光が作った影と影を縫うようにしてこの施設から脱出した。
追撃はない。無事に逃げおおせたか……。
あと少しで舞草を捕まえることができたかもしれなかった。もしかするとこれが最後のチャンスだったのかもしれない、が。
さすがに他者の命を危険に晒すことは……私のルールに反する……それは、言い訳だろうか。
次からは再び主人公の視点です。